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2017年8月

つれづれなるままに~古稀を迎えました~

  8月26日 私の誕生日。70歳になった。古稀を迎えたことになる。


 朝、知り合いの方から電話でハッピーバースディの歌のプレゼントをもらう。恐縮する。

 教員を退職してからもう10年も経つのである。
 あっという間のできごと。
 また、1つ峠を越えたことになる。

 西行の歌に以下のようなものがある。
  ★ ★ ★
 年たけて また越ゆべしと 思いきや 命なりけり
 小夜(さや)の中山
  ★ ★ ★

 西行も人生を長い旅路に重ねている。
 「小夜(さや)の中山」というのは、東海道の難所。

 この歌を詠んだ時、西行は69歳。
 かつて若い頃に越えた難所を、そんな高齢になってまた越えようとしている。
 「命なりけり」というのは、そういう自分の人生を振り返っての感慨であろう。

 いつか「これが自分の宿命だったのだ」と思う日がくる、それこそ「命なりけり」と思える日がくるかもしれない。そういう「いつか」を頼みにして、ただ歩き続ける。
 そんな心境を歌っているのであろう。
  ★
 昨夜は、娘や娘婿たちが誕生祝いをしてくれた。
 今日は、いつものように起きて、いつもの「朝の体操」をしている。
 両手振り体操や発声練習などを40分ぐらい。

 これからの10年 とても思い描くことはできない。
 生きているのかもままならない。
 
 まあまあ、「命なりけり」を頼りに目の前の課題に取り組んでいく以外にない。
 いつものように、前を向いて歩き続ける。

 

 
 

 

 

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算数本出版記念セミナーを開きます!

  10月21日(土)「味噌汁・ご飯」授業(算数本)出版記念セミナーを開きます。

 
  今回のテーマは、以下の通りです。

  もっとくわしく「ときかたハカセ」を提起!
  インプットの授業はどうしたらいいか!
  さらにレベルアップする授業をするには!

    申し込みは以下でお願いします。
 
  http://kokucheese.com/event/index/484674/

 
   どうぞ参加してください。

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つれづれなるままに~もう秋ですよ~

●私が出しているブログが、いつのまにか300万アクセスを超えていた。

 これは、これは、大変なこと。

 この数字はどんなものか。
 毎日500人からアクセスをもらうとする。
 
 1年365日で割れば、約17年間続いたことになる(実際には、そんなに続いてないのだが…)。

 たまたま『世界は数字でできている』(野口悠紀雄著 新潮文庫)を読んでいて、はたとアクセス数を見てみたのである。
 ほんとに皆さんありがとうございます。

●8月12日から郷里の佐賀へ帰ってきた。
 今回は、こんな涼しい佐賀を味わえるなんて、初めてのことだった。
 昨年までは、35℃以上の毎日の中で過ごさなければならなかったのだから。

 今回も13日は、私の兄弟たち、親戚の人たちと会い、14日には、女房の方の兄弟たち、親戚の人たちと会うことができた。皆さん、元気で良かった。

 施設に入っている母親。今年96歳になる。
 昨年までは私のことを覚えていてくれていたが、今年は更に認知症が進み、「あんた、誰かい?」という状態になっていた。
  しかし、何度も入院を繰り返して、今年も甦って元気になっていた。
 元気なことはうれしいことである。

 16日に帰ってきて、こちらも涼しい横浜である。
 もう夏は終わり、秋であると、NHKの予報士は伝えていた。

●玉置崇先生から再度来年の名古屋での「教育と笑いの会」への出演を誘われた。
 「えっ~~~~~」という驚き。
 
 玉置先生からは先日の「単独のお話も良かったですが、シンポジウムのご発言もとても刺激的でした」と。

 単独の話は、子供だましの話で、シンポジウムはずっこけて話したことだったので、なんとも…。
 
 でも、落語家の雀太さんや小痴楽さんの落語は、聞くに値する。
 同じ話で良いということなので、承諾する。

●今、算数の「ときかたハカセ」を作っている。
 と言っても、『「味噌汁・ご飯」授業 算数本』を読んでいない方には、ちんぷんかんぷんの言葉。

 今回、私たちが出した算数本の中で、この「ときかたハカセ」が、大きなポイントである。
 10月21日(土)のセミナーでは、「味噌汁・ご飯」授業研究会の総力をあげて、11月以降の算数単元の全授業の「ときかたハカセ」を明らかにしたいと思っている(主に東京書籍の算数本であるが)。

 そこで、私は1年生単元の担当で、今作成中である。
 
 教科書を見て、即座にこの「ときかたハカセ」をまとめることができれば、ほとんど「10分間授業準備法」で算数はこなしていけるであろう(8割は教科書に書いてあるのだ)。
 
 支援級担当や家庭教師などの先生には、この力があれば、みるみる子供は伸びていくであろうと思われる。

 研究会のメンバーにはぜひともその力をつけてほしいと願っているところである。 

●たまたま東京上野の書店で目にした本を買って帰った。
 さほど期待していなかった。
 
 夕食を食べ終えてからぱらぱらとめくっていくと、夢中になった。
 
 だが、愕然とした。

 私が今まで講演していたことが、否定されている。
 そんな講演の仕方ではだめだと言われている。

 この人、今までまったく知らなかった人。

 この本。
 『今まで誰も教えてくれなかった 人前で話す極意』(鴨頭嘉人著 かも出版)。

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鈴木先生からの算数本感想~べき論はもういい~

   山形の鈴木玄輝先生(『新卒教師時代を生き抜く365日の戦略5年生』(明治図書)の著者でもある)が、以下のような感想をブログに明らかにされている。

 詳細に読み込んでもらえたものである。

 ★ ★ ★
 野中信行『日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業 算数科編』
「日常授業を充実させる」…。多くの先生方が、当たり前のようにそのことを願いながら、日々、子どもたちに向き合っている。しかし、その願いとは裏腹に、ぶっつけ本番の授業、その日暮らしの授業をしている、あるいは、そうせざるを得ないという現実がある。自分自身はそうではない、とは言い切れない。新卒初任の頃は、ほぼ毎日がそうだった。そもそも、学級づくりの理念も方法論も持たずに現場に出て、いきなり学級担任になり、「土台としての学級づくり」がほとんどできないままにいたのだから、土台のないところに授業も行事も乗せられなかった、軌道に乗せられなかったわけである。

あれから10年。今では、明確な「学級づくり」の理念や方法論に基づいて、日々学級集団づくりに勤しみ(それでも日々困難に喘いでいるが…)、その土台の上で授業づくりや行事づくりに心血を注いでいる。日常の授業づくりでは、これまでも学習規律を徹底することを最重要視し、ノート指導にも力を入れて、自身の教え方(課題提示や指導言、教材教具の工夫など)や子どもの関わらせ方(意見交流やふり返りの共有化など)にも様々に工夫を凝らしてきた。学級づくりと授業づくりとは、連動し、重なり合う部分がほとんどなので、その点にも意識を傾けながら「崩壊予備軍」の学級を授業によって立て直し、集団化する手立てもとってきた。研究授業となればなおのこと、教材教具の工夫や場づくりに時間をかけて、子どもの興味を惹く内容のある授業を、と先行実践や関連書籍や雑誌原稿にあたり、準備に入念に時間をかけて授業に臨んできた。

こうして研究授業には時間と労力を投下する一方、「日常授業を充実させられているか?」と自問すると、必ずしもそうではないと痛感する。日々、「多忙化」が漂う中で、授業づくりに割ける時間は限られており、研究授業のような授業を年間を通して行うことは不可能である。いや、日常授業でさえ、その時々の状況によっては、ぶっつけ本番の授業、その日暮らしの授業をしているのが本当のところである。「日常授業の充実」を頭の中では願いながら、それとは逆行している自分が常にいる。

「日常授業の充実」について、野中先生は、様々な書籍やセミナーで、「年に1000時間を超える日常授業の充実なくして、これからの学級経営は非常に厳しくなる」と主張されている。多くの学校で、年に数回の研究授業は行われているが、日常授業に焦点を当てた学校研究や日常実践は、ほとんど行われていないだろう。言い換えれば「研究授業=ごちそう授業」の研究はどの学校でも行われており、どの先生も年に1回は全身全霊を傾けて、時間と労力を投下して授業づくりをしているが、それとは裏腹に、日常授業は半ば無意識に、その日暮らしに行われている。

だからと言って、「ごちそう授業」を否定するわけではない。むしろ年に最低1回は、幅広い、そして深い素材研究、教材研究を行い、研究授業を行うことは絶対に必要だと、野中先生はおっしゃっている。ただ、大事なことは、その重要性とは裏腹に、これまであまり問題にされてこなかった「日常授業」に、意識して焦点を当てようということだ。野中先生が日常授業に焦点を当てて、日常授業を充実させる上で外してはならない原理原則をもとに、その重要性を訴えたのが「味噌汁・ご飯の授業」である。

私も、2013年の6月に横浜市で、同年8月に十日町市で、野中先生主催の「味噌汁・ご飯」の授業づくりセミナーに参加し、「授業づくり3原則」をはじめとする授業づくりの考え方、方法論に多くを学び、実践を積んできた。授業力は経験年数に比例しない、ただ漫然と授業をしていては授業不成立を打開することはできない。大切なことは、どんな授業にも共通する原理原則を意識し、実践し、その上に自身のオリジナリティを加味し、色付けしていくこと、そのことを痛感したセミナーだった。

今回、その「味噌汁・ご飯」の授業づくりの国語科編に続き、算数科編が出版された。各教科の中でも、最も多くの時数を充てている国語と算数、とりわけ学年が上がっていくに従い、内容が難しくなり、つまずく児童が増えてくる算数科について、「味噌汁・ご飯」の視点からどのような内容が提案されているのか、興味をもって読み進めた。そして、算数科について、具体的な視点や方法論が本格的に示されるのは今回が初めてだったので、その点でも興味をもって読み進めた。

本書のページをめくっていくと、野中先生をはじめ、「味噌汁・ご飯」授業研究会の方々が思い切った提案をしていることがよく分かる。

まずは、学力を「テストの点数」と定義していること。野中先生は、異論があることを承知の上でそう定義している。「いや、学力は点数だけで測られるものではない」、「目に見えない学力もある」、「点数で学力を測るなら塾と変わらないではないか」…。各人が各々の「学力論」を展開し始めるから不毛になる。視点を共有しないから、伸ばすべき力があやふやになる。だから、テストの点数という目に見える形で測られるものを学力と定義し、テスト分析をするところからすべてが出発していく。

新指導要領でも、「学びに向かう人間性」だとか、「社会に開かれた学力」というものが重視されているが、学校教育で学んだ事は、そう簡単に社会の中の様々な状況に対応する力として転移してはいかない。例えば、学力テストのA問題(いわゆる基礎基本の問題)の点数はいいのに、B問題(応用力を試す問題)になるとガクンと点数が落ちる、という事実がそれを示している。同じことを問われていても、テストの文脈や問題に関わる状況が変われば、それは子どもにとって「別種の問題」になってしまうのだ。だからこそ、そうした力を問われるテストの分析に、学力向上の出発点を設定している点が、かなり思い切った主張となっている。先に述べたような、不毛な学力論によっては抗うことはできない「テストの点数」という事実で勝負する。思い切っているが、重要な視点だと思う。

次に、前述した内容とも重なるが、「日常授業」の改善というテーマが貫かれていること。中でも、「10分間授業準備法」、「指導メモ」という考え方が斬新だ。「味噌汁・ご飯」の授業では、授業準備に長い時間をかけない。また、指導案を書かない。確かに、日常授業では、一つ一つの授業に入念に時間をかけて教材研究をし、指導案を書くことは大変難しい。膨大な校務でただでさえ時間に追われ、家庭では子育て、介護など、様々な事情を抱えた先生がいる。授業準備にかけられる時間は限られている。だからといって、簡単な略案や板書計画だけでも作ろうといっても、単元全体で育てたい力や達成したい目標をしっかり意識しておかないと、その場限りのぶつ切りの授業準備になってしまう。

限られた時間の中で、絶対に外してはならないもの、例えば単元目標、本時目標、本時の課題などをサッとメモで書きこみ、確認し、日々積み上げていける「指導メモ」は、その場しのぎ、その日暮らしの授業に陥らないために、非常に有効な方法論になるだろう。記録の蓄積ができる点でも、児童の学びを振り返り、指導法を検討できるメリットがある。また、「ときかたハカセ」の提案にも大変納得させられた。準備の点では、本時の最重要ポイント、見方を変えれば児童が最もつまずきやすいところを指導者自身が意識することができる。そして、指導の際には、子どもたち、中でも低学力児にとっては大きな助けになる。「算数嫌い」を生まない、「算数嫌い」を克服するためにも「ときかたハカセ」は非常に有効な手立てになり得るだろう。しかも、授業以外の時間も使ってそうするのではなく、あくまでも日常授業の中でそれを実現していく、そのために教師自身が諦めない、という主張には、私たちが絶対に欠かしてはならない「子どもたちを伸ばす」という覚悟を痛感した。

加えて、教科書の扱い方についても、明確な主張がなされている。よく、45分の授業時間で本時が終わらないことがある。日常授業でもそうだし、研究授業などでもたまにある。例題とまとめが終わってしまえば、類題は宿題になったり、次時に扱ったり、ということになる。これでは、習得から習熟までのプロセスが授業の中で完結しないことになる。しかし、それが当たり前、仕方のないことになってしまっている。

 「味噌汁・ご飯」の授業では、教科書を教える、という主張で一貫している。「教科書で」ではない、「教科書を」である。これまでは、授業の準備の際に、ただ漫然と(自分では真剣に見ているつもりではあったが…)教科書を見てきたが、教科書は「例題-類題-練習問題」という構造になっていて、それに基づいて授業準備をし、子どもたちに指導する、という本書の主張には、思わず膝を打ってしまった。この構造が見えているか見えていないかは、教師にとっても子どもにとっても大きな差になって現れてくる。それこそ、漫然としているか、意識してくり返しているか、の差として。
本書では、「味噌汁・ご飯」の算数授業づくりについて、これら以外にも思い切った主張がされている。そして、その主張に基づいた場面別の授業や、さらなるレベルアップを目指す「応用編」、「味噌汁・ご飯」の算数授業づくりについての「Q&A」のページもある。何度も書くが、「思い切った」主張であるので、少々抵抗を感じる読者もいるかもしれない。しかし、本書の主張は「思い切った」主張であると同時に、従前の方法論にしがみつかず、「変わり続ける」教師で在り続けよう、という主張にも感じられた。それは、野中先生が学級づくりの重要性を主張されている頃から、ずっと変わらないものだ。

若手だろうとベテランだろうと、眼前の子どもたち、そして社会状況をよく観察して、学級づくりでや授業づくりに勤しむのは当たり前である。しかし、原理原則は大切にしながらも、常に新たな知識や方法論に触れ、自身の実践に採り入れ、変わり続ける教師で在り続けることが、今後、変化目まぐるしい教育現場を、社会を生き抜いていくためには絶対に欠かせない資質だろう。その資質を磨き続けることが、子どもにとっても、教師にとっても、有意義なものになると信じて疑わない。

「味噌汁・ご飯」の算数授業づくり、2学期からさっそく実践していきたい。
 ★ ★ ★

  これほど深く今回の本を読んでもらえるなんて思わなかったことである。深く感謝したい。

 私たちが力を入れて提案していることを完全に読み取ってもらっている。
 
 思い切った提案をしているのである。
 いままでタブー視されてきたことを振り切って、シンプルにしている。
  たとえば、それを鈴木先生は次のように読み解かれている。
  ★ ★ ★
 まずは、学力を「テストの点数」と定義していること。野中先生は、異論があることを承知の上でそう定義している。「いや、学力は点数だけで測られるものではない」、「目に見えない学力もある」、「点数で学力を測るなら塾と変わらないではないか」…。各人が各々の「学力論」を展開し始めるから不毛になる。視点を共有しないから、伸ばすべき力があやふやになる。だから、テストの点数という目に見える形で測られるものを学力と定義し、テスト分析をするところからすべてが出発していく。
  ★ ★ ★
 膝を打つ分析である。

 「毎日授業しているのは何のためですか?」
 と問うと、「子供を賢く育てるため」などと言うと抽象的な答えが最初は返ってくる。じっくりと聞くと、やはり「子供たちに学力を身に付けるため」という答えになってくる。
 意識している、していないにかかわらず、教師たちはそうしているはずである。
 学校には教育課程があり、そのもとに毎日の授業が組まれている。当たり前ではないか。

 「その毎日の授業で、子供たちが学力がついたかどうか、どこで評価していますか?」と問うと、「単元テストで評価しています」とほとんどの先生は答えるはずである。

 子供たちに学力が身に付いているかどうか、テストで評価しているのである。そのテストの点数で評価している。全てがそうだと決めつけることはできないが、ほとんどそうしている。

 それでは、その点数が学力になるではないか。
 そのようにシンプルに提案したのである。

 こんなことが今まで実に曖昧にされてきたのである。
 「本当の学力とは何か?」という問いかけばかりがあって、実際にやっていることが曖昧になっていたのである。

 「こうあるべきだ」「こうあってほしい」という「べき論」はもういい。「実際にはすでにこうやっている」という「現実」から出発することだと、提案したわけである。
 

 

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算数本の質問に答える

  算数本を読んでもらっている方から相談を受けた。

 以下の内容である。

  ★ ★ ★
 いつもブログを見させてもらっています。小学校で教員をしている者です。「味噌汁ご飯授業算数科編」を読み、先生にお聞きしたいことがあります。突然ですので、答えていただければありがたいです。
今、大都市圏では算数の学習を児童を習熟度別に分けて授業を進めています。私の勤めている市では、1年生から習熟度別指導を進めています。つまずきに対してきめ細かい指導を、との主旨で進められていますが、この指導では問題が多いです。習熟度が低い児童は、どこまでも教師が指導していくという前提で、教え合いが難しいのです。自分も隣の席の子も、前後もわからないという状態です。もちろん、指導の改善が必要と思いますが、結果として「低山徘徊」だったり「麓まで逆行」だったりをしてしまいます。アウトプットの数を増やしていくことで、改善を図ろうとしていますが、学力の定着まで至りにくいというのが現状です。
また、上位、中位とされる集団でも、「2:6:2の法則」でしょうか、理解が進まない児童が出てきます。編成に無理があったかどうかということになりますが、そうでもなさそうです。
お聞きしたいことが①強制的に習熟度別で指導をせざるを得ないなかで、低位の集団でペアや班での学習を進めてよいのか、②そもそも習熟度別指導が、学力向上のために有効なのか、ということです。ちなみに②について、個人的には否定的です。頭から否定してもいけないと思いますが、経験からして有効とは思えません。
もし、よろしければご意見を聞かせてください。よろしくお願いします。
投稿: sash
 ★ ★ ★
 習熟度別指導は、多くの学校でも採用している方法です。
教育委員会が採用している方法でしょう。だから、学校もそれに従っているのだと思われます。

 結論から言えば、学力向上のために有効だと私も思えません。
 採用している学校の先生たちに聞いても、うまくいっていると聞いたことがありません。

 無駄な時間が多すぎます。
 習熟度別ですから、教室を移動するわけですね。
 そのために、最低5分はかかります。
 45分しかないのです。だらだら移動したら、無駄な時間だらけです。
 特に、算数の時間は1,2分でも無駄に使えないと思ってきましたので、これが一番気になります。

 習熟度は、人数を少なくして、同じレベルの子供たちを集めて指導すれば、効果があるはずだという思い込みで進めているはずです。
 ★
 しかし、もっと人数を少なくして、家庭教師みたいに徹底的に個別学習をさせるという方向ならば、効果は出てくると思われます。 
 
 だけど、習熟度は中途半端なのです。
 そんなことよりTTで進める方が効果は大きいです。

 低学力児を徹底的にマークして、T2の先生に個別指導をしてもらえばいいのです。

 私の知り合いの校長の学校で、こんなことがありました。
 市販テストの成績を、全クラスに提出してもらったとき、びっくりしたことがあったというのです。

 それは、支援級の3人の子供たちは、3人とも90点、100点をずっと取っているというのです。
 どんな指導をしているかと聞いたら、特別な指導はしていない。教科書通りに個別学習をさせ、分からないところを教えるという指導だというのです。
 それできちんと結果を出しているので、驚いたということです。
  ちなみに教科書は東京書籍だということでした。
 
 ②の質問には、私ならこのように答えます。
 ★
 ①の質問ですね。
  ★ ★ ★
 ①強制的に習熟度別で指導をせざるを得ないなかで、低位の集団でペアや班での学習を進めてよいのか。
  ★ ★ ★
  習熟度で、人数が少なくなっているのですね。
  低位の集団を担当されているということ。

 この子供たちに「学力を上げる」という課題を求めさせるには、まず市販テストの成績を上げることですね。

 そのためには、徹底した「味噌汁・ご飯」授業の算数を行うことです。お薦めです。

 最初の5分で、前時間の復習をする(復習タイムと言います)。
 例題指導のインプットは、1問の解き方を教えます。
 sash先生は、ペアや班での学習を進めてよいかと言われていますが、ペアでの相談(10秒とか15秒ぐらい)は取り入れれば効果的ですが、それ以上の班学習はオススメできません。時間がもったいないです。
 
 ただし、アウトプットの類題、練習問題は教えあいが可能です。
 早くできた子供に、できていない子供を教えることをやらせれば効果的です。

 1問の解き方を教えるときは、教科書通りに行けばいいですよ。インプットは15分ぐらい。

 ただし、必ずその解き方のマニュアル(私たちは「ときかたハカセ」と言っています)をまとめなければいけない。これが必須です。
 このマニュアルで、類題、練習問題を解かせるのですから。

  絶対に問題解決学習でやらないことです。
 これをやると低位の子供たちはちんぷんかんぷんになります。
 
 とにかくやらなければならないことは、「解けた!」「できるようになった!」という経験を積み重ねること。

 その時には、理解(わかる)できてなくていいのです。
 できた状態を積み重ねること。
 これを徹底的にやること。

 そして、テストで良い点数を取らせることです。
 そのためには、事前にテスト分析をして、ひっかかりそうな問題は、類題を数多く練習させておくこと。

 時々、算数が好きになったかどうかのアンケートを取り、嫌いの子供をマークすることも忘れないでください。

 健闘を祈ります。 
 
 

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相談を受けて~包み込み法を取ることです~

   3年生担任で、初任の先生から相談を受けました。

 以下の内容です。

 ★ ★ ★
 初めまして。教員として働き始めて4ヶ月が過ぎました、3年生担任の新卒、初任者です。
周りの先生方に助けてもらいながら、ここまで過ごして来ました。しかし夏休み明けの学級経営に不安があるため、ここにコメントさせていただきます。長くなりますが、読んでいただけると幸いです。
不安に思うきっかけは、ある保護者とその児童との関係です。

まず、その児童は学級が始まった時点で、素直さがなく、反抗的な態度が目立っていました。去年の先生からの引き継ぎの際には、仕切りたがりやでどうにか自分の思い通りにしようとする子だから気をつけたほうがいい、ということでした。実際、学力や体力などの力はあるのにはぶてて手を抜き、体力テスト等で力が発揮できない場面があり、どうしたら良いのだろうと感じていました。

夏休み直前に、この保護者の方からクレームの電話があり、電話での叱責、そして次の日が個人懇談でしたので個人懇談でも罵りを受けました。この時の内容はまた詳しくお話できればと思うのですが、指導に関することではなく、私への信頼についてでした。最終的には「うちの子供は先生のことを信頼していませんからね」と言われひどく落ち込みました。このことは管理職や学年主任、保健室の先生、その他の先生方にも相談し、かなり気持ちが軽くなりました。

そして先日の登校日のことです。その児童は「黒板に書く文字の書き順が違う、お母さんが言ってた」と言ったり、わたしのほうを見ながらちょっとした問題行動(全校集会で他の子にちょっかいを出す)などといった行動を取っていました。たった1日の登校日だしな…と思い見て見ぬふりをしようとしたのですが、他の先生方にこれは注意しておくべきだという助言をもらい、注意をしました。その時は改善しましたが、何度もちょっと何かして私の様子を見ている、という様子でした。
この子は夏休み前の授業中も「誰も手を挙げてなーい」とか「そんなん授業聞かんでもわかるわ」という発言を何度かしていたため、これが夏休み明けも続いて酷くなると、周りの子達もそれに乗っかってしまい、学級が崩壊してしまうのではないかと不安に思ってしまいます。このことを思うと気持ちも休まりません。
10月のあゆみ渡しの懇談も恐怖でしかありません。力はあるのに結果が出ていないので良い成績もつけられません。夏休み前の懇談の時にテストを見せながら話したのですが、このテストが成績に関わるなんてありえない、と仰っていました。それでも保護者の方と会うのは参観を除けばあと2回の予定なのでどうにかしようと思うのですが、やはり夏休み明けの児童については悩ましいものがあります。
夏休み明けにしておくべきこと、いや夏休み中に準備できそうなことがあれば教えていただければ幸いです。

投稿: 紫陽花
 ★ ★ ★
 この相談を受けて、恐らく多くの初任の先生が、こういう子供や親に悩まれているのだろうなあと思いました。

 この児童の状態をまず確認しましょう。

 ①学期の最初から素直さがなく、反抗的であった。
 ②クラスの引き継ぎでは、「仕切りたがりやでどうにか自分の思い通りにしようとする子だから気をつけたほうがいい」と助言された。
  ③先生のことを信頼していない(親の発言)。
 ④授業中に、何かとマイナスな発言をして、雰囲気を盛り下げたり、授業の邪魔をしたりするマイナス行動を取る。

 ①②からは、前学年から問題行動を繰り返している様子が伺えます。担任からも注意されたり、叱られたりが多かったのでしょう。他の子供たちからも浮いていて、あまり相手にされていないのではないでしょうか。
  今も紫陽花先生から「認められていない」ということを感じて③のような親の発言になっているのでしょう。
 だから、④のようなマイナス発言、マイナス行動をとっているのですね。
  ★
 この児童がなぜこのような行動を取るのか、ということについて担任は、きちんとした理解がないと、どういう対応をとればいいかが分かりません。この児童の荒れの原理を知るということになります。
 
 そのことについて考えていきましょう。

 ちょっと理屈っぽい話になりますが、ついてきてくださいね。
 アメリカの心理学者でマズローという人がいます。
 このマズローの欲求階層説は、大学などで勉強されたりしたことがあるでしょう。
 このマズローは、人間の自己実現の欲求は、まず「生理的欲求」や「安全欲求」から始まると言っています。
 そして、そのあとに「所属と愛の欲求」(みんなの仲間に入りたい)と「承認欲求」(認められたい)が続きます。最後に、「自己実現欲求」がくるということです。
 
 そうすると、この児童が今求めているのは、「所属と愛の欲求」(みんなの仲間に入りたい)と「承認欲求」(認められたい)ということになります。
 心の中では、この2つの欲求をもっている(無意識的なところがある)のではないでしょうか。
 ★
 オーストリア出身の精神科医、心理学者でアルフレッド・アドラーという人がいます。アドラー心理学という名前は聞いたことがあるでしょう。それを作り上げた人です。

 そのアドラーが、「人間の行為にはすべて目的がある」と言って、この「所属と愛の欲求」「承認欲求」が充たされないとき、子供は5つの作戦を取ることを示唆しました。

 第1の作戦 「ほめて、ほめて」作戦
 第2の作戦 「見て見て」作戦
 第3の作戦 「悪い子だもん」作戦
 第4の作戦 「復習するぞ」作戦
 第5の作戦 「あきらめた」作戦 

  第1の作戦は、最初にどの子供も取る作戦で、ほめてもらうことや認めてもらうことで、クラスの中での自分の位置を確保することになります。
 これが、この児童にとっては、うまくいかなかったのですね。この児童は、前々から常に注目され、認められていなければ満足しないという状況になっていたと考えられます。その意味では、特異な状態に育っています。多分、自分の家で、その欲求が認められないで常に不満足な状態できたのではないでしょうか。家庭的な問題が大きいと思われます。

 第1の作戦がうまくいかなかったので、第2の作戦を取り始めています。
 これが今の状態です。
 建設的に何か行動しようとする気持ちがなくなり、とにかく注目を惹いたり、目立とうとしたりする行動です。教師の話に水をさしたり、いたずらをしつこくしたり、…などの行動です。

 これがうまくいかなかったら、次には第3の作戦に行きます。教師が注意すればするほど不適切な行動をし、さんざんに反抗する行動を取り始めます。教師に権力闘争をしかけ、先生より強いことを証明しようと動きます。

 もしかしたら、この児童は、第3の作戦に少し入っているのかも知れません。

  この後は、さらに深刻になり、教師への復讐が始まったり、最後はまったくの無気力状態に陥ります。

 でも、今の児童の状態は、第2の作戦を取っていると思った方がいいでしょう。
 3年生なのですが、かなり賢く、自分の行動に対して先生はどのように反応するかを試しているところがあります。
 ほんとうなら子供たちは、4年以降にこのような行動を取ることが多いのですが、すでにこの児童はその行動を取っています。
 ★
 さて、夏休み明けにどうするかになります。

 はっきり言っておきたいのは、初任者の紫陽花先生にとっては、手に余る児童であり、手に余る保護者なわけです。
 どんな初任者でも、うまく対抗できません。

 だから、絶対に1人で抱え込まないで、学年主任、校長にすべて確認をとるという気持ちを忘れないでください。 
 
 きちんと毎日記録をとっておき、校長に報告できるようにしておいてください。

 ★
 そこで取るべき対応です。

 もう一度、この児童の現状を確認しておきます。

 ①この児童が本来(無意識的にも)望んでいるのは、「所属と愛の欲求」(みんなの仲間に入りたい)と「承認欲求」(認められたい)と考えられる。
 ②①の欲求があるのは、自然なカタチであるが、この児童は家庭的に①が不足していて、異常に①の欲求を求めている。 
 ③だが、満足させられないで、建設的な行動ではなく、反対にことごとく目立つという行動で、①の欲求を突きつけている(超やんちゃな子供がとる典型的な行動)
 ④担任は、注意し、叱るという対応を取る以外にない。でも、効果がなく、ますます児童はエスカレートしている。  ⑤それは、担任が自分のことを「認めていない」からである。

  この現状を確認すると、原則的には2つのことをしなければいけないのです。
 この児童は、アドラーの第2の作戦を実行しているのです。それは第1の作戦がうまくいかなかったからです。
 実は、前々から(多分1年生の時から)第1の作戦がうまくいかないという経験をしてきていたはずです。だから、今回の場合も真っ先に第2の作戦から入っているのです。

 A この児童をほめたり、認めたりすることを数多くする。

 B この児童の良さ(とにかくちょっとでも良いところ)を全体の子供に紹介することで、みんなにも認められるという事実を作っていく。

  私は、超やんちゃの子供たちを、クラスに包み込んでいく時には、この2つの方法を取りました(「包み込み法」と名付けています)。
 第1の作戦を満足させるところに戻るわけです。

 だが、繰り返しますが、初任者の先生たちには、このことはなかなかむずかしい。手に余るのです。
  簡単ではないのです。
 教えるだけでも大変なのに、こんなことを1人の児童にしなければならないのですから。

 しかし、このことをできるだけやっていくということしか方法はありません。
 自分ができることでいいのです。

 A この児童は、今のところ「良いところ」「得意なところ」などを見つけることはなかなかむずかしいはずです。ちょっとした小さなことでいいのです。
  見つけたら、その事実に対して「○○さん、これは素晴らしいね」「これはいいね」……と。声に出してください。
  すぐには効果は出ませんが、粘り強く続けることです。
  これを求めているのですから、効果はそのうちに出てきます。
  ただ、敏感な児童ですから、教師が作為的にやっているということを感じたら反対に反発します。事実を見つけてほめることですよ。
 
 B  この児童が得意なところは、クラスに紹介してください。そして、模範演技でやらせるとかも考えてください。みんなに紹介されているだけでも、みんなの仲間に入れていると認識していくはずです。

 C 今のところ、叱る場面は数多くあるでしょう。
   見て見ぬフリをすることも大事です。
   他の子供たちの邪魔にならない限りは見て見ぬフリですね。
   しょっちゅう叱っているということだけは避けなければいけません。
 
 D しかし、どうしても許せないことには、しっかりと真剣に叱ることです。その行為を叱るのです。
  ★
 10月に個人面談があることを心配されていますね。
 また、成績をどうするかも問題ですね。
 本来は力があるのに、わざといい加減にテストを受けていて悪い点数を取っているということ。これも目立つ行動の1つです。
 本来の力があるわけですから、それをどう評価し、評定していくか。これは学年主任、校長の方と相談をして、しっかりと対応してください。
 
 親との個人面談でも、その児童の良いところ、期待しているところなどを数多く伝えることです。
 問題点は1つか2つ。「これからこのことについては、私の方でしっかりと指導をしていきますので、よろしくお願いします」と。
  絶対に、親と諍いになる行為はしてはいけません。
 ★
 どうでしょうか。
 無理をしないで、できることをやればいいですよ。

 何とか1年間を凌いでください。
 きっと大きな教訓(これから教師を続けていく宝物です)を得ることができるでしょう。
 がんばってくださいね。

 

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問題解決学習について質問されて!

   明治図書から出版した算数本に対して、さまざまに感想が寄せられている。

 その中で、「問題解決学習」についての質問が寄せられた。

 問題解決学習とは、ご存じの通り日本全国でやられている算数の教え方である。どこででもやられている。

 ある先生から以下のような悩みが寄せられた。

 ★ ★ ★
自分はこれまで算数の授業を問題解決型で行ってきて、大きく2つの問題に悩んでいました。
1つ目は、先生の本でも述べられている通り、問題演習までいかず、授業内で新しく学習したことの定着が十分に図られないこと。
2つ目は、45分間の1単位時間内に学習内容が終わらないことが多く、進度が遅れてしまうこと。
この2点の悩みに先生の「味噌汁・ご飯」授業算数科編の本は答えてくれました。
  ★ ★ ★
 
 おそらく、多くの先生方がこのような悩みを持っておられるであろう。
 ここでの悩み2つは、問題解決学習が構造的に持っている問題点である。
 真面目に学習を進めていけばいくほど、この2つの問題点にぶつかる。
 
 だから、ほとんどの先生は、日頃はテキトウにやっているか、練習問題やまとめの問題を宿題にして消化しているはずである。
 そうしないと学習内容が終わらないからである。
 ちゃんとした問題解決学習は、研究授業などに行うということではないだろうか。

 調べたことによると、指導書に書かれた時間できちんと進めているだけでも10~15時間の不足が出てくる。テストの時間やテストを配布する時間などが、まったく時間数の中に組み入れられてないのである。

 ましてや1時間ごとに完結しない(練習問題までいかない)授業をしていては、それは大変なことになる。
 
 問題解決学習というのは、算数学習を進めるための1つの方法論にしかすぎないはずである。
 その方法論が、なぜ強制的な学習方法として採用されているのか、不思議である。

 強制的というのは、若い先生たちが教科書を使ってやろうとすると、「教科書はしまわせてやること」「問題解決学習のやり方を使うこと」という指導が入るということからである。

 方法というのは、目の前の子供たちにとって効果的であるからこそ採用するものである。
 どんなに効果的だと言われていても、目の前の子供たちにうまくいかなければ方法を変えなければならない。
 こんなことは当たり前のこと。

 算数本で、問題解決学習についてQ&Aで書いたことは、低学力児を引き上げていくためには、ほとんど効果がないことを書いた。
 指導の中身が、低学力児に対応できないためである。
 
 

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つれづれなるままに~日野原さんが亡くなった~

●105歳の日野原重明さんが亡くなった。

 朝日新聞にずっと掲載されていたコラムの読者でもあった。「105歳 、私の証 あるがまま行く」。
 
 2002年の91歳から土曜日に掲載される連載である。
 15年続いたことになる。

 そして、2017年7月29日(土)が終わりであった。
 これは5月下旬に口述筆記されたもの。

 この連載の終わりは以下のようになっている。

 ★ ★ ★
 自宅の庭には、妻の遺骨がほんの少しばかりまかれています。亡き妻はここに静かに眠っていると思います。私の名を付けた深紅の薔薇「スカーレットヒノハラ」と、妻の名を付けた淡いクリーム色の「スマイルシズコ」も今頃、長野県中野市の一本木公園で花を咲かせていることでしょう。これからの季節は、紫陽花が美しく咲くと思います。紫陽花は丸く、ボールのような形なので、私はボールフラワーとニックネームを付けました。まだ緑色のつぼみが日に日に膨らんでいくのを眺め、ボールのような花がきれいに色づくのを楽しみにしています。これで、私からのメッセージを終わりにしたいと思います。
 ★ ★ ★
 日野原さんは、もう食べ物が食べられなくなった時期なのだろうか。 
 口述筆記である。

 最後は、大好きだった花の話題で終わり。
 最後は、こんなところへ帰っていくのであろう。

●朝日新聞の「折々のことば」に鷲田清一さんが以下のことを載せていた。

 ★ ★ ★
 潰れない選手、伸びる選手には、共通点がある。……
 それは、孤独な時間をきちんと過ごせることだ。
                    森繁和
 落合博満監督の下でヘッドコーチを務めた中日の現監督は、選手に「こうやれ」ではなく「こういうやり方もあるよ」と言ってきた。野球は自分で考え抜いてやるものだからと。人生で潰れないためには、他人とつるんだり慰めあったりするのではなく、自分にしかと向き合う「孤独」という場を内にもつことが大切。著書「参謀」から。
 ★ ★ ★

●8月1日、練馬の夏期集中講座に行く。
 テーマは「魅力ある学級づくりのポイント」。

 13:00~16:00の3時間。
 なかなかの時間である。

 講座は、30人から40人までを予定していたが、実際に集まった人数は、65人。
 会場はぎっしり。
 マイクを使うほど。

 5つの課題を設けて、グループごとに話し合い、最後に印象に残り、2学期からの実践にしていきたいものを発表してもらう。

 多くは、「2:6:2の法則」や「目標達成法」に注目される。

 「学級づくり」を土台に据えなければやっていけなくなった時代が来ているのである。

●『オックスフォードからの警鐘』(苅谷剛彦著 中公新書ラクレ)を読んだ。

 私は、苅谷さんが日本にいないのは、残念でならない。
 ずっとオックスフォード大学にいる。

 この才能をオックスフォードに取られているのは残念であるという以外にない。
 
 この本を読んで、あらゆるものが結びつく思いになった。
 「アクティブ・ラーニング」という発想は、実は、グローバル人材の育成というイギリス発の戦略に組み込まれていることがよく分かってくる。
 
 ちょっと難しい本であるが、ぜひ読み込んでおく本である。
 
 


 

 

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算数本についてのセミナーを開きます!

  私たちの「味噌汁・ご飯」授業の算数指導は、教科書を教えるという立場で主張をしている。


 教科書を教えることは、本当は難しいことだと今まで言われ続けてきた。
 それは、教科書の構造を知らないことに大きな原因があったのである。

 教科書の構造は、基本的に例題ー類題ー練習問題というカタチで成り立っている。
 この構造を知っていると、スムーズに指導に移ることができる。
 最初の例題1問で、問題の解き方を教え、類題、練習問題で、その解き方を活用して練習をし、身に付けさせるのである。
  ★
 私たちは、この例題指導をインプット部分とし、類題・練習問題をアウトプット部分と考えてきた。
 
「味噌汁・ご飯」授業の算数は、インプット部分からアウトプット部分へのつながりをどうするかが大きなメインテーマであった。

 インプットは、アウトプットがあって完結する。

 私たちは、「ときかたハカセ」を設定するという形でこの課題に応えてきたことになる。
  ★
 しかし、この「ときかたハカセ」の設定は、そんなに簡単ではない。
 教科書の場合、8割方は例題の中に書かれている。
 だが、あとの2割は、書かれていない。
 だから、ここがむずかしい。

 それは教科書のページの制約などが関係していると思っている。
 ★
 この「ときかたハカセ」を即座に見つけることができれば
算数指導は格段にレベルアップするはずである。

 私たちは、今回の「味噌汁・ご飯」授業算数本を出版することにあたり、この「ときかたハカセ」をメインテーマにしたセミナーを設けることにしている。

 10月21日(土)である。

 告知は、もう少し後になる。

 このセミナーで、11月からの算数指導の「ときかたハカセ」を、東京書籍(1年~6年)や教育出版(5年)啓林館(6年)で全単元提示していきたいと思っている(研究会のメンバーが担任をしているのはこれらの教科書である)。

 「味噌汁・ご飯」授業研究会の会員が総力をあげて示していくものである。

 期待してもらいたい。


 
 

 

 

 

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