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2017年7月

さしあげます。連絡をしてください!

  『「味噌汁・ご飯」授業 算数編』(明治図書)が好調である。

 明治図書のオンラインで総合12位になっている。
 皆様に買ってもらっている。ありがとうございます。

 そこで、この本の中に「指導メモ」のページがある。
 私たちは、指導案のかわりに、この「指導メモ」で本時の授業準備をする(あえて、教材研究という言葉を使わない)。

 ほとんどが「ときかたハカセ」を書くためのものである。

 この「指導メモ」は、私たちの場合エクセルで作ったものがある。

 これからフェイスブックやホームページ(まだ開設していない)に載せていきたいと思っている。
 早く欲しいという方には、コメント欄にその旨書いてほしい。メールが分かるようになっているので、そこへエクセルを送ります。
  ブログには、上げませんので了承してください。

 

 

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多くの普通の先生たちに届く「言葉」を!

  多賀一郎先生が、フェイスブックに以下のようなことを書かれていた。

 大変志を同じくする思いが書かれていて、うれしくなった。

 ★ ★ ★ 
学校現場にいるのは、優れた教師ばかりではない。
たくさんの書籍を読み、
自らを高める教師ばかりではない。
セミナーにお金を使う覚悟のある教師ばかりではない。
そうしたいと思っても、子育てやさまざまな環境で
それどころではない教師もいる。
いろんな学校へ行っても、
野口先生も陰山さんも赤坂くんも知らない教師の方が多い。
でも、みんな必死でがんばっている。
目の前の子どもたちのために、一生懸命なのである。
そういう先生たちは、
優れた教師になることはないかも知れない。
でも、みんなそれなりに精一杯子どものためにがんばっている。
僕は、そういう先生たちを誰も否定はしない。
公立小学校を回りながら、
少しでも役に立てればとがんばるのは
そういう思いからだ。
彼らも愚直であり、
僕も愚直にやっていく。
精一杯、準備をして、
心に届けたいと思っている。
愚直であるということは、
普通のことを大切にするということだ。
普通の教師であるということは、
それだけで、尊いことだと思う。
 ★ ★ ★
 
 この通りなのだ。
 
 民間のセミナーに呼ばれることもある。
 そこへ集まってくる先生たちの目の輝きは、はんぱではない。何かしら学んで帰ろうとする輝きがある。だって、会費を払っているのである。

 講座を提起するこちらがわにとっても、手応え十分。
 とても満足した気持ちになる。
  ★
 だが、官制研修の場合は、こんなことはめったに起こらない。
 ともすれば、目の前で眠りこける先生もいる。
 なかなか手応えは、伝わってこない。

 だが、だが、と思う。
 
 書籍も読まず、セミナーにも参加せず、ただただ毎日教室へ行き、何とかしたいと思っている多くの普通の教師たちへ、通じる「言葉」を持たなければならないと、私はずっと思ってきた。

 何度も空振りをするのだが、そこへしつこく拘ってきた。

「野中先生、官制研修なんて行っても無駄だよ。いやいや仕方なく来ている教師たちが多いよ。」という助言は、何度も受けた。

 だが、数多く書籍を読み、セミナーに参加している教師は、ほんの一握りのことである(これらの教師たちも最近は、学校で孤立化している)。

 多くの、普通の教師たちがいる。
 この教師たちの、学校での「日常」が、学校、学級を支えている。
 この「日常」を変えようと意識しなければ、何事も始まらないのである。
 このことに気づくまでに私は多くの時間を費やしてしまったことになる。
 ★
 最近の学校訪問でうれしかったことがある。
 他校から見えていて、帰宅して委員会に早速メール送られてきた2人の方がいた。
 
 1人は、中学校の先生。もう1人は中学校の校長先生。
 
 2人とも、私の授業や講座の話に感銘を受けたという連絡である。
 
 こんなことはめったに起こらない。私の話がこの先生たちの胸に届いたのである。

  繰り返すが、普通の多くの先生に届く「言葉」を持たなければ、「日常」を揺り動かすことはできないのである。

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大切なことは、子供たちに力がつくこと!

  鳥取で宝木小学校の校長をされている長谷博文先生が、ホームページに以下のようなことを書かれている。

 今回、私たちが出版した算数本についての読書感想である。 
  ★ ★ ★
 校長の夏休み読書日記

 『日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業 算数科編』野中信行・小島康親著
 授業改善の対象は、日常授業であるべきだ。日常の学習が改善向上すべき研修がいる。その考え方に大賛成である。日常できないような授業を研究授業と称して膨大な労力をかけることは、子ども達のためにも教師自らのためにもならない。
 さて、本書には、若い先生には大変参考になる内容が多くある。
(1) 学年はじめに行う診断テスト(実態把握のため)
(2) 授業の準備メモの方法(10分間教材研究も)
(3) テストの見直し法
 テストの見直し法、それぞれの先生が子ども達にさせているだろうが、効果がある方法だろうか。
 私が個人的に、ぜひ若い先生に教えたことが「テスト分析」を事前にすること。これは、当たり前のことなのだが、意外にされていない。ぜひ、この本を参考に実践してほしい。
 あと、「教科書を教える」ことについての説明。これも、その通りだと思うが、全国の多くの学級で行われているのが問題解決学習である。教科書を見せず、自力解決、練り上げなどということを中心に授業を進める。その問題についても言及している。
 大切なことは、子ども達に力がつくこと。そのために、教師は何をどう準備し、どう指導するか。その答えを大学の教員養成の段階でもっとしっかり学ぶ必要があるように思う。
 ★ ★ ★

 ありがたいことである。
 長谷校長がはっきりと言われていることは明快。

 「授業改善の対象は、日常授業であるべきだ。日常の学習が改善向上すべき研修がいる。その考え方に大賛成である。日常できないような授業を研究授業と称して膨大な労力をかけることは、子ども達のためにも教師自らのためにもならない。」
 
 もう1つ。
 「大切なことは、子供たちに力がつくこと」と。
 
 まさしく指摘されている通り。
 実にシンプルな提案である。
 忙しい「現実」を踏まえ、70点の授業を作り上げて、子供たちにきちんとした学力をつける。
 ただ、これだけである。

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「味噌汁・ご飯」授業 算数編に込めたこと(4)

   ○ 低学力児の引き上げに的を絞れたこと!

 
 このことも大きな目標の1つになる。
 
 私たち「味噌汁・ご飯」授業は、今まで教室で放置されてきた課題に真正面から向き合ったわけである。 
 
  かつて30年、40年前は、クラスにいる低学力児は、「おちこぼれ」「落ちこぼし」という対象にあげられ、何とか対応していく存在として考えられていた。
 ところが、今はほとんど対応することがない。
 毎日の授業をこなしているだけで精一杯。
 
 何とか授業では、時間を取ってその子に対応しようとするが、なんともできない。
 だから、そのまま上の学年に上げていく。
 もうこのことが常態化しているわけである。
  ★
 私たちは、この課題に真正面からぶつかった。
 
 ただ、はっきりしているのは、まず私たちが諦めないことである。
 
 会員の1人であるT先生は、6年担任をしてすぐに「今までのことは問わない!今からでも逆転できるぞ!」と宣言して、「味噌汁・ご飯」授業を進めた。
 低学力児はみるみる変わっていった。
 卒業時の子供たちの感想は以下のようなもの。 
①一年間ありがとうございました。今までの先生の中で一番わかりやすく勉強を教えてくれた先生だと思います。最後の一年がT先生でよかったです。今までありがとうございました。
  (M.Tさん)
 
②算数ではときかたハカセなどわかりやすかったから100点も取れました。一年間ありがとうございました。
(A.Tさん)
 
③先生のおかげで5年のときより点数があがりました。ありがとうございました。(M.Aさん)
 
④毎日楽しく授業を教えてくれてありがとうございました。前は分からなかった問題もT先生はとても分かりやすく教えてくれたので、解けるようになりました。中学校に行ってもがんばります。
(H.Kさん)
 
 T先生は、他の学級の子供たちからも「T先生のクラスになりたかった!」と評判であり、また親たちからも「T先生に担任を持ってもらいたかった!」と声が多かったと、校長先生から聞いた。
  ★
 「味噌汁・ご飯」授業の実践が、このようにクラスを変え、子供たちを変えている。
 私たちが何をしなければいけないか。
 その課題は、はっきりしているのである。

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「味噌汁・ご飯」授業 算数編に込めたこと(3)

  ○学力を、点数=学力なんだと提示したこと

 
 これは、西川純先生の学力論と認知心理学の成果を全面的に参照して展開しているものである。
 多分、一番批判や非難が集中するところ。
 
 でも、そういう人たちは、反対に「じゃあ、あなたの学力論は何ですか?」「どうやって、評価しているのですか?」に答えなければならない。
 
 私たちは、「ほんとうの学力なんてないんだ」「学力は操作的定義をして出てきたテストの点数で表す以外にない」「学力はテストによってそれぞれ違ってくる」と提起している。
  ★
 日常授業を、毎日5,6時間行っている。
 何のために授業をしているのか。
 
 もちろん、学力を身に付けさせるため。
 このことを否定する人はいない(あまり意識もしていないのだが…)。
 その結果、どの程度学力が身に付いているか評価しなければいけない。これも当たり前のこと。
 
 何で評価しているのか。
 単元テストで行っている。
 小学校は、ほとんどが市販テストを使っている。
 私たちは、その点数を学力と位置づけている。
 ★
 こうなると、思考が止まる。
 「点数が学力だなんて、それはあまりにも短絡した考え方ではないですか?」
 「学力はテストだけでは測れないのではないですか?」
 「点数、点数となってしまって、塾みたいで学校教育の目的と違ってくるのではないですか?」
 ……
 とにかく抵抗がある。
 学校教育には、さまざまなタブーがある。
 この学力問題も、そのタブーの1つ。
  ★
 私たちは、錯綜している学力論に与していない。
 そんなことよりも、目の前の子供たちの学力が上げること。クラスにいる低学力児の成績を上げること。
 そこに集中する。
  今、学校現場で生き抜くというのは、こういうことだと主張したい。

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著者インタビュー

 明治図書のオンラインに今回の算数本の紹介が「著者インタビュー」という形で掲載されている。

https://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20170531
 
  子供たちに「意欲」と「自信」を育てる算数授業にしよう!
                          元横浜市立小学校教諭野中 信行
 今回は野中信行先生に、新刊『日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業 算数科編』について伺いました。
 
 野中 信行のなか のぶゆき
元横浜市小学校教諭。初任者指導アドバイザー。『新卒教師時代を生き抜く』シリーズ,『「味噌汁・ご飯」授業』シリーズなどで問題提起をする。著者多数。

 ★ ★ ★
―本書で提案されている「味噌汁・ご飯」授業とは,どのような授業なのでしょうか。『日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業 国語科編』が既刊としてあるのですが,簡単に教えてください。
 
 毎日5,6時間行っている日々の授業(「日常授業」)を,短時間の授業準備でいかに豊かに充実させていくか,それを提案しています。

―算数の日常授業=「味噌汁・ご飯」授業を改善するために,まずは何から始めればいいでしょうか。
 
 教科書をきちんと教えていくことから始めるべきです。教科書は,ほとんどが例題―類題―練習問題で構成されています。ですから,例題で問題の「解き方」を教え,類題,練習問題でその「解き方」を活用して練習させていきます。これで45分の授業を完結できるようにすべきです。
 わたしたちは,その「解き方」を,「ときかたハカセ」という言葉で提起しています。

―算数で「味噌汁・ご飯」授業を取り入れると,どのような効果がありますか。

 テストの点数が上がります。クラスにいる低学力児も,10点,20点,30点から60点,70点,80点と点数を上げていきます。そのことで,子供たちには算数に対する「自信」と勉強に対する「意欲」が育っていきます。

―学習指導要領が改訂され,「主体的・対話的で深い学び」を実現する授業改善が求められていますが,本書はどのように活用できるでしょうか。

 学習指導要領は,新しい学力(「主体的・対話的で深い学び」)と今までの不易な学力によって成り立っています。「味噌汁・ご飯」授業は,この不易の学力を身に付けるものです。
 ですから,新しい学力を支える「土台」づくりに活用できると考えています。

―最後に全国で算数を教える先生方に一言お願いいたします。

 クラスの中で放置状態になっている算数の低学力児を何とか引き上げましょう。
 これは教師の責務です。
 わたしたちは,今回の本でその筋道を提起しています。どうぞ一緒にがんばりましょう。

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「味噌汁・ご飯」授業 算数編に込めたこと(2)

   授業をインプットとアウトプットと位置づけ、算数授業の中心を「ときかたハカセ」に絞ったこと

 
  私たちは、授業を「インプット」と「アウトプット」で成り立つものと位置づけた。
 
 算数教科書は、ほとんど例題と類題、練習問題で構成されている。
  例題指導がインプット部分で、類題、練習問題がアウトプット部分である。
 
 インプットは、アウトプットによって完結する。
 だから、45分の授業では、必ずインプットとアウトプットで完結するように取り組む。
 
 向山型算数では、「何十というパーツから組み立てられている」と向山先生は言われている。
 私たちは大きなパーツを「ときかたハカセ」にした。
 シンプルに1つに絞った。
 ポイントは、インプットからアウトプットへつなげていくものは何かということであった。
 それを「ときかたハカセ」にしたのである。
 例題指導で、そのまとめ(解き方)を「ときかたハカセ」とする。
 その「ときかたハカセ」を活用して、類題、練習問題の練習をする。そして、解き方を身に付ける。
 ただ、これだけのことである。
 指導は、教科書通りに進める。70点の授業でいいのである。
 
 

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「味噌汁・ご飯」授業 算数編に込めたこと(1)

○「ごちそう授業」ではない、「日常授業」の改善というテーマを推し進めたこと。 

『「味噌汁・ご飯」授業 算数編』(明治図書)が出版された。
 国語編を出版してから3年の月日が経つ。
 
 出版に際して、この本に込めた意図を連載で1つずつ書いていきたい。
  ★
「味噌汁・ご飯」授業は、「ごちそう授業」を目指していない。
 だから、「ごちそう授業」を作る発想を問い直して、発想を変えていくという手法をとった。
  ★
 「ごちそう授業」は、多くの時間をかけての教材研究→指導案→「ごちそう授業」という順序をたどる。
 
 まず、「教材研究」という発想ではなく、「授業準備」というネーミングで授業をとらえた。
 そこから「10分間授業準備法」というネーミングが出てきた。
 
 次の「指導案づくり」では、「指導メモ」という発想が出てきた。
 「日常授業」は、指導案は作らないし、作れない。
 
 いつもの指導案は、研究授業を前提にしたものだということが分かってきた。
 そこで、日頃の授業メモは、「指導メモ」という形にした。
 
 また、「授業」は、すぐれた「授業づくり」ということではなく、「70点の授業でいい」という提起である。
 
 「授業準備」→「指導メモ」→「70点の授業」という一連のシステムが私たちの算数授業の骨子になる。

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『「味噌汁・ご飯」授業 算数編』(明治図書)が発刊された!

  『「味噌汁・ご飯」授業 算数編』(明治図書)が発刊された。


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「主体的・対話的で深い学び」ということ(2)

  前回のブログで、特に小学校では、「不易の学力」が必要なのだと書いた。このことについては、もう少し付け加えておかなくてはならない。

 ★
 ここに『10年後、君に仕事はあるのか?』(ダイヤモンド社 藤原和博著)がある。
 あの藤原先生が、若い人たちへ向けて書いた、かなりインパクトのある書物である。
 
 夏休みにぜひとも呼んでほしい一冊である。
 この中で、「学力は必要なくなるのか?」という第1章が、まさしく学習指導要領の改訂で動いていく学校現場に直接届く内容にもなっている。
 
 これから生きていく普通の若者が必要な「生きるチカラ」を、三角形の図で示されている。
 大切な内容なので、ちょっと長い引用になるが勘弁してほしい。
 ★ ★ ★
 まず、必要になるのが基礎的人間力。家庭教育がベースですが、学校での人間関係や行事を通じての経験、あるいは部活でも育まれます。そのほか、旅やバイトなどさまざまな体験の積み重ねが、忍耐力や精神力、集中力、持久力などを強化することになります。
 そしてその上には、左側に情報処理力、右側に情報編集力を置きました。
 情報処理力とは、狭い意味の「基礎学力」のことです。
 計算の方法や漢字の書き方など、たくさんのことを覚え、それを思い出せるかどうか。記憶力の勝負になりますね。また、一見複雑な問題でも、それを読み解いて、なるべく早く、正確に「正解」を導けるかどうか。チャチャと1人で、早く正確に処理できる力だから情報処理力と呼んでいます。
 通常、これは学校の勉強や塾でのトレーニングで鍛えられます。中学校でも、高校でも、大学でも、受験を経ることで情報処理力は飛躍的に上がることがありますが、試験が終わると途端に落ちてしまうという特性もあります。
 一方、情報編集力は、正解がないか、正解が1つでない問題を解決する力です。広い意味の「学力」に含めていいのですが、正解を早く正確に当てる情報処理力と対比するために、右側に置きました。………
 ★ ★ ★
 ちょっと解説をくわえておきたい。
 「情報処理力」とは、基礎・基本と呼ばれてきたもので、私が言う「不易な学力」ということである。「知識・技能」を中心としての学力になる。
 
「情報編集力」とは、今求められている「新しい学力」と考えていい。思考力、判断力、表現力と言われている学力。
 藤原さんは、この2つの比重を次のように言う。
 ★ ★ ★
 目の前に問題が出されたとき、その問題を考える力の7割が「情報処理力」、あとの3割が「情報編集力」だと思ってもらっていいと思います。
 のちのち、サラリーマンや公務員の仕事でも、この7:3の原則が生きてきます。
 たいていの仕事では、「処理」的な仕事が7割以上で、経理でも、広報でも、営業でも、こうした処理仕事を早く正確にこなせるのが仕事のできる人の必要条件になります。経験したことがない人には意外かもしれませんが、一見、クリエイティブに見える広告や新規事業開発、あるいはテレビ局やネット放送局の仕事でも、じつは7割以上(下手をすると9割)が処理仕事だったりするものです。
 あとの3割は、「正解」が1つではない課題に対してどんなアプローチができるのか、どれだけ納得できる解を導けるかの勝負です。これが仕事のできる人の十分条件。情報編集力側の力です。
 ★ ★ ★
 リクルートで長く仕事をされてきた藤原さんの、これが現実的な提起なのである。
 
 この指摘は、意外なこととして受け取られるのではないか。
 
 「情報処理力」いわば「不易な学力」が、7割。新しい学力が、3割。
 「7:3の原則」である。
 「えっ~~~~~、7割も情報処理力が影響するのか!」と。
 
学校の教員たちは、このような認識を持っていなかったために、かつて「新しい学力観」でひどい惨敗を背負ったのである。
 ★
 確かに、これから「新しい学力」が必要になる。
 だが、その新しい学力を支えていくためには、どうしても「不易な学力」が土台に必要なのである。
 そのために、「味噌汁・ご飯」授業を提起している。
 不易な学力をイイカゲンにして、「新しい学力」ばかりを追究する実践が、いかに不毛なものかを、こうして藤原さんは指摘されている。
 心していくことになる。
 
 

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「主体的・対話的で深い学び」ということ(1)

  7月14日に、『「味噌汁・ご飯」授業の算数編』(明治図書)が刊行される。

 それに合わせて、明治図書編集部から著者インタビューがきた。
 その中に以下のような質問があった。

Q4 学習指導要領が改訂され、「主体的・対話的で深い学び」を実現する授業改善が求められていますが、本書はどのように活用できるでしょうか?

 それに対して、以下のように答えたことになる。

A 学習指導要領は、新しい学力(「主体的・対話的で深い学び」)と今までの不易な学力によって成り立っています。「味噌汁・ご飯」授業は、この不易の学力を身に付けるものです。
だから、新しい学力を支える「土台」づくりだと考えています。
 ★
 「アクティブ・ラーニング」と盛んに唱えられてきたことが、新学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」という言葉に変わった。

 だが、学校現場は、質問にある通りに新しい学力を求める授業改善を無視するわけにはいかない。何とかしなければならないとなっているのであろう。

 私は、これからの対応に対して警告を発してきた。
 それには苦い経験を持っているからである。
 ★
 かつて平成元年の学習指導要領の改訂に伴い、「新しい学力観」に立った学習指導が強調された。 
  今から29年前ということになる。

 新しい学力観とは「自ら学ぶ意欲や、思考力、判断力、表現力などを学力の基本とする学力観」であるとしたのである。

 「あれっ」と思われるであろうか。
 「今と同じじゃないか!」と。

 そうなのである。
 私は、この時が1回戦で、今回は2回戦だと言っている。
 この時は、総合が導入された時期である。
 
 しかし、無残な形で惨敗した記憶がある。総合をうまく軌道に乗せたところは一部のところであった。
 ★
 最大の問題点は、今までの「不易な学力」をほとんど否定して、全てが「新しい学力観」に束ねていかなければならない言説が飛び交ったことである。
 
 私は、この渦中にいた。
 思い出しただけでも苦い経験である。

 漢字指導、基礎的な計算指導などきちんと覚え、習得しなければならないことを軽んじる実践に覆われた。
 かけ算九九などを覚えることを、嫌がる子供には無理に強いる必要はないと主張された。
 
 「できないというのも個性なのだ!」というめちゃくちゃな主張である。
  指導主事が率先して、そのように指導をした。
 教師たちは「そんなに無理をすることがないんだ」という思いで一気に指導を控えていった。

 その結果は無残なものであった。
 クラスには低学力児がぞろぞろ出現した。
 
 そして、その後遺症が今もクラスの低学力児をそのまま放置していくという形で続いている。
 ★
 こういうことが20年から30年前に起こったのである。
 私は、同じようなことが今回の「主体的・対話的で深い学び」で起こる可能性を憂えている。

 何が問題であったのか。
 繰り返しになるが、まとめておく。

 ①学校現場は、「新しい学力観」の実践が全てあるよう
  な雰囲気になり、「不易な学力」(基礎・基本)がある
  ことを無視したこと。
  (文科省が主導したことではなく、各教育委員会段階
   の指導が偏ったことになる)
 
 ②「指導すること」を極端に否定した。「指導すること」
  は「教え込み」なのだとする否定的な考え方が蔓延した。
  かわりに「支援すること」が求められた。
  全てが「支援だ、支援だ!」と主張され、指導案なども 変えられた。今もその後遺症がある。
 
  ③教師たちの多くは、こんな実践をしていたら、教科書
  が進まないので、研究授業では、「新しい学力観」に
  基づいた実践をし、「日常授業」は、ひたすら「教え
  込み」の授業に終始した。そうせざるをえなかったの
  のである。

 ④「新しい学力観」の考え方は、否定するものではなか
  った。今回の「主体的・対話的で深い学び」も、否定
  するものだと思っていない。むしろ、これから求めら
  れる学力としてきちんと対応していくべきである。
  だが、勘違いしてはならないのは、この新しい学力だ
  けで全ての学習を覆っていくことはできないというこ
  とである。
 
  今回の新しい学力を、中心になって追究してほしいの
  は、大学や高校である。
  かつての「新しい学力観」は、小学校だけが一番熱心
  に追究した。だから、無残に終わった。
 
  小学校は、本来の「不易の学力」にこそ中心をおくべ
  である。
  これできちんとした「土台」を形成すべきある。
  忘れてならないことになる。

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つれづれなるままに~ひどい咳に悩まされて~

●風邪を引いた。

 咳がひどく、夜眠れない。ごほっ、ごほっ。
 近くの内科医へ行って、薬をもらうが、なかなか良くならない。
 仕方なく困ったときの耳鼻科へ行く。
 以前咳がひどいときにかけこんだところである。
 早くここに行けば良かったのである。
 ★
 咳が収まってくると、今度は腰痛に悩まされる。
 2,3日寝込むことがあると、私の場合必ず出てくる。
 これにも困ったものである。

●来週には、大和市の初任者研修がある。
 ある程度の講座の目処ができていたので良かった。
 再来週には、北海道の北見で2日続けての授業・講座があり、そして22日(土)に東京で「教育と笑いの会」がある。

 寝込んでいられないのである。
 ごそごそと起き出して、講座づくりをする。
 
 私の場合、そこに来てくれる先生方の状況を勘案して講座を作る。それが第一の課題。
 第二の課題は、時間調整になる。
 それでも実際の講座は、4,5分オーバーすることがよくある。
 時間内に済ませられるかが、大きな課題である。

●ブログで相談されたY先生が、私の答えに応えて書いておられる。
 うれしい応えである。
 
 私たちの悩みには、必ず原因がある。
 
 偶然起きることはない。
 原因があって結果が出てくる。
 これは大きな法則である。
 私は、「原因ー結果」の法則と名付けている。

 ただ、その原因は目に見える形で大きな事柄ではない場合が多い。
 たいしたことがないと思い込んでいることや、いい加減なことなどの積み重ねが、あるときドカンと大きな結果をもたらす。そして、悩み苦しむ。

 反対に、たいしたことがないと思っていても、いい加減な対応をしないで、きちんと丁寧に過ごしていると、あるとき思わぬ「ごほうび」が来る。

 人生とは、このようなシンプルなことである。
 こういうことを気づくのに、私は多くの時間を使ってしまったことになる。
  ★
 それにしても、Y先生に応えて、童神先生が答えておられてうれしかった。
 先日も横藤雅人先生が「その後童神先生はどうしているのだろうか?」と心配されておられた。
  私のブログを続けて見られている先生たちは、同じように童神先生のその後を気遣っておられると思われる。
 
 童神先生も続けて頑張っているようだ。
 うれしいことである。
 
 

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