「主体的・対話的で深い学び」ということ(2)
前回のブログで、特に小学校では、「不易の学力」が必要なのだと書いた。このことについては、もう少し付け加えておかなくてはならない。
★
ここに『10年後、君に仕事はあるのか?』(ダイヤモンド社 藤原和博著)がある。
あの藤原先生が、若い人たちへ向けて書いた、かなりインパクトのある書物である。
夏休みにぜひとも呼んでほしい一冊である。
この中で、「学力は必要なくなるのか?」という第1章が、まさしく学習指導要領の改訂で動いていく学校現場に直接届く内容にもなっている。
これから生きていく普通の若者が必要な「生きるチカラ」を、三角形の図で示されている。
大切な内容なので、ちょっと長い引用になるが勘弁してほしい。
★ ★ ★
まず、必要になるのが基礎的人間力。家庭教育がベースですが、学校での人間関係や行事を通じての経験、あるいは部活でも育まれます。そのほか、旅やバイトなどさまざまな体験の積み重ねが、忍耐力や精神力、集中力、持久力などを強化することになります。
そしてその上には、左側に情報処理力、右側に情報編集力を置きました。
情報処理力とは、狭い意味の「基礎学力」のことです。
計算の方法や漢字の書き方など、たくさんのことを覚え、それを思い出せるかどうか。記憶力の勝負になりますね。また、一見複雑な問題でも、それを読み解いて、なるべく早く、正確に「正解」を導けるかどうか。チャチャと1人で、早く正確に処理できる力だから情報処理力と呼んでいます。
通常、これは学校の勉強や塾でのトレーニングで鍛えられます。中学校でも、高校でも、大学でも、受験を経ることで情報処理力は飛躍的に上がることがありますが、試験が終わると途端に落ちてしまうという特性もあります。
一方、情報編集力は、正解がないか、正解が1つでない問題を解決する力です。広い意味の「学力」に含めていいのですが、正解を早く正確に当てる情報処理力と対比するために、右側に置きました。………
★ ★ ★
ちょっと解説をくわえておきたい。
「情報処理力」とは、基礎・基本と呼ばれてきたもので、私が言う「不易な学力」ということである。「知識・技能」を中心としての学力になる。
「情報編集力」とは、今求められている「新しい学力」と考えていい。思考力、判断力、表現力と言われている学力。
藤原さんは、この2つの比重を次のように言う。
★ ★ ★
目の前に問題が出されたとき、その問題を考える力の7割が「情報処理力」、あとの3割が「情報編集力」だと思ってもらっていいと思います。
のちのち、サラリーマンや公務員の仕事でも、この7:3の原則が生きてきます。
たいていの仕事では、「処理」的な仕事が7割以上で、経理でも、広報でも、営業でも、こうした処理仕事を早く正確にこなせるのが仕事のできる人の必要条件になります。経験したことがない人には意外かもしれませんが、一見、クリエイティブに見える広告や新規事業開発、あるいはテレビ局やネット放送局の仕事でも、じつは7割以上(下手をすると9割)が処理仕事だったりするものです。
あとの3割は、「正解」が1つではない課題に対してどんなアプローチができるのか、どれだけ納得できる解を導けるかの勝負です。これが仕事のできる人の十分条件。情報編集力側の力です。
★ ★ ★
リクルートで長く仕事をされてきた藤原さんの、これが現実的な提起なのである。
この指摘は、意外なこととして受け取られるのではないか。
「情報処理力」いわば「不易な学力」が、7割。新しい学力が、3割。
「7:3の原則」である。
「えっ~~~~~、7割も情報処理力が影響するのか!」と。
学校の教員たちは、このような認識を持っていなかったために、かつて「新しい学力観」でひどい惨敗を背負ったのである。
★
確かに、これから「新しい学力」が必要になる。
だが、その新しい学力を支えていくためには、どうしても「不易な学力」が土台に必要なのである。
そのために、「味噌汁・ご飯」授業を提起している。
不易な学力をイイカゲンにして、「新しい学力」ばかりを追究する実践が、いかに不毛なものかを、こうして藤原さんは指摘されている。
心していくことになる。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「自己流」で身に付けた力量で対応できなくなっている!(2019.03.16)
- 『教師1年目の教科書』が重版になる!(2019.03.13)
- 再び横浜野口塾のお知らせです(2019.03.10)
- つれづれなるままに~飛行機ができてきた~(2019.03.09)
- 『教師1年目の教科書』(学陽書房)が発売される(2019.03.05)
コメント