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ヨッシー先生のコメントに応えて

 ヨッシー先生が久しぶりにブログにコメントされている。

 今ブログで連載している「どうすれば授業はうまくなるのか」に応えてもらっている。
  ★ ★ ★
 野中先生
お久しぶりです。四年前に何度もこのブログでお世話になったヨッシーです。今は、異動四年目、中核として頑張っています。
授業力の向上、とても同感です。四年前に異動して六年、学級が荒れに荒れ、その時に本気で学ばなければこれから生きていけないと思い、毎月、また、可能な土日はセミナーなどにも出かけ学んできました。
今は、日常授業で教材・教具をフルに活用し、授業を分割して小刻みな活動をいれながら、日々の授業を行っています。
あの時にこのような知識や技能があったならば、もう少しは上手く出来たのではないかと今になって思います。ただ、あの時があったから本気で学ぼうと思い、今があるのだと思います。とても辛い時期だったけど、あの時の六年生には申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、今、私の学校では今年度から研究授業の教科が『体育』になりました。そして、昨日、指導主事の先生をお招きして講演会がありました。ところが、その先生は、15時45分~始まるのに15分前に来校し、プリントを裏表で5枚を人数分印刷を要求し、終了は17時と勤務時間を15分オーバーしての講演終了。ほとんどの先生は、講演中寝ていました。残念ながらそれくらい、日常授業とかけ離れた話をされていたということだと思います。
このような時間が現場の多忙化に繋がっている原因の一つかと考えています。
その後、更衣室で同僚と冗談半分でこんな会話をしました。
「指導主事にも現場職員からの総選挙でもあればいいのにね」と。
これは冗談ですが、こうすればきっと現場のニーズに合った指導主事だけが残り、よっぽど為になる研修が増えるのではないかと思います。やはり、現場の先生は日常授業に直結する話や知識を求めています。きっと寝てしまっている先生たちも自分ごととして考えられれば、身を乗り出して聞くのではないのかと思います。
ということで、まとまらない文章で申し訳ありませんが、要するに『現場はまだまだ出来もしない体裁のよいご馳走授業を求めている』というのが、現状です。
乱文乱筆乱文お許しください。今後も野中先生のブログ、楽しみにしています。
投稿: ヨッシー
  ★ ★ ★
 ヨッシー先生は、重要なことを書いておられる。
  自分が受け持たれた6年生が荒れに荒れて大変な事態になった経験がある。
 それを克服して、以下のように書いておられる。
 「今は、日常授業で教材・教具をフルに活用し、授業を分割して小刻みな活動をいれながら、日々の授業を行っています。
 あの時にこのような知識や技能があったならば、もう少しは上手く出来たのではないかと今になって思います。」
 まさに「味噌汁・ご飯」授業である。
  ★
 もう1つは、指導主事の問題。
 このブログも、読んでもらっている指導主事の先生たちが数多くおられる。
 ヨッシー先生が指摘されている指導主事のえらぶった態度をどう思われただろうか。
 
 私が知っている指導主事の先生たちは、優秀である。すぐれた授業者でもあった。
 でも、もう少し現場でこだわってほしかったという願いがある。
 今は、もう30代で指導主事になる。
 
 指導主事は、各学校現場を周り、さまざまな話を先生たちにされる。
 誰でもが静かに聞く。反論などは一切ない。
 だから、受け入れられているとだんだんと勘違いをする。 このことに慣れてくると、いつのまにかあのえらぶった態度が身に付いてくるのである。
  ★
 私は信頼する指導主事の先生たちへは口にすることがある。
 「授業をやりなさい!」と。
 もう口舌では、先生たちには伝わらない。
 聞き飽きている。
 子供たちに、私たちの言葉が届かないのと同じように、先生たちにも、もう指導の言葉は入らないのである。聞いているそぶりをしているだけだ。
 
 本気になって先生たちに伝えようと思っていれば、やはり授業で伝えなければならない。
 現場の教師たちは、そこでしか受け入れてくれない。
 
 授業をしたいと思っている指導主事はいるのである。
 しかし、教育委員会が止めている場合が多い。
 
 もし、たいした授業でなかったら、委員会全体がダメだと思われてしまうということである。
  指導主事も、委員会全体を背負って授業をするなどとは、とても思えないわけである。
 
 今、教育委員会から呼ばれることが多くて、指導主事の先生たちと付き合うことも多い。
 過酷で、大変な仕事に振り回されていることが分かる。
 上からの指示で動くだけで、重労働である。
 とても、とても、授業をするなんて、とんでもないというのが実態である。
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 横浜で37年間教師をやったが、一度も指導主事の授業を見たことがなかった。
 指導主事訪問など定例行事の1つにしか過ぎなかった。
 
 指導主事とは、どんな意味があるのか。
 学校現場にとって、今どんな意味があるのか、もう一度原点に返って問わなければならないはずである。
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 私は、学校訪問をするときには、必ず授業をさせてくださいとお願いする。
 授業ができなくなったら、もう私が今やっている仕事は終わりである。
 
 「ごちそう授業」はしない。
 70点の授業をする。
 だから、たいした授業ではない。
 「味噌汁・ご飯」授業が、たいした授業であるわけがない。
 
 それでも、「提案のある授業」をする。
 「このように授業を変えていくべきである」と授業で提案する。
 うまくいかないときもある。
 でも、それでいいではないか。
 
 講座で主張することを、授業でやってみる。
 ただ、これだけである。
 「現場で生きる」というのは、これだけのことである。
 
 広島の福山で、横藤雅人先生や中村健一先生と一緒に講座を持つ。
 私は、「日常授業」についての提案になる。

 できれば、この講座でも、「味噌汁・ご飯」授業をしたい。 もちろん、先生相手の模擬授業になる。

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