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「一人リストラ」から始めよう!

 日経新聞の「春秋」という欄に以下のことが載っていた。

 
 ★ ★ ★
 「でもしか教師」という言葉が、かつてあった。戦後復興から高度成長期にかけて、教員の数が足りないため大量採用が続き、さほど苦労せずに小中学校の先生になることができた時代の話だ。教員にでもなろうか。教員にしかなれない。世間はそう揶揄(やゆ)したのである。
▼先生稼業は休みが多くて楽なもの――という観念が人々にすり込まれたのも、きっと「でもしか」説のせいだったろう。そんななかで教員の労働実態も長らく見過ごされてきた。ところが文部科学省の調査によれば、小中学校教諭の平日の平均勤務時間は11時間超。中学校の先生では6割近くが過労死ラインに達している。
▼朝は7時すぎに出勤して部活の指導、ぎっしり詰まった授業の合間には会議、事務作業、そしてまた部活……。夜なべ仕事を終えて帰宅すると10時、11時というケースが珍しくない。それでいて残業代も出ないのだ。部活や雑務の負担を思い切って減らしたり、地域の力を借りたりしないと教育が死ぬ。学校がパンクする。
▼過酷な実態を訴える文科省自身にも、大きな責任があろう。脱ゆとりで授業時間が増え、しかも新しい学習指導要領は質を高めつつ学習の量も減らさないという。こんな無理筋の二兎(にと)作戦は見直すべきではないか。それでも教師になりたい。教師しかやりたくない。そういう「でもしか」の教員志願者も大勢いるのだから。
 ★ ★ ★
 このままいけば、学校は崩壊していく。
 私は、何年も前からそう言っている。
 学校現場は、もはや尋常な世界ではない。
 
 いじめを訴えていた仙台市立中2年の男子生徒の自殺は、もはや学校が学校としての呈をなしていない状況を露呈してしまった。
 
 生徒は、アンケートにも書き、先生にも訴えている。
 それでも、いじめは終わらず、その果てに自殺をしている。
  この自殺の影響は、かなり大きいと思わなければならない。
 もはや、いじめを受けている生徒が、学校や先生に相談することの無力さを、今回ははっきりと示したわけである。
 生徒にどうしろというのか。
 不登校になる以外に方法は、もうなくなったのである。
 現場にいた経験から分かるのだが、決して先生たちがサボっているとは思わない。
 もはや1つ1つの問題に、先生たちが、こだわっていることができないだけである。
 
 こういうカタチで、今学校現場が壊れていっている。
  ★
 文科省は、今まで「教師は怠けている」と考えていた節があるが、今回の調査に驚いたのではないだろうか。
 多くの教師たちは、まともな生活ができなくて、一番手を抜ける授業で手を抜いている。
 つまんない授業を、つまんないままにやり過ごしている。
 うまくいくはずはない。
 
 でも、この現状で、そうなるのは必然である。
  生徒が学びから逃げていくのも、必然である。
  ★
 藤原和博さんは、『10年後、君に仕事はあるのか?』(ダイヤモンド社)で、言っている。
 「収縮する成熟社会のトレンドは、今後10年、15年変わらないでしょうから、企業と同様に、個人にもリストラが必要なのです。
 その際の合言葉は、『捨てる、止める、避ける、断る、逃げる、減らす』です」
  ★
 学校も、「止める、減らす」という「引き算発想」が今最も求められている。
 私たちが「味噌汁・ご飯」授業を提起しているのは、この状況の中で、授業に何を求めていくかという発想の中から生まれたものである。
 
 学校もリストラができなければ、もうもたない。
 教師一人一人も、仕事のリストラができなければ、もうやっていけない。
 私は仕事術と言っているのだが…。
 
 プラス発想で、詰め込むだけ詰め込んで、もう身動きできほどになっているのに、また、英語教育、道徳教育、プログラミング、アクティブ・ラーニング(名前は学習指導要領から消えたが)など増やしていこうとする。
 減らすという発想がない。
 こういう流れに、まともに付き合っていれば、間違いなく教師たちが疲弊して、ぼろぼろになる。
  もう時代のトレンドは、この流れにはない。
 「初任者の1ヶ月」のレポートを書かれたK先生が、今回しみじみと語られていた。校長を退職されて10年が経っている。
  「学校は確実に10年前よりも忙しくなっている」
 「先生たちは、行事の合間に授業をしている。行事を
  やりくりするのに追われて、子供たちとゆっくり接
  することなどできていない」と。
 ★
 私も仕事を辞めて10年の歳月を迎えている。
 今思えば、学校というところは、無駄なこと(たいした意味もないこと)に張り巡らされているところだと、いうことである。
 
 でも、渦中にいたら、分からなかった。
 働き蟻みたいに、決まったことをせっせせっせとやり続けている。おかしいと思わない。そういうものだと思いこんでいる。
 
 何かを止めようという発想にはならない。
 「止めよう」という意見を出したら、必ず「必要だ!」という反論が出る。教務主任や各教科主任などである。
  学校は前年度踏襲主義に凝り固まっているので、結論として今まで通りになる。
 ★
 だが、その気になれば、いつだって止められる。
 たとえば、私が知っている学校では、年に3回しか職員会議をやらないところがある。
 春休みに2回、夏休みに1回。それだけである。
 できるじゃないか、と。
 最初は戸惑っただろうが、やっていけばそのうちに慣れてくる。そういうものである。
 たとえば、卒業式に全員を参加させて行う。
 370人ぐらい。学年2クラスの学校。
 全員参加の卒業式。
 
 最初は、反対が多く出た。
 「1年生がとても1時間以上の時間に耐えられない」と。
 でも、やってみましょうということになる。
 
 何の問題も起こらなかった。1年生も立派にできるのである。
 このことで、卒業生とのお別れ会がなくなった。関連の行事がなくなった。そのための練習の時間もなくなった。
 
 私が最後に勤務した学校でのことである。
  やればできるのである。
 やめようと思えばできる。ほとんどの行事や研究会などはこんなものである。
 ★
 でも、そうはいかない。
 学校は構造的に簡単に変えられなくなっている。
 
 でも、「一人リストラ」から始めよう。
 担任をしている先生は、「教室」へ戻ることである。
 これは何度も言っていることであるが、繰り返す。
 
 ①まず、「学級づくり」を意識する。
  この基盤ができれば、何とかなるのである。
  これができないから、クラスがうまくいかない。
  私は「学級づくり3原則」で十分だと提起している。
 
 ②「授業づくり」を変える。
  毎日、楽しい、おもしろい授業なんてできない。
  でも、一日の大半は、授業をするのである。
  これが、イイカゲンだと「日常」が退廃する。
  手応えを持たなければならない。
  私たちは、「味噌汁・ご飯」授業を提起している。
 
 ③保護者への対応、支援を意識する。
  これは大事。これをイイカゲンにしないこと。
 
 学校の仕事は、テキトウにしていく。
 自分の意識を、教室へ戻していくのである。  
 
 周りが学級崩壊などの危機に陥ろうとも、まず自分は持ちこたえていく。
 そして、自分に余裕ができてきたら、周りを助けていけるのである。
 
 きっとうまくいく。
   

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