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2017年5月

大変な状況になっているのだ!

   先のブログで以下のように書いた。

  ★ ★ ★
 このままいけば、学校は崩壊していく。
 私は、何年も前からそう言っている。
 学校現場は、もはや尋常な世界ではない。
 
 いじめを訴えていた仙台市立中2年の男子生徒の自殺は、もはや学校が学校としての呈をなしていない状況を露呈してしまった。
 
 生徒は、アンケートにも書き、先生にも訴えている。
 それでも、いじめは終わらず、その果てに自殺をしている。
  この自殺の影響は、かなり大きいと思わなければならない。
 
 もはや、いじめを受けている生徒が、学校や先生に相談することの無力さを、今回ははっきりと示したわけである。
 
 生徒にどうしろというのか。
 不登校になる以外に方法は、もうなくなったのである。
 
 現場にいた経験から分かるのだが、決して先生たちがサボっているとは思わない。
 もはや1つ1つの問題に、先生たちが、こだわっていることができないだけである。
 
 こういうカタチで、今学校現場が壊れていっている。 
  ★ ★ ★
 ここで仙台の中学2年の男子生徒の自殺について書いている。
 この仙台市は、2014年以降、市立中学の男子生徒3人が、いじめを受けたあとに自殺している。
 2014年9月 中学1年の男子生徒がいじめ自殺。
 学校は、その後、同級生らに「転校した」と説明していたことが判明。市教委は、遺族から公表しないように強く要請されたから、と。
 
 2016年2月 中学2年の男子生徒がいじめ自殺。
 父親が、第三者委員会による再調査を求める。
 
 2017年4月 中学2年の男子生徒がいじめ自殺。
 2教諭の体罰などが発覚。
 このような経過である。
 ★
 これは、もはや仙台市の教育委員会が、まともに機能していないことを物語っている。
 文科省の義家文科副大臣が乗り込み、市教委が機能不全に陥っていると指摘している。
 朝日新聞は、2017.5.25の朝刊で「仙台いじめ 鈍い対応」という見出しで記事にしている。
 
 こういうカタチで、学校単位ではなく、その市全体が壊れていっている。
 これは、象徴的な、1つの事態なのである。
 ★
 心配していたことが現実化している。
 全国学力テストで学習状況調査を行っていて、2014年は道徳偏差値が宮城、福島が都道府県ランキングで最下位に沈んでしまっていたわけである。
 
  http://tmaita77.blogspot.jp/2014/12/blog-post_11.html
 
 確実に子供たちが荒れていっている。
 その結果、学校も荒れていっていることが予測できたのである。
 
 その原因は、はっきりしている。
 震災や原発の後遺症である。
 
 私は福島のK市に長く関わってきたことで、講座で先生たちに「子供たちが荒れてきていませんか?」と尋ねたことがあった。
 先生たちは、「子供たちが荒れてきている。だから、学級も落ち着かなくなっている」という答えであった。
 
 宮城もまた、そういう状況が生まれてきているはずである。
 ★
 もはや、今までの方法が通用するはずがない。
 
  何を、どうすればいいのか、ほとんど見当もつかないのであろう。
 いやいや、大変なことになっているという認識がないのかもしれない。

 

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つれづれなるままに~近視が良くなった!~

  ●義妹のお父さんが亡くなった。

 93歳。老衰で亡くなられた、と。
 もう十分に生ききったというところだろうか。
 
 一度A市を訪問したとき、案内をしてもらったことがある。
 その市の教育長をやられていたのである。

 会葬のお礼が来た。
 その中に思い出が書かれている。

 「どなたに対しても温かな心で接していた父は、晩年お世話になっていた施設や病院のスタッフのお名前を全部覚えていたのです。“名前で呼ばれた方が親しみやすいだろう”きっとそんな気遣いに溢れていたのでしょう。現役時代は誠実に教育の道を歩み、心を尽くした幾歳月。今も印象に残っているのは父の優しい微笑みです。家族はもちろんのこと、関わってきた全ての方々一人一人を尊重し、その個性を大事にしておりました。……」

 このようなハガキには、決まり切った常套文句しかないのが普通だが、心こもった言葉が添えられていた。

 このハガキを読みながら、人生にはいつも「主戦場」があるのだと、つくづく思った。

 「晩年お世話になっていた施設や病院のスタッフのお名前を全部覚えていたのです」と。

 普通、こういうことは誰でもができることではない。
 常に目の前の課題に真剣に取り組んでいる人にしかできない。

 最後まで教育者として貫き通されたのだ、と。

 ふっと一陣の風が吹き渡っていく。
 
 過去も、未来も、そんなものうっちゃっていいのだ。
 目の前の、自分にできる課題に取り組めばいいのだ。

●眼鏡やへ行く。
 最近、遠近両用の眼鏡が合わなくなっている。
 近くが合わないのである。

 眼鏡をかけながら、本が読めない。
 仕方なく、眼鏡やへ行ったというわけである。

 調べてもらう。
 その結果、思いがけないことを言われた。

 「近視の方が良くなっているのです。
  それで近くの方とバランスが悪くなって、近くが見えに くくなっているようです。近視の方は4度ほど軽くしてお きましょう」と。

 今になって近視が良くなるというのはどういうことだろうか。
 パソコンや読書でかなり目を酷使しているはずなのである。
 
 思いついたのは、「両手振り体操」。
 健康法として毎日やっている。
 朝、500回(10分)、夜、500回、合わせて毎日1000回は振っている。 
  多分、これが効いているのであろう。
  様々な病気に効くと言われている。

 https://matome.naver.jp/odai/2136133519411366001

  この健康法を教えてやった知り合いの方で、五十肩が治ったという報告を受けた。

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どうすれば授業はうまくなるのか(11)

      どうすれば授業はうまくなるのか(11)

                         ~「全員参加」の授業づくり~
 
  1,簡単な授業準備。
  2,基礎学力保障のための「授業づくり」。
  3,全員参加の「授業づくり」。

3 全員参加の「授業づくり」。
 学力向上を図る「70点の授業づくり」について書いてきた。
 いよいよ最終回になる。
 
 さて、最後は、「全員参加」の授業づくりになる。
 
 ここで最初にはっきりさせておかなくてはならないこと。
 それは、授業の「主体」は、誰であるかということ。
 これである。
 
 講座などで先生たちに聞くと、ほとんど「子供」という答えになる。
  「学習の主体は、子供ですけど、授業の主体は、教師でなくてはなりません」とはっきりさせる。
 
 なぜか。
 それは、授業には、本時の目標があり、それを達成させるのは、教師以外にないからである。
 
 だから、教師は、意図的に授業を作らなければならない。
 
 ここを勘違いするから、授業で子供たちを司会役にさせたりして、教師はできるだけ話さないように心がけようとする。
 
 「授業の主人公は、子供である」と。
 活発に子供が話し合い、討論し、活動をすれば、それで満足する。
 見栄えは良い。
 
 私も、若い頃そんな授業に憧れてきたので、えらそうには言えないが、自己満足にしか過ぎなかった。
  ★
 私たちが主張する「全員参加」の考え方には、子供たち一人一人をいかに育てていくかの思想が込められている。
 
 自分の考えを持つこと。
 それを言語化すること。
 他者に伝えられること。
 
 このような子供たちを育てようとする。
 そのためには、外向的な子供ばかりに挙手発言をさせるような授業ではダメである。
 
 内向的な子供にも、自分の考えを表明できる場が必要。
  それを意識的に教師は、授業で作らなければならない。
 
 授業は、「強制」によって成り立つ。
 これは厳しい言葉だが、当たり前なのである。
 
 だから、「味噌汁・ご飯」授業は、授業で全員参加をさせる授業を意図する。
 挙手もあるが、どんどん指名をする。
 
 列指名、名前指名、男女別指名、……。
 また、ペア相談―発表、グループ相談―発表もある。
 ★
 もう1つ。
 「全員参加」の考え方に付け加えたいことがある。
 
 それは、全員参加は、全員を授業に参加させるということだけではなく、低学力児を中位に上げていく(できれば上位に)手立てを取ることである。
 これについては、繰り返さない。
  ★
 「学力向上を図る70点の授業づくり」をまとめたい。
 
 ①簡単な授業準備をする
 ②分割システムを整える
 ③授業の基本型(指導言―活動―フォロー)で授業をする 
 ④全員参加の授業にする
 
 この4つをシステム化すればいいのである。(完)

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どうすれば授業はうまくなるのか(10)

  どうすれば授業はうまくなるのか(10)

                    ~「授業づくり3原則」で授業をする~
 
 「学力を高めるための70点の授業」をどうするか。
 以下の3つを実践することだと書いた。
   1,簡単な授業準備。
  2,基礎学力保障のための「授業づくり」。
  3,全員参加の「授業づくり」。
2、基礎学力保障のための「授業づくり」
 
 2つのことを考えている。
 ①授業のカタチを作る
 ②授業の基本型を作る
 ①については、2つのことを行う。
 
 A 学習規律を整える
  私は、すでに初任者向けに以下の10箇条を提起している(『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』明治図書)。この中で、必須なのは、「ノート指導の徹底」になる)
 
     1 挙手はきちんと
  2 名前を呼ばれたら「ハイ」と返事
  3 机上の整理をさせよう
   4 机の中の整理・整頓をきちんと
  5  筆入れの中味を整える
  6 ノート指導の徹底
  7 発言を整えよう
  8 授業時間を守る
  9  ノートを先生に提出するとき
  10「どうぞ」「ありがとう」の言葉かけ
 
 B 分割授業(ユニット制)を推進する
  それぞれの教科には、どうしても必要な基礎・基本がある。例えば、国語では、漢字、音読などである。算数で言えば、計算や前時の 復習をすることなど。
    それは、まとめて取るということではなく、ちょこちょこと毎時間取っていかなくてはならない。そうしなければ、定着は難しい。
 
  例えば、国語は次のようになる。
   ○音読(5分)
   ○漢字(5分~10分)
   ○本時
 
  ②の授業の基本型である。
   これについては、「授業づくり3原則」という提起をしている。
   授業についての基本型をもっていなくては、「日常授業」を乗り切っていくことは難しい。
 
  この基本型に従って、授業を作っていく。
  ほとんどの教師が、この基本型を持っていない。
  ずっと指導書を頼って授業をしてきた後遺症である。
 
  「授業づくり3原則」とは何か。
 
   指導言(縦糸)―活動―フォロー(横糸)
 
  指導言とは、発問、指示、説明。これを使って、私たちは授業をしている。
  インプットである。「教える」ことが中心になる。
 
  そのあとに、「活動」を入れる。 
    私たちは、「アウトプット」の活動と言っている。
 
  これを入れないと、子供たちは「考えたり、相手に自分を意見を伝えたり、自分を表現したり」できない。また、インプットしたことを定着させることもできない。
 
  そして、最後に子供たちの活動に対して、「フォロー」を入れる。
  「フォロー」とは、ほめたり、認めたり、励ましたりが中心である。
 
  「学級づくり3原則」を提起した時、その中心になるのは、「関係づくり」であった。これは、縦糸と横糸をバランス良く張っていく手立てになる。
  実は、この「授業づくり3原則」も、縦糸と横糸をバランス良く張っていく手立てになる。 
   指導言が縦糸張り、フォローが横糸張り。
 
  ところが、多くの先生方は、縦糸を張りすぎるほど張る。その典型が「おしゃべり授業」。
   横糸のフォローがあまりにも少ない。
  ほとんど入れていない。
  授業のバランスが悪くなる。
  「おしゃべり授業」をやっていては、フォローが入れないのである。
 
   フォローを入れるためには、「活動」を入れなくてはならない。子供たちに活動をさせて、その様子でフォローを入れるからである。
    ★
  私たちの研究で、はっきりしてきた「実践」が1つある。
 
  私たちの授業は、ほとんどが「つまらない」ものである。
 
  でも、この「つまらない」を、そのまま「つまらない」ままにしておくことはできない。子供たちはどんどん逃げていっている。
  「手応えのある」ものに変えていかなくてはならない。子供たちが「集中する」授業。
 
  いつのまにか子供が「集中する」。
  そのような授業。
 
  手はある。
  「小刻み活動法」。
  昔「スモールステップの繰り返し」と言われていたものである。
  どうするか。
 
  指導言を投げかけたら、できるだけ早く「活動」に変える。そのように授業を組み立てる。
  間違いなく、子供たちは集中してくる。
 
  子供たちの体は、意識的ではなく、体を動かすことにすごく反応する。無意識的である。
   だから、小刻みに活動を入れれば、否応なく反応する。
 
  そうなっている。
  小刻みに活動を入れると、定着も早い。
  副作用はない(笑)。
 
  使わない手はないではないか。
  だから、教師の指導言で「教え」、「活動させ」、そして「フォロー」を加える。これを小刻みにする。
  ただ、これだけである。
 
   

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どうすれば授業はうまくなるのか(9)

     どうすれば授業はうまくなるのか(9)

                                 ~簡単な授業準備とは?~
 
 さて、さて「70点の授業」づくりについて書いていきたい。ずいぶん回り道をした。 
  「味噌汁・ご飯」授業では、次の3つのことを実践していくことが学力向上へつながっていくこととして考えている。

  1,簡単な授業準備。
  2,基礎学力保障のための「授業づくり」。
  3,全員参加の「授業づくり」。

1 簡単な授業準備
 まず前提にあるのは、授業を準備する時間が限られているということ。
 教師の仕事は、もともと忙しいものだが、今はさらに過酷になっている。
 繰り返すが、先生たちは、授業で一番手を抜いている。
 他の仕事が忙しくて、授業までにたどり着かないといった方が正確である。
 だから、私たちは1教科で10分ぐらいしか準備する時間がないと言っている。それさえもやっていない。
 せめて、そのくらいの授業準備をしましょうということである。
 指導書が頼りになる(所詮この指導書も誰かが作っているのである)。
 しかし、いつまでもこれに頼っていると、自分で授業を作っていくことができなくなる。
 いかに、指導書から離れていくか。しかも早い時期に。
 そのことが望まれる。
 
 では、どうするか。
 教科書を教えればいいのである(「教科書で」ではない)。
 教科書ほど洗練された教材はない。
 「日常授業」は、教科書を教えればいい。時間があれば、教材の工夫をした方がいいが、日常に、どだいそんな時間はない。
 だから、教科書を読む力をつけなければならない。
 
 指導案も、いつもの指導案は作れない。
 あの指導案は、研究授業用に成立しているものである。日頃は、メモ書きで行う以外にない。
  ★
 さて、その10分程度でどんな授業準備をするかになる。
 
 「味噌汁・ご飯」授業を実践した北海道の大曲小学校は、
 その10分間で「学習課題」を検討していた。

 「味噌汁・ご飯」授業の算数では、指導メモというカタチの指導案を作り上げた。
 そこに手書きでメモをしていく。
 そこにキーポイントになる「ときかたハカセ」を書いていく。
 この「ときかたハカセ」を10分間で考える。
 あとは、教科書通りに教えていくのである。
 
 註 この「ときかたハカセ」について書いていくとまた長くなるので、7月刊の本を参考にしてほしい。
 ★
 10分程度の授業準備をしても、小学校は5教科で1時間近くかかる。
 これだけでも、この時間を生みだしていくことは大変なことである。
 
 それでも、この時間を生みだしていく気概がないと、「ぶっつけ本番」授業に流れていくだけである。

 仕事術である。
 これを考えないと、いつまでも同じようなことの繰り返しではどうしようもない。
 独身の時は、学校に遅くまで残っておられたが、そんな時間はいつまでもない、と思わなくてはならない。
 いずれにしても、この授業準備の時間を取ることが、先生たちの大きな関門であることは間違いない。

 


 

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ヨッシー先生のコメントに応えて

 ヨッシー先生が久しぶりにブログにコメントされている。

 今ブログで連載している「どうすれば授業はうまくなるのか」に応えてもらっている。
  ★ ★ ★
 野中先生
お久しぶりです。四年前に何度もこのブログでお世話になったヨッシーです。今は、異動四年目、中核として頑張っています。
授業力の向上、とても同感です。四年前に異動して六年、学級が荒れに荒れ、その時に本気で学ばなければこれから生きていけないと思い、毎月、また、可能な土日はセミナーなどにも出かけ学んできました。
今は、日常授業で教材・教具をフルに活用し、授業を分割して小刻みな活動をいれながら、日々の授業を行っています。
あの時にこのような知識や技能があったならば、もう少しは上手く出来たのではないかと今になって思います。ただ、あの時があったから本気で学ぼうと思い、今があるのだと思います。とても辛い時期だったけど、あの時の六年生には申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、今、私の学校では今年度から研究授業の教科が『体育』になりました。そして、昨日、指導主事の先生をお招きして講演会がありました。ところが、その先生は、15時45分~始まるのに15分前に来校し、プリントを裏表で5枚を人数分印刷を要求し、終了は17時と勤務時間を15分オーバーしての講演終了。ほとんどの先生は、講演中寝ていました。残念ながらそれくらい、日常授業とかけ離れた話をされていたということだと思います。
このような時間が現場の多忙化に繋がっている原因の一つかと考えています。
その後、更衣室で同僚と冗談半分でこんな会話をしました。
「指導主事にも現場職員からの総選挙でもあればいいのにね」と。
これは冗談ですが、こうすればきっと現場のニーズに合った指導主事だけが残り、よっぽど為になる研修が増えるのではないかと思います。やはり、現場の先生は日常授業に直結する話や知識を求めています。きっと寝てしまっている先生たちも自分ごととして考えられれば、身を乗り出して聞くのではないのかと思います。
ということで、まとまらない文章で申し訳ありませんが、要するに『現場はまだまだ出来もしない体裁のよいご馳走授業を求めている』というのが、現状です。
乱文乱筆乱文お許しください。今後も野中先生のブログ、楽しみにしています。
投稿: ヨッシー
  ★ ★ ★
 ヨッシー先生は、重要なことを書いておられる。
  自分が受け持たれた6年生が荒れに荒れて大変な事態になった経験がある。
 それを克服して、以下のように書いておられる。
 「今は、日常授業で教材・教具をフルに活用し、授業を分割して小刻みな活動をいれながら、日々の授業を行っています。
 あの時にこのような知識や技能があったならば、もう少しは上手く出来たのではないかと今になって思います。」
 まさに「味噌汁・ご飯」授業である。
  ★
 もう1つは、指導主事の問題。
 このブログも、読んでもらっている指導主事の先生たちが数多くおられる。
 ヨッシー先生が指摘されている指導主事のえらぶった態度をどう思われただろうか。
 
 私が知っている指導主事の先生たちは、優秀である。すぐれた授業者でもあった。
 でも、もう少し現場でこだわってほしかったという願いがある。
 今は、もう30代で指導主事になる。
 
 指導主事は、各学校現場を周り、さまざまな話を先生たちにされる。
 誰でもが静かに聞く。反論などは一切ない。
 だから、受け入れられているとだんだんと勘違いをする。 このことに慣れてくると、いつのまにかあのえらぶった態度が身に付いてくるのである。
  ★
 私は信頼する指導主事の先生たちへは口にすることがある。
 「授業をやりなさい!」と。
 もう口舌では、先生たちには伝わらない。
 聞き飽きている。
 子供たちに、私たちの言葉が届かないのと同じように、先生たちにも、もう指導の言葉は入らないのである。聞いているそぶりをしているだけだ。
 
 本気になって先生たちに伝えようと思っていれば、やはり授業で伝えなければならない。
 現場の教師たちは、そこでしか受け入れてくれない。
 
 授業をしたいと思っている指導主事はいるのである。
 しかし、教育委員会が止めている場合が多い。
 
 もし、たいした授業でなかったら、委員会全体がダメだと思われてしまうということである。
  指導主事も、委員会全体を背負って授業をするなどとは、とても思えないわけである。
 
 今、教育委員会から呼ばれることが多くて、指導主事の先生たちと付き合うことも多い。
 過酷で、大変な仕事に振り回されていることが分かる。
 上からの指示で動くだけで、重労働である。
 とても、とても、授業をするなんて、とんでもないというのが実態である。
 ★
 横浜で37年間教師をやったが、一度も指導主事の授業を見たことがなかった。
 指導主事訪問など定例行事の1つにしか過ぎなかった。
 
 指導主事とは、どんな意味があるのか。
 学校現場にとって、今どんな意味があるのか、もう一度原点に返って問わなければならないはずである。
  ★
 私は、学校訪問をするときには、必ず授業をさせてくださいとお願いする。
 授業ができなくなったら、もう私が今やっている仕事は終わりである。
 
 「ごちそう授業」はしない。
 70点の授業をする。
 だから、たいした授業ではない。
 「味噌汁・ご飯」授業が、たいした授業であるわけがない。
 
 それでも、「提案のある授業」をする。
 「このように授業を変えていくべきである」と授業で提案する。
 うまくいかないときもある。
 でも、それでいいではないか。
 
 講座で主張することを、授業でやってみる。
 ただ、これだけである。
 「現場で生きる」というのは、これだけのことである。
 
 広島の福山で、横藤雅人先生や中村健一先生と一緒に講座を持つ。
 私は、「日常授業」についての提案になる。

 できれば、この講座でも、「味噌汁・ご飯」授業をしたい。 もちろん、先生相手の模擬授業になる。

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どうすれば授業はうまくなるのか(8)

 どうすれば授業はうまくなるのか(8)

               ~学力向上の本質とは?~
 
 もう一声、あえてここで付け加えておきたいことがある。
 学力を、私たちは、学力=テストの点数 というようにとらえている。
 これには、なかなか賛成できないという先生がいる。
 
 「だって、学習では、テストに表れない学力があるじゃないですか!作文だって、表現力だって、…その学力の方が、大切じゃないですか!」
 「今、アクティブ・ラーニングって盛んに言われていて、思考力、判断力、表現力を高めようとされているじゃないですか。これって、日頃のテストには表れてこないん  じゃないですか?」
 もっともな疑問である。
 このことについて、以下のように答える。
 
 ①テストに表れない学力で大切な学力があることは
  もちろんである。それは、授業で追究していく以外に
  今のところはない。
 
 ②アクティブ・ラーニングで問題にされている「思考力、判断力、表現力」の大切さも分かる。でも、これはいずれテストが表れてくる。点数で測られるようになるはずである。大学入試では、記述テストとして登場する。 
   でも、今のところでは、普通のテストでは測れないので、授業で追究する以外にない。
 
 ③だが、今まで重要視されてきた「知識・技能」も、必要がなくなるわけではない。これからもしっかりと「不易な学力」として追究されなければならない。
    ★
 もう1つ、はっきりしておきたいのは、「点数、点数」と言ってくると、点数を上げることばかりが中心になって、目の前の子供たちを育てるという課題が置き去りにされるのではないかという危惧である。
 
 確かに、そういう危惧が出てくる恐れがある。
 目標と手段を一緒にしてしまう勘違いである。
 
 私たちは、「点数主義」と言っている。
 点数はあくまでも「手段」である。
 
 テストの点数を上げていく目標は、勉強が楽しくなって、もっと勉強をしていこうという「意欲」と、勉強がおもしろくなってきて、できるようになってきたという「自信」を育てていくことである。
 学力を上げていくことの本質には、この意欲や自信を育てていく目標がなければならない。
 これを忘れてはいけない。
 目標と手段をごちゃまぜにしてはならない。
 
 あえて、このことを付け加えておきたい。
                    (つづく)
 
   

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どうすれば授業はうまくなるのか(7)

   どうすれば授業がうまくなるのか(7)


 70点の授業ができる教師になりたい。
 そのように問いかけた。

 今、学力保障ができない授業をしている先生も、ちょっとした努力で、この領域にはいける。
 ただ、問題は、そういう意識になれるかどうかである。

 「学力向上」を図る「70点の授業」づくり ということになる。
 そのためには、まず毎日の授業で1時間だけ、意図的な試みをすることである。
 これを、1年間続ける。
 2年目、3年目には、2教科、3教科、……、と広げていくことになる。
  ★
 ここから「味噌汁・ご飯」授業として実践してきた成果が出てくる。

 題して「『学力向上』を図る『70点の授業』づくり」。

  その前に「学力向上」ということで、「学力」をどう考えているのか、ということについて言っておかなくてはならない。

 私たちは、テストの成績に出てきた点数(結果)を1つの「学力」と規定している。
 
 ここでは、なぜそのように考えているかは書かない。
 7月に『「味噌汁・ご飯」授業」算数編』(明治図書)が刊行される。
 そこに、私たちが考える「学力」について書いている。
 申し訳ないが、それを参考にしてほしい。
 ★
 ただ、はっきりしているのは、「日常授業」での学力は、
その結果として行う単元テスト(小学校は、業者テスト、中学校は、自作テスト)が中心になるはずである。

 それは、否定しようがないはずである。
 また、その結果のほとんどが、通知表の評価対象にもなっているのであるから、このテストがキーポイントになる。

 私たちは、学力向上としての目標を、2つ上げる。

 1つは、単元テストのクラス平均を、80~90点にすること。
 2つ目は、クラスにいる低学力児(10点、20点、30点を取っている)を、中位の程度(60点、70点など)に引き上げること。
  ★
 なぜ、80点~90点なのか。
 これは、テストの作成基準の平均がこれであるために、そのように設定している。

 クラスには、さまざまな条件を抱えている子供たちがいる。
 悪条件を抱えているクラスは、そんな平均点は上げられないのではないか、という声が出るであろう。
 確かに、クラスの条件が大きく影響をする。
  学期の最初は、そんなわけにはいかない。

 それでも、きちんとした「日常授業」の取組をしていけば、ほとんどこの平均をクリアできる。
 私たちの研究会のメンバーのクラスも、そうなる。
  70点の授業でいい。

 中には、90点以上のクラスが出てくる。
 きちんとした「70点授業のシステム」を意図的、計画的、継続的に進めていけばそうなる。
 ★
 なぜ、低学力児を、中位に引き上げることが目標になるのか。
 
 今、この子供たちは、クラスの中で放置されている。
 昔は(30年、40年前)、「落ちこぼれ」「落ちこぼし」として意識されて、何とかしようと教師たちは悪戦苦闘をしたものである。
 
 今は、ほとんどそんな風潮はない。
  無視されているか、何とかしようとしてもなんともできない状態である。

 私たちは何とかしようとする。
 そして、その「事実」を作り上げる。
 できるのである。
 
 10点、20点、30点しか取っていなかった子供が、60点、70点、80点になっていく。
 意欲的になる。
 
 家庭でも勉強するようになる。
 こんな子供たちを何人も、私たちの実践は生みだしている。
 
 子供たちが、自分の人生に挑戦できる、最低限の基礎学力の保障をしていく。
 それは、私たち教師の責務ではないか。
 

 
 
 
 


 
 
 


 

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どうすれば授業はうまくなるのか(6)

    どうすれば授業はうまくなるのか(6)


 授業がうまくなるには、意図的、計画的、継続的に何かをしなければならないと、書いた。

 何かとは何か。
 もちろん、自分が追究する課題である。

 もし「ひとかどの授業」をしたいと願うならば、どのくらいのことをしなければならないのか。
  「ひとかどの授業」とは、1000人に1人ぐらいのレベルの人ができる授業をイメージしていただきたい。

 そのためには、毎日5時間の授業を意図的、計画的に進めなければならない。
 学校の1年間を200日とする。
 200×5=1000時間
 
 一つのレベルをマスターするには、1万時間が必要だと言われている。
 そのためには、どのくらい継続しなければならないか。
 1000×10年=10000時間
 毎日、5時間かけて、10年の歳月がかかる。

 ★
 福山憲市先生は、こういう努力をもう30年以上続けておられるわけである。
 10年続ければ、1000人に1人の授業者になる。
 20年で1万人に1人。
  30年で10万人に1人。
 
 イイカゲンに推定していると思われるだろうが、やはりこうなる。
 
 ほとんど、途中で授業を止めて、管理職や指導主事になる先生がいるので、30年もこういう努力を続ける人はいない。
 人は、必然性がなければこの領域にはいけない。
 だから、福山憲市先生レベルには、なれない。
 
 評論家的になっているので、私の場合をはっきりしておきたい。
 私は、授業者として1000人に1人にもなり得ていない。
 授業者としては、普通であった。
 ただ、70点の授業はできていたと思われる。
 それくらいのレベルでしかなかった。
 ★
 この段階で、「もうあきらめた!」となるであろう。

 しかし、誰でもが福山先生にならなくていい。
 なろうとしてもなれないが…。

 でも、「70点の授業ができる教師」にはなりたいではないか。
 子供たちに学力保障ができる教師。
 クラスにいる低学力児を、中位レベルまでに引き上げていける教師。

 そういう教師にはなりたいではないか。
 「味噌汁・ご飯」授業は、そのような授業ができる教師を目指してきたのである。

 それはどうやって可能なのか?
                                  (つづく)
 


 
 
 


 

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つれづれなるままに~原因があって、結果がある~

●神奈川県の愛川町の中津小学校へ行く。

 もうここへは3年目。
 外国の子供たちが100名ぐらいいる。
 
  悪戦苦闘している。
 だが、先生たちは明るく、元気。
 
 最近、学力テストの成績も上がってきているという。
 先生たちの授業力が、みるみる良くなっている様子がよく分かる。
  ★
 3年生のクラスで授業をさせてもらった。
 楽しいクラスだった。

 授業やりながら、こんなに手応えがあるクラスも珍しいのである。どんどん授業に乗ってくる。

 最近は、自分の授業はICレコーダーで録音し、聞き直すようにしている。
 この授業も10回ぐらい聞いた。

 何度も聞くと、自分の授業の欠点と長所がよく分かってくる。

●知り合いの先生が、異動して学力が高いと評判の学校へいかれた。
 
 評判に反して、子供たちは落ち着きがなく、大変。学力も基礎学力が落ちていて、ひどいということ。
 
 どうしたことだろうと思っていると、何のことはない。
 この学校の子供たちは、4年生の頃からほとんど学習塾に通っていく。そこで学力を高めていく。
 
 結局こういうことなのだ。
 学校の先生たちは、ほとんど何もしていない。
 
 全部学習塾が、学力を高めてくれるわけである。
 
 親たちの声が聞こえてきそうだ。
「結局ね、学校に任せていたらダメよ。何にもしてくれないから。4年生ぐらいになったら、早く塾へやらなきゃダメよ」
 学力が高いと評判の学校の実態は、こういうことなのである。

 学習塾へ行けない子供たちはどうなるのだろうか。
 もうここでアウトということになる。

●栃木の足利フラワーパークへ藤の花を見に行った。
 今年一番の気温ということで、とにかく暑くて大変であった。

 ここの藤の花は、世界一であると評判。
 確かに、確かに。
 素晴らしい藤の花であった。

 冥土のみやげになったという思い(笑)。
 ただ、休みでもないのに、観光バスを連ねてやってくる外国の方々。人、人、人。
  藤の花というより、人を見に行ったという心境。

●道路を渡ろうと信号待ちをしていると、車が通り過ぎようとする前をいきなり自転車が渡っていく。
 「あぶないっ!」と。
 
 寸前で車が止まってくれた。
 若い青年(?)は、躊躇することなく、そのまま走り去っていく。
 
 見慣れた光景かもしれない。
 若い青年は、しょっちゅうこういうことをやっているのであろう。
 
 彼の将来、きっとどこかで大きな事故に遭う恐れがある。
 多分、そんなことが分かっていない。
 ★
 斎藤一人さんの本に『絶対よくなる!』(PHP)という本がある。
 その中で斎藤さんは書いている。
  ★ ★ ★
 「思いもよらない出来事に自分は遭遇して、ガク然とした」と言ったり、思ったりするのです。
 でも、本来、自分に起きることは起きるべくして起こる。必ず原因があります。何もないところから、その現象が起きているのではありません。
 偶然、起きた“こと”はないのです。原因があって結果があるのです」
 ★
  「“いいこと”もそうです。“いいこと”も、たとえば「たいしたことないだろう」と思って“いいこと”をボタッ、ボタッと続けてると、ごほうびがくる。逆に、悪いことをすると、嫌なことが起きる。
 人生というのは、たったこれだけ、なんです」と。
 ★  ★ ★
 とりとめもない「日常」なのである。
 この日常で、イイカゲンに生きていると、そのしっぺ返しはくる。
 反対に、丁寧に、大切に生きていると、ごほうびがやってくる。
 結局、その積み重ねで、良くもなり、悪くもなる。
 
 長いこと生きてきて、そんなことが分かってきた。

 
 
 


 

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どうすれば授業はうまくなるのか(5)

    どうすれば授業はうまくなるのか(5)

 
 多くの先生たちの授業は、子供たちの学力保障はできないと書いた。
 「70点の授業」の提案をする前に、この授業について書いておきたい。

 私は、この5年間で、1000人近くの先生たちの授業を見てきた。
 授業を見ながら、共通の傾向を示す授業に出会った。
 どんな授業なのか?

 1つは、「おしゃべり授業」。
 2つ目は、「学力定着不足授業」。
 3つ目は、「挙手発言型授業」。

 私たちがネーミングした授業である。
 この3つの授業は、それぞれ共通するところがある。だから、1つだけということではなく、複合的になされている傾向が強かった。 
  ★
 「おしゃべり授業」とは何か。
 まず第1の特徴は、授業の8,9割ずっとしゃべりまくっていること。
 
 第2の特徴は、時々思い出したように発問を出し、いつもの4,5人の子供たちが答えていくこと。
 それで、次に進んでいく。
 
 第3の特徴は、ほとんどが傍観者であること。

 「学力定着不足授業」とは何か。
 その特徴は、授業が完結しないことである。
 授業のインプットばかりに時間をかけて、中途半端に終わってしまう。45分(あるいは50分)の授業が完結しない。
だから、算数などはいつも練習問題が宿題に回されてしまう。
  本時の目標が達成されないわけである。

 「挙手発言型授業」とは何か。
 その特徴は、授業の大半を子供たちの挙手で済ませていく授業である。
 この授業をしている教師は、多い。
 工夫をしている教師もいる。
 ぐー、ちょき、ぱーで、挙手の意思を表明するという方法である。
 この授業のメリットはある。
 発言できない子供たちを、挙手して発言できるようにすることは、積極性を生み出す。確かに、人が変わったように活動的な子供に変身することもある。

 だが、デメリットもある。
 この授業は、外向的子供に向けたものである。
 挙手をして、みんなの前で発言することが平気な子供は、盛んに発言する。
 そのかげで、みんなの前で発言できない内向的な子供が必ずいる。
 これらの子供には、劣等感を与えることになる。
 「ぼくは、発言できないのでダメな子供だ!」と。

 しかし、内向的な子供だって、じっくりと課題を考え、人の意見をきちんと聞けることができるのである。いや、この内向的な子供の方が、外向的な子供よりその傾向が強い。

 子供によって、タイプが違う。
 だから、挙手発言も授業の中では、必要なものであるが、それだけに偏るとおかしくなる。
 ★
 しかし、授業についての考え方において、以上に上げた傾向も、否定的に捉えられない場合もある。
 それは、授業観の違いになる。

 私たちは、授業というのを以下のように押さえている。
 「味噌汁・ご飯」授業の場合の考え方である。

 授業は、インプットとアウトプットによって成り立つ。

 インプットで、授業の導入をする。「教える」わけである。
 そして、アウトプットで、教えたことを練習し、定着させていくという試みになる。
 これで、本時の目標を達成させる。

 簡単に言うと、こういうことになる。
 ★
 学力保障ができない授業の特徴は、いくつかにまとめることができる。

 1つは、授業がインプットばかりに偏っていくこと。
 2つ目は、全員参加の授業にはなりにくいこと。
 3つ目は、低学力児を引き上げていく授業にならないこと。
 
                                                                                   (つづく)

 

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どうすれば授業はうまくなるのか(4)

   どうすれば授業はうまくなるのか(4)


 さて、教師の授業技量の向上を問題にしていたのである。
   ★
 普通の教師は、毎日5,6時間の授業をしている。
 初任者の8割の先生たちが「毎日、これだけの授業をしているので、いずれ授業をうまくこなすことができる」と思っている。

 私は、初任者たちに「それは幻想です」と伝える(笑)。
 「えっ~~~」という顔をされる。

 あらゆる仕事は、経験を積めば、それだけの仕事ができるようになる。それは常識。

 だから、初任者が授業も経験を積めばそのうちにうまくなると考えるのは当然である。

 だが、そうならない。
 それは、周りを見渡してみればすぐに答えが見つかる。

 毎日5,6時間授業をしている中堅やベテランの教師たちが、うまい授業をこなしているのか。
 そんなことはない。
 相変わらず、初任者と同じような授業をしている先生もいる。

 授業に関してだけは、どんなに経験を積んでも、うまくならない。
 それは、はっきりしている。
 
 どうしてこうなるのか。
  多くの先生たちは、どのような授業をしているのか。
 これは何度も書いたことがある。

 「ぶっつけ本番」授業をしている。
 何の準備をしないままに、教室へ行き、「今日はどこからだった?」と子供へ問いかける。「先生、23ページです」という答えに、「はい、じゃあそこを読んでもらいます」と言って、何人かに読ませる。子供が読んでいるうちに、赤刷りの指導書を斜め読みして、今日の予定を確認する。

 これに抵抗がある人は、職員室で指導書を同じように確認している。

 こんな授業をしている。

 最初はこんな試みに抵抗があるが、慣れてくるとこれが普通になる。
  子供はどんなつまらない授業でも文句を言わないので、授業はそのようなものだと、思い込む。

 ただ、研究授業だけは、他の先生が見に来るので、真剣に教材研究をして臨む。

 だけども、たいした研究授業にはならない。
 日頃をイイカゲンにしているので、研究授業だけそんなにうまくいくはずはない。
 
 私は、ここ5年間で1000人程度の先生たちの授業を見てきたが、多くの先生方がこのような授業をしていると思われた。
 ★
 「こんな授業だっていいじゃないか!クラスがちゃんと成立してうまくやっているからいいじゃないか!こんな忙しいのに、これ以上何をせよと言うのか」と反論する先生がいるかと思われる。

 たしかにクラスが何とかなっていれば、これ以上何をせよというのかということになる。
 ただ、子供たちは、せっせと学習塾に通い、学力保障をしている。
 学校の授業をほとんどあてにしていない。
 ただ、それだけのことである。
 
 だが、限界がくる。
 指導書の斜め読みで過ごしていく授業で、これから乗り切っていけるはずはない。
 
 はっきりしているのは、子供たちに学力保障ができないのである。
 ただ、流れていくだけの授業。

 ★
 大変厳しいことを言っている。
 先生たちが抱えている「現実」がどれほど過酷で、忙しさに紛れていることは分かっている。

 多くの抱えている仕事の中で、「授業」が一番手を抜かれている「現実」も分かっている。

 どうすればいいのか。

 この「現実」を踏まえて、せめて「70点の授業」をしようと訴えている。
 「味噌汁・ご飯」授業の提案である。
 
 授業がうまくなるためには、意図的、計画的、継続的に何かを試みなければならない。
 そうしないと、絶対に授業はうまくならない。

「70点の授業」をやれば、子供たちに学力保障ができるようになる。
 普通の教師では、「日常授業」は、80点以上の授業などできない。
  そんな授業準備(私たち「味噌汁・ご飯」授業では教材研究と言わない)の時間がないからである。

 では、「70点の授業」は、どうようにして作れるのか、ということになる。(続く)
 
 

 
 
 


 

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どうすれば授業はうまくなるのか(3)

  教師の仕事の中心は、学力向上である。

 こう言うと、反発される方がいるであろう。
 子供たちを幸せにすることではないか。
 そのために、子供たちが健やかになるような教育していくことこそが必要ではないか。
 学力、学力と声高に問題にすることは、学習塾みたいでおかしいのではないか、と。
 実は、私も現場教師の時には、このような思いをもっていた。
 しかし、今なら言うことができる。
 こんな曖昧で、漠然とした思いで、教師の仕事は成り立たない。
 第一に、幸せとか、健やかとかの定義がはっきりしない。
 そんなことよりも、日々の授業をしっかりとこなし、子供たちにきちんとした基礎学力(情報処理力)を身に付けさせ、自分の人生に挑戦できる子供たちに育てることである。
 きちんとした学力を身に付けさせること。
 これが中心の仕事である。
 ここを勘違いしてはならないと、私は思っている。
 ★
 そのためには、毎日の「日常授業」を豊かにしなければならない。
 これがイイカゲンだと、子供たちに学力は身に付かない。
特に、低学力児の学力を引き上げることなどとてもできない。
 
 この「日常授業」の改善については、みごとに福山憲市先生とテーマが合致した。
 福山先生も、研修主任として校内の研修を提案されるとき、「日常授業」の改善でなければならないとされていた。
 そうなのだ。
 「日常授業」の改善につながらない校内研究を繰り返しても、何も変わらないのである。
 
 学校は早くこのことに気づかなくてはならないのである。
  いつまでも達成できもしない研究テーマを設けて、研究授業にいそしんでいく余裕の状況は、もう終わったのである。
 
 
 
 
 

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どうすれば授業はうまくなるのか(2)

  私は、最後の勤務校には、7年いた。

 荒れまくった学校だったが、運良く2年で、普通の落ち着いた学校へと変わっていった。

 職員一丸となった取組の結果である。
 私は初めて「学校が変わるとはこういうことなのだ!」と体験した。

 学校が変わるというのは、ポイントがある。
 1つは、学校の基盤づくり。
 2つ目は、「授業づくり」。
 3つ目は、子供たちの自慢づくり。
 4つ目は、職場づくり。

 ★
 2つ目の「授業づくり」についてである。
 この学校では、最初に算数を重点研究として取り組んだ。
 子供たちの大嫌いな教科のダントツが算数であり、基礎計算の繰り上がり、繰り下がり、かけ算九九などができない子供はざらざらいた。

 かけ算九九ができないままに中学校へ上げていく状態をずっと続けていたのである。

 3年取り組んだ。
 全校で、授業の最初の5分間だけ、毎時間計算タイム(100マス計算)として取り組んだ。
 1年から6年まで、全部のクラスが、毎時間計算に取り組むのである。
 3年間で、高学年で基礎計算ができない子供たちは一掃できたことになる。

 でも、課題が残った。
 学力が上がってこないのである。
 横浜市の学力標準テスト、全国学力テストの成績が、ほとんど低位のレベルのままに、何としても上がってこないのである。

 最初、これは家庭的な問題として、学力向上はむずかしいことだと考えていた。
 基礎的な学力を伸ばしていけばいいのだと、自分なりに納得させていたのである。
 ★
 しかし、これは勘違いであった。
 今ならば、はっきりと言うことができる。

 横浜市の学力テストは、市の平均レベルに上げることができる。
 全国学力テストは、全国平均レベルに上げることができる。
 何よりも、クラスの低学力児を中位のレベルに引き上げていくことができる。

 もちろん、一人ではできない。
 しかし、学校の職員が一丸になれば、2,3年でできる。

 最後の勤務校は、先生たちが一丸になっていたので、ほんとに心残りなことである。

 こんなことが言えるまでに、退職して10年かかったことになる。
 ★
 何をすればいいのか。
 次号から書き繋ぎたい。 
 
 
 


 

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第45学 教師力セミナーのお知らせ

 第45学 教師力向上セミナー

元祖「織物モデルの縦糸・横糸張り」とその実践
○日時:2017年6月10日(土)
○場所:福山市男女共同参画センター
Rimふくやま地下2階 
○参加費   一般3000円(学生2000円)
○定 員   50名
○主催:徹底反復研究会 中国支部
○講師紹介
・横藤雅人氏
平成28年度から北海道教育大学学校臨床教授。それまで長く北海道にて公立小学校で教諭、教頭、校長を務めた。不登校の子とその保護者、荒れた学級に多く関わった経験から、『子供たちからの小さなサインの気づき方と対応のコツ』、『必ずクラスがまとまる教師の成功術!学級を安定させる縦糸・横糸の関係づくり』(野中信行氏との共著)、『その指導学級崩壊の原因です! 「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド』、『5つの学習習慣』、『日常授業の改善で子供も学校も変わる!学力向上プロジェクト』等の著作を発表。
・野中信行氏
北海道教育委員会の学校力向上アドバイザーとして北海道の学校訪問をし、「日常授業」の改善を訴えている。「味噌汁・ご飯」授業を提案し、7月には算数の本を明治図書から出版する。著書は、新卒教師シリーズや「味噌汁・ご飯」授業シリーズ(明治図書)など。また、学級経営でも、多数。特に、『必ずクラスがまとまる教師の成功術』(横藤先生との共著)『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学陽書房)は、注目され、売れ続けている。初任者指導アドバイザー。
・中村健一氏
授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。「子どもも先生も思いっきり笑える73のネタ大放出!」「教室に笑顔があふれる中村健一の安心感のある学級づくり」(黎明書房)等著作物も多数。子ども同士や子どもと教師の距離を縮めるためには?子どもたちが不安なく教室で過ごすためには?そんな疑問に答えるために、クラスみんなで笑えるミニネタを多数考案、実践されている。メールマガジン「授業成立プロジェクト」元編集長。
〇スケジュール
10:30~11:15   講座1・中村 健一氏「縦糸も横糸も張れる!中村のネタ大放出!!」
11:20~11:45   講座2・友田 真氏「子どもたちの心を掴み・子ども同士をつなぐ」
   (休憩)
12:45~13:10   講座3・出原 眞一氏「教科指導と学級経営」
13:15~14:45   講座4・横藤 雅人氏「学級経営は『織物モデル』」
14:50~16:20   講座5・野中 信行氏「『味噌汁・ご飯』授業を訴える~今、「授業」に求められていること~」
(休憩・質問用紙記入)
16:30~16:50   Q&A 「横藤氏・野中氏が学級の悩みにすべて答えます」
16:50~        閉会行事
17:30~20:00   懇親会  居酒屋 おの  会費4000円
〇申し込み
第45学 教師力向上セミナー  参加申し込みは,こくち~ずで受け付けます。
学校名、氏名、懇親会参加希望を明記の上、送信下さい。定員になり次第、締め切らせて頂きます。
http://www.kokuchpro.com/event/43dd0a40a641987430484672b7e67649/
 
 
 
 

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どうすれば授業はうまくなるのか?(1)

福山憲市先生が、フェイスブックに書かれていた。


 ★ ★ ★
楽しみにしている「ブログ」の記事
毎日、必ず開くブログがあります。「多賀マークの教室日記」「風にふかれて」「吉良良介の「教師の学び」」です。多賀一郎先生・野中信行先生・前田康裕先生のブログです。自分の学びを「拓く」ために、ブログの記事を読みます。自分とは『登る山・登っている山』が違うので、面白いです。面白いということは、自分の中にワクワク感が広がります。前田先生は熊大に行かれてからのブログ。実に面白いです。(*^_^*)
  ★ ★ ★

 私のブログも読んでもらえているとは、驚きである。
 ありがたい。

 私は福山先生と昨年「日常授業の改善」でコラボの講座を持った。
 その中で、しみじみと感じたことがあった。
 「ああっ、これは登っている山が全然違うのだ」と。

 私は、神奈川県にある小さい、小高い山を登ったにしか過ぎないが、福山先生は、富士山に登られていて(それは分かっていた)、まだまだ登り途中だという。そして、さらに、エベレストまでも登り続けたいという思いを持っておられた。
 そんなことを感じた。

 その講座の後のブログで、私は、福山先生を浄土宗の法然に喩えて「早く富士山から下りてほしい!」という思いを書いたことがあった。
 法然は、当時の高野山から下りて、民衆のもとへ戻って行ったのである。
 道路端には、死体がごろごろ転がっていた時代である。
 ★
 福山憲市先生は、現役教師として日本で授業をさせたら5本指の1人になる教師であると、考えてきた。

 見栄えの良い「ごちそう授業」をする教師なら、何人もいる。
 そんな教師にはちっとも興味はないのだが、この福山先生は、そんな領域の教師ではない。

 私が最も注目するのは、短時間に子供たちを変えていく、その授業力のすごさである。

 たとえば、次のようなフェイスブックを読んでほしい。
 ★ ★ ★
55歳最後の日
55歳最後の日、いつものように、朝4時に起きて、月曜日からの学習の準備。6年生は行事が盛り沢山。その中をぬって、授業を効率よく進めていくには「事前計画」が欠かせない日々です。例えば、歴史一つとっても、進めることは簡単です。でも、子ども達が確実に覚え楽しいと思う流れにする。市販テストでもしっかりと点という事実が取れる。そのように仕組みます。ちなみに、1回目の市販テストの平均点は98.5点(33名)。まだまだ、詰めの甘さを感じた平均点です。1.5点は何かを分析し、今の社会の授業に生かしています。算数にしても、線対称等の市販テストは98.6点。文字と式が97.3点。こういう点は、しっかりと保護者に公開し、自分のどこが甘かったかを書いています。55歳になっても、なかなか市販テスト一つとっても全員満点は、この時期難しいです。だから、まもなく講演会に行く前も、授業準備です。… 
 ★ ★ ★
 短時間で、これだけの市販テストの成績を上げていく教師は、多分福山先生だけではないか。
 久しぶりに担任をされて、しかも、6年生。そして、その子供たちの中には、低学力児がきっと混じっていたであろう。それをこのように変えていく授業力。
 大変な力量と言わねばならない。

 私は、福山先生の授業を見たことがないが、再現授業を二度体験したことがある。
 もはや、唸るばかりの授業であった。

 この高みの領域に上げるには大変なことであろうと、想像できた。

 時々勘違いをする人がいる。
 何度も、このような先生の講座を受け、自分も努力をしていけば福山先生みたいになれる、と。
 そんな半端な努力でなれるわけがない。
 
 福山先生は、朝4時起きで、毎日3冊の本を読み続けている。
  何十年と、こんな努力を続けておられる。
 こんな努力の果てに、現在の力量なのである。
 こんな努力だけでも、続けられる教師は、いないであろう。
  ★
 ここで教師の力量形成をどうしていけばいいかについて書いていきたい。
 退職してから10年ばかり、考えてきた結果をいくらか報告させてもらいたい。
 まず、1回目である。

 


 

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「一人リストラ」から始めよう!

 日経新聞の「春秋」という欄に以下のことが載っていた。

 
 ★ ★ ★
 「でもしか教師」という言葉が、かつてあった。戦後復興から高度成長期にかけて、教員の数が足りないため大量採用が続き、さほど苦労せずに小中学校の先生になることができた時代の話だ。教員にでもなろうか。教員にしかなれない。世間はそう揶揄(やゆ)したのである。
▼先生稼業は休みが多くて楽なもの――という観念が人々にすり込まれたのも、きっと「でもしか」説のせいだったろう。そんななかで教員の労働実態も長らく見過ごされてきた。ところが文部科学省の調査によれば、小中学校教諭の平日の平均勤務時間は11時間超。中学校の先生では6割近くが過労死ラインに達している。
▼朝は7時すぎに出勤して部活の指導、ぎっしり詰まった授業の合間には会議、事務作業、そしてまた部活……。夜なべ仕事を終えて帰宅すると10時、11時というケースが珍しくない。それでいて残業代も出ないのだ。部活や雑務の負担を思い切って減らしたり、地域の力を借りたりしないと教育が死ぬ。学校がパンクする。
▼過酷な実態を訴える文科省自身にも、大きな責任があろう。脱ゆとりで授業時間が増え、しかも新しい学習指導要領は質を高めつつ学習の量も減らさないという。こんな無理筋の二兎(にと)作戦は見直すべきではないか。それでも教師になりたい。教師しかやりたくない。そういう「でもしか」の教員志願者も大勢いるのだから。
 ★ ★ ★
 このままいけば、学校は崩壊していく。
 私は、何年も前からそう言っている。
 学校現場は、もはや尋常な世界ではない。
 
 いじめを訴えていた仙台市立中2年の男子生徒の自殺は、もはや学校が学校としての呈をなしていない状況を露呈してしまった。
 
 生徒は、アンケートにも書き、先生にも訴えている。
 それでも、いじめは終わらず、その果てに自殺をしている。
  この自殺の影響は、かなり大きいと思わなければならない。
 もはや、いじめを受けている生徒が、学校や先生に相談することの無力さを、今回ははっきりと示したわけである。
 生徒にどうしろというのか。
 不登校になる以外に方法は、もうなくなったのである。
 現場にいた経験から分かるのだが、決して先生たちがサボっているとは思わない。
 もはや1つ1つの問題に、先生たちが、こだわっていることができないだけである。
 
 こういうカタチで、今学校現場が壊れていっている。
  ★
 文科省は、今まで「教師は怠けている」と考えていた節があるが、今回の調査に驚いたのではないだろうか。
 多くの教師たちは、まともな生活ができなくて、一番手を抜ける授業で手を抜いている。
 つまんない授業を、つまんないままにやり過ごしている。
 うまくいくはずはない。
 
 でも、この現状で、そうなるのは必然である。
  生徒が学びから逃げていくのも、必然である。
  ★
 藤原和博さんは、『10年後、君に仕事はあるのか?』(ダイヤモンド社)で、言っている。
 「収縮する成熟社会のトレンドは、今後10年、15年変わらないでしょうから、企業と同様に、個人にもリストラが必要なのです。
 その際の合言葉は、『捨てる、止める、避ける、断る、逃げる、減らす』です」
  ★
 学校も、「止める、減らす」という「引き算発想」が今最も求められている。
 私たちが「味噌汁・ご飯」授業を提起しているのは、この状況の中で、授業に何を求めていくかという発想の中から生まれたものである。
 
 学校もリストラができなければ、もうもたない。
 教師一人一人も、仕事のリストラができなければ、もうやっていけない。
 私は仕事術と言っているのだが…。
 
 プラス発想で、詰め込むだけ詰め込んで、もう身動きできほどになっているのに、また、英語教育、道徳教育、プログラミング、アクティブ・ラーニング(名前は学習指導要領から消えたが)など増やしていこうとする。
 減らすという発想がない。
 こういう流れに、まともに付き合っていれば、間違いなく教師たちが疲弊して、ぼろぼろになる。
  もう時代のトレンドは、この流れにはない。
 「初任者の1ヶ月」のレポートを書かれたK先生が、今回しみじみと語られていた。校長を退職されて10年が経っている。
  「学校は確実に10年前よりも忙しくなっている」
 「先生たちは、行事の合間に授業をしている。行事を
  やりくりするのに追われて、子供たちとゆっくり接
  することなどできていない」と。
 ★
 私も仕事を辞めて10年の歳月を迎えている。
 今思えば、学校というところは、無駄なこと(たいした意味もないこと)に張り巡らされているところだと、いうことである。
 
 でも、渦中にいたら、分からなかった。
 働き蟻みたいに、決まったことをせっせせっせとやり続けている。おかしいと思わない。そういうものだと思いこんでいる。
 
 何かを止めようという発想にはならない。
 「止めよう」という意見を出したら、必ず「必要だ!」という反論が出る。教務主任や各教科主任などである。
  学校は前年度踏襲主義に凝り固まっているので、結論として今まで通りになる。
 ★
 だが、その気になれば、いつだって止められる。
 たとえば、私が知っている学校では、年に3回しか職員会議をやらないところがある。
 春休みに2回、夏休みに1回。それだけである。
 できるじゃないか、と。
 最初は戸惑っただろうが、やっていけばそのうちに慣れてくる。そういうものである。
 たとえば、卒業式に全員を参加させて行う。
 370人ぐらい。学年2クラスの学校。
 全員参加の卒業式。
 
 最初は、反対が多く出た。
 「1年生がとても1時間以上の時間に耐えられない」と。
 でも、やってみましょうということになる。
 
 何の問題も起こらなかった。1年生も立派にできるのである。
 このことで、卒業生とのお別れ会がなくなった。関連の行事がなくなった。そのための練習の時間もなくなった。
 
 私が最後に勤務した学校でのことである。
  やればできるのである。
 やめようと思えばできる。ほとんどの行事や研究会などはこんなものである。
 ★
 でも、そうはいかない。
 学校は構造的に簡単に変えられなくなっている。
 
 でも、「一人リストラ」から始めよう。
 担任をしている先生は、「教室」へ戻ることである。
 これは何度も言っていることであるが、繰り返す。
 
 ①まず、「学級づくり」を意識する。
  この基盤ができれば、何とかなるのである。
  これができないから、クラスがうまくいかない。
  私は「学級づくり3原則」で十分だと提起している。
 
 ②「授業づくり」を変える。
  毎日、楽しい、おもしろい授業なんてできない。
  でも、一日の大半は、授業をするのである。
  これが、イイカゲンだと「日常」が退廃する。
  手応えを持たなければならない。
  私たちは、「味噌汁・ご飯」授業を提起している。
 
 ③保護者への対応、支援を意識する。
  これは大事。これをイイカゲンにしないこと。
 
 学校の仕事は、テキトウにしていく。
 自分の意識を、教室へ戻していくのである。  
 
 周りが学級崩壊などの危機に陥ろうとも、まず自分は持ちこたえていく。
 そして、自分に余裕ができてきたら、周りを助けていけるのである。
 
 きっとうまくいく。
   

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事務連絡です

 「初任者の1ヶ月」を申し込みの皆さんに、無料の宅配メールを使って送っていましたが、あまりにも多すぎたために、一時的に使用ができなくなりました。


 5月7日以降に申し込まれた方は、しばらくお待ちください。
 もしかしてメールの添付が可能な場合はそうしてみます。

 

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事務連絡です

 「初任者の1ヶ月」の送付についてです。メールの添付で送っておりますと、全部エラーになってしまいます。

 そこで宅配メールに変えました。宅配メールは、迷惑メールと一緒になる可能性があるので、よろしくお願いします。
 申し込みが大変な数です。すぐには伝えられませんので、そのうちに送付していきますので、よろしくお願いします。

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「初任者の1ヶ月」さしあげます!

  「初任者の1ヶ月」の解説ができあがった。

 これをブログを読んでいる方にもさしあげたい。
 
  特に、初任者指導をされている先生方は必見である。
 また、初任者の方も、読んでもらえばいい。
 その他の方も、どうぞ。
   著作権はありません。自由にお使いください。
 
  PDFにしている。しかし、A4の42ページの枚数である。
 ほしい方は、ブログにコメントしてほしい。
 
そのコメントには、メールを書き込むようになっているので、そのメールに送ることになる。原則としてそのコメントは公開をしないことにする。
 
ただ、枚数が多いのでパソコンが容量不足でリターンで返ってくる場合が想定される。その場合は、どうしようもない。容量があるパソコンでお願いしたい。





 

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1年生の担任の先生に答えます

  初めて1年生担任をされている先生から相談のコメントが入りました。

 1ヶ月が終わったばかりなのです。
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 1年生の担任をしています。はじめての1年生です。高学年の指導には慣れているのですが、1年生は未知の世界です。
特に今2つのことに悩んでいます。
 1つ目は整列です。これまでの高学年は、無言でしっかりと列の間をつめて前に遅れないように指導することは容易でした。最初は出来ていなくても、カウントダウンや声掛け・やり直しなど工夫すれば3回目くらいからはもう大丈夫な感じです。
しかし、1年生は整列するとすぐに隣の子としゃべってしまいます。教室ではなんとか大丈夫でも、廊下に移動すると前との間が空いて後ろが走ることになったり、朝礼や体育などで外にでて並ぶと気が散ってなかなか並べません。列も曲がっています。「忍者のように移動」「前の人の頭しか見えないように並んでごらん」「前に間がアカないように」などこれまで以上に色々言い方を考えて工夫はするのですが、なかなか変わりません。何度も同じことを繰り返しています。
 2つ目は聴く姿勢です。自分自身が活動するときは意欲的なのですが、聴くことがとにかく弱いです。入学式でも隣とずっとしゃべっていたり、後ろを向いたままの子が数名います。現状は面白く話をする工夫をしているので先生の話は聞けていますが、授業や自己紹介などで友達が話をするのがあまり聞けていません。自分の活動やおしゃべりに夢中になっていたり、途中で集中力が続かなくなっています。よく言われるように出来ている子を誉めることや「あと◯人静かにしてない」など色々な方法は試しているのですが、高学年と違い、1年生はその褒めていることも聞こえていなくておしゃべりなどに夢中になっていることも多く、それを「◯◯くん、いい姿勢だね」「お、静かに前を向く人が増えてきた」などと3〜4回繰り返し言ってやっと静かになります。ただ、またしばらくするとうるさくなるのを繰り返す感じです。自分の感覚では、以上のように『出来ている子を価値付ける』などのよく書籍などでも書かれていて、昨年まで高学年には通用していた方法があまり担任している1年には通用している感じがしません。それは私が初1年生だから感じるギャップで、結果を早急に求めすぎで、粘り強くやっていくしかないのかもしれませんが・・・・。

 これは私が高学年しか担当したことがないために1年生の4月の段階で求めるレベルが嵩すぎるのかなとも思いますが、(高学年ならば文字通り一言もしゃべらせずに並ばせ、列を乱さずに移動していましたので・・)そこら辺も初の1年生担任なのでよくわかりません。それを1年生に求めるのが正しいのでしょうか。それとも1年生の段階(さらにはまだ4月)ではそこまで求めるのは難しく、実は今の現状でも合格点、及第点なのでしょうか。自分はやはり去年の感覚でいるので、今の現状に「ちゃんとできていないなぁ」と不安を感じ、日々方策を練っています。
 このとことを色々な先生に相談すると、1年生は最初の学年なので最初だからこそビシっとしたほうがいいよと多くの先生からは言われるのですが、どれくらいの水準を求めればよいのでしょうか。私が考えるように高学年並にシーンという形を求め続けるべきなのでしょうか?またそのための何か方策ありましたらアドバイスください。
※思うままに書き連ねてしまいました。申し訳ありません。

投稿: 相談
 ★ ★ ★
 高学年ばかり担任をしていた先生方は、必ずこういう戸惑いを持たれます。
 私は、今まで1年生を4回担任しました。
 だから、このような戸惑いは十分分かる気がします。
  きちんとしていない「ざわざわ感」がなんとも気になって仕方がないわけですね。

 1年生を簡単に言うと、「動かない!」のです。
 だから、早く高学年のイメージを捨てて、目の前の子供たちに専念するようにすればいいです。

 現在の状態は、1年生の「普通」なんだと認識された方がいいです。
 先生は、さまざまな子供への対応を知っておられるようですので、少しずつ効果を上げてきます。時間がかかるだけです。
 ただ、今は「生徒」できない(学びの姿勢を取れない)子供たちが1年生からいますので、その子供には苦労をします。

 しかし、この状態がずっと続くというわけではないです。 2,3ヶ月経つと、ずいぶん落ち着いてくるはずです。

 言って聞かせ、やって見せて、ほめてあげる、という繰り返しなのです。
 少しずつですが、言葉が届くようになります。
 ★
 私は、低学年の子供たちを称して、「その場、おもしろ、理想主義者」と名付けてきました。

 複雑じゃないのです。彼らはシンプルなのです。
 この3つを繰り返せば、うまくいくのです。

 その場主義者…彼らは忘れっぽいから物事をその場で処理することです。ドリルやノートなどの丸付けも、その場で丸を付け、その場でほめていくようにすることです。明日渡しても効果はあまりありません。もう忘れているからです。
 
 おもしろ主義者…笑ったりするおもしろいことは大好き。これは男女関係ありません。

 理想主義者…先生が熱っぽく語ることや指し示すことは、すぐに実践しようとします。また、マネしようとします。
 ★
 確かに先生によっては、高学年向きと低学年向きの先生はいると思われます。
 しかし、早い時期に高学年ばかりではなく、低学年の担任を経験しておくことは大切なことです。
 私の場合、教師の後半の10年以上はずっと高学年ばかりでしたので、心がカサカサになる思いになりました(それだけ深刻な子供たちを相手にすることが多かったので)。

 私は、低学年担任が大好きでした。
 だって元気に、ニコニコして、おもしろいことを言っておけば子供たちはついてきましたから。相手もシンプルですが、こちらもシンプルになることができます。
 
 だから、繰り返しになりますが、早く今までの高学年の子供たちのイメージを捨てて、目の前の子供から出発すればいいのですよ。
 ぜひ、がんばってほしいです。
 
 
 


 

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初任者の1ヶ月

  親しい知り合いのK先生が、1ヶ月だけ教育委員会から頼まれて初任者指導をされた。

 ボランティアである。
 
  週に3日だけ出勤して、初任者のクラスに張り付いて指導をする。
 もちろん、学校には初任者指導の先生はいるわけであるが、その先生もクラスを持って、その任に当たっている。
 だから、その先生でも、初任者優先で指導がされるわけではない。
 
 そこで、せめて1ヶ月でもボランティアで初任者に張り付いて指導をしてほしいという教育委員会の要望である。
 
 このY市は、数多くの初任者が辞めていく実態があり、きっと担当者は頭を抱えているのであろう。
 
 K先生に話を聞いてみると、「やっぱり、そうなんだ!」という初任者の様子が伝わってくる。
 
 ★
 この初任者は、4月7日に、授業を始めている。
 5日が始業式であるので、3日目にもう授業を始めているのである。
 私なら「えっ~~」となるところである。

 私は「学級づくり」というのだが、とりあえず1週間で学級の仕組みを作らなければならない。
 子供たちが朝来てから帰るまでの「教室の一日」を構成する仕組みである。
 
 これを優先して行わなければならない。
 今は、この「学級づくり」を優先して行わなければ、クラスはスムーズに動いていかないのである。
 最優先課題である。

 ところが、この初任者は、ほとんど何もその仕組みづくりをやらないままに授業だけは始めている。

 「学級づくり」が必要だという意識がまったくない。

 でも、考えてみれば、大学では「学級づくり」が必要だという発想を何も学んできていない初任者は、こうする以外にないのではないかと思ってしまう。

 何としても授業だけは早く始めなければいけないと、なっているのである。
 しかも、授業の最初は、「学習規律」から入っていかなくてはならないが、そんなことはまったく想定されていない。
 ★
 K先生が、28日までに書かれたレポートを読み、ここから何が読み取れるか。
 それを今まとめているところである。
 
 まとめたら、初任者指導の関係の先生方へ送付したいと考えている。
 初任者の現状と、何をなさなければいけないかが、現実の初任者指導とかなりずれている。
 
  この認識を担当者に持ってもらわなければ、初任者のクラスが荒れて、初任者が辞めていく事態を押しとどめることはできないのである。
 
 
 

 

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