もうすぐ新学期。
また、新しい気持ちでの出発である。
この時期にいつも私は書いていることがある。
「国誉め」という神事のこと。
なんだ、なんだ、ということになる。
この神事は、古代、ある国に任命された役人が最初にやった仕事である。
どこかの国に任命されて、その国に最初に行って何をやるかというと、そこの国がどんなに素晴らしいかを褒め称えること。
その行為が、神事であったらしい。
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先生たちも、異動して新しい学校へ行く。
その学校に1週間ぐらい過ごしていると、嫌なところ、おかしいところ、うんざりするところ、などなどに気付く。
そこで、新しくきた先生たちと更衣室などで「おかしいよね!」と囁きあう。
普通の光景。
誰でもが、だいたいこうなる。
人は、今までの経験や習慣を前提に、新しい経験を見てしまう。どうしてもそうなる。そこで違和感を覚える。
これは実はとても危険なことである。
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今までのことが「善」であり、目の前のことが「駄目」だとするのは、狭い認識にしか過ぎない。
自分が今まで「慣れてきた」ということにしかすぎないのだから。
古代の「国誉め」という神事は、ここが分かっていたのである。
だから、異動した先生方は、まず自分の今までの経験は括弧にくくって、自分の中に収め、新しい学校で新しい経験に触れなくてはならない(本当にダメな部分は、いずれ改革をしていくこととして考えればいい)。
子供たちにも、先生方にも、意識して「国誉め」をするのである。
一気に、受け入れてもらえることになる。
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異動していくことで、もう1つ危険なことがある。
高学年担任をさせられること。
今までの学校で高学年担任の経験があれば、決まって次の異動先では(小学校の場合だが)高学年担任になせられる。
最近は、普通になっている。
30年、40年前の学校は、こんなことはありえなかった。異動してくる先生を、高学年担任にすることはありえなかった。それは学校の常識。
ところが、最近は、特に荒れている学年の担任を、その学校の先生たちは持ちたがらない。だから、困った校長は、異動してきた先生を当てざるをえない。
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今までの学校で、高学年担任をして学校を背負ってきた先生である。自信がある。自他共に力量があると認められてきている。
だから、異動先の荒れた学校で、自信があるから、「よし、徹底的に鍛えてやろう!」と縦糸をびんびんに張ろうとするわけである。
今、最も危険なのは、これらの自他共に認められている自信家の先生たちである。
こんなことをやれば、やんちゃたちの反発は目に見えている。そのうちに、学級が動かなくなり、いずれ学級崩壊になっていく。
私は、そんな先生を数多く見てきた。
鬱病になり、辞めていく。
自信があったために、なおそうなるのである。
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何がダメなのか。
自分の力量に対する過信。
今まで身に付けてきた力量では通じないことが出てきていることを分かっていない。
失敗するのは、特に「関係づくり」。
最初は、縦糸をびんびんに張ろうとしてはならない。
普通は、縦糸:横糸は、3:7の割合で張っていくことが必要。
これは、こういう「気持ち」で張ろうということ。
ところが、縦糸張りを強烈にするために、7:3や8:2ぐらいにしてしまう。
最初は、子供たちも教師に従っているフリをするが、だんだん崩れていく(いや、意図的に崩されていく)。
荒れているクラスを受け持った時に必要なのは、まず様子を見なくてはならないこと。どんな形で子供たちは出てくるのか、特にやんちゃたちがどんな行動を取ってくるのかを見なくてはならない。
もちろん、その間にしっかりと「クラスの仕組み」(縦糸を整えているのだが)を作ってはいるのだが……。
縦糸:横糸=2:8ぐらいの「気持ち」で、子供たちに接した方がいい。
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どんな横糸を張ればいいか。
子供たちと数多く遊び、子供たちと簡単なゲームをしたりして「笑い」を起こし、子供たちのちょっとした「行為」を誉め、認め、励ましていくことを数多く行う。私はフォローと言う。
横糸の初級編「AWFの原則」と言っている。
A…遊ぶ
W…笑う
F…フォロー
この3つを徹底的に行う。
「笑い」を起こすことが苦手な先生には、中村健一先生の本を紹介している。ゲームの本。
『73のネタ大放出』(黎明書房)
「フォロー」をするためには、このくらいは常時日々の活動や授業で使えなければならないという形で「SWIM話法」というのを提起している。
S…すばらしい、すごい、さすが、その調子
W…わかる、うまい
I…いいね
M…みごとだね
きちんとした「事実」に対してフォローは加えるのである。得てして、出てきていない「事実」に対しても、さかんに口先だけのフォローを加えたりする先生がいる。子供たちからすぐに見抜かれる。
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さあ、出発である。
この1年間の健闘を祈りたい。
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