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つれづれなるままに~あけましておめでとうございます~

●明けましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。
 
 1日から穏やかな天候に恵まれ、ゆったりとした正月を迎えている。
 
 2日,3日は、箱根駅伝に一喜一憂。
 私は早大びいきなので、その応援。
 
 往路は、青学をもう一歩まで追い詰めたが、復路は残念。
 やはり、層の厚さの違いになる。
 
 正月3が日は、新年会などで終わってしまった。
 4日から本格的に仕事開始。

●知り合いのY先生からメールで新年の挨拶をもらった。
 昨年定年退職をされている。
 
  ★ ★ ★
 …………
 教育の現場はかなり深刻な状況だと思います。
私が退職した後の学校では、崩壊したクラスが出ました。
私も退職後2度ほど学校に行きましたが、担任が病休に入るほどのひどさでした。
現場には、野中先生のような方の指導やアドバイスが絶対必要です。
どうか体調を崩されぬよう気をつけられて、一人でも多くの教師を助けてください。
 ★ ★ ★
 このように綴られていた。
 地方都市でも、こういう事態が進んでいる。
 ★
 これから教師たちは、いかに「自衛」していくかが問われてくる。
 何を自衛するか。
 それは、「自分」であり、「家庭」である。

 学校の体制のなかで、真面目にがんばっていくと、「自分」がやられる。ぼろぼろに疲弊していく。
 病気になり、鬱病になる。
 まともな「家庭生活」を営めなくなる。

 どうするか。
 
 退却を始めなくてはならない。
 引き下がっていかなくてはならない。
 仕事は「引き算発想」をしなくてはならない。
 もちろん、地域にもよるし、学校事情なども異なるので、一概には言えない。
 ★
 だが、これだけはしっかりとしなければいけないことがある。

 ①クラスをきちんと成立させること。
 ②日頃の授業をしっかりと成立させること。
 ③保護者からの評価、支援を得ること。

 あとはテキトウに、自分の力量の幅で行う。
 しかも、目立たないようにフツウに。

 だが、この3つが今一番危うくなっているのだと、…。
 だがだが、ここはどうしても譲れない教師の「肝」ではないか。
 ここだけはテキトウに、イイカゲンにはできないことである。
 教師として生きられるか生きられないかの問題になる。

●人が幸せを感じるのは、今日という一日が心豊かに過ごせるかどうかではないか。 
  刹那的と思われるかも知れないが、いつもこのことを思う。
 
 そんなに大きな夢を持たなくてもいい。
 そんなにおいしい物を飲んだり、食べたりしなくてもいい。
 そんなに、そんなに……。

 そんなに大きな心配事がなくて、今日という日を安穏に過ごし、それが明日にもつながっていく。
 それで十分ではないか。

 いわゆる「日常」の心豊かさ。
 
 しかし、これは自然に訪れるものではなくて、意図的な志がなければいけないことに、気づいていけるかどうか。

●今年の7月に『日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業 算数編』(明治図書)を出版する。
 
 かなり思い切った提案である。

 短時間で教材研究(私たちは授業準備と言っているが)をし、しかも子供たちの基礎・基本の学力はきちんとつけようというもの。

 今、疲弊していく、教師たちを支えていくのは、「日常授業」であると、私たちは思っている。
  日頃の授業が、手応えがあり、子供たちが乗ってくれる授業だと、何よりも教師である自分が救われる。

 手応えがあるというのは、別におもしろく、楽しい授業をしようというのではない。そんな授業を毎日することはできない。
 そうではなく、いつのまにか子供たちが集中してくれる授業。子供たちが「フツウに楽しい」と言ってくれる授業である。

 最後の防御堤は、「日常授業」の手応えだと、私たちは思っている。
 このことが、教師としての「日常」を豊かにすることだと。
 
●1月10日に、北海道北見へ行く。
 私の仕事始めである。
 その講座の準備を始める。
 
 今年もこうして始まる。

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