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土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』を読んで

  タイムリーなことである。

 期せずして、料理家の土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)が出版される。

 「食は日常」というはじめで、「この本は、お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んで欲しいのです」という書き出しをされている。

 ★ ★ ★
 だれもが心身ともに健康でありたいと思います。一人の力では大きなことはできませんが、少なくとも自分を守るというのが、「一汁一菜でよいという提案」です。

 暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
 それには、一汁一菜です。ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。
 ★ ★ ★
 読みながら、納得することばかり。
 私たちが提案した「味噌汁・ご飯」授業と通じるところがいっぱいあって感激する。

 また、このようにも書いてある。

 ★ ★ ★
 日本には、「ハレ」と「ケ」という概念があります。ハレは特別な状態、祭り事。ケは日常です。日常の家庭料理は、いわばケの食事なのです。手間を掛けないでよいそのケの料理に対して、ハレにはハレの料理があります。そもそも、両者の違いは「人間のために作る料理」と「神様のために作るお料理」という区別です。それは考え方も作り方も正反対になるものです。
 ★ ★ ★
 まさしく、私たちが提案した「味噌汁・ご飯」授業と「ごちそう授業」の違いが浮かんでくるはずである。
  ★
 私たちが「味噌汁・ご飯」授業としての「日常授業」の改善を提起しているときに、料理界ではこうして土井善晴さんが、「一汁一菜」として日常の家庭料理を提案されている。

 これは何かなのだと、私は考えてしまう。

 ★
 日本の「授業研究」は、今までずっと「ごちそう授業」を追求してきた。
 それは、日本全国の学校で「研究授業」として具現化されていたはずである。
 1,2時間の研究授業で、日頃やっていない授業を作り出して、それを互いに検討し合う。
 
 そして、その研究授業が終わったら、また違う日頃の授業に戻っていく。
 
 研究授業は、多くの時間をかけ、多くの手間をかけ、素晴らしいと思える授業を作ろうとする。
 しかし、日頃の「日常授業」は、指導書を斜め読みしたぐらいのお粗末な授業。
 それが多くの教師たちの「日常」である。

 このことで、何が変わったのか。
 私たちは何も変わらなかったと言い切っている。

 当たり前ではないか。
 1,2時間の研究授業にどんなに精力的に力を注いでも、1000時間以上の「日常授業」は、お粗末なままだからである。
 
 だから、教師の授業力も、子供たちの学力も上がることはなかった。そう言い切っている。
 ★
 「ごちそう授業」を否定しているわけではない。
 1年に数回は取り組んだ方がいい。そのことで、教材分析の仕方や指導方法などの向上につながる。間違いない。

 だが、「日常授業」には、そんな時間はない。
 
 私たちは、むしろこの「日常授業」をこそ、改善していくことが必要であると強調している。
 土井善晴さんが提起している「一汁一菜」の、そんな授業を作り上げるべきだと考えている。

 時間はない。だから、私たちは「教材研究」ではなく、「授業準備」の時間として、短い時間を考えている。

 だから、「ごちそう授業」と、「日常授業」は、考え方も作り方も違ってくるのである。
 これは、土井さんもハレとケの概念で強調されている。
 ★
 そうすると、「『研究授業』で『ごちそう授業』をやり、『日常授業』はそれなりにやることでいいじゃないですか?」と言われる先生がいる。
 「こんなに忙しいのに、『日常授業』にまで手を出していくのはしんどいことです」と。

 ここには、毎日「ごちそう授業」をやらなければならないという思いがある。
 「ごちそう授業」と「日常授業」がごちゃまぜになっているのである。

 私たちは、そんな提案はしていない。
 ★
 教師が一番豊かになるのは、「日常授業」がうまくいったときである。
 毎日毎日行う授業の中で、子供たちが集中して取り組み、満足した顔つきをしている時、教師は一番豊かになる。

 ここへ帰って行くことである。
 
 繰り返しになるが、土井さんの言葉を引けば次のことなのである。
  ★ ★ ★
 暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムを作ることだと思います。その柱となるのが食事です。一日、一日、必ず自分がコントロールしているところへ帰ってくることです。
  ★ ★ ★
 教師は、これが食事ではなく、授業だということである。

 ★
 私たちは、学校で行う研究授業は、「ごちそう授業」の追求ではなく、先生たちが毎日行っている「日常授業」の改善として追求すべきだと考えている。

 テーマは、「日常授業」の改善。
 これでいいのである。

 日頃やっている授業に、少し工夫を凝らして提案し合う。
 そして、互いに検討し、明日の授業につながる話し合いにしていく。

 日頃できないことをしない。
 べたべたと貼り紙をする授業。
 教室中に張り巡らした模造紙。
 こんなことは日頃しないし、できない。

 そうすると、これはもう「研究」ではなく、「研修」になっていく。
 一学校で、「研究」なんかどだい無理な試みである。

 私たちは、そういう原点に戻っていくべきだと、考えている。 
 
 

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