横浜いじめ事件、その後②。
以下のようなコメントが載った。ありがとうございます。 現場がどうなっているのか、よく分かる内容である。
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30代の小学校教諭です。私が勤めている県でも,生徒が自殺しました。第3者委員会は,現場に指導をしました。しかし,いくら指導をしても子どもたちの事を考える時間が足りないのだろうと私は思いました。
以前勤めていた学校では,「足し算」方式でした。管理職が,どんどんどんどん「足し算」にしていくのです。一回始めると辞められないのです。その行事や取組について反省をする時間がないからです。一方で,「超過勤務しているから,気をつけなさい。」と多くの職員に言うのです。時間内で終わらない仕事をどんどん増やしていきます。「時間内で終わらない仕事」を命じることもパワハラだなと思います。管理職も,直接的なパワハラはしないケースが多いなと思います。(職員から訴えられてはいけないため。)しかし,「仕事をどんどん増やす」という間接的なパワハラがとても増えています。「ひき算」にしていかなければ,悲しい事件も増えると思います。子どもの問題に目を向ける時間も少なくなると思います。「ひき算」が必要なことに気づいていない若手の教員も多くいます。どちらでもいいじゃんと考えているベテラン教員もいます。私は野中先生の本をよく読んで共感していますが,なかなか現場の意識が統一しません…。
投稿: ある教師
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横浜のいじめ事件で、学校の対応が少しずつ明らかになっている。
学校は、まったくのしらんふりをしたわけではない。
対応していたわけである。
この子は、150万ほどの金を持ち出して、10人ほどにあげていた(おごってもらったと子供たちは言っている)。学校は8万ほどの金しか把握していなかったという。
そして、これは「いじめではない」と判断する。
こういう判断をした方が面倒ではなかったわけである。
他にもやらなければならないことは、たくさんある。
このことにいつまでもかかわっているわけにはいかない。
多分、そのような判断をどこかでした、と推測される。
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教師が疲弊し、ぼろぼろになる。
目の前の蠅を追うということしかできなくなる。
多くの教師を襲っている現象が、ここにある。
そうなったときに、どういうことになるのか。
教師を支えている「心根」が亡くなっていく。
教師は、子供たちの成長を自分の喜びとしていく職業である。
こういう感性があるから、どんなに忙しくても自分を保っていける。
しかし、亡くなっていくとき、どの仕事も一律の「目の前の蠅」になる。
そうなったとき、早く一つ一つ済ませたいということしか思わなくなる。
きっとそうなる。
いじめ対策も、部活指導も、生徒指導も、教材研究も、相談業務も、……その1つ、と。
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目の前の子供に「いじめ」の危機が忍び寄っていると思うとき、何としても守り抜かなくてはならないと身構える。
こういう感性が亡くなる。
ほんとうなら教師の辞めどきである。
でも、教師を職業としている現在、事はそんな簡単に済ませられない。
だからこそ、教師の感性を亡くしてはならないのである。
踏みとどまらなくてはならない。
しかし、亡くしていく教師は、自分が亡くなっていることに気づかない。それが恐ろしい。
どうしたらいいのか。
かつて義母は、女房が教師になるときに言った。
「子供の声がうるさく聞こえるようになったときは、もう教師をやめんばいかん!」と。
尊敬する義母の助言の1つ。
今、この通りにすると、辞める教師が続出して、日本の学校教育は成り立たなくなるのだが(苦笑)……。
しかし、この助言は、子供を丸ごと包み込む教師の懐の広さを言っている。
教師はどういう感性を持たなくてはならないかを問うている。
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私たちは、今算数の「味噌汁・ご飯」授業を作っている。
目標の1つに、単元テストの平均を80点~90点にしようというのがある。
そして、もう1つの目標が、クラスにいる低学力児をなんとかして引き上げる試み。
10点、20点、30点しかテストで取れないのを、50点、60点、70点に引き上げていく。
かつてのかつて、この低学力児は、「落ちこぼれ」「落ちこぼし」と言って、何とかしなければいけない存在として多くの教師たちが意識して取り組んだ存在であった。
今は、ほとんど意識されていない。
学校現場は、もうそんなことを考える段階にはない。
低学力児がいなくなったわけではない。
野放しになっているだけである。
教師たちは、そんな子供たちに関わっている余裕はなく、ただ日々を送っていくだけで精一杯。
しかし、私たちはそこに切り込んでいる。
★
平均点が90点以上を連発する教師がいる。
もちろん、低学力児が何人もいたのだが、いつのまにか引き上げている。
低学力児が何人もいて悪戦苦闘しながら、やっとクラスの平均点を48点(50点満点)に引き上げてきた教師もいる。
もちろん、クラスの状況によってそんな簡単な課題ではないが、こんな教師たちが、続々と出てきている。
「何だ!点数主義じゃないか!」と思われるかも知れない。
しかし、この一連の悪戦苦闘の中で、確実に低学力児だった子供が、60点、70点、80点を取っていく。
あるいは、90点以上を連発する子供までも出てくる。
この時の、その子供の喜びが分かるだろうか。
「見違えるように勉強するようになりました!」
「やっとうちの子供は出発点に立てました!」
「先生、どうぞがんばってください!」という保護者の支援の声が出てくる。
その子供の人生を変えたかも知れないのである。
私たちは、こういう場にいようと思っている。
子供の喜びが、自分の喜びになる。
こういう仕事をするのが、本来の教師である。
繰り返したい。
教師は、子供の成長を自分の喜びとしていく職業である。
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