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アクティブ・ラーニングは危険である!

  本屋の教育書のところへ行く。

 アクティブ・ラーニングの本が、数多く並べられている。
 
  今回の学習指導要領が、アクティブラーニングが中心になると言われているので、そうなっている。
 ★
 この光景は、かつて26,7年前の「新学力観」が文科省から提起されたときと同じである。
 総合が導入されたときである。
 このあと、ゆとり教育と名付けられた教育が始まる。
 
 「指導するな、支援をすること」
 「子供たちの個性を大切に。できないのも個性」
 このような言葉が一人歩きする。

 漢字学習がいい加減になる。
 基礎的な計算(繰り上がり、繰り下がり、かけ算九九など)を嫌がる子供は無理に教える必要はない。
 教え込みをしてはならない。
  支援だ、支援だ。

 私は、その様子を始まりから終わりまで全部見てきた。
 失敗したのである。
 
 このあと、基礎計算ができない、まともに読み書きができないという子供たちがぞろぞろ続出する。いわゆる低学力児の続出である。

 私は、この時がアクティブラーニングの1回戦だったと思っている。
 今度は2回戦。
 ★
 『アクティブ・ラーニングを考える』(東洋館出版社)という本を読む。
 中教審の委員、文科省の中心メンバーなどいわゆる有識者といわれる人たちが書いた本。
 
 文科省側は、今アクティブ・ラーニングが一人歩きしていることに憂慮している。そのような噂を聞いたことがある。
 だから、このような本を出さなければならなかったんだと、納得する。

 文部科学省初等中等教育局教育課程課長の合田哲雄さんがこの本の中で、「今、なぜ『アクティブ・ラーニング』か」を書いている。
 この人は、今回の学習指導要領作成の中心になっている人であろう。
 ★ ★ ★
 このように資質・能力を育むことを重視しているからこそ一層大事になるのが「どのように学ぶのか」であり、今回の
学習指導要領改訂において、子供たちの学びを「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」という授業改善の視点として捉え直し、さらなる改善を進めようとしている理由もここにある。
 ★
 この主体的・対話的で深い学びにとって大事なのは、対話、グループ学習、討論といった外形ではなく、授業において子供たちがアクティブ・ラーナーになっているかどうかであろう。
 ★
 クラスにおいて、ただ座っているだけの「お客さん」が一人もいない授業、全ての子供がそれぞれの観点や力量に応じて集中して考え、取り組んでいる授業にいかにするか。
 ★
 このように子供たちがアクティブ・ラーナーとなるためには、教師自身が教職のプロとしてアクティブ・ラーナーになることが求められる。その意味では、「アクティブ・ラーニング、これをすれば絶対大丈夫」「アクティブ・ラーニング、これ以外にない」という「型」にとらわれて授業をすることはむしろ主体的・対話的で深い学びの対極で、このような特定の型を表面的に整える指導は、パッシブ(受け身の)・ラーナーによる授業の典型と言えよう。
 ★ 
 基礎的・基本的な知識が十分でない子供たちをアクティブ・ラーナーにするために、知識の習得を優先させることが「教え込み」に見えるから、アクティブ・ラーニングの視点に立った授業改善が十分でないと判断するのは誤りである。
 ★ ★ ★
 これくらいでいいであろう。
 ずいぶん、これから学校現場でやろうとされていることと違うことを主張されている。
 
 合田さんの書かれていることを、私なりにまとめると次のことになる。

 ①今回の学習指導要領改訂の目玉は、子供たちの学びを「主  体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」と  いう授業改善の視点で捉えることである。
 
②主体的・対話的で深い学びにとって大事なのは、対話、  グループ学習、討論といった外形ではなく、授業におい  て子供たちがアクティブ・ラーナーになっているかどう  かになる。
 
③この授業は、クラスで座っているだけの「お客さん」が  いない全員参加の授業にすること。
 
④何かのアクティブ・ラーニングの「型」を設定して取り  組むことは、主体的・対話的で深い学びの対極である。
 
⑤基礎基本ができていない子供たちには、きちんと習得の  授業をしなければならない。
 ★
 予言しておいてもいいが、学校現場は、合田さんがここで言われていることと真逆のことをやろうとする。
 公開の研究授業では、それなりのことをやろうとする。
 つまり、対話やグループ学習や討論などをやろうとする。
 
 だが、一旦研究授業が終われば、それとは反対にほとんど「教え込み」に近い授業をする。
 そうしなれば、勉強は終わらないからである。
 
 26,7年前の新学力観のときも、そうであった。
 ほとんどがこのように流れた。
  私は、それは二枚舌の研究ではないかと指摘したが、同情的に言っただけである。
 多くの教師たちは、そうせざるを得なかったからである。
 今回も、それが起こる。
 ★
 先ほどの本を書いた有識者の人たちの指摘に、反対しているわけではない。切羽詰まった思いがあることはよく分かる。
 だから、今回は大学入試を改革していこうとしている。

 だが、1つだけ問題なのは、多くの教師たちは、この方向を担えませんよということである。
 考えていることと、現実の現場には大きな断絶がある。
 
 このままアクティブ・ラーニングを進めていけば、ますます学級崩壊は進み、学力も身に付かない。

 考えてみてほしい。
 今だって、都市圏を中心にする多くの教師たちは、普通の教室を存続するだけでもへとへとになっているのである。
 そんな教室に、対話やグループ学習や討論などをやろうとして、どうなるのか。

 砂上の楼閣を打ち立てようとしている。
 私には、そのように思えて仕方がない。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

3年目のKです。いつもブログや先生の著書を読ませて頂いています。ありがとうございます。

書店に行くと、アクティブ・ラーニングを謳った本がずらり。しかも目を引くような表紙やタイトルばかりです。流行ですね。きちんと解説した本もあるのでしょうが、自分が読んだ本は「それって先生の存在意義無いよね?」とツッコミたくなるような内容でした。「アクティブ・ラーニングが先生を救う」というよなことまで。これも資本主義なんでしょうか。とにかく現場が振り回されないか心配です。

投稿: K | 2016年10月26日 (水) 21時44分

同感です。
現場を離れた管理職や指導主事は「アクティブラーニング」を求めてきます。
授業の流れを聞くとぞっとします。
確かに子どもたちが自ら動き、協力して問題を解き、まとめていくことは大切です。
しかし、その型だけを求めていると①対人関係が苦手な子への不満②基礎基本ができない子への不満 これらの2点はかなり大きな問題となってくると思います。きっとその子たちは授業が楽しくなくなると思います。学校が嫌いになってくるでしょう。
また、アクティブラーニングの模範授業を見ますと、すべての学年、単元、時間で行えるとは思いません。
ということはアクティブラーニング用の単元が出てきて、研究授業用の授業になってしまうと思います。

また、研究熱心な先生だとアクティブラーニングに対応できない子は叱責の対象となってしまいます。対人関係が苦手な子、基礎基本が定着してない子、もしそれが自分だったら・・・ぞっとします。

アクティブラーニングも結局は学力向上だけを求め、結局、日々の授業は変わらないと思います。

投稿: KKK | 2016年10月27日 (木) 16時34分

はじめまして。アクティブラーニング、主体的な学び、課題発見・解決学習や観点別評価など、色々盛り上がっています。
今、そのためのシステム構築や書類が増えていく傾向にあります。
このような視点の授業計画ができていたか、本時の授業はその視点を取り入れていたか、ひたすら紙面にチェックして書類を整えていきます。書類は形として残りますから。
もちろん、全てを批判するつもりはありません。大事な観点です。
でも、書類を作る時間があるならば、授業準備をしたいです。
教師が授業に向き合わなくて、どうして授業の質が上がるのでしょうか。
真面目な先生ほど、時間を割いて真面目に書類に向き合います。時間ロスです。毎回、綺麗な書類を作る必要はあるのでしょうか。頭の中で整理したのでは、形として残らないからダメなのでしょうか。
一方、要領のいい人、面倒臭く感じる人は適当に記入します。空気を読んで、「できた」ことにしてみたり(笑)。
こんな書類やアンケートに何の価値があるのか分かりません。嘘八百書いてもバレませんよね。自分主観のみで書く書類ですから。
こんなアンケートや書類ばかり整えて、「うちは、こんなに職員の意識は高く、組織的に授業改善してます。」と言えるのでしょうか。
毎年様式を見直して、書類の観点が細かくなっていきます。

真面目な先生が目の前で潰れてていく姿を見るのが辛い。
システムばかりに目を向けて、どうして授業づくりができるのでしょうか。

トレンドのキーワードなんかじゃなく、いい格好することじゃなく、オリジナリティ溢れるシステムや御立派な書類作りや研修をするのではなく、
ただただ、子どもに向き合って、授業作りをして、日々、子どもが「できた!」姿を嬉しく思い、時には「次は楽しい授業にしてやるぞ!」「どうやったら、やりたいって思えるかな~。こうかな~?」と考えたりする時間が欲しい。そして、保護者に、些細な変化を伝えて、子どもの変容を共有したい。そんな当たり前のことに向き合いたい。
それだけです。

投稿: mi | 2016年10月28日 (金) 00時32分

はじめまして。書店で先生の著書を拝見し、ここへたどり着きました。
私は今年度から小学校で講師として働いています。
来月末に研究授業を控えているのですが、毎週のように行事があり、もう無理だろうなと思います。
子どものことを考えろと言われても仕方ありませんが、もう学校へ行きたくありません。

私のクラスは僻地の少人数学級です。
軽度知的の特別支援児童がいるので、特別支援の先生も教室にずっといます。
この先生の授業態度が非常に悪く、頬杖、ため息、背もたれに腕を掛けて足を投げ出す、やれやれといった仕草をすぐにする、一学期には「時間の無駄」と授業中に吐き捨てられたこともありました。
さらに他の教員に私がいかにできていないかを逐一報告します。
校長に助けを求めても、話し合って解決しろ、他の教員もあなたを心配している、相談しろ、と言われるだけです。
陰口を吹き込まれている相手に何を相談できましょう。
遠巻きに見ているだけの人が心配してくれているから一体何だというんでしょう。

一年目で授業が下手なことは自覚しています。
書店で本を探し、自分なりに授業の質を上げようと努力はしています。
しかし、その授業を見るのは数少ない子どもと、意地の悪い特別支援だけです。
学校行事では学年で決まっているからとまとめ役をあてられ、分からないことを聞こうにもたらい回しをされ、できないことを叩かれ、あとで申しわけ程度に一年目だからわからないよね、と慰められ。

研究授業や職員研修もしていますが、誰も、何のためにやっているのかわからないような状態です。

一度担任を受け持った責任と、採用試験のために経歴をつけないようにという思いだけで毎日を過ごしています。
早く4月になって、この学校から離れたいという思いで一杯です。

味噌汁ご飯授業の研究会や勉強会は今はされていないのでしょうか?
もしされているのであれば、ぜひ参加させていただきたいです。

投稿: はらぐろ | 2016年10月29日 (土) 18時07分

はらぐろさん

大変ですね。
そういうクレームおばさんはたとえ授業がうまくなっても批判してきます。自分より若い人が中心となってクラスを進めていることが気に食わないのです。
あなたのことが嫌いで、何をしてもダメです。
はっきり言って1年耐えるしかないです。
校長も使えませんね。

1人じゃ倒れますので、職員室で仲間を見つけてください。
気のいいおじさんや気のいいおばさん、冗談を言い合える若手はいませんか?
おそらくその性格の悪さだと職員室でも陰では嫌われていると思います。
仲間を見つけて、一緒に愚痴って、こっちを多数派にしてしまいましょう。
若手は肩身は狭いですが、がんばりましょう!

投稿: KKK | 2016年11月 1日 (火) 16時43分

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