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2016年10月

アクティブ・ラーニングは危険である!

  本屋の教育書のところへ行く。

 アクティブ・ラーニングの本が、数多く並べられている。
 
  今回の学習指導要領が、アクティブラーニングが中心になると言われているので、そうなっている。
 ★
 この光景は、かつて26,7年前の「新学力観」が文科省から提起されたときと同じである。
 総合が導入されたときである。
 このあと、ゆとり教育と名付けられた教育が始まる。
 
 「指導するな、支援をすること」
 「子供たちの個性を大切に。できないのも個性」
 このような言葉が一人歩きする。

 漢字学習がいい加減になる。
 基礎的な計算(繰り上がり、繰り下がり、かけ算九九など)を嫌がる子供は無理に教える必要はない。
 教え込みをしてはならない。
  支援だ、支援だ。

 私は、その様子を始まりから終わりまで全部見てきた。
 失敗したのである。
 
 このあと、基礎計算ができない、まともに読み書きができないという子供たちがぞろぞろ続出する。いわゆる低学力児の続出である。

 私は、この時がアクティブラーニングの1回戦だったと思っている。
 今度は2回戦。
 ★
 『アクティブ・ラーニングを考える』(東洋館出版社)という本を読む。
 中教審の委員、文科省の中心メンバーなどいわゆる有識者といわれる人たちが書いた本。
 
 文科省側は、今アクティブ・ラーニングが一人歩きしていることに憂慮している。そのような噂を聞いたことがある。
 だから、このような本を出さなければならなかったんだと、納得する。

 文部科学省初等中等教育局教育課程課長の合田哲雄さんがこの本の中で、「今、なぜ『アクティブ・ラーニング』か」を書いている。
 この人は、今回の学習指導要領作成の中心になっている人であろう。
 ★ ★ ★
 このように資質・能力を育むことを重視しているからこそ一層大事になるのが「どのように学ぶのか」であり、今回の
学習指導要領改訂において、子供たちの学びを「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」という授業改善の視点として捉え直し、さらなる改善を進めようとしている理由もここにある。
 ★
 この主体的・対話的で深い学びにとって大事なのは、対話、グループ学習、討論といった外形ではなく、授業において子供たちがアクティブ・ラーナーになっているかどうかであろう。
 ★
 クラスにおいて、ただ座っているだけの「お客さん」が一人もいない授業、全ての子供がそれぞれの観点や力量に応じて集中して考え、取り組んでいる授業にいかにするか。
 ★
 このように子供たちがアクティブ・ラーナーとなるためには、教師自身が教職のプロとしてアクティブ・ラーナーになることが求められる。その意味では、「アクティブ・ラーニング、これをすれば絶対大丈夫」「アクティブ・ラーニング、これ以外にない」という「型」にとらわれて授業をすることはむしろ主体的・対話的で深い学びの対極で、このような特定の型を表面的に整える指導は、パッシブ(受け身の)・ラーナーによる授業の典型と言えよう。
 ★ 
 基礎的・基本的な知識が十分でない子供たちをアクティブ・ラーナーにするために、知識の習得を優先させることが「教え込み」に見えるから、アクティブ・ラーニングの視点に立った授業改善が十分でないと判断するのは誤りである。
 ★ ★ ★
 これくらいでいいであろう。
 ずいぶん、これから学校現場でやろうとされていることと違うことを主張されている。
 
 合田さんの書かれていることを、私なりにまとめると次のことになる。

 ①今回の学習指導要領改訂の目玉は、子供たちの学びを「主  体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」と  いう授業改善の視点で捉えることである。
 
②主体的・対話的で深い学びにとって大事なのは、対話、  グループ学習、討論といった外形ではなく、授業におい  て子供たちがアクティブ・ラーナーになっているかどう  かになる。
 
③この授業は、クラスで座っているだけの「お客さん」が  いない全員参加の授業にすること。
 
④何かのアクティブ・ラーニングの「型」を設定して取り  組むことは、主体的・対話的で深い学びの対極である。
 
⑤基礎基本ができていない子供たちには、きちんと習得の  授業をしなければならない。
 ★
 予言しておいてもいいが、学校現場は、合田さんがここで言われていることと真逆のことをやろうとする。
 公開の研究授業では、それなりのことをやろうとする。
 つまり、対話やグループ学習や討論などをやろうとする。
 
 だが、一旦研究授業が終われば、それとは反対にほとんど「教え込み」に近い授業をする。
 そうしなれば、勉強は終わらないからである。
 
 26,7年前の新学力観のときも、そうであった。
 ほとんどがこのように流れた。
  私は、それは二枚舌の研究ではないかと指摘したが、同情的に言っただけである。
 多くの教師たちは、そうせざるを得なかったからである。
 今回も、それが起こる。
 ★
 先ほどの本を書いた有識者の人たちの指摘に、反対しているわけではない。切羽詰まった思いがあることはよく分かる。
 だから、今回は大学入試を改革していこうとしている。

 だが、1つだけ問題なのは、多くの教師たちは、この方向を担えませんよということである。
 考えていることと、現実の現場には大きな断絶がある。
 
 このままアクティブ・ラーニングを進めていけば、ますます学級崩壊は進み、学力も身に付かない。

 考えてみてほしい。
 今だって、都市圏を中心にする多くの教師たちは、普通の教室を存続するだけでもへとへとになっているのである。
 そんな教室に、対話やグループ学習や討論などをやろうとして、どうなるのか。

 砂上の楼閣を打ち立てようとしている。
 私には、そのように思えて仕方がない。

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邪馬台国先生へ答えます!

  以下のような相談が舞い込みました。

 
  方々で荒れている学校の様子を聞くにつれて、「日本の教育はこれからどうなるのだろうか?」という思いをさらに深く感じます。
 
 ★ ★ ★
野中先生はじめまして。
ある学校で担任ではなく少人数を担当しているのですが、その一つのクラスが荒れに荒れています。
具体的には、
担任の話を聞かないだけではなく、
担任にクソババア、呼び捨て、「学級崩壊させてやろうか」などの暴言
クラス内でターゲットが変わり続けるいじめ(リーダーがいてその子に逆らえない)
行事の決め事などですぐ揉める、盛り上がるべき部分や応援など全くやらない
時間を守らない
など燦燦たる状況です。
今年から務めているのですが、こんなに荒れている学校は初めてです。

実はこのクラスだけではなく5・6年全体が荒れています。

原因としては、学校全体として諦めてほとんど指導をしない。運動会などでは応援しない子をほっておく、入学式などで在校生(もちろん朝会なども)などが騒いでもほっとく、トラブルがおきても対応が甘く、話もきかず、指導もほとんどせず、何度も同じような事件やトラブルが多発しています。そのため、高学年は上のクラスをはじめ、6年は先生に対して「帰れ」「死ね」などすごい状況です。

ただ、子ども達も人を選んでいるわけで、私はものすごく厳しく(あまりよくないですが、時には怒鳴ることもありましたが・・)指導してきたので、この先生には言っちゃ駄目だって感じではあります。しかし、学校内でただ一人外で遊ぶなど交流ももとうとしているのでただ恐れられていて子どもが黙っているという状態でもありません。

相談は
①問題のクラスに介入しようとするのですが、正直担任は介入してほしくないようです。ですが、端からみていると先生に死ねなど言っている状況やいじめの状況を放置できずに、腹立たしい気持です。ですが、担任じゃない自分が行ったときだけ静かにさせて、またいなくなって騒ぐ状態でも意味ないですし、どのように関わっていけばよいのでしょうか。

②ある授業で子どもに対して厳しい指導をした際に主任教諭がたまたま見ていて、職員室で相当私が怒鳴られました。もちろん厳しい言い方をしないで聞かせることができるならばそれがいいと思いますが、それが出来ていない状況(主任もなんどかんだで自分が怒鳴っている)で言われるのは納得いきません。というより、そういう厳しい指導が駄目な雰囲気さえあります。ですが、明らかにそのせいで荒れているのは明らかです。やはり、そんな学校からは離れるべきでしょうか。来年度希望すれば離れることができる立場では一応あります。
投稿: 邪馬台国
 ★ ★ ★

 結論から言います。
 ②についての回答は、他の学校へ異動するを勧めます。来年度希望すれば離れることができるということですので、それを勧めます。
 
 この学校は、これから落ち着いていく可能性がまったくありません。
 
  先生は、少人数指導という立場ですから、その学校に影響を与える立場ではなく、ますます窮地に陥っていく可能性があります。
 
  こういう学校を変えていくには、鉄則と筋道があります。
 たとえば、次のようなこと。

①森信三先生の提言を実践に移すことです。
 森先生は次のように言われています。
   ★ ★ ★
 時を守り
 場を清め
 礼を正す
 これ現実界における再建の三大原理にして、いかなる時・処にも当てはまるべし。
 ★ ★ ★
 荒れている学校は、必ずダメになっていることがあります。
 
  学校で決められている日課表が守られていなくて、『時間』がいい加減になっています。
 
  学校(教室)が汚くて、汚れています。さまざまな物が片付けられていません。
 
  挨拶言葉や関係言葉がいい加減で、守られていません。
 
  これを立て直していく必要があります。

②まず、何をするか。
 小学校の場合、まず高学年を落ち着かせていかなければ なりません。その学校の中で、すぐれた先生を担任にして 「チーム体制」で立て直していくことです。

③最近徐々に増えてきていますが、小学校も中学年以上は 教科担任制にしていくことです。担任はいますが、その1 人に全てを任せない体制を取っていくという方式です。

④これらを実践していくには、校長のリーダーシップが必要です。校長を中心とする中心メンバー(3名程度)がいて、そこが全体を動かしていくという体制です。

 ★
 ざっと書きましたが、こんな体制が「邪馬台国」先生のところでは取れそうにないでしょう。
 だから、ずっと荒れたままで推移していく可能性があります。学校崩壊状態ですね。
 
  今、その学校で先生だけが「厳しい」指導をされている。子供とも休み時間に遊んだりもされている。だから、子供たちも先生を認めているところがあるのでしょう。
 それしか今のところ方法がないのでしょうから。

 だが、その厳しい指導は、限界があります。
 今ばたばたと崩壊していくベテラン教師たちの教室は、厳しいだけの「縦糸の張りすぎ」の指導です。今までは、学校を背負ってきた教務主任たちの学級が壊れていっています。
 
 また、厳しい指導をしたクラスは何とかなったとしても、その後遺症がひどいのです。次の学年のクラスが荒れます。
そういう例が豊富にあります。
 
 だから、①についての私の回答ですが、「厳しい」スタンスを続けながら(今のところ、それしか方法がないでしょう)、「横糸」(通じ合い)を張り巡らせていくことを数多く取ることでしょう。
 
  その点で、休み時間に子供たちと遊ぶというのはいいですね。
 大変ですが、いつも子供たちのそばにいること。
 
  これを続けてください。
  きっと子供たちは、先生のことが分かってきますから。

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つれづれなるままに~教育新聞、読んでますよ~

  ●ボブディランがノーベル文学賞になった。

 「風に吹かれて」をすぐに思い出された方は多いと思う。
 
 私のブログ名も、このボブディランからもらったものだ。
 古くからの友人からも、わざわざメールをもらったほどである。思い出してもらったのである。
 
 「答えは風に吹かれている」というフレーズがとても気に入っている。
 ボブディランと連絡が取れないらしい。
 
 文学賞を断るかも知れないのだ。
 まさにボブらしいではないか。

●土曜日の9:00からNHKで、土曜ドラマ「漱石の妻」を好んでみた。4回で終わってしまった。
 
 この番組は好評で、視聴率も高かったらしい。
 尾野真千子は、素晴らしい女優だなと、しみじみ思う。
 
 このドラマを見た人は、漱石に対する印象をかなり変えたのではないか。
 「ひどい旦那だったんだなあ!文学者ってあんなもんだなあ!」と。
 
 漱石のフアンとして、一言言っておかなくてはならない(笑)
 この番組は、漱石の奥さんの夏目鏡子さんの「漱石の思い出」から作られたものである。
 
 奥さんの視点からのもの。
 「悪妻」として評判の奥さんは、一言言っておきたかったに違いない。
 
 ただ、漱石は、自分が死んでから、奥さんから「ひどい旦那だった」と言われることを想定していた。
 だから、そのためにちゃんと残しておいた。
 
 『道草』である。
 この一書は、かなり貴重である。
 
 新潟の庭野先生との話で、22世紀まで残る文学者は、夏目漱石と太宰治ではないかという話になった。
 私は若い頃、漱石の小説をほとんど読んでいる。
 
 もう一度退職してから読み直そうと漱石全集を買ったほどである。倉庫に眠っている。
 もう一度読み直す時間があるのか、どうか。
 
●女房が、実家の法事で帰ったために、一人家事をこなした。
 
 朝起きて、朝食を作り、洗濯をし、干す。
 買い物に行き、昼食をし、雑事をこなす。
 その間に、自分の仕事を済ます。
 すぐに、洗濯物を取り込み、たたみ、片付ける。
 ばたばたしている間に、もう夕食の準備なのだ。
 
 こうして一日が過ぎていく。
 主婦の仕事の忙しさを、改めて感じる。

●教育新聞の連載原稿2つ書き上げる。
 11月号と12月号の2つ。
 「学級経営の基礎基本~縦糸と横糸のルール」である。

 それぞれ1200字。
 1つのテーマでしか書けない。

 夏に、講演でさまざまなところへ行ったが、何人もの校長先生から「読んでますよ」「先生たちにコピーして配布してます」と言われて、うれしかった。



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つれづれなるままに~良い結婚式だった~

●6日、新幹線で新神戸へ行く。

 7日の兵庫県三木市の初任者授業研修会のためである。
 三宮の駅の中にあるホテルに泊まる。
 
 初めて三宮に来たことになる。
 阪神大震災のことを思う。
 ★
 7日、9:20指導主事の先生に迎えに来てもらい、三木市に向かう。車で40分ぐらい。
 もう三木市には、7年も通っている。
 
 3時間目、初任のS先生の2年国語の授業。
 「どうぶつ園のじゅうい」の教材。
 1時間たっぷり、授業を見られるというのも久しぶりのこと。
 
 初任者としてはなかなかの力量である。
 子供たちを惹きつける方法を身に付けている。
 
 子供たち全体をよく視ている。
 表情も、にこやか。
 
 最後の方で子供たちは飽きていたが、初任者でこれだけできれば合格点である。
 
 4時間目、初任のH先生の3年国語の授業。
 「3年とうげ」の教材。
 
 指導案を見せてもらえば、もっともむずかしいところ。
 これは大変だという思いになる。
 
 子供たちが紹介文を書いて、それぞれの班で紹介し、代表を選び、代表が全体の前で読むという流れ。
 
 紹介文を選ぶ観点が5つある。
 どの観点も、3年生には大変なこと。
 先生たちだってできないのではないだろうか。
 
 子供たちは先生の思いに、一生懸命に応えようとしている。
 そこのところが良い。
 ★
 5時間目、私が3年生の初任者のクラスで授業をする。
 いつもの「味噌汁・ご飯」授業。
 
 座席表をもらっていたので、新幹線の中で名前を覚えていく。
 私はいつも「示範授業」ではなく「提案授業」ですと言い換えている。
 
 提案授業には、テーマがある。
 どんなテーマで授業をしたのか、講座で初任の先生たちに考えてもらった。
 ★
 講座のテーマは、「授業を成り立たせるための基礎・基本」。
  演習形式で進めていく。
 
 ①2年S先生の授業検討
 ②3年H先生の授業検討
 ③野中の授業を参観して
 ④どんなことを心がけて授業をするか?
 ⑤身に付けるべき必須の技術とは?
 ⑥授業がうまくなるには?
 ★
 最近数多くの先生たちの授業を見せてもらいながら、特に感じることが、ごくごく基本的な技術を身に付けないで中堅やベテランになっていることである。
 少数ではない。かなり多い。
 
 たとえば、子供たちの顔を見ながら話をすること。これができていない先生がいる。
 
 また、子供たちに指示を出して、その確認をしないままに次の指示を出すということを繰り返している先生がいる。
 混乱することは当たり前。
 
 授業がうまく流れないのは、そういう基本的な土台がないままにむずかしいことをしようとするからである。
 このことは、かなり深刻なことである。
 
 教育委員会も、初任者指導で、こういう基礎・基本の技術を教えていない。
 
 学校現場も、基本的な必須の技術を身に付ける研修の場を持っていない。
 研究授業は行っているが、高尚なテーマで、その追求ばかりに追われて、このような基本的な技術を身に付ける研修の場がない。
 
 もちろん、教員養成の大学が教えなければいけないのだが、期待できない。こういうことを問題にもしていないのではないだろうか。
 
 だから、ベテランになっても、指導書がないと授業ができない状態を作り上げている。
 ★
 今回の90分の講座で、初任者はどんな技術を身に付けなくてはならないのか、どういうことをして授業をうまくしていくのか、を知ることができたはずである。
 ただ、これからである。
 
 知ることができただけでは身に付かない。
 
 模擬授業で繰り返し、練習させる。
 一人研究授業で、自分の授業を磨かせる。
 この2つだけで十分に基盤ができる。
 
 初任者の授業研修は、これだけで十分。
 余計なことをやり過ぎている。

●8日、山形の天童へ行く。
 東京から山形新幹線。
 
 天童まで3時間かかる。
 天童駅には、玄ちゃんと奥さんが迎えにきている。
 
 玄ちゃんとは、鈴木玄輝先生のこと。
 『新卒教師時代を生き抜く365日の戦略 5年生』(明治図書)の共著者。
 
 玄ちゃんと呼んでいる。
 私がまだ大池小に勤めている頃、私の教室を訪問してくれたことがある。それ以来の付き合い。
 
 9日の結婚披露宴に呼ばれている。
 30分ほどコーヒーを飲みながら話し、旅館へ直行。
  ★
 この旅館が素晴らしかった。
 温泉がすごい。露天風呂に何度も入る。
 食事がおいしい。
 
 何よりも良かったのは、夜10時頃には物音がしないこと。
 静寂の時間。
 
 テレビを止めて、しばしその静けさに浸る。
 こんな幸福感はなかなかない。
 いつもいつも物音の中で過ごしているので、こんな時間は貴重である。
 ★
 9日、11:30から結婚披露宴が始まる。
 120名の参加。
 
 素晴らしい結婚式だった。
 何が素晴らしかったのか?
 
 2人のために参加されている方々の思いが詰まっている式であることが実感できるからである。
 華美に流れることもなく、形式的でもない。
 
 2人が勤める学校の先生たちも大勢参加されていて、出し物が繰り出される。
 笑い転げるほどにおもしろい。
 
 その1つ1つで、2人が学校で大切に包まれていることを実感できる。
 そんな温かい宴であった。
 
 最後の勤務校の同僚であったMさんに出会った。久しぶりに出会ったM先生、I 先生に出会った。うれしかった。
 私はほっこりした気分で、また横浜の方へ帰ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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童神先生へ~ここまでやれたのですから~

  童神先生へ、3人のやんちゃに悩まされているということ。


 おそらく、全国の教室でも、同じようなできごとが起こっているはずです。発達障害の子供、愛着障害の子供が含まれている可能性があるのですね。

 今からうまく対応しようとしても、なかなかうまくいきません。もう関係が固定してしまっていて、それを変えていくことはなかなかむずかしいのです。

 でも、次のような対応をこれから考えてみてください。

①校長に相談し、支援をお願いする。
 もうしているのかもしれませんが、とにかく童神先生一人では手に負えないわけですね。
 助けてもらわなければいけません。
 その3人は、授業の邪魔をするわけでしょう。
 だから、その3人に別室で授業をしてもらうとかの処置が必要です。あるいは、授業中そばについてもらうこと。
 そういうことが無理の場合でも、とにかく手助けをお願いすることです。

②もし、可能ならば、校長に相談して、保護者に相談するという手もあります。
「私の指導が行き届かないで申し訳ありませんが、何度注意しても、他の子供の勉強の邪魔をして困っていますので、家庭での指導をお願いできないでしょうか」という相談です。
 反対に逆ギレされる恐れがあるので、慎重に行わなければいけないのですが、家庭訪問かあるいは学校へ来てもらって、お願いしなければいけません。電話などでは絶対だめですよ。
 ★
 以前、ある大学で講座をもったときに、ベテランの女性の先生が参加されておりました。12月のことです。
 
 休憩時間中に相談を受けました。
 「3年生の担任をしておりますが、崩壊状態です」という内容でした。

 私は、12月という月を考えて、これからどうなるということは考えにくいので「あとは凌ぐことです」と答えました。
凌ぎ方を教えました。

 その先生、2月の東京明日の教室にも参加されていて、「えっ、先生、クラスはどうなりました?」と聞いたところ、「落ち着いてきました!」という答えでした。
 「何をしたのですか?」という問いに、

「先生から教えられた『8割の子供たちを味方にする』ということで、今までしつっこく関わってきたやんちゃたちに拘らなくて、他の子供たちに関わるようになりました。そしたら、クラスが落ち着いてきたのです。」と答えられました。

 12月という月では、ほとんど手遅れの状態ですが、それでもやればできるのだと思いました。
  ★
 童神先生、これはヒントになりますか。
 やんちゃたちが、勉強の邪魔をしない限りほっておくことです。
 必要なときだけに限定すればいいのです。
 
  クラスでは、どんなにいろいろなことがあっても、担任がそばにいてくれるだけで、子供たちは安心できるものです。
とにかく凌ぐこと。
 ここまでやれたのです。あと6ヶ月がんばれないはずはないですよ。

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つれづれなるままに~松山千春の母校を訪れる~

  ●9月27日、朝 羽田へ急ぐ。

 今日から4泊5日で、北海道へ行く。
 3校の学校訪問。
 
 羽田は、上着を着ているのが厳しい。まだまだ暑さが続いている。
 帯広空港へ着く。
 気温は20℃。さわやかな感じ。

 またまた、この帯広空港へ下り立つ。
 この帯広は食の宝庫で、何を食べてもおいしいところ。
 楽しみである。
 ★
 28日、帯広市立若葉小学校へ行く。
 昨年も訪問していて、地域の学力向上事業に指定されている学校である。
 学力を高めるにはどうしたらいいかというテーマでがんばっている学校。

 早速4時間目に道徳の授業をする。
 4年生のクラス。
 
 聞いてみると、昨年3年生で授業をしたクラスだという。
  40人のクラス。教室いっぱい。
 「みんな、生きていた?」などと言って、笑わせる。
 
 人数がいっぱいのために、予定していた通りに終わらない。
 でも、楽しかった。
 子供たち一人一人が良く発言できるようになっている。
 ★
 5時間目は、全員の先生の授業を見せてもらう。
 それでも16人の先生だから、1人2分程度。

 放課後の講座では、昨年との違いと授業の課題を3つ話しをする。
 2分程度の参観で何が分かるのか、と言われそうである。 
 でも、場数を踏んで、観点を決めて集中的にそこを見る訓練ができている。
 その先生の授業力は、そこへ表れてくる。
 それを見抜けるかどうか。

●29日は、大樹町の大樹小学校を訪問する。
 この日、この学校の公開授業研究会。

 この学校は、道教委の学校力向上の指定を受けて、5年目になる。
 学校力向上の学校の中では、真っ先に「日常授業」の改善のテーマを掲げて取り組んできた学校でもある。

 子供たちが素晴らしい。
 学習規律がきちんとしていて、育っているなあという思いがわき出てくる。

 これ以上に追求するとなると、大変になるだろうなあという感慨が残る。
 得てして、「ごちそう授業」の追求になっていく恐れがある。
 どんどん「日常授業」から離れていくのである。
 大樹小、がんばってほしいという思いを講演に込める。

●30日、朝5時起き。朝から元気が出る。
 足寄(あしょろ)小学校へ行く。
 ここも地域の学力向上事業に指定されている学校である。

 ここは、松山千春の母校。
学校のそばには、実家があり、暮らした家(ロケ用に作られたもの)もあるという。
 
 「旅立ち~足寄より~」というCDを持っている。
  ♪長い~~~夜を~~~♪と「長い夜」の歌を口ずさみながら出かける。

 帯広から1時間。ついに到着。

 教頭先生、校長先生がお待ちかねであった。
 3,4時間目、先生たちの授業参観。
 5分程度の時間で回っていく。

 5時間目は、私の「味噌汁・ご飯」授業。
 5年生のクラス。
 体育館ということ。
 参観される先生方が多いのである。

 急ぎ体育館に行くと、もう子供たちは席に着いていて拍手で迎えられる。ノリノリのクラス。

 実に楽しかった。
 自己紹介は、こんなふうに行う。
 
 「野中先生です。」「横浜から来ました。」
 「横浜知っている人?」
   手が上がる。
 「手の挙げ方がうまい人がいるね。でも、70点。手は天井に突き刺さるようにあげること。」
 「もう一度挑戦しよう」
  手が上がる。
 「すばらしい。90点」
 「横浜に行ったことがある人?」
  2人手が上がる。
   ………
 この調子で、私が話し、そして子供たちに問いかけることを繰り返す。
 この話の中に、学習規律を織り込んでいく。
 長々と話すことはしない。
 
 修正力があるクラスで、一度フォローを入れるとすぐに修正ができる、みごとなクラスである。
 
 この後、講演を行う。90分。
 以下の内容である。
 
 1 なぜ北海道は学力が低いのか?
 2 足寄小の先生たちの授業を参観して
 3 学力はこうして上げる
 4 どんな「日常授業」を作っていくか
 5 北海道の先生たちに共通する授業
 6 今日の授業から 
 ★
 終わってから、教頭先生に、松山千春の実家と暮らした家に連れて行ってもらう。感激、感激。

●10月1日、やっと羽田へ帰ってくる。
 4泊5日の旅。

 蒸し暑い。
 帯広は朝8℃になったので、羽田は大変である。
 
 また、明日は神戸。
 それから、山形のGちゃんの結婚式へ行く。


 


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きこ先生へ~これから準備をすればいいのです~

 きこ先生、返事が遅れました。

 9月27日から10月の1日まで、ずっと北海道の学校訪問をしていました。
 
 「叱れない」という悩みですね。
 先生が最後に「情けない質問で申し訳ありません」と書かれてありますが、情けない質問でも何でもありません。先生にとって重要な課題ですから。
 ★
 きこ先生は、きっと小中の学校で「いい子ちゃん」で過ごしてきて、あまり叱られた経験がないのでしょう。
 先生になりたいと思ってきた人は、そんな方が多いのです。きこ先生だけではないですよ。
 
 ただ、「叱れない」ということは、これから教師として続けていくことは困難なことです。
 これだけは、はっきり伝えておきたいのです。
 ★
 しかし、今のきこ先生の環境は叱る環境には不適当です。
 
 まず第1に、3年の副担任で、TTでしょう。
 はじめて教師になって、しかも中3ですよ。
 どうしても引いてしまいますよ。
 
 第2に、授業していないでしょう。それは、子供たちから甘く見られて当然です。
 きちんと担任をしていること、授業をしていることが子供たちから「先生」として認められる条件ですから。
 
 第3に、今「叱る」場面があまり出てこないでしょう。
 
 担任をしていたら、どうしても叱らなければならない場面が出てきます。
 
 そこで、きちんとして教師として「叱る」ことができるかどうかなのです。
 「ダメでしょう。そんなことしちゃ!」と注意するだけでは、もう子供たちから完全に甘く見られてしまいます。
 
 子供は残酷です。悪魔みたいな側面を持っていて、担任があまり叱らないと思いきや、とたんにやりたい放題し出します(もちろん、天使みたいな側面もあるのですよ)。
  ★
 ただ、キャラクターの問題があります。
 かつて、知り合いの先生(女性)が初任で中学の担任になりました。自分の背より高い子供たちばかり。
 
 そこで、なめられたら困るということで「てめえ!何しているんだ!」という感じで子供たちに迫ったというのです。
 1ヶ月で学級崩壊になったということでした。
 
 また、小学校での初任の先生(女性)の話も聞きました。
 4年生の担任。4クラス。
 
 前年度の3年生では、荒れまくった学年で、受け持った他の先生たちは「とにかく厳しくいこう」という方針で、初任のその先生も厳しく、厳しく、子供たちに迫ったそうです。
 
 このクラスも、1ヶ月で学級崩壊してしまいました。
 
 これは何かということですね。
 
 これは、自分のキャラクターに合わないことをやって、子供たちに見透かされてしまった結果です。
 自分に合わないことを無理してやってはダメなんですね。
 子供をばかにしてはならないのです。
  ★
 ただ1つだけ、無理をしなくてはならないことはあります。
 それは、「教師」として子供たちの前に立つということです。
 
 「仲良し友だち」先生ではダメなんです。
 これを勘違いして、学級を崩壊させる初任の先生たちがいっぱいいます。私は頭を抱えております。
 
 「教師」として子供たちの前に立つということは、毅然としていて、子供がやってはいけないことをしたときには、きちんと「叱る」ことができることです。
 これだけでいいのです。
 
 「教師」になったというのは、子供たちを教え導き、育てていかなければいけない課題を背負ったということ。
 単に、授業をしたり、学級活動をしたりすればいいのではないのですから。
 ★
 きこ先生、「私はダメだ!」と思われているのかも知れません。
 でも、安心してください。
 
 最初からこんなことはできません。
 「学生」から「教師」になるということ。
 すぐにはできません。
 
 私は今まで1年目の初任の先生と2年目になった先生を、見てきました。
 がらりと変わるのですよ。別人になったみたいです。
 
 まず、顔つきが変わります。歩くそぶりが変わります。
 私は「ああっ、教師になったんだなあ」と思います。 
  ★
 ハワイのレストランのマネージャーに雇われた30代後半の女性の話を本で読んだことがあります。
 最初の第一歩のマネージャー教育。
 
 それは、歩く格好を変えること。
「ウエートレスみたいな歩き方ではダメだ。どこから見てもマネージャーと思われるような歩き方をしなさい!」と。
 
 そして、その歩き方を練習させるというのです。
 ものを言わなくても、遠くから見ても一目でマネージャーであることが分かる「態度づくり」。
 
 これが最初の教育だというわけです。
 
 これはとても参考になります。
 「教師」として行動するためには、そのための準備がいるということ。それは「教師としての態度づくり」なんだというわけです。
 ★
 きこ先生、小学校へ異動されるのですね。
 クラス担任としてこれから過ごすことが出てくるのですね。
 
 安心してください。
 今からその準備をすればいいのです。
 
 「教師としての態度づくり」ですよ。
 毅然として子供たちの前に立つとは、どうすることか。
 
 それはきこ先生のキャラクターに合わせて考えればいいのですが、例えば次のようなことです。1つの例です。
 
 ①堂々として歩く。
 ②にっこりほほえみながら子供たちに話す。
 ③指示する時は、きっぱりと指示し、確認をきちんと
  する。
  「すわりなさい」と指示したら、全員が座っている
  かどうか確認をして、次の指示を出す。
 ④やんちゃな子供が、学校や学級のルールを破ってい
  たり、やってはいけないことなどをしたら、きっぱ
  りと「やめなさい!決めたことをまもっていない
  でしょう!」ときっとなって叱る。
 
 ①から④まで全部練習をするのですよ。
 鏡を見ながら、練習をするのです。
 
 それが「態度づくり」なのです。
 要するに、最初は「演技」をすることから始まるのですよ。 
 ★
 
 こんなことをやって「教師」になっていくのです。
 きこ先生は、今まだ「教師」になれていないのですから、これからその準備をしていくことです。
 
 その準備の場が、今の講師としての場なのです。
 少しずつ自分のできることをやっていけばいいのです。
 
 良かったですね。
 最初から担任として踏み出していれば、大変なことになっていたかもしれません。
 
 実に幸運な踏みだしですよ。
 
 最後に読んでほしい本を上げておきましょう。
 『必ずクラスがまとまる教師の成功術』(学陽書房)
 教師になるための縦糸、横糸の張り方が書かれています。
 
 『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(明治図書)
 2人の初任者がどのような学級経営をして、うまくクラスを作っていったかが書かれています。
 
 きこ先生、またコメントくださいね。
 きこ先生の、これからの教師人生の幸運を願っています。

 

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