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2016年7月

つれづれなるままに~講座は続く~

  ●7月25日、大阪寝屋川へ行く。
 夏期一日研修の午前の部。
 授業講座である。
 2年目の先生と初任の先生が参加している。
 120名ばかり。
 
 テーマは、「日々のクラスが豊かになる授業づくり」。
 課題を私の方で設定し、グループで話し合い、最後に私の方で考えを述べるという形式で進める。

 課題は、3つ。
 ①どうしてもしゃべりすぎてしまう。
 ②挙手をする子供が固定している。
 ③子供がいつもつまんなさそうにしている。

 この3つは、若い先生が共通に悩んでしまう課題である。

 最後に、この3つの課題を克服する授業を模擬授業で行う。もちろん、私が行う。 
  ちょっと時間がオーバーする。
 ★
 担当の指導主事の先生からは、翌日すぐに感想が届く。
  ★ ★ ★
 今回の研修では受講者(初任者)からは
 ・自分は「おしゃべり授業をしてしまっている」ついつい子どもたち皆に伝えようと意識してしまい、ついついしゃべりすぎてしまっているので、二学期からは意識していきたい。
 ・初任者にある課題を具体的な方策を示して、講義を行っていただき、大変勉強になりました。自分自身の二学期の課題として取り組んで行きたい。 
 ・先生のフォローの多さにびっくりしました。自分が発言した後に、一言言ってもらえると、ついつい嬉しくなりました。子どもの発言をしっかりと聞いて、フォローが出していけるようにチャレンジしていきます。

 など、どの受講生からも前向きな発言が多く、大変有意義な研修会になりました。
 ★ ★ ★

●7月28日、三重県の松阪に行く。
 朝7:30にタクシー。
 新横浜から名古屋まで新幹線で行き、そこから松阪まで1時間ばかり。
 
 三重県教育委員会主催の学級経営研修。
 90名近くの参加者。
 すぐに満席で埋まってしまったと聞く。
 
 びっくりしたのは、30名以上の方が高校の先生。
 「えっ~~~、どうして?」と。
 
 講座の最初に「何か間違われたのではないでしょうか?」と話す(笑)。
 小中高と特別支援の先生方。
 一番難しい講座。

 でも、小学校の実践を話す以外にないわけである。
  テーマは、「学級経営力を高める教師の仕事術」
 ★
 講座は、3つの課題を出して、それぞれグループで話してもらい、発表し、そして最後に私の考えを話すというパターン。
 最後に、講座で印象に残ったこと、これから2学期に取り組んでみたいことなどを3点にまとめて、グループ代表が発表。
 
 こんな演習形式で進む。
 ★
 実に私にはおもしろかった。
 さまざまな先生方がいて、それぞれの先生方の意見を聞くというのはなかなかのものである。
 

 講座が終わって、今年初任者という先生が私に話しかけてきた。
 「今年初任者で大学出たてです。クラスを持っています。大学の時の卒論が学級経営で、ゼミの先生からの参考文献の紹介は野中先生の本でした!」
「いい先生だね!」(笑)
「先生が言われる『仲良し友達先生』にはならず、7月までのクラスは何とかうまくやれました!」
 

 なんともうれしいこと。
 ★
 参加されていた先生の一人から中林先生の『教室はドラマ27』という合冊版をもらう。
 中林先生というのは、三重で校長をされていて、退職後初任者指導をされている。
 
 初任者指導をされていて、毎日A4一枚の新聞を発行される。初任者の授業の感想である。
 メールでいつも送ってもらう。私も愛読者の1人である。
 今は「教室はドラマ28」になっている。
 
 この合冊版は218号。
 毎日初任者の授業を見られての発行。
 
 私は中林先生を校長時代から「三重の巨人だ」と称してきた。書かれる量が半端でない。
 指導されている初任者は、これによってどれほど自分の授業を反芻できるか、すばらしいことだと思ってしまう。
 
 指導されていたという3人の先生たちも、私の講座に参加されていた。
 ★
 三重は遠い。
 その日、家に帰り着いたのは夜の9:30になっていた。

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保護者の方からのコメントに答えて

私のブログを読んでおられる保護者の方から以下のようなコメントが載った。
 ★ ★ ★
はじめまして
保護者の立場から発言させていただきます。
私の子は小学2年生です。幸い2年間の担任の先生はとても授業が上手で人としても素晴らしい方です。
しかし、2年間とも両隣のクラスの先生があまりにもヒドイ。
もし、自分の子が隣のクラスだったら、ぶち切れると思います。
子供には、授業がヘタな先生が嫌だから、隣の学区に転校したい。
授業がヘタな先生が嫌だからクラスを変えてほしい。という権利はないのです。
しかし、先生にはうつ病になって、休職、休職手当で生活する権利はありますよね。
不公平だなあと思います。
大学3年生で授業がうまい学生は、受験塾(できれば大手できちんとしたマニュアルがあり、定期的に先輩講師からの授業見学でダメ出しがあるようなところ)で塾講師のバイトをしていたに一票ですね。
私も、学生時代と某資格試験受験のこと、塾講師をしていました。
塾講師仲間にも、教育大生がいましたが、教育実習ではえらい褒められて帰ってきましたね。日ごろ塾で鍛えられているからでしょう。
隣のクラスの担任を見ていておもうことは、6年間授業の上手な先生が担任だった場合と、6年間授業の下手な先生が担任だった場合では、ものすごく子供の学力に差がつくということです。
同じだけ、塾と自宅で勉強しても、行ける中学が1ランク2ランク変わってきます。
子供には、授業がヘタな先生で我慢する義務ってあるのですか?
授業がヘタな先生は自ら身を引いてもらいたいです(自主退職してほしい)。
中学受験塾並に授業が上手な先生に担任してほしいという要求は不当な要求なのでしょうかね。
教えてください。
投稿: ある保護者 | 2016年7月25日 (月)
 ★ ★ ★
 指摘されているところは、とてもよく分かる。
 まさに同感である。
 私も「味噌汁・ご飯」授業を提唱している立場から、そこのところを強く主張しているからである。

 ただ、中学受験並に授業が上手な先生に担任してほしいという要求は、少し違和感がある。
 というのは、学校の教師が追求すべき授業と、学習塾(特に受験に特化した塾)で追求する授業は、目的が違うからである。
 
 学校は、学習ばかりではなく、運動もさまざまな技能も、また生活規律なども学ぶトータルな教育の場である。
 一方、塾は学習に限定した教育の場である。
 
 学校は、個の子供を、人間として成長させる役割がある。つまり、共同体をひき継いでいく一社会人としての成長である。社会に通用していく人間を育てる役割である。
 
 一方塾は、進学塾の場合「受験用学力」の授受に特化した役割として成り立っている。(学校の授業を補完する学習塾も存在するが)
 だから、塾はテストの「点数」を上げることが授業の目的になる。

 学校は、「点数」を上げることだけが授業の目的ではない。
そこの違いはある。
  ★
 ただ、保護者の方が言われる通りに、授業を分かりやすく教えて、「点数」を上げていく授業にしていくことは、当然である。
 ここが公立の教師たちは、親方日の丸に守られていて、甘えがあることは事実である。

 ただ、公立の教師をしていた経験から1つだけ弁解させてもらえば、あまりにも授業にエネルギーを費やす時間が少なく、その他の膨大な仕事に振り回されていることである。

 勤務時間の中で1時間でも授業のための教材研究する時間がない。これが現実である。

 学校に1人でも2人でも教師が増え、クラスの人数が減っていけば、もう少し学校は余裕ができる。
 だが、OECD調査によれば、GDPに占める教育機関への公的支出の割合で日本は比較可能な32カ国中最下位である。最下位はすでに5年連続。

 毎年のように公的支援が減っている現実がある。
 教師の数を増やし、クラスの人数を減らすことなんて夢のまた夢。
 
  ★
 私たちはこういうリアルな現実の中で、それでも「日常授業」を豊かにしていく追求をしている。

 せめて、1時間でも勤務時間に授業準備ができる時間を作ろうよと主張している。

 明日はまた5,6時間の授業がある。
 そのために、1教科最低10分間は授業準備の時間を取ろうよというわけである。

 こうした中で、今教師たちは2人に1人が3年未満で辞職していく。
 厚生労働省の統計資料がそのことを明らかにしている。

 このままでは「学校」がもつはずはない。
 真剣にそう思っている。

 保護者の方、そういう現実があることも理解していただきたい。
 その現実の中で何ができるか。
 保護者の方の指摘を受け止めつつ、がんばっていきたい。   

 
 
 
 

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大学3年生の水準以上の授業

  玉置崇ゼミ生の1人Mさんが小学校の教育実習に行った。
 帰ってきて、「校長先生から、『明日から勤めてほしい』と言われました」と伝える。
 
 玉置先生は、苦笑して「校長先生のヨイショだよ」と返してしまう。
 3年生の教育実習生が、そんなことを校長から言われるほど授業がうまいはずはない。誰でもがそう思う。
 
  ところが、それからそのMさんが中学校の教育実習へ行き、彼の授業を玉置先生が実際に見ることになる。
 実際に目にして、校長先生の「明日から勤めてほしい」という言葉がヨイショではなく、本当の言葉だったことを認めてしまう。
 
 それほどにうまいのである。
 玉置先生は、「教育実習生とは思えない!実に授業がうまい!」と書いている。
 
 玉置流教師論の第4回「基本の授業技術で水準以上の授業ができる」に書かれている。

http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=ai_school&frame=column38_04

 ★
 以前このブログでも、このことは取り上げたことがある。玉置先生から実際に聞いてとても興味があることだったからである。
 どんな授業をしたのかが気になる。
 玉置先生は、次のようにまとめている。

 ★ ★ ★
 授業記録をもとに、彼の学びをヒアリングしたのです。自分自身の今後の講義に生かしていきたいという考えからです。
 授業がうまい!と思ったのは、要所要所で、適度に「野口流○×」や「○つけ法」を取り入れ、授業に締まりがあったらです。向山洋一先生による授業の原則でいえば「全員参加の原則」「個別評価の原則」がきっちり守られていたからです。
 ★ ★ ★
 野口芳宏先生の「○×法」や「○つけ法」(多分、志水廣先生が最初に提唱されたものではないか)を使っているということ。
 私たちも強く主張している「全員参加」の原則を駆使しているのである。
 
 最後に玉置先生は、大事な一言を残している。

 ★ ★ ★
 彼の授業を見て、あらためて思いました。授業経験がほとんどない学生でも、基本の授業技術を誠実に取り入れると、水準以上の授業ができるということです。
 ★ ★ ★

 ★
 大学3年生の水準以上の授業。
 しかも基本的な教育技術を使っての授業。

 この話を玉置先生から聞き、また今回の提案を読み、改めてしみじみ私も思う。

 私たちは「味噌汁・ご飯」授業として「日常授業」の改善をテーマに研究を続けている。

 何のためにこんなことをしているのか。
 
 子供に教えることが好きで、教師であることが好きで、必死になって教師を続けている子育て中のママさん先生。
 
 くたくたになりながら、必死で教材研究に苦闘している初任者の先生たち。

 そして、現場で頑張り続ける多くの先生たち。
 
 このような先生たちに、短い時間で、簡単な教育技術で、それでも「『日常授業』を豊かにできますよ!」という声を届けたいためである。

  今、連続テレビ小説『ととねえちゃん』でクローズアップされている花山伊佐次のモチーフになっている花森安治は、「ぼくらに、守るに足る幸せな暮らしがあれば、戦争は二度と起こらないはずだ」と語ったことがある。
 そして、「ぼくはペンの力で『あたりまえの暮らし』を守る」と宣言している。

 戦争加害者としての自分に打ちのめされての一言である。

 教師は、「日常授業」を豊かにするということを基盤にしなれば、幸せな教師生活を送ることはできない。

 教師が元気で、幸せでなければ、子供たちがうまく育つはずはないではないか。

 

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つれづれなるままに~トークのうまい人は3つの輪を使いこなす~

  ●いつも買い物の途中でよく見る掲示板がある。
 信号の側なので、ついつい目につく。
 
 T小学校の掲示板。学校便りなどが貼ってある。
 娘が通った小学校である。
 
 今日学校便りを読んでいると、ふとその最後に書いてあることが目に止まった。
 「8月8日から12日まで学校閉庁日であるから基本的には学校には職員がおらず、緊急の場合は教育委員会の事務所に連絡をお願いします」という連絡である。
 
 帰ってカレンダーを見ると、土日を加えたら9日間の休みになる。
 これは、これは画期的なこと。
 大変良い措置である。
 
 多分、横浜市全体での取り組みであろう。
 横浜市は、教育長の陣頭指揮のもと「教師の忙しさ」を何とか軽減しようと取り組んでいる。その様子が、毎日新聞で取り上げてあった。
 
 その結果、このような措置が出てきているのであろう。
 やろうと思えばできるではないか。
 
 もちろん、土日を除けば教師は勤務日であるので、夏期休暇や年休を使っての休みになるのであろう。
 忙しい教師たちに一番必要なのは「ぼっ~~~」とする時間なのだ。

●Tシャツでは寒い。
 そんな気温。長袖を出して着ている。
 
 北のオホーツク高気圧からの北風が吹いているためだという。
 関東だけなのだ。
 
 まだ梅雨があけない。
 2,3日前までは「暑い!暑い!」と騒いでいたことを思えば「こんな日もあっていいね!」となる。
 いやいや勝手なものである。
 
 私の家のささやかな庭にもブルーベリーの実がなり、茗荷がまたあちこちに出ている。
 それを毎日取る。ささやかな楽しみ。

●来週からいよいよ夏の講演活動に入る。
 その準備に追われた。
 
 何を訴えるかということも大事だが、時間調整が一番大変である。
 最近は、場数を経て、超過しても5分~10分ぐらいまでに収めることができるようになった。
 
 ほんとうなら時間内に収めたいのだが、なかなかそうはならない。ここがもっともむずかしい。
 
●知り合いである俵原正仁先生の『全員をひきつける「話し方」の極意」(明治図書)を読んだ。
 
 なかなかの本であり、学ぶところが多かった。
 よく考えてみると、教師は「言葉」で仕事をしているのである。ところが、このことを意識していない。
 
 つまんない話し方をしている(私もそうだった!ごめんなさい!)。
 
 私も最近話し方に行き詰まっている(笑)。

 俵原先生の本を読んでいて、注目したのは「トークのうまい人は、この3つの輪を使いこなす」というところ。
 
 3つの輪とは、ロシア・ソ連の演劇人スタニスラフスキーが紹介したもの。
 私も初めて知ったことである。
 これを読んで、私も最近この3つの輪を授業で使っているなと思ったものである。
 

 

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授業がうまくならない!

   「毎日授業をやっているのですが、授業がうまくなっている実感がありません。どんなことをやればうまくなるのでしょうか?」という質問を受けた。
 「味噌汁・ご飯」授業を提唱している立場として、これにはきちんと答えておかなくてはならない。
 このブログでは、何度も繰り返していることもあるが、今回も答えておきたい。
  ★
 今、多くの教師たちが中堅やベテランになっても、授業がうまくならない。
 いつまでも初任者のような授業をしている。
 
 それにはわけがある。
 「ぶっつけ本番」授業をしているからである。

 「ぶっつけ本番」授業とは、何の授業準備をしないままに教室へ行き、「今日はどこから?」などと子供たちに質問しながら始めていく授業のことである。
 
 とりあえず、国語では、子供に教科書の音読をさせたり、算数では、例題を考えさせたり(自力解決という)させる。その間に、赤刷りの指導書をさっと読んで今日の流れを確認する。

 こんなことをほぼ毎日やっている。
 時間がないのは分かる。
 学校の他の仕事に追われて、授業準備の時間が最後になる。
 でも、そこに行き着かない場合がある。

 そんなことに慣れてきて、いつのまにか授業準備をしないままに教室へ行くことになる。
 何とか授業は進められる。
 そして、いつのまにか時間があっても授業準備をしなくなる。
 そのなれの果てが、現在というわけである。
 
 こんなことをやっていて、授業がうまくなりようがない。
 子供たちが、授業にそっぽを向くのは時間の問題である。

 こんな授業をやっていることが、学級崩壊の原因の1つになっていることをまだ分かっていない。
 ★
 「ぶっつけ本番」授業でなくても、職員室で事前の授業を確認するために、さっさと指導書を確認する場合がある。
 これがいわゆる「教材研究」というわけである。
 
 どこで指導書を読むかだけの違いでたいした違いはない。

 要するに、指導書がなくては授業ができない。
 多くの教師たちの現状である。

 勤務時間の中で1時間という時間でも、授業の準備をする時間が確保できていない。
 子育てをしながら教師を続けているママさん先生が、まともに教師を続けていくことが大変困難になっている。

 この指導書で乗り切っていく以外に方法がないのである。
 ★
 日本の「授業研究」は、ずっと「ごちそう授業」の研究をしてきた。
 「研究授業」という方法で具現化してきた。
 今でもほとんどの学校では、「ごちそう授業」研究をしている。
 
 日頃やっていない授業を互いに見せ合って、研究会を行っている。
  その研究授業だけは、時間をかけて「教材研究」をする。
 と言っても、「教材研究」の方法が確立されているわけではない。
 ほとんどが指導書を綿密に読み、そしてネットで参考文献を探す。
 
 だいたい「発問研究」をすることになる。
 今まで教材研究の方法とは、発問を探すという形になっていた。
 ネットを探せば数限りなく資料は出てくる。
  ★
 研究授業が終わると、日頃の授業に戻る。
 指導書通りの授業である。
 
 教材研究とは、指導書を読むことだという一般的な風潮を変えなくてはならない(もちろん、参考にすることは一向にかまわないのだが)。

 私たちの「味噌汁・ご飯」授業は、まともに授業準備をやろうとしてもできない先生たちがやっていけるための方策を考えている。

 私たちは、教材の準備をするために今まで使われていた「教材研究」という言葉を使わない。「授業準備」と言っている。短時間で行う授業準備は、なかなか「教材研究」というものではない。
  ★
 さて、なぜ授業がうまくならないのか。
 以上書いてきたとおり、日々の授業(「日常授業」)でうまくなるための手立てを取っていないからである。

 研究授業は、かなりの時間をかけて準備する。
 でも、それっきり。
 日頃は、おざなりの授業に終始している。

 「味噌汁・ご飯」授業を学校ぐるみで実践してきた北海道の大曲小学校は、短時間で授業準備をする方策の1つを「課題道場」として提起されていた。

 ★ ★ ★
 「味噌汁・ご飯」授業では、「1時間の授業を10分で計画する」ことを目安にしている。短時間で1時間の授業を確かなものにするには、焦点を絞った取り組みが必要である。この課題道場もその一つの方法になると考えている。
 では、どこに焦点を絞ればいいのか。課題に絞るのが有効である。
 主要な発問や指示、板書(ノート)づくりなどももちろん有効であるが、それを決定づける課題を、強く明確なものにすることは、とても効率がいい。
 『学力向上プロジェクト』(野中信行監修 横藤雅人編著 北広島市立大曲小学校著)
 ★ ★ ★
 このように指摘して、その方法を提起されている。
┌────────────────────────┐
│ A 課題を書く。                                                         │
│ B まとめを書く。                                                       │
│ C 課題とまとめが正対しているかを検討し、課題           │
│  とまとめを見直す。                                                 │
└────────────────────────┘
 当校に私は何度も通い、授業を見せてもらう。
 当校の授業での「課題意識」はとても強いものであった。

 たとえば、加藤優子先生の授業は、国語で最初の課題を提起し、そして最後のまとめの課題をも最初に確認して授業を始めるというものであった。初めて見る授業。
 算数でも、「課題とまとめの整合性をもたせる」という形で、
 課題 整数÷小数の計算の仕方を考えよう
  →まとめ 整数÷小数の計算は、……
などを提起されている。
 
 課題が教材研究(授業準備)の中心である。

 だから、大曲小の授業法は、以下のようになる。
┌───────────────┐                
│本時の課題ー授業ーまとめの課題 │               
└───────────────┘                
 ★
 大曲小が提起した方法は、課題を意識した授業法の提起であった。
 これはかなり大事な視点である。

 多くの教師たちが、指導書にひきづられて怠ってきたのは、この自らの「授業法」を持つという視点であった。

 この授業法を自分なりに作ってこなかったために、いつまでたっても授業がうまくならなかった。
  私の結論はこういうことになる。

 「ごちそう授業」を作るための方法とは別に「日常授業」を乗り切るための方法論を持たなければならないのである。

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童神先生のその後

  TOSS末端先生からのコメントで、もう十分に答えになっている。少し付け加えたい。

●童神先生からの返信 

 野中先生、TOSS末端教師さん、返信ありがとうございました。
 あれから良くなったり悪くなったりの繰り返しです。特に良くないのが、朝会があったりパソコン室等で授業を行う教室移動がある時で、どうしても子供たちが落ち着かず騒然としてしまいがちになってしまいます。

 頭では「フォローを」と思っているつもりでも、あまりに騒々しいとつい怒鳴ってしまうこともよくあります。その度に、なんてひどい実践をしているんだろう……と落ち込んでしまいます。

 原因を自分なりに考えてみますと、やはり野中先生の言われる「仲良し教師」になろうとしてしまっていたと思います。

 クラスのやんちゃな男の子達が、休み時間によく「抱っこして」「おんぶして」と甘えてきて、可愛いのですが、その感覚で授業を受けたり色々な活動をしてしまうので、どうしてもけじめが付けられません。

 今はなるべく、子供達との距離を「離す」ことを意識しているのですが、やはり一度できてしまった関係はそう簡単には変わりません。気づくのが遅かったでしょうか……。

 正直苦しい日々ですが、今日新たに「遊びハカセ」というものを設置しました。子供達同士の喧嘩・トラブルが多いので、「喧嘩せず仲良く遊べたらハカセ一個」と決めました。昼休み時間が終わる頃、口々に楽しかったと言いながら名簿表に丸を付けていく子供達の姿を見て、まだまだ担任の自分が諦めてはいけないな、という決意を新たにしました。
 ★ ★ ★
 童神先生は、とても正直である。
 また、怒鳴ってしまうことにも落ち込んでいる。 
 

「いいんですよ。力量がないから怒鳴っているのであって、それに慣れなければ怒鳴ってもいいんですよ」と言うことになる。
 やはり、「仲良し友達先生」から出発している「つけ」がこういうところで出るのである。
 

  最初から「距離」を意識して子供たちと関係を結んでおけば、現在の苦しさはなかったのかもしれない。

 それにしても、「遊びハカセ」は、うまいことを考えたものである。
 これだったら、やんちゃたちがハカセになっていけるはずである。
 

  2学期は、さらに「給食ハカセ」(給食をぜんぶぺろりと食べる)とか「遊び汗だらけハカセ」(外で汗をかいて遊べる)とかを考えて作ったらどうだろう?
 やんちゃがハカセになれるはずである。
 ハカセは、真面目な子供だけでなく、こういうやんちゃな子供でも登場できるものも欲しい。
 
●猫楽先生からのコメント
 ★ ★ ★
 はじめまして!
私は、今年度の4月から講師として教員生活をスタートさせた者です。
ハカセ方式について質問なのですが、多くの児童を指名してシールを貼りに行かせることで授業時間が足りなくなったりすることはないでしょうか。悲観的ですみません汗
投稿: 猫楽 | 2016年7月14日 (木)
 ★ ★ ★
 私の実践や、初任者の実践では、まったくそんなことはありませんでした。
 そのハカセはほとんどが授業の最初が多かったので、最初の5分間ほどです。
 

  TOSS末端先生もコメントされているようにシールを貼るなどはさせません。時間がかかります。
 鉛筆で○をつけさせることです。
 ○をつけにいく間にも、授業は進めます。
 

  そんな子たちは、聞いているのですから、すばやく授業に入ってきます。
 
 ただ、校長先生や他の先生たちが授業を参観しに来られるときは、やってはダメですよ。誤解されますから。
 
  ★
 連載の教育新聞7月号にも、この「ハカセ」方式について書いた。
 その記事もここに載せておきたい。

 ★ ★ ★
  初任者のクラスがよみがえる!
 2年生の初任者のクラスがみるみるよみがえった。
 当の初任者(男性)はびっくり。心配して授業訪問を続けていた校長もびっくり。「野中先生、あのクラスは何があったのですか?」と尋ねられたほどである。
 私は、初任者指導としてこのクラスに1週間に一度訪れていた。1年生の時、片方のクラスが崩壊し、そのクラスの半分の子供たちが2年生の初任者のクラスに来ていた。5,6人の男の子が落ち着きなく、うろちょろを繰り返していた。だから、毎日初任者は彼らを叱りつける。しばらくは静かになるが、また同じようにうろちょろ。モグラ叩き状態が続いていた。様子を見ていた私は、「どうですか?叱りの効果はありますか?」と聞いてみた。「ほとんど効果がありません。同じことの繰り返しです!」と。「何か、うまい手立てはないですか?」と反対に質問が返ってきた。「手立てはありますよ!」と教えたのは、個人目標達成法。目標達成法の低学年版になる。
 ①今、クラスで困っていることをいくつか上げる(このクラスは「話の聞き方」「給食」「勉強の始め」「そうじ」「かたづけの仕方」の5つを上げてきた)。②その5つに「○○ハカセ」と名付ける。③子供たちに「○○ハカセになりましょう!」と呼びかける(それぞれのハカセの条件を話す。『べんきょうハカセ』は勉強の始めに机の上に教科書、ノート、筆箱を置き、膝に手を置いて待っていられる状態になっていること)。④勉強が始まる時、「Aさん、すばらしい!べんきょうハカセ1回」と声をかける。⑤Aさんは、鉛筆を持って、掲示板に貼られている名簿に○をつける。⑥10個○がついたら、「べんきょうハカセ」になる。
 1ヶ月で、この2年生のクラスはみるみる甦っていった。あの5,6人のやんちゃたちも、きちんと席に着き、勉強を始めるようになっっていた。この個人達成法に半信半疑であった初任者自身が驚いたのである。何が起こったのだろうか、と。給食もきちんと食べるようになり、掃除も時間内に終わることができるようになった。何よりもほとんど「叱る」ことがなくなり、「Bさん、いいね!○○ハカセ1回」とほめて、声をかけるだけ。これだけで教室に「秩序」ができあがり、勉強していく雰囲気が成立したのである。
 要するに、「ルールづくり」(学習規律を含めて)をやったのである。彼らは、「叱る」という『北風』よりも「ほめる」という『太陽』に動かされたわけである。
 詳しくは、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(明治図書)の「個人目標達成法」を参照してほしい。
   ★ ★ ★

 

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つれづれなるままに~大忙しの日々~

  ●横浜走友会の一員である。
 レースに出ることはもうないのだが、一応メンバーには入れてもらっている。
 ぼちぼちジョギングをしているだけである。
 
 60歳以上のメンバー8人と一緒に湯河原の一泊旅行に出かけた。来年70歳の古稀になるメンバーが3人(私もその1人である)含まれている。
  
 最初から温泉に入り、飲み、喰い、しゃべり、…を繰り返して盛り上がった。もう20年来の友人たちなので、気兼ねがないところが良い。楽しかった!
 
●「チワワを探しています!」という貼り紙。
 こんなチラシが掲示板によく貼ってあるものだと思いつつ、さっと眺めて通り過ぎた。
 
 ところが、ところが、そのチワワがいた!
 隣の家の軒先に、私の方を向いて座っている。
 「あのチワワだ!」とぴんとくる。
  探し主に電話をしたら、旦那さんと奥さんが2人でとんでみえた。
 
 奥さんは涙を流しておられた。
 我が子同様に育ててきたのであろうから。
 
 良かった!
 あんな貼り紙で、連絡が行くなどというのはめったにないだろうが、今回は偶然が重なって運が良かったことになる。
 
 私は、そのチワワを救出しようとして、噛まれて負傷してしまった。トホホ!

●7,8月の講演へ向けての準備で大忙しの日々。
 3時間講座が2つ。これが大変。しゃべるだけの講座ではもたないので、演習形式でなければならない。そこがむずかしい。
 
 一番今回の講演でむずかしいのが、福井県の坂井市での講演。天下の福井県である。学力、体力ともとび抜けている。何を話したらいいのかと呆然となる。
 引き受けなければよかったのだが、……。
 
 というのは、私が今まで考えてきたのは、困難な現場をどうしたらいいかという提案。
 ところが、困難な現場など福井県にはないのである。 
 
 こちらだって40年前には、今の福井県のような現場は数多く存在したわけである。
 
 福井県だけがいまだに守り育てている。
 そこである。
 
 私なりに分析した考えを示さなければいけない。
 一度たりとも現場を見ていないのである。それができるのかどうか。苦労している。

●まだ、梅雨明けではないという。
 横浜では、暑い日と涼しい日が交互にやってくる。
 
 学校は、もう少しで終わり。
 こんな時、いつも思い出す詩がある。
 高田敏子さんの詩。

  空の下
 梅雨の晴れ間の/空を見ながら/みんなが待っている
 子どもには子どもの夏が/若者には若者の夏が
 年よりには年よりの夏が/待っている

 毎日何かしら/悲しいことが起こったり
 さびしいことがあったりする
 それでもみんな待っている

 梅雨の時間の/空を見あげて/新しい夏を待っている
 近づくものを待っている


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幸運なことであった~童神先生へ再び~

  童神先生から再びコメントがついた。
 大切なことがいくらかあるので、再び書くことにする。

 ★ ★ ★
 野中先生、先日はありがとうございました。まさか記事にてお返事をいただけるとは思ってもみなかったので、とても感激しています。

 年齢的にはそれほど若手ではないのですが、学級担任を受け持つのは今回が初めてになります。それまではヘルパー等で子供達と関わる仕事はしてきたのですが、やはり学級担任はまるで世界が違っているように感じました。
 先生の著書を書店にて、購入させていただきました。『必ずクラスを立て直す教師の回復術!』『新卒教師時代を生き抜く2W仕事術』『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』の三冊です。
 今日さらっと目を通しただけで、「自分はこんなことも分からず三か月も担任を続けてきたのか」と、恥ずかしい気持ちになりました。
 不安がないかと言えば、嘘になります。学級づくりに大切なことが何も分からないまま、三ヶ月がすぎてしまった。今から取り返すことができるだろうか……と、どうしても考えてしまうことがあります。
 しかし、今できることをやっていくしかありません。夏休みを前に、少しでも良い方向へ子供達を近づけられるように、打てる手立ては打っていこうと思っています。
 喫緊の課題は、「スピード・テンポ・リズム」です。
 ①授業の初めと終わりの挨拶で、だらっとする子供がいるので待ってしまい、遅れがちになっている。
 ②配布プリントの枚数が多い時に、時間がかかってしまう。

 野中先生の著書に、手立てが載っていましたので、早速次週から取り入れてみます。
 記事中の先生のアドバイス、「フォローを入れる」ということも意識するようにしてはいるのですが、そう簡単ではありませんね。この辺り、やはり力不足だと痛感しました。しかし、めげずに続けていこうと思っています。
 これからも、日々学んでいきます。
 投稿: 童神 | 2016年7月 2日 (土)
 ★ ★ ★
 なんとも快いコメントである。
 
 私の本を買って(1冊は秦安彦先生の本なのだが)、読んでおられる。
 そこで何も知らずに3ヶ月を過ごしてしまったと不安になっておられる。
 
 ほとんどの初任者は、そうなのであるからここは仕方ないことである。
 
 でも、私のブログにぶつかり、そして私の本に巡り会っておられる。
 これは幸運であった(笑)。
 これから童神先生は教師人生が変わる。
 ★
 私が冗談を言っていると思われるだろうが、本気である。
 
 私の本は、ハウツー本である。
 このハウツーを批判する人がいる。
 「大切なのは、教師の信念や志だ!」
 「ハウツーばかりを詰め込んではならない!」と。

 言わんとすることは分かるが、現場教師がどのようにして一人前の教師になっていくかを分かっていない。

 最初は、現場教師はハウツーから入るのである。
 「モノマネ」の時代。
  人や本から学んで、マネをしてマネをして自分の実践を確かなものにしていく。
 誰だってここから入る。
 「学ぶ」というのは、「マネる」なのである。
 ★
 ただ、気をつけておかなくてはならないことがある。
 ハウツーはあくまでも方法にしか過ぎないので、うまくいかないこともある。
 
 方法は、あくまでも方法にしか過ぎない。
 目の前の子供たちに合わないならば、さっさと止めなくてはならない。決め手は目の前の子供。
 方法を過信してはならない。
 このことである。

 だから、童神先生がハウツーという実践の世界がいろいろあるのだと気づかれたことは大きなことであった。
 ★
 童神先生は、初めて担任をされている。
 今まではヘルパーなどの仕事だったらしい。

 担任とヘルパーとは大きな違いがあることに気づかれている。
 こういう仕事をして担任をされる先生たちに共通なことがある。
 最初「仲良し友達」先生になろうとされる。
 甘く、優しく接しようとする。友達みたいに。

 ところが、子供というのは残酷なところがあって、まず最初に「甘いか?」「厳しいか?」で値踏みをする。
 甘いと分かると、勝手な行動を取る。

 予測だが、童神先生もこのパターンに嵌まったのではないだろうか。
 絶対に「仲良し友達」先生なんかになってはいけない。
 それは、担任も困るが、子供たちも困るのである。

 毅然として、子供たちの前では「教師」として振る舞わなければいけない。子供がやってはいけないことをしたら、毅然と叱る。そういうことである。
 ★
 童神先生は、不安があると。
「不安がないかと言えば、嘘になります。学級づくりに大切なことが何も分からないまま、三ヶ月がすぎてしまった。今から取り返すことができるだろうか……と、どうしても考えてしまうことがあります」と。

 結論から言うと、取り返すことはできる。
 まだ、1学期中。
 4月の金の時間を逃しているが、「夏休み明け1週間」という銀の時間がくる。
 ここで勝負することである。

 今までうまく行っていないところをマークして、夏休みの間に十分に検討、吟味して(私の本を読めばいい)、夏休み明け1週間に勝負するのである。
 ここで一気に変える。 
  
  ・朝の会は1時間目に食い込まないで済んでいるか?
 ・終わりの会は、すばやく終わっているか?
 ・給食は、時間内にちゃんと終わっているか?
 ・給食で守るべき3条件は大丈夫だろうか?
 ・掃除は時間内に終わっているか?みんなサボらないで済 ませているか?  など
 ・授業は日課表に従ってきちんと45分で終えているか?
                     などなど

 こんなことを検討するのである。
 ぜひ、がんばってクラスを立て直してほしい。
 童神先生、期待していますよ。
 どうなったか途中経過を聞かせてください。
 

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その人たちにある”共通のこと”

  ずっと初任者指導をしてきて、若い先生たちの相談に乗ってきたことがある。
 その後、その人たちのクラスがうまく行き、今は堂々と一人前の教師として過ごしている人たちである。
 
 その人たちにある”共通すること”がある。
 それはその時に起こった嫌な出来事や失敗を「あれで良かったんだ!」と認めていることである。
 
 逆に、変われない人もいる。
 「あのとき、こうしとけば良かった!」とか「……が許せない」とか、過ぎ去った過去にいつまでもしがみついている。
 気持ちは分かる。
 その経験があまりにも自分にショックを与えたからである。
 
 「過去」の経験に悩まされることは多い。
 調子が悪くなると、過去の嫌な思い出がわき起こってきてそれに悩まされて、気分がさらに悪くなる。
 私も長いこと、そんなことに悩まされた。
 
 「過去」は過ぎ去ってもう存在しないのに、いつまでも過去の記憶につきまとわれる。
 
 でも、でも、まずこの「過去」の出来事を許したり、認めて手放していけなければ、いつまでも前へ進めない。
 記憶にあるだけでもう存在しない「過去」から別れられるかどうか、そして「あれで良かったんだ!」と言えることができるかが大きなポイントだ。
 
 どんなことがあっても、何が起こっても、最後に「あれで良かったんだ!」と思えば、それで良いのである。どんな波瀾のある人生も、最後に”良かった”で締めれば、その人の人生は良かった人生なのである。
 
 今までのことはどうでもいい。
 今までのことはもう終わっている。
 これからのことがあるだけ。
 
 このようになるには、もう少し時間がかかるが、思い決めればきっとなれるのである。
 ★
 人は生きていれば必ずと言っていいほど「困難や試練」が待ち構えている。なんともやっかいな人生でもある。

 必ずショックな出来事や周りや人から問題にされる事態が訪れる。
 そのときにどのような「心構え」でいられるか。
 そこがポイント。

 困難に怖じ気づいてしまう人。
 さらには、「困難なんか来ないでほしい」と願っている人もいる。
 
 でも、困難や試練は来る。
 そのとき、こんな人はだいたいそのことに負けてしまう。

 どんな「心構え」でいるか。
 それが試される。
 
 困難が起こるのは、自分が成長するための試練なのである。
 成長するための「ハードル」であり「階段」なのである。 

  越えなきゃ。
 登っていかなきゃ。

 
 

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