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教師人生を生きるということ(2)

 鳥取県の大山町に行って、夜、懇親会を開いてもらった。
 おいしい山陰の料理に舌鼓をうちながら、話は盛り上がった。楽しかった。
 
 私は酒の酔いに任せて、「教師人生は『往路』と『帰路』がありますよ!」と叫んでいた。
 突然の言い方に皆さん戸惑われたのではないだろうか。
  ★
 つまりはこういうわけである。
 「往路」とは、教師としての力量を蓄える時期のこと。
 「帰路」とは、その蓄えた力量で、自分の周りを変えていく時期のこと。
 
 登山に例えるといい。
 登り道(往路)は、頂上をめざしてひたすらに登り続けること。
 下り道(帰路)は、その頂上から麓へ向かって下り続けること。
 
 あるいは、マラソンに例えてもいい。
 折り返し点までが「往路」で、折り返してからが「帰路」(復路と言われている)になる。
 

「ものごと」には、「往路」と「帰路」があるものである。
 ★
 教師人生の「往路」では、ひたすら「自分」の力量形成が中心のテーマになる。本を読んだり、研究会に参加したりする。そこで得た知識を「実践」で試して自分のものにしていく。
 
 さまざまな「往路」がある。
 人によって、富士山に登る先生もあり、2000m級の山に登る先生もあり、あるいは近くの山で済ます先生もある。
 力量形成に違いが出る。
 
 だが、高い山に登るだけが、「往路」ではない。
 さまざまな生活を抱えてできない場合もある。
 ★
 教師人生の「帰路」(復路)は、周りに目が向けられなければならない。
 今まで蓄えてきた「力量」を使って、目の前のクラスを変え、学年を変え、あるいは学校を変えていかなくてはならない。
 
 もちろん、「往路」での蓄え方が、「帰路」を左右する。
 自分ができることを、精一杯やる以外にない。
 ★
 どこまでが「往路」だろうか?
 どこからが「帰路」だろうか?
 
 40歳を過ぎて、管理職の道へ進むか、あるいは教師一筋で行くか、指導主事の道へ行くかなど、そういう選択が問われる年齢がある。
(子育てをするママさん先生は、また違ってくるかもしれない。)
 
 そこあたりが岐路になるはずである。
 ★
 沢木耕太郎の『王の闇』(文春文庫)は、それぞれ勝負の世界で闘ってきた者の「帰路」に焦点を当てて書かれたルポルタージュ。
 沢木は「あとがき」で次のように書いている。
 
 ★ ★ ★
 たとえ、それが日本アルプスの三千メート級の山であろうと、ヒマラヤの八千メートル級の山であろうと、ひとたび山の頂に登ったあとは誰しもそこから降りていかなければならない。そして、その降り方は、登り方と同じく多様である。滑るように降りていく者もいれば、ゆっくりと雪を踏みしめながら降りていく者もいる。頂から頂へ跳び移るようにして下降していく者もいれば、雪崩に巻き込まれて転落してしまう者もいるだろう。私が心を動かしたのは、頂からの、その降り方だった。
  ★ ★ ★
  ★
 私の親しい友人に横藤雅人という教師がいる。
 縦糸・横糸の提唱者。
 

今年の3月まで北海道の大曲小の校長であり、4月からは北海道教育大学の教授である。
 荒れまくっていた学校を、校長として立て直してきた。
 

その実践報告が、先年度『学力向上プロジェクト』(明治図書)として刊行された。
 この本は、大曲小学校の先生たちの実践報告である。
 

でも、いわば校長としての横藤雅人先生が実践してきた「帰路」の本でもある。
そのように私は読む。
 ★
 教師人生は、人それぞれに多様である。
 でも、平板に、のっぺらぼうに生きるべきではない。
 そのように問いかけているのが、私の「往路」と「帰路」の考え方である。
 
 本も読まない、読めない。研修会へ参加しても、ほとんど学ぼうとしない。でも、いつまでも学校に居残り、何をやっているのか分からない生活を続けている。
 そんな若い先生たちが、結構いる。
 
 これからの7,8年で日本の学校は若い先生たちばかりの学校になる。
 20代、30代がほとんどで、40代、50代がぱらぱら。
 すでに都市圏はそれに近い。
 
 「往路」での力量形成は大丈夫だろうか。
 そんなことが心配になる。
 若い頃は勢いだけで進んでいけるが、そんな時間はすぐに終わる。
 
 「往路」を怠けると、無残な「帰路」が待っている。
 
 自分の学級がいつも不安定で、いつ学級崩壊の危機に直面するかわからない。
 初任の先生を教え導くことができない。
 
 学年をチームとしてまとめることができない。
 教務主任として先生たちを引っ張っていくことができない。
  校長として学校を引っ張っていくことができない。
 
 「できない」だらけの教師人生の「帰路」を送らなければいけない。
  ★
 「往路」だけで「帰路」を考えない先生もいる。
 自分がえらくなることばかりを考えている人がいる。
 
 要職ばかりを歴任してえらくなる。
 自分の学校にはいないで、外ばかりを歩いている。
 
 自分が目立つことだけを考えて、周りはどうだっていい。
 自分のことしか考えない。
 そんな人を何人も見てきた。
 
 これも無残な「帰路」と言っていい。
 
 「通りゃんせ」の歌に「行きは良い良い 帰りは怖い」という歌がある。
 「行き」(往路)は、目指すべき頂があるから勢いで「良い良い」である。
 しかし、「帰り」(帰路)は、「怖い」。
 帰りは、「覚悟」がなければいけない。
 
 自分を律する「覚悟」である。
 ここで人は躓く。だから、怖いのである。
 ★
 さまざまに多様な「往路」と「帰路」がある。
 人生二度なし!
 意識的に生き抜いてみようではないか!
 


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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

野中先生、教師人生を生きるを読ませていただきました。昨年度異動し、ひどい状況の6年担任に体育主任となりましたが、学級と学年、職員室の前任校とのギャップに苦しみ、体調崩し、病休となり、自己嫌悪や卑下する気持ちが収まらず心身おかしくなり、鬱状態になりました。今年度は級外です。体育主任と特別支援教育主任は任せてもらいましたが、昨年のことで自信をなくし、職員室では、こんな自分の言うことなんて…と思うことも言えず
、若手にも下に見られているだろうなと情けなくなります。校内もですが、校外では他校の教員、保護者からも、病休した先生だと常に見られている気になり、辛くなります。実際に病休してから冷たくなった教員もいます。心身辛いと、前任校までの自分のように動けない自分が情けなくなります。それでも、子どもたちの前での授業や指導は自信を取り戻せてきていることが唯一の救いです。
自分の中の考えを変える、新しい立場と仕事に挑戦する、淡々と仕事すると自分に言い聞かせますが、なかなか上手くいきません。教師の復路に入りかける歳。こんな自分は教師止めた方がいいという気持ちも出てきます。職場では上も下も同僚は10近く歳離れ、本音が語れる同年代もいなく、他校の教員に時々相談しますが、こんな話ばかりじゃと遠慮してしまいます。覚悟と決意を持って、孤独に耐えていくしか、そうやって、教師人生を過ごすしかないのかなと感じますが、子どもたちのためにがんばろうと思えていた前の自分でないことが本当に情けないです。教師人生って…と悩んでいた時でしたので投稿してしまいました。すいません。

投稿: 力量なしの一教員 | 2016年6月18日 (土) 21時29分

野中先生、ご無沙汰しています。
「力量なしの一教員さん」のメッセージを読んで、3年前の自分に境遇が似ているので、久しぶりにメッセージを残します。
私も、初めての六年生で、いろいろ問題がある学級ということがわかっていての飛び込み担任でした。
子どもたちとうまくいかず、毎日が苦しい日々でした。幸い、学校側がフォローしてくれたので、休職はせず、1年間を終えました。
その時、心の支えのひとつだったのがこのブログです。野中先生の「やり過ごしましょう」との言葉で、自分を鼓舞していたと思います。
今、思えば、低学年担任がほとんどの私は、六年生に直球しか投げてなかったのだと野中先生のブログを読んで納得しました。
今は、また低学年担任になり、可愛い子どもたちと楽しく過ごしています。
今後、どうなるかわかりませんが、あの経験を無駄にしては、あのときの六年生に申し開きができません。野中先生の「縦糸と横糸」や「ごはん・味噌汁授業」など、自分で学習しながら、理想のクラスに一歩でも近づけるようにしている途中です。
苦しいと思いますが、「力量がない」などおっしゃらず「力量は毎日着けるもの」と前進していかれたらいかがでしょうか?
同じような体験をした者として、応援しています。
野中先生、あのときは、本当にありがとうございました!

投稿: aqua | 2016年6月20日 (月) 22時39分

野中先生、ご無沙汰しております。
motaです。
昨年の苦しい一年を過ごして、今思うこと。渦中にいるときには見えないものがたくさんあるということです。
私もaquaさん同様、子どもたちに申し訳無い気持ちに苛まれ続けた一年でした。
自分に力がないから…クラスをまとめらない。力のなさに心がやられていきました。最終的にたくさんの方々に支えていただき、子どもたちと良い関係で卒業を迎えられたことを只々感謝 しています。
今は卒業していった子どもたちがかわいいですし、会うと嬉しくなります。
一教師さん、力量のない方が、主任を任されませんよ。ただ、去年は少し歯車が狂ってしまっただけですよ。誰にでも起こりうることだと、本当に思います。
先生のことが大好きで、心の支えにしている子どもたちがたくさんいますよ。
私も、いろんなことがあるけれど、そのひとつひとつには私人生に必ず意味があることだと思います。
ひとつひとつ、前を向いてやって行きましょう‼️必ず道ができていきます‼️

投稿: mota | 2016年6月22日 (水) 22時20分

記事の中に書いていただいた横藤です。
3人の先生のコメントを読んで、一言書きたくなりました。

学級経営が難しい時代になり、この3人の方のように苦しまれる先生が増えてきていると実感します。
私自身の担任時代は、今よりももっと子供たちも素直で、保護者も寛容でしたが、それでもいろいろありました。「教師を辞めよう」と思ったことも、一度や二度ではありません。
それでも、何とか続けてきてこの3月で定年退職を迎えることができ、実にラッキーな教師人生だったと感謝しています。

さて、教師人生のラスト15年くらいは、ミドルリーダー、管理職と呼ばれる立場となり、後輩教師たちにいろいろなメッセージを伝えてきました。その際、そのメッセージに価値や力があるかどうかは、担任時代に苦しんだかどうかにかかっていると感じていました。
「教師を辞めよう」とまで思い詰め、しかし何とか首の皮一枚残してそれを切り抜けた経験が、後輩たちにいくらかは価値と力のあるものになっているのだと思うのです。

ですから、「力量なしの一教員」さんに言いたいのです。
今は本当に辛いでしょうが、それをしのいでいれば、いつかその経験が周りの同僚や後輩を幸せにできるものになると、私は思います。私は、「順調でない」自分の生い立ちや教師としての仕事に「恵まれた」ことを、今は心から感謝しています。

現役最後の卒業式式辞でも、そのことを語りました。
よろしければ以下をご覧ください。
http://www3.plala.or.jp/yokosan/shikiji_20160319.html

投稿: 横藤雅人 | 2016年6月25日 (土) 07時19分

aquaさん、motaさん、そして、横藤先生、コメントありがとうございました。
三十代後半まで、学級経営や体育主任はじめ校内の分掌や校外でいただいた役割をそれなりに頑張ってきて自信もあったので、異動早々まさか自分が学級も職場もこんなことに…という状況に混乱し、またそこに相談できる同僚がいなかったから、自分だけで抱え込み、体と心を病んでしまった。今考えると、上手く状況を判断し解決するだけの余裕、力がなかったんだなと。情けない教員ですが、またトラウマが出ることもあると思いますが、一歩一歩いきます。時がいつか解決してくれることを信じて。ありがとうございました。

投稿: 力量なしの一教員 | 2016年6月25日 (土) 12時06分

 野中先生、初めて投稿させていただきます。

 今年初めて、2年生の担任をしている者です。低学年の児童の特性がなかなか掴めず、クラスがだんだんと騒がしくなり「このまま学級崩壊してしまうのでは……」と不安を感じながらも、方法が分からず困っていました。ここ数日は、頭の中が言うことを聞かない子のことばかり考え、子どもをマイナスな目で見てしまう自分に嫌気が差していました。

 そんな時、野中先生のブログを見つけました。先生が紹介されていた「はかせ」システムを早速、昨日試してみたのですが、驚くほど子ども達の様子が変わりました! 静かになっただけでなく、座る姿勢まで良くなりました。また僕自身、誰ができていないか探すのではなく、「できている子を探す」ように視点を180度変えることもできました。

 もちろん、まだまだ足りないところもありますが、やっと焦燥から抜け出せたような気がします。

 これからも、子供の良いところを見つけて伸ばす教師でいられるように、努力していきます。どうしても一言、お礼を言いたかったので書かせていただきました。

投稿: 童神 | 2016年6月25日 (土) 14時43分

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