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非常時なのである~コメントに答えて~

  以下のようなコメントがあった。
 もしかしたら以前コメントされた方かなと思った。
 
 この先生に対して、aqua先生、mota先生、横藤先生がコメントされている。
 この3人の先生の言われることに尽きている。
 
 一言だけ言っておきたいことを書くことにする。
 と言っても、いつも書いてきたことだが…。
  ★ ★ ★
 野中先生、教師人生を生きるを読ませていただきました。昨年度異動し、ひどい状況の6年担任に体育主任となりましたが、学級と学年、職員室の前任校とのギャップに苦しみ、体調崩し、病休となり、自己嫌悪や卑下する気持ちが収まらず心身おかしくなり、鬱状態になりました。今年度は級外です。体育主任と特別支援教育主任は任せてもらいましたが、昨年のことで自信をなくし、職員室では、こんな自分の言うことなんて…と思うことも言えず、若手にも下に見られているだろうなと情けなくなります。校内もですが、校外では他校の教員、保護者からも、病休した先生だと常に見られている気になり、辛くなります。実際に病休してから冷たくなった教員もいます。心身辛いと、前任校までの自分のように動けない自分が情けなくなります。それでも、子どもたちの前での授業や指導は自信を取り戻せてきていることが唯一の救いです。
自分の中の考えを変える、新しい立場と仕事に挑戦する、淡々と仕事すると自分に言い聞かせますが、なかなか上手くいきません。教師の復路に入りかける歳。こんな自分は教師止めた方がいいという気持ちも出てきます。職場では上も下も同僚は10近く歳離れ、本音が語れる同年代もいなく、他校の教員に時々相談しますが、こんな話ばかりじゃと遠慮してしまいます。覚悟と決意を持って、孤独に耐えていくしか、そうやって、教師人生を過ごすしかないのかなと感じますが、子どもたちのためにがんばろうと思えていた前の自分でないことが本当に情けないです。教師人生って…と悩んでいた時でしたので投稿してしまいました。すいません。
投稿: 力量なしの一教員 |
 ★ ★ ★
 大変な時代になってきたなあという感慨がある。
 このように今までの学校で中心になって頑張ってきた先生たちが、異動して鬱病になる時代である。私が得た情報に寄ると、こんな事例は数知れずあるということになる。
 
 クラスを持っている50代のベテランたちが軒並みにばたばたと学級崩壊にあっているのも、同じ事である。彼らも、力量のある教師たちなのである。

  何かが大きく壊れようとしている。
  今まで普通にやっていれば普通に成り立っていたことが、成り立たなくなっている。
 これは何であろうか。
 
 うまく言葉にすることができないもどかしさがある。
 はっきりしているのは、”普通にやれば普通に成り立つ”
空間が壊れて、ワンランク下の空間へ投げ出された(上ではない)のである。
 
 直接的には、親や子供たちの大きな変貌がある。
 教室では、「生徒」できない・しない子供たちにかき乱されているはずである。

 それを迎え撃つ「武器」が必要である(武器と言っただけで拒否反応を示す人がいる。教育には無縁の言葉である、と。
そんな人は、まだ”普通にやれば普通に成り立つ”空間からしか発想できていないと私は認識している。もうとっくに壊れているのに)。

 非常時なのである。
 私はさまざまな「武器」を考え、提起してきた。

 ○「たし算発想」から「ひき算発想」へ。必要なものだけ  に削っていく。
 ○「学級づくり」を優先する
 ○「学級づくり3原則」、関係づくり・仕組みづくり・集団  づくり、特に「関係づくり」(縦糸・横糸張り)がキー  ポイント。
 ○勝負は1ヶ月。3・7・30の法則
 ○包み込み法
 ○「味噌汁・ご飯」授業、「授業づくり3原則」
 ………
 非常時の武器。しかし、通用するかどうかは、目の前の子供が決める。刀が通用しなかったら、槍にしてみる。槍でもだめだったら、投げ玉にしてみる。フットワークを軽くするのである。
 ただし、これらの武器は数多く持っておかなくては話にならない。

 ★
 今までの力量が通用しない時代になったのである。
 「力量なしの一教員」の先生が、異動して受け持った6年生は、先生だけでなく、他の先生でも通用しなかったのである。その学校の他の先生たちはほとんど嫌がって逃げているであろう。
 
 そんな困難な学年や学級を、今きちんと担任できるのは、福山憲市先生級の力量がいる。
 じゃあ、他の先生はどうするのか?
 
「きちんと」やらなければいいではないか。きちんとやろうとするプライドを捨てる。
 目の前の子供に合わせて、テキトウにやる。できることをやる。うまくいかなければ、さっさと引き上げる。そして、つぎの武器を駆使する。
 
 そのときに絶対必要なことがある。
 それは「自分を否定しないこと」。否定したら、鬱病になる。
 
 否定することではない。
  ほとんどの先生ができないことで、自分もできないのであるから。
 だいたいがうまくいかないのだから。うまくいったらしめたものではないか。
 そのように「覚悟」を決めることになる。
  ★
 『「私」を受け容れて生きる』(末盛千枝子著 新潮社)を読んでいる。
 その中で末盛さんは、書かれている。
 ★ ★ ★
 どんな人の人生も、それぞれに、困難があり、喜びがあり、そして深い意味があるのだと、今頃になってやっと実感するようになった。年を重ねるということの有り難さだと思う。
 若い頃には、自分を安全に最後まで連れて行ってくれる道があるのではないかと考えていた節がある。これから先の自分の人生に様々な困難が待ち受けているなどとは考えもしなかった、というより、なんとかそういう困難な道を迂回しようと思っていた。今となってはおかしいくらいだ。
 ★ ★ ★
 そうなのだ。
 教師人生もまた、困難があり、喜びがある。
 

  困難が待ち構えているし、「力量なしの一教員」の先生みたいに、その渦中にいる人もいる。
 迂回しないで、引き受けようではないか。
 そんな「覚悟」を訴えたい。

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コメント

motaです。
野中先生の言葉が胸にしみました。
一生懸命やればやるほど、対峙すればするほど、子どもたちと心が離れていく感じが去年はものすごく感じていました。過去に同じようなおもいをした経験のあ
る周りの先生からも、何度も自分のせいにしちゃいけないよとアドバイスされても、結局自分のせいにしてしまう自分から抜けられない…。私は、後半、子どもたちからこうなったのは先生のせいじゃないと何度となく言われ、少し救われました。けれど最後まで、自分のせいからは抜けられませんでした。
けれど、自分のできないこと、自分の指導が通らない場面は、他の先生を頼っていいんだ。教育は1人ではなく、沢山の人間が子どもと関わることで成り立っていると腹をくくってからは、自分も子どもたちも楽になった気がします。
話がまとまりなくすみません。
大事なことは何か、しっかり見定め、がんばりすぎず、頼るところは助けてもはいながら、子どもたちと関わりたいと今は強く思います。
私は、今通院しているメンタルクリニックの先生にもとても救っていただきました。みんな苦しい状況にいつでもなりうる時代なような気がします。頑張りすぎず、やっていきましょう‼️

投稿: mota | 2016年6月26日 (日) 18時18分

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