「日常授業」の改善(付け加え)~良い授業とは何か~
フェイスブックに連載した「日常授業の改善」について以下のようなコメントがのった。ありがとうございます。
「なにがいい授業なのか」ということがわかりにくくなっているというコメントである。
なるほどなあ、というところである。
自分がどのようなレベルの授業をしているのか、自分で判断できていない。
ひどい授業をしているという自覚もない。
だから、これではいけないという考えもないわけである。
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研究授業か日常授業かということもありますが、「なにがいい授業なのか」ということがわかりにくくなっているのではないかと思います。「相変わらず初任者」のような授業をされている方にお話を聞いてみると、これでいけないと思っていないことが多いです。1時間のスタンダードが共有されている必要があると思いました。(例えば東京都なら、ちょっと「盛って」いますが、東京方式1単位時間の授業授業スタイルなどがあります)
★ ★ ★
「初任者のような授業」というのを、私は次のような授業だと考えている。
①ずっとしゃべる授業をする(これを「おしゃべり授業」と名 付けている)。
②全員参加の授業にならない。特定の、いつもの子供の発言
で済まされていく。傍観者が多い。
③子供たちが授業に集中していない。
④学力保障がほとんど考えられていない。
★
では、「良い授業」というのは、どういう授業なのか。
上の「初任者のような授業」を超える授業と考えればいい。
A 指導言(発問・指示・説明)が明快で、きちんと区別して
発せられる。
B 全員参加の授業。
C 子供たちが授業に集中している。
D 学力保障がきちんとなされている。
まだ付け加えたい項目はもちろんある。
しかし、そうなったら「あれも、これも」になってしまう。
とりあえず、これでいいだろう。
これは、「味噌汁・ご飯」授業の立場から選んだ視点である。
あくまでも「日常授業」として必要な基本条件と考えてよい。
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