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教師人生を生きるということ(1)

   親しい友人の1人である鈴木玄輝先生が、フェイスブックに以下のように書かれていた。
 ★ ★ ★
野中信行先生のブログ「風にふかれて」で、私のことを紹介していただきました。
横藤雅人先生の新著を読み、頭をガツンと揺さぶられた感覚を受けました。
それまでも、自分自身の教授行為の意味を客観的に見つめよう、とか、「在り方を意識しよう」とか、メタ認知しよう、とか、意識はしていたつもりでした。
しかし、意識止まりで、子どもや保護者、同僚たちに向けた「相手意識」、「相手目線」がとても希薄だったのだ、と痛感しました。
結局は、自分自身がそうはなりたくなかった「独善」に陥っていたのだと…。
横藤先生の本に出会って、本当によかったと思います。
「常識」、「当たり前」、「正しい手法」だと無意識に感じている自分自身の教授行為を、視点を、考え方を、一度疑ってかかり、壊し、再構築し続ける。それによって、自身の在り方は規定されていくのだと、最近つくづく思います。
 ★ ★ ★
                                 
 とても大事なことが書かれている。
 玄輝先生は、もう30歳を過ぎているであろう。
 
  ★
 初任である学校に配属になる。
 誰でもが経験することである。
 そこで教師としての、自分なりの力量を身につけていく。
 周りの先生に教えてもらうことが多い。
 指導教官の先生からも指導をされる。
  意欲的な教師は、本を読み、研究会へ参加し、更に力量をあげたいと願う。
 
 20代の頃は、「ものマネ」の時代。
 興味深い実践を教室で試し、寄せ集めて、蓄えていく。
 つまみ食い実践もする。
  そんなことを盛んにする時代である。
 ★
 20代の頃は、理不尽なことに耐えていかねばならない。辛いことがあり、苦しいことがある。
 まったく役に立たない仕事を強いられたり、そりが合わない人ともある場面付き合っていかねばならない。 
 こういうことを乗り切っていくことが、いずれ大きな力になる。 ダメ教師もしっかりと見ておかなくてはならない。
 だから、理不尽なことを経験するために給料をもらっていると割り切っておく方がいい。
 
 これが20代の頃の一般的な状況になる。
 ★
 そして、30代になっていく。
 
 世阿弥が「風姿花伝」で次のような意味のことを言っている。
「35歳になって、芸というものに目覚めなければ、いくら修業してもモノにならない。しかし、そこで目が開かれれば、自分の父(観阿弥)がそうであったように、老年になっても花が咲き、しかも、散ることがない」
                                                        
 室町時代の「35歳」というのが、今の時代で言えばどのくらいになるのか分からない。
 だが、35歳から40歳の前半にかけては、人生にとって大きな意味があることだけは確かである。
  ★
 その意味とは、何か。
 「今までの実践を捨て、さらに伸び上がっていく」時代である、と。
 
 この時に、20代の「ものマネ」の時代に身につけた実践を一度捨てなければならない。
 見よう見まねで作ってきた実践を、ふるいにかけ、壊していく。
 今までの自分の実践に固執しない。
 それが教師としての自分を更に成長させていく契機になる。
 世阿弥は、「芸に目覚める」という言葉で、このことを語っている。
 ★
 20代の「見よう見まね」で身につけた実践は、「偶然」の出会いによって得たモノにしか過ぎない。
 
 これを自分の実践の「必然」としていくには、一度捨てなければいけない(もちろん、引き続き続けていく実践もある)。
  ここがむずかしい。
 ほとんどの人は、若い頃に身につけた実践を、そのまま引き継いでいく。
 それが自分の力量だと思っている。
 私はそれは違うと考えている。
  ここで終わるならば、自分を更に成長させていくことはない。
  若い頃に身につけた実践は、ものマネの時代に仮に身につけたものにしか過ぎない。さまざまな人の助言や指導や、あるいは本などによって身につけた実践にしか過ぎない。
 ★
 20代の後半には、自分が得意なこと、苦手なことが分かってくる。そこから自分の軸となる専門性を見いだす。
 
 そこが自分の強みである。
 それをとことん深めていく。
 それが仮の実践から脱皮していく「必然」の実践の軸になっていく。
 ★
 芸事の修業に使われる「守破離」という考え方に似ている。  
 ウィキペディアには、次のように紹介されている。
 「まずは師匠に言われたこと、型を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身と技についてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。」
      
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E7%A0%B4%E9%9B%A2
 「守」が「ものマネ」実践である。
 しかし、いつまでもそれにこだわっていてはならない。
 「破」で「守」で身につけていたモノを一旦壊していかねばならない。そして、「離」へ行く。
 ★
 自分事について書いておきたい。
 
 私の30代には、法則化運動が起こった。
 私は、この運動の組織に直接関わることはなかったが、多大な影響を受けた。
 
 この運動で、私が20代で身につけていた民教連の実践(雑誌「ひと」の実践、数教協の「わかる算数」、仮説実験授業、歴教協の実践など)が問われた。 
  自分の実践がふるいにかけられ、ほとんどを壊していった。
 私の場合、20代の頃の「ものマネ」実践は、法則化運動という外部からの問いかけで揺さぶられ、ほとんどを捨てていく経験をした。
 しかし、この経験がなかったら、私の40代、50代はほんとにひどいものになったであろう。
  教師として続けられたのであろうか。それさえも危うかったと思われる。
 ★
 それから、その法則化運動で身につけた実践からも離れている。
 (もちろん、引き継いでいるものもあるが)
 40歳の半ばから50歳にかけて、「教師人生」を全うしていくには、もう一度問われることがある。
 管理職の道(行政の道を選んでいくのを含めて)を進んでいくか、あるいは現場教師を選んでいくかが問われる。
 管理職になっていくというのが、教師人生の自然の道である。
 
 私は現場教師を選んで、担任として退職を迎えた。
 今では数多くそんな先生たちに出会うことがある。
 
 しかし、見聞きするのは、50代の先生たちがばたばたと学級崩壊の憂き目にあっている事例である。しかも、その先生たちは今まで学校を背負ってきている力量のある先生たちなのである。
  
 今の子供たちと渡り合うことが、それほど過酷な仕事になっているのである。
  ★
 野村克也は、『野村ノート』(小学館)の中で、次のようなことを書いたことがある。
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 よくピッチャーにこういうことを訊く。「どうして変化球を投げる必要があるのか?」「配球にヤマを張らせないように」と答える。球種を多くもつことで打者の狙いをぐらつかせる―確かにそれもある。だがいちばん大事なことを忘れている。変化球の必要性とは、スピード不足とコントロール不足を補うためである。
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 野村は、その後に続けて、往年の名選手金田や稲尾や米田、皆川たちが、変化球を覚えることによって長生きをし、大記録を作った話題を書いている。
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 「変化球を覚える」ということ。
 40歳の半ばから50歳代にかけて、教師人生にはもう一度変えなければいけないことがある。
 それが「変化球を覚える」ということだと思う。
 相変わらず今までの直球勝負でやっているから、うまくいかない。 今までの引き続きでやっていくなんて、もうできないのである。
  
 これから学校現場は、辛い冬の時代を過ごさなければいけない。 
だが、いつだって自分の「考え方」を問い直していくことによって生き抜いていくことはできるのである。 
                                                       
                                                       

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コメント

横藤です。
前々回に引き続き、鈴木先生の拙著への感想を御紹介いただき、ありがとうございます。

鈴木先生は、
『「常識」、「当たり前」、「正しい手法」だと無意識に感じている自分自身の教授行為を、視点を、考え方を、一度疑ってかかり、壊し、再構築し続ける。それによって、自身の在り方は規定されていくのだと、最近つくづく思います。』
と書かれました。
なんとも天晴れな感想です。
これは、まさに私が非力を省みずに「かくれたカリキュラム」本を書くねらいそのものです。
こんなふうに、肚で読んでいただけて、著者冥利につきます。

鈴木先生に、どうぞよろしくお伝えください。
できましたら、メールかFBで直接お礼を伝えたいくらいです。

投稿: 横藤雅人 | 2016年5月20日 (金) 15時10分

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