つれづれなるままに~地震におろおろしている~
●熊本で震度7の地震が起きた。
私は、隣の佐賀が郷里である。心配して親戚に電話をする。
無事を確認する。
この地方は、めったに地震が起きないところ。
震度3ほどの地震でも、1週間ほどその話題で尽きないというところである。
それがこれである。
度肝を抜かれたという感じらしい。
ところが、ところが、これで終わらない。
これは前震で、本震は16日未明に起きた地震であると気象庁は伝えている。
どうしたことであろう。
心配でそわそわ、オロオロしている。
早くおさまってくれることを願うばかりだ。
●以前の学校で副校長だったH先生が、画展に出品されているということで見に行った。
退職後、パーキンソンの病に冒され、今も療養中である。
震える手で、作品づくりに取り組まれている。
画家なのである。
出品されていた作品は、3点。いずれも若い頃の奥様をモデルとされている(?)作品。
なんとも感激した。
自分を支えてくれる人をモデルにする。
震える手で必死に描いていく。
すばらしいことではないか。
まさにその作品が自分の「生き方」そのものだという示し方。
大変励まされて帰ってきた。
●ある市の初任者研修で、講師の方が初任者研修を担当されていた。
そこに初任者として参加された先生からの連絡(その方は結婚して横浜からその市へ行き、子育てが一段落したのでもう一度初任者として再出発されている)。
「その担当の講師の先生は、野中先生が言われていることをほとんどそのままに主張されていて、おかしかった!」と。
それを聞いて、うれしくなった。ありがたいことである。
時々、「使わせてください」とわざわざ連絡をされる方がいる。
そんな必要はありません。自由に使ってもらっていいのである。
著作権の侵害などというつもりは、まったくない。
著作権はまったく主張していない。
「どうぞ、どうぞ、自由に使ってください!」と。
反対に私の本を参考に初任者を育てていこうとされていることに感じ入った次第である。
使ってもらえるということは、それだけ主張が認められているということでもある。
自分の主張として使ってもらっていいのである。
私が本に書いていることは、前々の先生からの引き継ぎの上に重ねた提案である。
もっと広がってほしい、そう私は願っている。
●池波正太郎さんの『真田太平記』(新潮文庫)12巻をやっと読み終えた。
読後感は、「長かったが、久しぶりの満足感」。
小説の醍醐味を久しぶりに味わう。
おもしろかった!
●劇作家の平田オリザさんの『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)を読む。
★ ★ ★
さて、私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、3つの種類の寂しさを、がっこと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。
1つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
もう1つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして、最後の1つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
★ ★ ★
★ ★ ★
これからの日本と日本社会は、下り坂を、心を引き締めながら下りていかなければならない。そのときに必要なのは、人をぐいぐいとひっぱっていくリーダーシップだけではなく、「けが人はいないか」「逃げ遅れたものはいないか」あるいは「忘れ物はないか」と見て回ってくれる、そのようなリーダーも求められるのではあるまいか。滑りやすい下り坂を下りていくのに絶対的な安心はない。オロオロと、不安の時を共に過ごしてくれるリーダーシップが必要なのではないか。
★ ★ ★
その通りと思わず膝を叩く。
日本が経験した「戦後復興」や「高度成長」の思いを再び再現することなんてできっこないのである。
その寂しさに耐える覚悟と、冷厳なまなざしが必要。
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