指導がずれている~初任者指導教諭研修会~
柏市の初任者指導教諭研修会へ行った。
初任者への指導ではない。
初任者を指導する先生の研修会である。
60名ほどの人数。
後ろには、指導主事の先生たちがずらりと参加されていて、いささか緊張する。
こんな研修会は、初めてである。
今まで初任者指導で後ろに指導する先生がいるという研修会は、何度もあったのだが、直接初任者を指導をする先生に話ができる機会は初めてなのである。
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訴えたいことはあった。
今、初任者指導をする先生方の指導が、ずれているとずっと思ってきたからである。
今初任者に指導する主要なことがつかめないで、自分なりの過去の経験を振り返って、それを伝えようとする。
そこでずれていく。
ずれていくだけでなく、初任者を疲弊させ、窮地に追い込んでいく。
さまざまに見聞きすることである。
私は困った事態だと思ってきたが、そのことを伝える機会を柏市の教育委員会に設けてもらったわけである。
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私の初任者指導の失敗事例も伝えた。
どうしても指導の最初から授業の指導をしてしまう。
しかも気づいたことを次から次へと。
それは、訪問する一日のほとんどが授業を見ているわけであるので、どうしてもそうなってしまう。
初任者なのである。
授業がうまいはずはない。
さまざまな問題のある授業をする。
それをメモしておいて、次から次へと指摘する。
初任者は黙って聞く以外にない。
それで明日から指導を変更できるかといえば、それは無理。
授業の指導が、そんなに簡単に変えられるはずはない。
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指導教諭の指導がずれていると書いた。
どこがずれているのか。
初任者指導の指導の先生たちに中に、「授業さえうまく指導できればクラスはうまくいく」という認識で、授業指導に躍起になる指導者がいる。
ここがまずずれている。
今初任者指導の最初できちんと指導しなければいけないのは、子供たちとの「関係づくり」と「学級づくり」なのである。
この2つで初任者は大きく躓く。
この2つをちゃんと指導できなければ、うまく1年目を乗り切っていけない。
うまく乗り切るとは、順調な学級経営のことである。
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さらにひどい事例がある。
それも伝える。
始業式が終わってからすぐに授業の指導案を書かせていく。
「明日からA4一枚でいいから、1時間ごとの指導案を書いて提出しなさい」と。
A4一枚でも、初任者は書き上げるのに1時間以上かかる。それを5,6時間の授業となるととんでもない時間がかかる。
指導案づくりに追われる。
子供たちとの「関係づくり」や「学級づくり」にエネルギーを使わなければいけない時に、指導案づくりに全ての勢力を注ぐ。
結果は、学級崩壊。
担当されている4人の初任者のうち、3クラスが学級崩壊。あとの1クラスも4,5月はあやうかったと聞く。
ひどい話である。
善意だからなおさら悲惨である。
「授業さえうまくいけば学級は安泰である」と信じて疑わないのであるから。
こんなことが通用した時代は、30年や40年前のことである。
子供たちが落ち着いていて、初任者を育てていこうという気風が保護者にもあった時代である。
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もう1つの失敗事例。
初任者のクラスが荒れてくる。
5月か6月頃。
指導教諭は、その様子を見ていて次のように指導する。
「あなたの授業がつまんないから、子供たちがあのようにざわざわして落ち着かなくなるの。もっと教材研究をして、授業をおもしろく、楽しくしなさい」
表面的に見ておけば、その通り。
初任者もそう言われれば、思い当たるので認める。
真面目な初任者は、一生懸命教材研究をしようとする。
毎日9時、10時まで学校に残って教材研究に没頭する。
と言っても教材研究の方法を知っているわけではないので、指導書を何度も読み、指導案を作る試みである。
ぼろぼろに疲弊する。
睡眠は不足し、食事もままならない。
クラスは良くなるのか。
全く良くならない。もっと悪くなる。
これもまたしても「授業をちゃんとやればクラスは良くなる」という考えを振り回しているからこうなる。
ちょっと考えてみれば分かりそうではないか。
初任者がおもしろい、楽しい授業なんかできるわけがない。
中堅やベテランだって、毎日そんな授業なんかやっていない。
年に何回かできるかどうかなのである。
指導している自分だって、そうだったはずである。
それを初任者に当てはめて指摘するというところが間違いである。
もう一度繰り返すが、ここで初任者が躓いているのは授業ではない。子供たちとの「関係づくり」や「学級づくり」なのである。
私が指導した初任者だって、ほとんどつまんない授業をしていた。それが初任者なりの授業である。
それでも授業が成り立っていたのは、それまでの子供たちとの「関係づくり」や「学級づくり」がしっかりしていたからなのである。
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こんなことを訴えた。
学校現場は、若さに対して、大変甘い考えを持っている。
「もっと若さを子供たちにぶつけてやりなさい」というように。
しかし、若さは時に危険であるという認識が必要である。
歳が近いというのは、それだけ「教育」ができにくいのである。
だから、初任者は「仲良し友達先生」になって失敗している。
「教育」が成り立つには、教師と生徒の間に、ある一定の距離が必要である。
それを初任者に教えていかなければいけない。
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研修会の現場におられたI指導主事の先生がフェイスブックに以下のように書かれていた。
学級経営を専門に研究されてきた先生らしい。
ありがたい指摘である。
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今日行われた、柏市初任者指導教諭研修会に野中信行先生がいらっしゃいました。
学級づくりの基本をわかりやすく、ご説明くださいました。
学級経営を専門とする者として、内容についてはすでに知っていたものがほとんどでしたが、私にとって圧巻だったのは伝え方でした。
「ルール」と「リレーション」ということに尽きるのだけれども、この言葉はアカデミックではありますが、「現場」の言葉ではありません。
タテ糸とヨコ糸に喩えて説明したり、子どもとの距離が近すぎる教師を「なかよし友達先生」と命名したり、大変よくわかりました。
現場の言葉で伝えられるように精進します。
まさに「伝え方が9割」(^_^;)
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