« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »

2016年4月

教育新聞5月号

   連載している教育新聞5月号の記事である。

   ★ ★ ★

  ルールづくりの極意とは?
 4月の後半から落ち着かなくなるクラスがある。一日中ざわざわした感じ。4月の1ヶ月は、「安心・安全な居場所づくり」がメインな課題である。それがうまく作れなかったのだ。
 5月に、再挑戦することになる。1学期の間は、クラスを立て直していくことは十分に可能である。
 さて、どうするか。「安心・安全な居場所づくり」をするには、教室にちゃんとしたルールが息づいていなくてはならない。きちんと定着するルールづくり。それが中心課題になる。4月の最初には、「学校のきまり」や「クラスのルール」を担任は説明する。「これからきちんと守っていきましょう」と子供たちに伝える。ここまでは済まされているであろう。
 問題は、ここから。どうしても必要になるメインのルールがある。たとえば、「授業が始まったらすぐに席に着きましょう」というルール。これはどうだろう?落ち着かなくなっているクラスは、これがうまくいっていない。教師がただうるさく注意するだけで済ませてきたのではないか。
 ルール定着には、ちゃんとした鉄則がある。それは、「確認をきちんとする」ということ。これをおそろかにするから定着しないのである。
 まず、朝の会で、画用紙に「授業が始まったらすぐに席に着きましょう」という目標を書いて提示する。趣旨説明をして、「頑張って守っていきましょう」と呼びかける。低学年は、1時間ごとに「守れた人は立ちましょう」と指示。2時間目から始める。人数確認をして、目標の紙に記入。「2時間目から目標を守れた人がこんなにいました。良いですね。でも、おしい!まだ守れない人がいます。残念!3時間目はがんばってほしい」と。3時間目、また守れた子供たちを起立させて、「ほら、3時間目はこんなに多くの子供たちが守れました。すごい!さすがに2年1組ですね。」とフォロー。中学年以上は、朝の会で目標説明をして、終わりの会で一日の目標確認をすればいい。どの学年でも「おしい、残念」→「すごい、さすが!」を繰り返す。
 このようにして、メインのルールは定着させていくのである。大切なのは、「確認をすること」。このルールづくりは、私が提唱している「目標達成法」に引き継いでいけばいい。この実践は、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(明治図書)に詳しい。クラスを初めて受け持った女性の初任者の実践である。彼女は「目標達成法」を駆使しながら、みごとにクラスにルールを定着させていった。

 ★ ★ ★
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「味噌汁・ご飯」授業研究会に参加しませんか!

      「味噌汁・ご飯」授業研究会に参加しませんか!

 今まで「味噌汁・ご飯」授業研究会は、非公開で行ってきました。何人かの先生からどうして公開されないのですかと言われました。
 そこで研究会を公開で行うようにしました。
 といっても特別になるかやるというわけではありません。いつもの話し合いをしているだけです。
 神奈川、東京近郊にお住まいの方参加いただければと思います。
 今、「味噌汁・ご飯」授業研究会として研究しているのは、算数の研究です。
 どういう研究をしているのか知りたい方、あるいは一緒にやっていきたい方、またちょっとのぞいて見たい方、どうぞおいでください。
 まだまだ参加ができますので、連絡ください。
  日時、場所については下記にあります。
 当日、会場費として500円だけいただきます。(会員の方はいりません)
 また、懇親会に参加希望の方はよろしくお願いします。
 連絡は以下の野中メールへお願いします。
 kazenifukarete●hkg.odn.ne.jp  (●のところに@を入れて下さい)
 
 5月 「味噌汁・ご飯」授業研究会のお知らせ 

                                     代表 野中 信行

1 日にち  5月7日(土)13:00~17:00
         その後、懇親会を予定しています。 
2 場所  大和市富士見文化会館
             http://fujimi.a-la.net/
    ※横浜駅から15分ぐらいで大和駅に着きます。
       大和駅から会場まで徒歩5分ぐらいです。
        ※よく場所が分からない場合があります。
       迷う人がたくさんいます。
       その時は、携帯に電話下さい。
       メールをもらった方に教えます。
3 プログラム

  5/7 「味噌汁・ご飯」授業研究会(2016年)
                                     司会 清水

1 「味噌汁・ご飯」授業の現在                 野中

2  算数の「味噌汁・ご飯」授業を提案する   野中

3  模擬授業 例題指導(15分~20分)
     2人の模擬授業                    武井、水谷
 
4 提案                  
  ①特別支援の学級での算数の「味噌汁・ご飯」
   授業を実践する                           津久井
  ②どうして単元テストクラス平均90点以上を   武内
   あげるようになったのか?
      
   ③学力テスト(横浜市)を向上させた実践   井上
   ④新しいクラスでの学習規律をどのように      上澤
  身につけさせたか

5 新しくみえた先生方からの感想

6 次回の日程                井上                  


              
                  

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

つれづれなるままに~今自分ができることをやる~

  ●熊本地震はまだ続いている。
 大学時代の友人が、熊本にいる。
 なんとか家の倒壊は免れたらしい。良かった。
 

  急ぎインスタント類の食材を段ボールに詰めこんで送った。
 郵便局に行き、日赤での義援金をした。
 

  今自分でできることを手早く行う。

●4月26日、神奈川県海老名市教育委員会の初任者研修会に行く。
 45名の初任者。
 
 ちょうど1ヶ月を過ぎようとしている。
 初任者は、ぼろぼろになっているはずである。

「疲れているでしょう!睡眠不足でしょう!風邪は引いていませんか?風邪薬を飲んでも効きませんよ。高めのユンケルを飲むのですよ。佐藤製薬のまわしものではないですよ。風邪を引いて熱があっった知り合いが中国に行かなくてはならず、どうしたらいいかと言われて、高めのユンケルをセットで持って行けばいいと勧めました。すぐに熱は下がったと言うことですよ。」
 こんなことを冒頭に話して始めた。
  ★
 1ヶ月を過ぎて、夢破れ、現実の壁にぶつかる。
「こんなはずではなかった!もっと子供たちは素直で、きらきらと目が輝いていて、……」と。
 クラスがうまく行かない初任者が数多くいる。

 原因の、ほぼ9割方は、この1つ。
 「仲良し友達先生」になるからである。

 初任者は直線的に考える。
 クラスがうまくいかない初任の9割方は、このような考えに陥る。

 ①クラスがうまくいかないのは、私の授業が下手だからだ。
 ②教材研究をしなきゃ。
 ③夜の9時、10時までせっせと教材研究をする(と言っても、  教材研究の方法を知っているわけではないので、指導書を繰り  返し読み、指導案を作るぐらいしかできない)。
 ④へとへとになる。睡眠も不足する。
 ⑤クラスが良くなるのか?良くならない。かえってもっとひどくなる。
 ⑥自分は教師に向いていないと、自分を責めるようになる。

 この結果辞めていくことになる場合がある。
 ★
 クラスがうまくいかないのは、授業が下手なせいではない。
 いつも「楽しい、おもしろい」授業なんてできない。
 だれもそんな授業は日常的にやっていない。

 クラスがうまく行っていないのは、「やり方」がまずいだけ。
 ただ、それだけ。
 それを修正していけば、そのうちにクラスは軌道に乗ってくる。

 そのためには、まず「仲良し友達先生」を止めること。
 次に、子供たちとの「関係づくり」を立て直すこと。

 こんな話を続けた。
 (初任者だけではない。クラスがうまく行っていない原因は
 ここにある。ブログでコメントをくれた先生、連休明けにがんばってください。)
 ★
 連休明けに、もう一度挑戦してくれるだろうか。
 願うばかりである。

●4月27日、愛川町の中津小学校に行く。
 昨年もこの小学校から呼んでもらっている。
 今年も呼んでもらい、授業もさせてもらうということ。

 勇んで行った。
 授業は6年生。
 「このクラスはとてもおとなしくて、ちょっと元気がほしいのです!」と。
  ★
 この学校は、外国籍の子供が数多くいて、学力的に大変な学校である。
 中学年以上は、教科担任を進められていて、一人の教師にクラスを全面的に任せていく体制を取られていない。
 
 この取り組みが効果をあげていて、クラスが荒れていくことがないと、校長先生は話されていた。
 ★
 6年のクラスには、5分前に行き、簡単に自己紹介をした。
 「私は、怖い話に、汚い話に、おもしろい話が得意です。
  今からおもしろい話をするから、笑ってもらいます」と言って、笑う練習をした。
 
「笑う前には手でこうして、『もうすぐ笑う時だから準備するように』と合図するから頼むよ!」と。
 
 こわばった雰囲気を和らげるためである。

 こんな導入をして、道徳の授業をした。
 全員参加の「味噌汁・ご飯」授業。

 素晴らしいクラスであった。
 終わって校長室にいると、子供たちが「先生、一緒に給食を食べてください」と誘いに来てくれた。
  ★
 5時間目に、初任者の先生たちを中心にして授業を参観させてもらう。
 ここで驚くことに出会う。
 
 初任の先生2人の授業。
 これがすごい。

 初任者のレベルをはるかに超えている。
 「いやいやびっくり。2人はどこで、こんなことを学んできたのか?」と思うほど。

 たとえば、「視線」。
 初任者は、発言する子供がいたら、ずっとその子を見ている。
 周りの他の子供たちに目がいかない。
 これが普通。

 でも、2人の初任者は、周りに目が向けられる。
 これはすごい。

 たとえば、「表情」。
 初任者は、だいたいにこわばった表情をする。堅い。

 でも、2人は、にこやかな表情ができる。
 1人は、声色まで変えている。
 ★
 初任者でこれだけの授業ができている。
 
 初任者というのは、だいたい授業は下手なはず。
 それが普通である。

 でも、この2人は特別。
 これは何であろうか。

 私が見間違っているわけではない。
 この4年間で1000人の先生たちの授業を見てきた経験から言っているわけである。

 私たちは今までこのように考えてきた。
「授業というのは、いつになっても難しくて、これで良いということがない」と。

 「そうじゃないよ」と言いたい。
 むずかしいのは、「ごちそう授業」をしようとするから。

 全員参加の「日常授業」をしようとするなら、その課題は、シンプルで、そんなに多くの技術はいらない。

 つくづく最近そう思ってしまう。
  
  
 

 

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「日常授業」の改善(3)~なぜ、授業の技量が上がらないのか~

一部の先生がやっていることを極端に話しているのだろうか。 
「野中先生、極端な言い方ですよ。私は研究授業から学ぶことが多いし、日頃の授業にも生かしています」と言われる。

 もちろん、そんなことはある。
 何事にも、その気があれば学べるものである。

 私が問題にしているのは、そんな個人的な心持ちではなく、「現実」の研究システムの問題である。
 ★
 現実的に「あれはあれ、これはこれ」の論理での研究システムを何十年も続けてきて、そしてどうなったのか。

 教師の授業技量は、上がらなかった。
  私は、ここ4年ぐらいで1000人以上の先生たちの授業を見てきて、はっきりと断言できる。

 中堅やベテランになっても、相変わらず初任者と同じような授業をしている先生が数多くいる。
 毎日5,6時間の授業をしているのに、ほとんど授業の技量があがっていない。
 こんなこと、他の職業ではありえないこと。
 
 どうしてこんなことになるのか?
 
「ぶっつけ本番授業」の慣れの果てである。
 要するに、「日常授業」は「無法地帯」だったのである。

 研究授業は精力的に取り組んで精一杯の授業を見せようとするが、「日常授業」はまた別の授業になる。
 お客さんがきたときには、「ごちそう料理」を振る舞うが、日常に戻れば、お粗末なジャンク・フード料理になるというのと似ている。
                                                                                             (続く)


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「日常授業」の改善(2)~ぶっつけ本番授業~

   研究授業が終わると、いつもの「日常授業」に戻る。
 その「日常授業」はお粗末。
 ほとんど「ぶっつけ本番授業」をしている。

 何の授業準備をすることなく、そのまま教室へ行き、「今日はどこから?」とか言いながら進める。
「先生、23ページからです」「おおっ、そうか、そうか、はい、23ページ開いて!」「○○さん、そこを読んでください」と。

 その間に、赤刷りの指導書をさっとななめ読みして、今日のだいたいの進め方を確認する(慣れてきたらそれさえもやらない)。

 子供たちの誰も、文句は言わない。
 だから、このようなことに慣れ親しんでいる。
 
 忙しいのである。
 学校の仕事に忙殺されている。
 授業の準備なんて忙しくてできない。

 ところが、こんなことに慣れてしまって、時間があっても、毎日の教材研究(私たちは授業準備と言っているが)なんてしないようになる。 
 ★ 
 研究授業は、日頃の「日常授業」でやっていないことを互いに提案し、そしてそれを検討しあっている。

 だから、日頃の授業に生かされることはほとんどない。
 「あれはあれ、これはこれ」の論理だから。

 「これはおかしい」と疑うこともほとんどの教師はしない。
  なにせ学校行事なんだから。
 
 運動会や学習発表会と同じ。
 1年に1回、研究授業をすればいいんだから。
                                              (続く)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「日常授業の改善」(1)~あれはあれ、これはこれ~

  福山憲市先生が、新しい学校に異動された。
 担任を久しぶりに持たれている。
 

   楽しみ、楽しみ。
 その途中経過がフェイスブックに掲載されている。
 

  今日は、こういうこと。
  ★ ★ ★
「日常授業の改善」がメインの校内研修計画が通る!!
今年度は転勤して研修主任・学力向上主任共に持っています。(その他4つの主任)今日は今年度の校内研修の方向を決めました。昨年度のものを大きく変え、「日常授業の改善」に焦点を当てたものにさせていただくことができました。野中信行先生とコラボ講座をした時から、思いが同じだねーと言うようなことを言われ、嬉しくなり、研修主任になったら、再び「日常授業の改善」に力を注ぎたいと思っていたのです。ステキな同僚に恵まれ、新しい「場」で、新しい試みに挑戦することができます。学級担任に復帰するだけでなく、新しい試みの校内研修、みんなで取り組むものにも挑戦できることに幸せです。(*^_^*)
  ★ ★ ★

 今、福山先生は現場の先生たちがやらなければいけないことは「日常授業の改善」なのだと考えられている。
 だから、新しい学校で、すぐに、こういう提案をなされている。

 私と授業改革の志は同じである。
 ★
  このブログで、何度も書いてきたことがあるが、今まで日本の「授業研究」は、「ごちそう授業」の追求をしてきた。
 

それを「研究授業」として具現化してきた。
  今でもそれがなされている。

 「何が問題なのだ!」と言われる。

 その研究授業は、さまざまな教材研究がなされて、さまざまな準備がなされて、そして精一杯の授業を提示しようとする。
 
 子供が意欲的に発言し、話し合い、討論できる。
 できればそんな研究授業を示したい。
 
 いいじゃないか。
 
 研究授業後の話し合いでは、「とても子供たちが意欲的に発言していて良かったです」「子供たちが協力する姿がとても良かった!」……というような話し合いがなされる。
 研究授業者は、満足する。「良かった!」と。

  ところが、その研究授業が終わると1年間すべての授業が終わったような状態になる。
 明日からは、またいつもの「日常授業」に戻る。
 

「あれはあれ、これはこれ」なのである。(続く)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

授業で過去問など本末転倒(2)

   全国学力テストの問題である。
 文科省大臣はかなりの憤りであるから、文科省にこれから内部告発がある場合は、直々にその教育委員会の指導に当たっていくという対策が行われるであろう。

 それでも過去問をやっていくというのは、これからかなりの勇気(?)が必要になる。
 
 皮肉を込めて言っているのではない。
 実際のことである。
 
  過去問の練習で実際に得点や順位を上げたところは、そのまま上がっていくのか。
 それはまったく無理。
 
 「得点力」で上がるのはたかがしれている。
 そのうち停滞する。
  実際の「学力」が身についているわけではないので、当たり前のこと。
 ★
 それでは、過去問はやってはいけないのか。
 私はそうは思わない。

 「教育」の放棄をしないやり方はある。
 
 実際に、学力テストの問題で、正解率が低い問題がある。
 
 かつて6年国語の問題で、1文を接続詞を使って2文にするという問題が出た。
 解答の仕方も、日頃のテストではまったくやっていない仕方。
 また、1文を2文にするということも、日頃の授業ではまったくやっていない。
 正解率が極端に低い。
 
 問題自体は、基礎学力がきちんと身についていればできるはずであるということになる。
 しかし、できない。
 
 これは、先述した認知心理学の領域固有性や文脈依存性の問題になる。
 だから、この種の問題を、実際の日頃の授業で扱っていなくてはならない。
 ★
 学力テストをやったならば、学校で、正解率が低い問題は、どこに問題があるのかきちんと分析する。
 それはどこに問題があるかも分析する。
 
 そして、それらの問題(過去問も含めて)を、実際の授業の、どの単元のどこで教えていけばいいのかを検討すべきである。

 そこで実際の授業に下ろしていく。
 これが学力テストをやっている意味であろう。
 
  おそらく、学力が高い県は、このことを計画的に、継続的にやっているはずである。
 だから、子供たちはできる。
 
 本来の学力テストの意義のところへ戻ればいいのである。
  ★
 全国学力テストをこのような形で続けていくことには、やはり無理がある。
 3年に1度か5年に1度という形か、あるいは抽出校にしていくかという選択が迫られる。
 

 こんな過去問の練習を行って、姑息に得点や順位を上げていく流れは、今のシステムの中に包含されているのだと、文科省は認めていかなくてはならないはずである。
                                             
                                             

                                                 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

授業で過去問題など本末転倒(1)

 全国の学力テストが終わった。
 文科省の大臣が記者会見で、次のようなことを言っている。

 ★ ★ ★
国学力調査「授業で過去問題など本末転倒」 馳文科相
2016年4月20日23時32分
■馳浩文部科学相

 全国学力調査について、私のもとに「成績を上げるため、教育委員会の内々の指示で、2、3月から過去問題をやっている。おかしい。こんなことをするために教員になったのではない」と連絡を頂いた。成績を上げるために過去問題の練習を、授業時間にやっていたならば本末転倒だ。全国各地であるとしたら、大問題で本質を揺るがす。

 調査は、今年10年目。第1次安倍政権からの教育再生の柱だ。点数を競争するためではない。うわさには聞いていたが、直接現場から憤りの声を頂いたことはなかった。全国調査はしないが、心ある教員や教委のみなさんは、実際に何が行われているのか、文科省に報告を頂きたい。

 私は今日、憤りをおさえながら話をしている。なんのために調査をやっているのか、胸に手を当てて改めて考えて欲しい。一握りの教委、校長、担任の振るまいかもしれないが、やってはいけないことだ、と申し上げたい。(記者会見で)
  ★ ★ ★

 こんなことを言っている。
 情報は今までも入っていたと思うが、あまりにもひどいのでこんな記者会見になったのであろう。
 
 でも、文科省は対応が遅すぎる。
 今頃こんなことを言ってどうするのだろうと思ってしまう。

 ★
 多くの教育委員会で、過去問題集の練習をやっている。
 今では、やっていないところを探し出すのに苦労するのではないだろうか。
 
 ある県の学力テストが急に上がったのは、秋田県に職員を派遣して学んだというのが教育長の答弁であった。ところが、何のことはない、委員会の指示で、春休みに過去問集を宿題に出し組織的に取り組ませた(そのように私は内々に聞いた)。
 その結果で成績をあげたのである。
 
 ある市は、6年の授業の始まりから学力テストのある日まで、毎日1,2時間過去問の練習に当てている。
 
 それも委員会が組織的にやっている。
 その結果、良い成績を上げているという。
 
 1ヶ月の間は、「学級づくり」に精を出さなければいけない時間なのに、こんな「ばかげた作業」をそれぞれの学校に課している。

 こんな例をあげたら、数限りない。
 事前に過去問を、ほとんどのところでやっている。
 ★
 過去問の練習をやったら効果があるのか。
 確かにある。
  だから、やっている。

 急に成績を上げたところは、ほとんどが過去問を組織的にやっていると考えた方がいい。

 なぜ上がるのか?

 高校や大学の入試で、試験対策として過去問をやった経験があるのではないだろうか。
「傾向と対策」。

 そんなに大きく問題は変えられない。
 だから、過去問集をやっていれば「問題に慣れる」という効果は大きい。

 もう1つ、分かってきたのは、認知心理学での領域固有性や文脈依存性というものである。
 おおざっぱに言えば、問題を理解するのは、時と場所に大きく依存するということ。
 また、問題の出し方や解答の仕方に影響されるということ。

 だから、過去問で問題に慣れていれば、問題に対応できる状態ができてくる。
 実際に教科書などで理解していたのに、同じ問題なのに、学力テストになったら間違ってしまうというのは、問題慣れしていない場合が多々あるからである。
 ★
 そんなことなら過去問を練習させたらいいではないかということになる。
 だから、どこでもやっているのであるが…。

 確かに平均点はあがる。順位もあがる。
 で、それは何なのだろうか。

 得点は上がったが、子供たちの「学力」が上がったのか。 
 そんなことはない。

 上がったのは、「得点力」だけだ。
 要するに、入試用などの意味での得点が上がったというわけである。
 子供たちの「学力」がほんとうに身についたわけではない。

 順位や平均点を上げるという、ただそのための行動。
 そのために、多くの授業を潰して、これに当てる。
 「教育」の放棄である。

 「周りがうるさいんで、方便としてやっています!」と。
 こんな考えで、学力テストのそもそもの意義を逸脱し、方便に手を染める。
 
 いつのまにかそんな方便が平気になる。
 怖いことである。
 
 文科省大臣の言葉をもう一度読んでほしい。
 真っ当なことを言っている。
 当たり前のことなのである。(続く)
  
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

5月7日(土)「味噌汁・ご飯」授業研究会への参加

      「味噌汁・ご飯」授業研究会に参加しませんか!

 今まで「味噌汁・ご飯」授業研究会は、非公開で行ってきました。何人かの先生からどうして公開されないのですかと言われました。
 そこで研究会を公開で行うようにしました。
 といっても特別になるかやるというわけではありません。いつもの話し合いをしているだけです。
 神奈川、東京近郊にお住まいの方参加いただければと思います。
 今、「味噌汁・ご飯」授業研究会として研究しているのは、算数の研究です。
 どういう研究をしているのか知りたい方、あるいは一緒にやっていきたい方、またちょっとのぞいて見たい方、どうぞおいでください。
 ただ、会場の都合で人数には制限があります。
 会員以外に10名程度の参加になります。急ぎ連絡ください。
  日時、場所については下記にあります。
 当日、会場費として500円だけいただきます。(会員の方はいりません)
 また、懇親会に参加希望の方はよろしくお願いします。
 連絡は以下の野中メールへお願いします。
 kazenifukarete●hkg.odn.ne.jp  (●のところに@を入れて下さい)
 
 5月 「味噌汁・ご飯」授業研究会のお知らせ 

                                     代表 野中 信行

1 日にち  5月7日(土)13:00~17:00
         その後、懇親会を予定しています。 
2 場所  大和市富士見文化会館
             http://fujimi.a-la.net/
    ※横浜駅から15分ぐらいで大和駅に着きます。
       大和駅から会場まで徒歩5分ぐらいです。
        ※よく場所が分からない場合があります。
       迷う人がたくさんいます。
       その時は、携帯に電話下さい。
       メールをもらった方に教えます。
3 プログラム

1 「味噌汁・ご飯」授業の現在                 野中

2  算数の「味噌汁・ご飯」授業を提案する   野中

3  模擬授業 例題指導(15分~20分)
     2人の模擬授業                    武井、水谷
 
4 提案                  
  ①どうして単元テストクラス平均90点以上を   武内
   あげるようになったのか?
      
   ②学力テスト(横浜市)を向上させた実践   井上

5 新しくみえた先生方からの感想

6 次回の日程                井上                  


              
                  

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

つれづれなるままに~地震におろおろしている~

  ●熊本で震度7の地震が起きた。
 私は、隣の佐賀が郷里である。心配して親戚に電話をする。
 無事を確認する。
 
 この地方は、めったに地震が起きないところ。
 震度3ほどの地震でも、1週間ほどその話題で尽きないというところである。
 
 それがこれである。
 度肝を抜かれたという感じらしい。
 
 ところが、ところが、これで終わらない。
 これは前震で、本震は16日未明に起きた地震であると気象庁は伝えている。
 どうしたことであろう。
 心配でそわそわ、オロオロしている。
 
 早くおさまってくれることを願うばかりだ。

●以前の学校で副校長だったH先生が、画展に出品されているということで見に行った。
 退職後、パーキンソンの病に冒され、今も療養中である。
 震える手で、作品づくりに取り組まれている。
 画家なのである。

 出品されていた作品は、3点。いずれも若い頃の奥様をモデルとされている(?)作品。

 なんとも感激した。
 自分を支えてくれる人をモデルにする。
 震える手で必死に描いていく。

 すばらしいことではないか。
 まさにその作品が自分の「生き方」そのものだという示し方。
 大変励まされて帰ってきた。

●ある市の初任者研修で、講師の方が初任者研修を担当されていた。
 そこに初任者として参加された先生からの連絡(その方は結婚して横浜からその市へ行き、子育てが一段落したのでもう一度初任者として再出発されている)。

「その担当の講師の先生は、野中先生が言われていることをほとんどそのままに主張されていて、おかしかった!」と。
 それを聞いて、うれしくなった。ありがたいことである。
 時々、「使わせてください」とわざわざ連絡をされる方がいる。
 そんな必要はありません。自由に使ってもらっていいのである。
 
 著作権の侵害などというつもりは、まったくない。
 著作権はまったく主張していない。
 「どうぞ、どうぞ、自由に使ってください!」と。

 反対に私の本を参考に初任者を育てていこうとされていることに感じ入った次第である。 

 使ってもらえるということは、それだけ主張が認められているということでもある。
 自分の主張として使ってもらっていいのである。
  私が本に書いていることは、前々の先生からの引き継ぎの上に重ねた提案である。
 
 もっと広がってほしい、そう私は願っている。

●池波正太郎さんの『真田太平記』(新潮文庫)12巻をやっと読み終えた。
 読後感は、「長かったが、久しぶりの満足感」。
 小説の醍醐味を久しぶりに味わう。
 おもしろかった!

●劇作家の平田オリザさんの『下り坂をそろそろと下る』(講談社現代新書)を読む。
 ★ ★ ★
 さて、私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、3つの種類の寂しさを、がっこと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。

 1つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
 もう1つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
 そして、最後の1つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
 ★ ★ ★

 ★ ★ ★
 これからの日本と日本社会は、下り坂を、心を引き締めながら下りていかなければならない。そのときに必要なのは、人をぐいぐいとひっぱっていくリーダーシップだけではなく、「けが人はいないか」「逃げ遅れたものはいないか」あるいは「忘れ物はないか」と見て回ってくれる、そのようなリーダーも求められるのではあるまいか。滑りやすい下り坂を下りていくのに絶対的な安心はない。オロオロと、不安の時を共に過ごしてくれるリーダーシップが必要なのではないか。
 ★ ★ ★
 その通りと思わず膝を叩く。

 日本が経験した「戦後復興」や「高度成長」の思いを再び再現することなんてできっこないのである。
 その寂しさに耐える覚悟と、冷厳なまなざしが必要。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

1ヶ月が勝負だ!(5)~頼りがいのある教師になる~

  「頼りがいのある教師になる」という課題について書いている。
 そのための方針を3つ示しておいた。
 
 私は初任者指導を3年間してきた。
 その経験からこのように書いている。
 特に3年目に担当したT先生は女性で初めての担任であったが、見事な「学級づくり」をした。
 
 その経験から、この3つの方針を導き出した。
 これはもちろん「縦糸を張ること」なのだが、初級編というものである。

   A子供たちの前では毅然としておく。
   B叱るときには、きちんと叱る。
   C指示―確認を徹底する。
 ★
 3つ目の方針になる。
 
C 指示ー確認を徹底する
 これがメインな課題になる。
 学期の最初、一部のやんちゃは担任と「権力争い」をする。
 
 クラスを自由で、自分たちの思うようにしたいのである。
 無意識的なことと、意識的なことがある。
 とにかく担任よりも優位になりたいのである。
 
 その手段は、およそ3つ。
 
 ア 指示に従わない
 イ 指示の変更を迫る
 ウ 話の途中で中断させていく 
   ★
 ア 指示に従わない
 これは初任者がよく失敗することである。
 
 1つの指示を出す。
 すぐに2つ目の指示を出す。
 そして、また3つ目の指示を出す。
 
 その指示ができているかどうか全体を確認をしていないので、子供たちはついていけない。
「えっ、どうするの?どうするの?」となる。
 
 そのうちに、担任の指示に従わなくなる。
 従わなくても、担任はなんとも言わないからである。
 
 ここには今問題になっている「かくれたカリキュラム」がある。
 担任の出す指示は、「従っても従わなくてもたいしたことないや」となるのである。
 ★
 イ 指示の変更を迫る
 学期の最初、担任はさまざまな方針を出す。
 給食の仕方、掃除の仕方、……。
 
 例えば、給食の仕方を示す。
 そうすると、やんちゃな子供が「先生!そのやり方よりも前のクラスでやっていた方法が良いと思います」と反対の意見を言う。

 担任は、子供の思いや意見を大切にしようという考えだから、「それはどんなやり方なの?教えてください」と問いかける。
  そのやんちゃは、説明する。

「それは良さそうね。じゃあ、そうしようか!」と方針を変更する。
 
 それだけではない。ことごとく子供から言われてころころと変更する。
 担任は子供の意見を尊重しているのである。
 
 ところが、子供たちは「あの先生は、俺たちが何か言ったらころころ自分が言ったことを変更するぜ」と言い合う。
 
 何か1つのことを決めるにも、時間ばっかりかかり、進んでいかない。
 クラスを引っ張っていく真面目派の「2」割の子供たちは、いらいらし、担任に対して不信感を募らせる。真面目派の子供たちは、担任にスムーズに進んで早く軌道に乗せてほしいのである。
 
 学期の最初は、こんなことに時間をかけてはいけない。
 担任が決めていく専権事項と考えていていい。

 これは反面やんちゃたちが、自分たちの主導権を握りたいための手立てでもあると認識しておいた方がいい。
 やんちゃな子は、担任に方針の変更をさせて、自分たちが優位になりたいという願いがある。

 「子供の意見は無視するのですか?」ということになる。
  もちろん、子供の意見は聞いていい。
 何でもかんでも担任が全て決めていくことには反対である。
 
 私は「ちょこちょこ学級会」と言って、子供たちの中で出てくる問題などは子供たちに考えさせ、決めさせていくことを提案している。

 ただ、学期最初の方針は、担任の専権事項としてスムーズに進めなければいけない。
 
 だから、このように切り返す。

「うん、それもいいやりかたね。でも、せっかく先生がやり方を提案しているんだからとりあえずやってみましょう。やりながら、途中で問題がでたら、そこでみんなで話し合いましょう」と。
 ★
 ウ 話の途中で中断させていく

 これも多い。やんちゃの常道手段。
  休み時間が終わったあとに、
 「先生が話をしますので、すぐに座りなさい」と指示を出す。
 すぐに座ろうとしない。
 「先生、トイレ行ってきていいですか?」
 「先生、水飲んできていいですか?」
 と質問をする。
 「先生、これ落ちてました。どうしますか?」
 
 こんな中断が入るはずである。
 一々丁寧に対応する。
 担任が話そうとしていたことが常にこのように中断させられる。

 よくある場面であろう。
 一々丁寧に対応してはダメである。
 「いいから、とにかく座りなさい!」とだけ話す。
 指示通りすぐに対応させるようにするのである。

 次に、話の途中で遮って質問するやんちゃがいる。
 だいたい関係ないことを質問する。
 「先生、質問があります?」と。
 
「話は最後まできちんと聞きなさい。でも、質問をするのはいいことです。話が終わったら質問しなさい。」と答えておく。
 そして、最後に質問を受け付けるのである。

 要するに、担任の指示にスムーズに従っていく。
 そんな雰囲気を作り出していくのである。

 多くの子供たちは、ちゃんとした平穏な秩序ができあがり、静かな環境で勉強をしていきたいのである。安心・安全な環境で、平和に過ごしていきたいのである。
 その環境を作り上げていくのは、担任のリーダーシップにかかっている。(完)
 
 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

1ヶ月が勝負だ(4)~頼りがいのある教師~

  (2)頼りがいのある教師

 これはむずかしいと、特に初任者の女性の先生たちは思われるかもしれない。
「私は子供たちから甘く見られてしまって困っています。どうしたらいいんでしょうか?」とよく口にされる質問がある。
 頼りがいのある教師になれないのである。

 これは、強面で、いつもどなりつけるようなイメージの教師を想像してもらっては困る。
 
 これも「縦糸を張ること」になる。
 このためには、鉄則があると私は常々主張してきた。

 ①子供たちの前では毅然としておく。
 ②叱るときには、きちんと叱る。
 ③指示―確認を徹底する。
 

 ★
 ①子供たちの前では毅然としておく。
 「教師」なのである。これは当たり前のこと。
  でも、最初はこれがむずかしい。
 
  初任の先生などは、早々にできない。
  だから、私は最初は演技でいいと言っている。
  そのうちに、演技が本物になっていく。
 
  ②叱るときには、きちんと叱る。
 「仲良し友達先生」になろうとしている先生は、厳しく叱ったら子供たちが自分を嫌うから遠慮して、「そんなことしちゃダメでしょ!」とやさしく注意をしている。効き目があるわけがない。
 
 やってはいけないことや、ルール破りをしているときには、きちんと叱らなければいけない。自分の存在をかけて「叱る」ぐらいの気持ちが必要である。
 
 ただ、問題なのは、小言みたいにしょっちゅう注意し、叱っていく行為である。口を開ければ、四六時中叱っている場合。効き目はない。子供たちは、最初は黙って従っているだけに過ぎない。そのうちに、反発をし出す。
 
 叱るときには、夕立のごとくが原則。
 さっと引き上げる。
 「終わり!」と宣言したら、なお良い。

 


 
  

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

「教育新聞」の連載記事第1回目です!

  「教育新聞」(週2回月・木 発行)に、私の第1回目の原稿が載せられている。
 月ごとに連載していくものである。
 

  なかなか目にされていないと思うので、宣伝をかねて載せておきたい。

  ★ ★ ★

 「学級経営の基礎基本~縦糸と横糸のルール」   

 

  友達先生では授業は成立しない!

 1ヶ月が勝負!!
 私は繰り返し、何度でも声高に主張している。この4月の1ヶ月で、「学級づくり」の80%が決まってしまうからである。のんびりと過ごしてしまうと、あとで地獄を見る思いになる。「そんなに大切な時期に、何をすればいいのか?」ということになる。
 やらなければいけないことは、とりあえず2つ。
 1つ目は、子供たちとの「関係づくり」。2つ目は、学級の仕組みづくり。この2つに全力を尽くさなければいけない。
 今、若い先生たちの学級が荒れている。原因は、ただ1つ。子供たちと快い「仲良し友だち先生」になろうとすることにある。子供たちに嫌われたくないという気持ちから「優しく、優しく」接する。そのつけが、5月や6月頃にやってくる。教室が乱れ、しょっちゅうもめごとが起こる。授業の成立が大変になるのだ。
「子供たちと仲良くして、どこがいけないのですか?」と反論されそうだ。担任は、友達ではなく、学級をリードしていく「教師」であるということを忘れているためである。教室は、教師と子供たちが仲良くする「場」ではない。きちんと「学び」を成立させていく場でなければいけない。そのためには、教室が「秩序」だった場所として成立する必要がある。まず、そのような場を作るために、教師と生徒の「関係づくり」が必要なのだ。これが1つ目の課題。私たちは、「織物づくり」に例えて、縦糸と横糸を張ることを提唱している。「縦糸」は、教師と生徒の上下の関係を作ることになる。毅然と子供たちの前に立ち、適切な「指示」を出し、必要な場合は「叱る」ことも出てくる。「学び」は、上下の関係でなければ成就しない。「織物」がまず縦糸を張るのと同じように、「関係づくり」も「縦糸」を張ることがまず最初の課題になる。1ヶ月は、どこでどんな縦糸を張っていこうかと意識することが大切なこと。
 しかし、「縦糸」だけでは関係づくりは成り立たない。必ず「横糸」張りが必要になる。「横糸」で子供たちと心の通じ合いをする。
子供たちと遊んだり、笑い合ったり、そして褒め、励ましたりして通じ合いをしていく。最初は、教師と生徒の横糸張りから始まり、そして生徒同士の横糸張りに進んでいく。横糸張りは、数多く。「縦糸」と「横糸」は互いに相矛盾するものであるが、しかしこの2つを同時にバランス良く張っていくことがより良き「関係づくり」になる。  
  1ヶ月の勝負は、まずこの「関係づくり」ができるかどうかにかかっている。
 1ヶ月が勝負!!何度も強調したい。

 ★ ★ ★


| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

1ヶ月が勝負だ!(3)~秩序ある教室にすること~

   クラスの多くの子供たち(8割)が願っている「安心・安全な居場所づくり」が緊急な実践すべきコアになってくる。
 
 前回ではそのように問いかけている。

 そのためには、2つの課題の追求が必要になる。

 (1)秩序ある教室にすること。
 (2)頼りがいのある教師であること。

 ★
(1)秩序ある教室にすること。
 クラスの始まりは、「群れ」である。
 しばらくすると、ざわざわとした雰囲気になる。
 
 特に、昨年度荒れていた学年を受け持つと「ざわざわ感」はとても気になる。
 若い先生たちの中には、「学期の最初ぐらいは楽しくやろう」という感じで、楽しい雰囲気で始めようとする。
 だから、少々のルール破りは見て見ぬふりをしてしまう。
 ここには大きな落とし穴がある。
 見て見ぬふりはあとで大きなしっぺ返しを食らうことがある。

 どうしていくか。
 これは、私たちが主張している「縦糸を張る」ことになる。
 学校でのルール、クラスでのルールをまずきちんと伝えていくことが必要。
 それに加えてモラルやマナーもある。

 ただ、このルールなどは学年が上がるにつれて、「いい加減でいいんだ!」という風潮が子供たちに染み渡っていることがある。
 
 まず、いい加減になっているルールやマナーなどをチェックする必要がある。

 そして、その中の最も必要なルールを全体の子供たちに、その必要性を説明し「守ろう!」と訴えなければならない。

 ここからだ。
 よく失敗するのは、ここからだ。
 
 訴えても、そのルールが守られているかどうかをチェックしないのだ。
 ここに最大の問題点がある。

 ★
 例えば、「チャイムがなったら席に着こう」というルールがある。
 その必要性を何度も訴えるが、いい加減である。
 守らない子供が何人かいる。

 この場合どうするか。
 朝の会で、目標の紙に「チャイムがなったら席につこう」と提示して、「今日一日この目標をがんばりましょう!」と呼びかける。

 低学年は、1時間ごとに勉強が始まる前にチェックする。
 挙手をさせて、守った子供たちを調べる。
 
 人数を目標の紙の下に書いていく。

「1時間目で、もうこれだけの人数がこの目標を守れました。素晴らしい。さすがですね。この2年1組は、すぐにでも守ろうという人たちが多いです。でも、残念なのはまだ何人か守れない人がいます。おしいなあ。2時間目はぜひがんばってほしいです」
 
 このような感じで取り組んでいくのである。
 守っていない子供ではなくて、守っている子供に注目する。
 
 高学年では、終わりの会でチェックすればいいだろう。

 必ず「フォロー」が必要。
 福山憲市先生から学んだことだが、「おしい、残念だ」→「すばらしい、さすがです」というフォローを繰り返していくことである。 

  ★
 忙しい中でも、これをやらなければいけない。
 最初は、担任がやればいいが、すぐに日直にバトンタッチをすればいい。
 私は「目標達成法」という手法を提示して、ルールづくりを勧めている。
 
 次に、子供たちに「挨拶の大切さ」を示す。
 「明日から先生や友達にあったら、きちんと挨拶するようにしよう」と呼びかける。
 
目標の紙に、「先生や友達にきちんとあいさつしよう」と書く。 先生たちに会ったら「おはようございます」と言う。 
これはだいたい簡単にできる。今までもやっていたからである。

しかし、友達同士の挨拶がなかなかできていない。
そこで、友達への挨拶を朝教室に入るときに全体のみんなに向けて「おはよう!」と声かけることを約束する。
 これができるかどうかをチェック基準にするのである。
 
 次の日、朝の会で確認する。
「今日の朝、出逢った先生におはようございますと挨拶できた人は手を挙げます。」(「出逢わなかったので挨拶できなかった」と言う子供あり)
「朝、教室に入るときに教室にいる友達におはようと挨拶ができた人は手を挙げます。」

「ちゃんと目標を守ってがんばった人がいますね。良いですね!」「でも、忘れてしまってできなかった人もいます。残念、おしいなあ!」「明日もこうして確認しますよ。明日こそ忘れずにがんばってほしいです」

「この目標を守れたかどうかの合格は、クラスが34人いますので31人以上守れたら合格にしましょう。」
「合格が3回になったら目標達成です。バラの花がつけられます」「ぜひ合格になるようにがんばってほしいです」

 こんな感じで出発する。
 確認は、しばらくしたら日直に任されていくことになる。
 ★
 この目標達成法は、初任者がどのように展開したのかを『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(明治図書)にくわしく書いてある。参考にしてほしい。
 

 こんな感じで、さまざまな目標(ルール)が提示され、クラスの子供たちが守っていくルールとして定着していく。
 このようにしてクラスの秩序が形成されていくのである。 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

1ヶ月が勝負だ(2)~安心・安全な居場所づくり~

「勝負の1ヶ月」で実践すべきコアとは何か?
そのように問いかけた。

さまざまな課題があり、その中から選び取ってくる必要がある。
 私は、このコアの課題を次のように考えてきた。

 「安心・安全な居場所づくり」
 
 誰が安心・安全なのか?

 「それは子供たちに決まっているでしょう!」と言われるかも知れない。
 でも、そんなに簡単ではない。
 
 だって、クラスにいるやんちゃたちは、安心・安全なんて考えてはいないからである。
 だが、多くの子供たちがこのことを願っていることは確かなことである。
 教室が安心・安全な居場所になることは、最上級に多くの子供たちの願いと言ってよい(決して言葉にすることはないが)。
 ★
 「2:6:2の法則」というのがある。
 組織についての法則である。

 この法則に当てはめれば、クラスはまず「2」割の真面目派の子供たちがいて、「6」割の中間派がいて、「2」割のやんちゃがいる。普通のクラスはだいたいそうなっている。
 「2」割のやんちゃの中の2,3人の超やんちゃに教師たちは、手を焼いている。
 
 クラスには一般的な「子供たち」がいるわけではない。
 構成する子供たちは、それぞれに違っている。
 組織原則の視点から分析すれば、一応このように区分けできるのである。

 「安心・安全」な秩序を願っているのは、真面目派の「2」割と中間派の「6」割 。いわゆる「8」割の子供たちが願っていることである。

 「2」割のやんちゃの多くは、自分たちに都合が良い「雰囲気」のクラスを願っている。勝手に、自由に過ごせる環境。
 そのために、その一部のやんちゃは、担任と「権力争い」をする。
クラスの雰囲気を自由に支配したいために、担任よりも優位に立ちたいのである。

「野中先生、それはあまりにも決めつけているのじゃないですか。やんちゃの子がそんなことを意図的にやるとは思えません」と言われるかも知れない。

 今都市圏で進んでいる学級崩壊の事態を知っている先生なら、きっと納得してもらえる。
 時代はこのように進んでいる。

 だから、クラスの多くの子供たち(8割)が願っている「安心・安全な居場所づくり」が緊急な実践すべきコアになってくる。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

1ヶ月が勝負だ!(1)

  新学期が始まった。
 私は「1ヶ月が勝負だ!」と繰り返し主張してきた。
 1年の「学級づくり」の80%がここで決定してしまう。
 
 中村健一先生などは、100%と言われている。
  とにかく勝負の1ヶ月なのだ。
 ここを安易に過ごしてしまうなんて考えられないわけである。

 何をするかについては、さまざまな本が出ている。
 私も出している。
 あれをやれ、これをやれと目移りしてしまう。
 
 決め手は何ですか?
 そのように問いかけてしまいたいところである。
 
 確かにやることはうずたかく積まれている。
 でも、その中で「これだけは絶対にやらなければいけない」という課題は何だろう?
 
 そのように考えてみる。
 それは何だろう?
 ★
 経済学者で著名な野口悠紀雄さんが、『「超」集中法 成功するのは2割を制する人』(講談社現代新書)という本を出された。

 ★ ★ ★
 本書で述べるのは、「さまざまなことに『コア』と呼びうるものがあり、努力をそこに集中すべきだ」ということです。
 「コア」とは、「核」という意味です。コア機能、コア商品、コアメンバーなどというように使われます。
 全体の中でコアが占める比率は量的には2割程度であることが多く、他方で、「コア」によって全体の成果や価値の8割程度が生み出される場合が多いのです。このことは、「2:8法則」と呼ばれます。
 したがって、努力をコアに集中させれば、仕事の効率は飛躍的に高まります。これを意識するかどうかで、結果に大きな違いが生じるのです。
 ★ ★ ★
「2:8法則」と呼ばれている。
 その2割のコアをいかに見つけ出し、そこに努力を傾注していくか。それで8割を制してしまうことができる。
 そのように物事を考えていくべきだという主張である。
 ★
 そう考えるならば、「勝負の1ヶ月」で実践していくべき「2割」(コア)とは何だろうという発想が成り立つ。
 ★
 私たちは、今まで「たし算発想」であまりにも数多くの「あれも」「これも」で膨れあがって身動き取れなくなっている。
 
 今肝要なのは、「引き算発想」で、そのテーマの核(2割)は何かと考え、そして、その核にエネルギーを注いでいく発想を選ぶことである。
 
 私は常々このように考えている。
 「勝負の1ヶ月」で実践すべきコアとは何か?
 それについて考えたい。(続く)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

指導がずれている~初任者指導教諭研修会~

  柏市の初任者指導教諭研修会へ行った。
 初任者への指導ではない。
 初任者を指導する先生の研修会である。
 
 60名ほどの人数。
 後ろには、指導主事の先生たちがずらりと参加されていて、いささか緊張する。

 こんな研修会は、初めてである。
 今まで初任者指導で後ろに指導する先生がいるという研修会は、何度もあったのだが、直接初任者を指導をする先生に話ができる機会は初めてなのである。
  ★
 訴えたいことはあった。
 今、初任者指導をする先生方の指導が、ずれているとずっと思ってきたからである。

 今初任者に指導する主要なことがつかめないで、自分なりの過去の経験を振り返って、それを伝えようとする。
 そこでずれていく。

 ずれていくだけでなく、初任者を疲弊させ、窮地に追い込んでいく。
 さまざまに見聞きすることである。
  私は困った事態だと思ってきたが、そのことを伝える機会を柏市の教育委員会に設けてもらったわけである。
 ★
 私の初任者指導の失敗事例も伝えた。
 どうしても指導の最初から授業の指導をしてしまう。
 
 しかも気づいたことを次から次へと。
 それは、訪問する一日のほとんどが授業を見ているわけであるので、どうしてもそうなってしまう。

 初任者なのである。
 授業がうまいはずはない。
 さまざまな問題のある授業をする。
  
 それをメモしておいて、次から次へと指摘する。
 初任者は黙って聞く以外にない。
 
 それで明日から指導を変更できるかといえば、それは無理。
 授業の指導が、そんなに簡単に変えられるはずはない。
 ★
 指導教諭の指導がずれていると書いた。
 どこがずれているのか。

 初任者指導の指導の先生たちに中に、「授業さえうまく指導できればクラスはうまくいく」という認識で、授業指導に躍起になる指導者がいる。

 ここがまずずれている。
 
 
 今初任者指導の最初できちんと指導しなければいけないのは、子供たちとの「関係づくり」と「学級づくり」なのである。
 この2つで初任者は大きく躓く。
 
 この2つをちゃんと指導できなければ、うまく1年目を乗り切っていけない。
 うまく乗り切るとは、順調な学級経営のことである。
  ★
 さらにひどい事例がある。
 それも伝える。

 始業式が終わってからすぐに授業の指導案を書かせていく。
「明日からA4一枚でいいから、1時間ごとの指導案を書いて提出しなさい」と。
 
 A4一枚でも、初任者は書き上げるのに1時間以上かかる。それを5,6時間の授業となるととんでもない時間がかかる。
 指導案づくりに追われる。
 
 子供たちとの「関係づくり」や「学級づくり」にエネルギーを使わなければいけない時に、指導案づくりに全ての勢力を注ぐ。

 結果は、学級崩壊。
 担当されている4人の初任者のうち、3クラスが学級崩壊。あとの1クラスも4,5月はあやうかったと聞く。
 ひどい話である。
 
 善意だからなおさら悲惨である。
「授業さえうまくいけば学級は安泰である」と信じて疑わないのであるから。

 こんなことが通用した時代は、30年や40年前のことである。
 子供たちが落ち着いていて、初任者を育てていこうという気風が保護者にもあった時代である。
 ★
 もう1つの失敗事例。
 
 初任者のクラスが荒れてくる。
 5月か6月頃。
 
 指導教諭は、その様子を見ていて次のように指導する。
「あなたの授業がつまんないから、子供たちがあのようにざわざわして落ち着かなくなるの。もっと教材研究をして、授業をおもしろく、楽しくしなさい」

 表面的に見ておけば、その通り。
 初任者もそう言われれば、思い当たるので認める。

 真面目な初任者は、一生懸命教材研究をしようとする。
 毎日9時、10時まで学校に残って教材研究に没頭する。
 と言っても教材研究の方法を知っているわけではないので、指導書を何度も読み、指導案を作る試みである。

 ぼろぼろに疲弊する。
 睡眠は不足し、食事もままならない。

 クラスは良くなるのか。
 全く良くならない。もっと悪くなる。

 これもまたしても「授業をちゃんとやればクラスは良くなる」という考えを振り回しているからこうなる。

 ちょっと考えてみれば分かりそうではないか。
 
 初任者がおもしろい、楽しい授業なんかできるわけがない。
 中堅やベテランだって、毎日そんな授業なんかやっていない。
 年に何回かできるかどうかなのである。
 
 指導している自分だって、そうだったはずである。
  それを初任者に当てはめて指摘するというところが間違いである。
 もう一度繰り返すが、ここで初任者が躓いているのは授業ではない。子供たちとの「関係づくり」や「学級づくり」なのである。

 私が指導した初任者だって、ほとんどつまんない授業をしていた。それが初任者なりの授業である。
 
 それでも授業が成り立っていたのは、それまでの子供たちとの「関係づくり」や「学級づくり」がしっかりしていたからなのである。
 ★
 こんなことを訴えた。
 
 学校現場は、若さに対して、大変甘い考えを持っている。
 「もっと若さを子供たちにぶつけてやりなさい」というように。
 
 しかし、若さは時に危険であるという認識が必要である。
 歳が近いというのは、それだけ「教育」ができにくいのである。
  だから、初任者は「仲良し友達先生」になって失敗している。

「教育」が成り立つには、教師と生徒の間に、ある一定の距離が必要である。
 それを初任者に教えていかなければいけない。
  ★
 研修会の現場におられたI指導主事の先生がフェイスブックに以下のように書かれていた。
 学級経営を専門に研究されてきた先生らしい。
 ありがたい指摘である。
 ★ ★ ★
今日行われた、柏市初任者指導教諭研修会に野中信行先生がいらっしゃいました。
学級づくりの基本をわかりやすく、ご説明くださいました。
学級経営を専門とする者として、内容についてはすでに知っていたものがほとんどでしたが、私にとって圧巻だったのは伝え方でした。
「ルール」と「リレーション」ということに尽きるのだけれども、この言葉はアカデミックではありますが、「現場」の言葉ではありません。
タテ糸とヨコ糸に喩えて説明したり、子どもとの距離が近すぎる教師を「なかよし友達先生」と命名したり、大変よくわかりました。
現場の言葉で伝えられるように精進します。
まさに「伝え方が9割」(^_^;)
  ★ ★ ★

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

初任者研修でこんなことを話しているのです!

●3月29日に、愛知県小牧市に初任者研修に行く。
 赴任前研修。2時間20分、たっぷりと話す。
 
 もうここで10年ばかりこのような研修を続けている。
 この小牧市教育委員会が、赴任前研修の発祥だったと思われる。
 
 今では、かなりの数の教育委員会が赴任前研修をやっている。
 始めたのは、小牧である。
 
 小牧は、ここで赴任する初任者が、私の講座を受けて、始まる前に1週間準備の時間がある。
 
 この1週間は貴重である。
 どんな準備をしなければいけないのか、私の講座で分かるからである。
 だから、辞めていく先生たちがいない。
 ★
 準備をする時間を取らせるというのが「赴任前研修」の趣旨。
 何の準備をさせるのか。
 
 「学級づくり」の準備である。
 教室づくりから始まって、始業式前に終えておくべき課題がある。
 
 たとえば、給食指導、掃除指導などの手順、段取りを準備するのである。そして、すぐに取り組めるようにする。
 
 もたもたしない。
 もたもたしたら、子供たちが足下を見る。
「初任の先生だから分かってねえんだな」と。
 
 初任者は、どうしても子供たちから甘く見られる。
 だから、そこを避けなければいけない。

「今度の初任の先生は、毅然としていて、したたかだ!」と子供が感じていくように振る舞わなければいけない。
 そこがポイントなのだ。
 
●4月4日、福島県郡山に行く。
 郡山教育委員会初任者研修である。
 

  事前研修。
 始業式前の研修になる。
 

  ここも2時間、私が話をする。
 私の話を受けて、始業式までに3日ほどの時間がある。
 これも貴重な時間。
 ★
 初任者としての振る舞いと覚悟を話す。
 始まって1週間は、「値踏み」の時間である。
 
 子供たちが、担任の先生を値踏みする時間。
 「今度の先生はどの程度に教師らしさがあるのかな?」
 「先生は、どんな時に叱るのかな?」
 「給食はどうするのかな?」
 「宿題はどうするのかな?」……
 さまざまな値踏みを繰り返す。
 
  だから、1週間で、担任は毅然とした、「したたかな教師らしさ」を示すことは大切なことである。

 1週間が終わったら、「この教師はたいしたことがないや!」「自分よりも下だ!」「自分と対等だ!」と値踏みを決める。
 そして、動き出すのである。

 この印象をあとから覆すのは、大変困難なことになる。
 ★
 やんちゃな子供たちは、担任との「権力争い」をする。
 穏やかな言葉ではないが、ほんとうである。

 これはささいな場面で起こる。
 たとえば、担任が呼名をする。
 そのとき、やんちゃがふざけた返事をする。
 必ずする。
 「○○さん」「は~~~~~い!」
 「○○さん」「はあい~~~~!」と、ふざける(教室には笑いが起こる)。
 そのときの担任の対応を見ている。

 担任が笑って、「今度はちゃんと返事をしてくださいね」とでも返したら、「なんだ!今度の担任はたいしたことないや、甘いな!」とクラスのほとんどが判断する。
 
 こんなささいな場面で「権力争い」をやんちゃはしかけるのである。
 毅然として「返事は、『はいっ』と小さなつをつけて短く言います。もう一度言い直しなさい!」と指示をする。

 もう1つ、これもざらにある「権力争い」がある。
 教師が話をしている途中で、やんちゃが割り込んでくるのである。「先生、水飲んできていいですか?」
「先生、ノートを忘れたんですが、どうするんですか?」
「先生、トイレ行っていいですか?」
 
 初任者は、この割り込みに丁寧に個々に答える。
 それで話が中断するのである。 
 
 これもやんちゃたちの「権力争い」の1つ。
 自分が担任の話を中断させて、行動を起こす。
 その初めが、こういうことで始まるのである。

 ここも毅然と対応する。
「今質問はしません。先生の話が分からなくなるからです。質問は最後にします」ときちんと対応する。
 ★
 このように子供たちは担任の値踏みをして、自分のこれからの対応を決める。
 子供たちは、こんなところでは残酷である。
 

先生の話をきちんと聞こうとする子供たちも確かにいるが、こうして「権力争い」をして自分が優位に立ちたいと思っているやんちゃもいるのである。
 ★
 このような具体的な振る舞いと覚悟を教える。
 やんちゃな子供たちとの「権力争い」は勝たなければいけない。

 私は「縦糸を張る」と言っている。
 教室をきちんとした「秩序」ある状態にしていくことが担任の使命であるからである。
 この秩序ある状態にすることで、しっかりした学習が行えるわけである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2016年3月 | トップページ | 2016年5月 »