つれづれなるままに~相変わらずの野口節~
●25日愛知県のあま市に行く。
海部東部教育委員連絡協議会研修会である。
140名ほどの先生たちが集まっておられる。
見れば若い先生たちばかり。
教育委員の方々も集まっておられて、熱心に耳を傾けてもらえる。
もうここで3回目である。
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90分。「前回と同じ事ばかり話しますよ。笑うところも同じですよ。ここ笑ってくださいと言いますので笑ってくださいよ。」という感じで始める。
もう25日という時間帯は、先生たちにとっては4月からの学級経営に気持ちが変わっている。
目つきが違う。
新しく4月から赴任する先生たちも一部来られていて熱心に耳を傾けている。
必死になることである。
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夜、名古屋で玉置崇先生たちに会う。大治町の教育長などの先生も一緒である。
玉置先生とは1年ぶり。
昨年、愛知県の小牧中学校の校長から岐阜聖徳学園大学へ転身をされて活躍中である。
興味深いことをいっぱい聞く。
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3回生のゼミ生の話。
基本的な授業技術(例えば、全員参加の方法など)をきちんと教えて、現場の中学校で授業をさせたことの話。
その授業ぶりが見事である。
当校の校長からは「明日からでも本校に来てもらって授業をしてもらいたい」という評価を得たという。
お世辞だろうと思って、玉置先生も実際に見に行くと、なかなか見事な授業をこなしているということ。
まだ、3回生なのに、こんな結果をあげているのである。
ゼミ生に玉置先生がどんな指導をしているのか。
ぜひともくわしくまとめて本にしてほしいとお願いする。
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3回生のゼミ生が、現場で毎日5,6時間の授業をこなしている中堅やベテランの先生たちよりも優位な授業をするという、これだけでも驚くことなのだが、ここには何があるのか?
「1時間だけだからそうなるのだよ!」
と言うことは簡単である。
私はそんな簡単なことだとは思わない。
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そのゼミ生の授業が、「ごちそう授業」的に見事だということではない。
玉置先生は、そんなことは言われていない。
自分が教えたことは、全員参加などの基本的な授業技術をきちんと使って教えることだけ。
それでも授業で「全員参加」をさせていくだけでも、ほとんどの先生たちはやっていないのである。
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「授業はむずかしい。どんなに経験を積んでも、これで良いという授業はできない!」というような言葉は、何度も聞いてきたことである。
「ごちそう授業」的な「研究授業」を想定して、このように言ってきているのである。
私は「味噌汁・ご飯」授業を提唱して、実際に授業を作ってきた経験から、「授業はそんなにむずかしく考えることはないですよ」と言い切っている。
毎日、楽しくて、おもしろい授業をしようと思うなら、それは難しい。
でも、そんなことは誰だってできるはずはない。
教材研究の時間はないのであるから。
それでも、私たちは、「毎日1時間でも2時間でも手応えのある授業をしましょう!」と呼びかけている。
「手応えのある授業」とは、いつのまにか子供たちが「集中している授業」。
そんな授業を作り上げて、日常を豊かにしていくこと。
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今まで持っていた「授業」に対する価値観を転換させなくてならない。
「ごちそう授業」的な見せることを想定した授業から、日頃の授業を豊かにする授業へと。
●26日は横浜で野口塾。
私も一講座持たせてもらっているので、急ぎ参加する。
野口先生も、80歳になられた。
元気である。
そのことだけでもうれしくなる。
相変わらずの野口節。
先生たちも北は北海道から、南は九州の福岡までの参加。
鹿児島から横浜の先生になったばかり(実際にはまだだが)の人も参加されていたり、若い先生たちもいっぱい。
夜、福岡の先生たちと二次会まで行く。楽しかった。
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