質問に答えて~凌いだ日々はあったのですか?~
mika先生が私に質問をされている。
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野中先生、初めてコメントをします。
mikaと申します。
長瀬拓也先生の著書「ゼロから学べる学級経営」から野中先生のことを知り、それからブログを拝見しています。
私は教員4年目ですが、去年のクラスが崩壊寸前でした。自分のクラスなのに、冷たい空気が流れていて「この場所にいたくない」と感じてしまいました。
担任としてそう思ってしまう自分がすごく情けなくて、悔しかったです。
いつからか「子供に寄り添う指導」を目指していたのに、「子供の顔色を伺う」日々になってしまっていました。
今でも思い出すと胸が苦しくなり、時々夢を見ます。
現在は休職中なのですが(病休ではありません)自分の学級経営を反省し、1から学びたいと思い、時間がある時には学級経営の本を読んだり、先輩が他の体験談がのっているホームページを見たりしています。
そこで、野中先生にご質問があります。
野中先生にも、クラスが上手くいかず、「凌いだ日々」はあったのでしょうか?
もし、ありましたらその時のことお聞かせ願えますか?
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37年間担任として生活してきた。
その間に、学級崩壊という状態になったクラスはなかったが、かなりあやうい状態になったクラスは1回だけあった。
そのときは確かに「凌ぐ日々」であった。
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H小学校にいた頃、高学年で最高だと思われるクラスを作ったことがある。クラスに数人のリーダーがいた。男の子数人、女の子数人。この子供たちがクラスをまとめあげて、素晴らしいクラスになっていた。私が40代の時のことである。
このことで、私は学級づくりについてすごい自信をもつことができた。
「私の方法論でどんなクラスもうまく作ることができる!」という自信である。(実はこんな時が一番危険な時であったのだが)
自信満々で、S小学校へ異動した。4クラス平均の学校。
学校は荒れまくっていて、春の運動会は初めて見るような荒んだ運動会であった。
それでも、1年目、2年目は中学年の担任だったので順調だった。
3年目に持った6年生で、どん底に突き落とされるような思いになる。
私の方法論が通じないのである。
絶句する以外になかった。
4年生の時に受け持った子供が一部いたのだが、様変わりしていた。
「5年生の時、何があったんだよ?」と思わず聞いてみたくなるほどの変貌。
クラスの何人かは「生徒しない」のである。
この1年、それこそ「凌ぐ日々」を送ったことになる。
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しかし、私はへこむことはなかった。
忙しかったからである。
教務主任をやり、6年の担任をし、また趣味としてフルマラソンを走っていて、練習に明け暮れていた。女房の仕事の関係で、しばらくの間は夕食作りをしていて、いつも5時半か6時頃には学校から帰っていた。
こんなことがかえって良かったのだと思う。
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最後の勤務校になるO小学校へ異動して、S小学校の経験をきちんと振り返ることになる。
「あのことは何だったのだろうか?」
そんな振り返りである。
このままいけば、小学校も大変な状況になる。
異動したO小学校も大変に困難な学校で、ここも荒れまくっていた。ここではずっと高学年の担任として過ごす。
S小学校の経験を総括しての「学級づくり」を試すことができているので、クラスは順調に推移していった。
決してH小学校で作り上げた最高の学級を二度と作り上げることはできなかったが、普通に過ごしていける「学級づくり」である。
このO小学校では、管理職、教職員が一丸になって学校ぐるみの改革に着手していく。
あれほど荒れまくっていた学校が2年ほどですっかり落ち着いて、普通の学校へ変わっていったのである。
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このO小学校で、初めての本を出す。
『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』(学事出版)
私の55歳の時である。
S小学校での「凌ぐ日々」、O小学校での「改革の日々」がなければこの本を出すことはなかったであろう。
私の人生も大きく変わっていたであろう。
もうあれから13年の年月が経つ。
しかし、この本で提起したことは、まさに的確に状況を言い当て、その状況がさらに深刻化していることは確かであると、私は考えている。
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mika先生に質問されて、ざっと振り返ってみた。
言えることは、今では言い慣れた言い方になるが「ピンチはチャンスだ」ということである。
もし私がS小学校の困難な経験がなかったら、H小学校で有頂天になっただけの実践しか残せなかったと思われる。それをO小学校で生かすこともできなかったはずだ。
だから、ピンチの時の過ごし方が大事である。
必ず(必ずである)、教師は何度か学級がうまく行かないときが出てくる。
これからはどんな教師も危うい目に遭うと思った方がいい。
だからこそ、そうなったときのピンチの過ごし方が大事である。
そんなときは、普通に過ごせば良いのである。
できれば、その場をできるだけ早く離れることである。
気分転換。
このブログで何度も書いたことがあるが、日本の精神科医の大御所 中井久夫先生は、次のように言われたことがある。
「もし家に帰ってまでも担当の患者のことが思い出される
ようであったら担当を変わらなければいけない!」と。
ここまで徹底し、したたかになることである。
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