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なぜ多くの教師は授業がうまくならないのか?(2)

  なぜ多くの教師は授業がうまくならないのか?(2)

 多くの教師が授業がうまくならない。
 そんな断定的なことを言っていいのか?
 
 うまくなっているかどうか、それは主観的なもので、周りが判断できるのか。そう思われるかもしれない。
 
 多くの教師は自分が授業がうまくなっていっているのかどうか、そんなことを考えていない。
 忙しさに紛れて、目の前の蠅を追っているだけ。
 
 研究授業の時だけ、かろうじて自分の授業のことを考える。
 みんなに見られるからである。
   ★
 この数年間で700人以上の先生たちの授業を見たと書いた。
 だが、ほとんどの先生たちの授業は、5,6分見るだけである。
 
 その学校へ行って、全クラスの授業を見るために、どうしてもそのくらいの時間しか見られない。
 ここで考えた。
 
 この短時間で、その先生の授業力を見極めようとするならば、どこの、何を見ればいいのだろうか?
  その先生の授業力が集中して表れるところはどこなのだろうか?
 
 そんなところがあるのだろうか?
 そのように考えていったわけである。
  ★
 私が若い頃には、他の先生の授業を見る視点ははっきりしていた。次のような視点で授業は見ていた。
 
 1 子供たちが挙手をして数多く発言している。
 2 子供たちが積極的に話し合い、討論している。
 3 子供たちが深く考えられる「発問」になっている。
 4 見事な導入になっている。 
 5 教師の授業の演出の巧みさがある。
 6 板書、張り紙の工夫がある。

 ほとんど1,2,3。
 とにかく、子供たちの多くが意欲的に発言したり、話し合いをしたり、討論をしたりする姿、それを生み出す教師の考えられた「発問」に惹きつけられた。
 
 私も、このような授業を作りたいと願ったものである。
 ただ、そんな授業が見られることはまれでしかなかったが…。
 ★
 私は、今これらの授業を「ごちそう授業」と称している。
 すぐにはこのような授業はできない。
 教材研究を数多くこなし、子供たちにも、このような授業ができるように練習授業を積み重ねなければいけない。
 しかし、このような授業は毎日できない。
  公開の「研究授業」用の授業と言ってよい。
  若い頃には、毎日このような授業をしたいと願うこともあったが、所詮そんなことはできない。日常には耐えられないのである。
 
 こういう視点で、先生たちの授業を見ても、見当違いの判断しかできない。
 また、多くの先生たちは日頃このような授業をしていない。
 
 そうするなら、どういう視点を設けたらいいのか。
 それが問われてくるはずである。
 
 
 

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