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2015年12月

なぜ多くの教師は授業がうまくならないのか?(5)

   なぜ多くの教師たちは授業がうまくならないのか?(5)

 学校には授業技量が向上する方法論がないことを書いた。
 これが教師たちの授業がうまくならない原因の1つである。
 (ただ、学校によってはそうなっていないところももちろんある。)

 しかし、もう1つ大きな原因があると、私は考えている。
  それは、教師の日常の授業スタイルについてである。
 ★
 私は、その人間の真価を見極めるには、その人の日々の生活スタイルを見ればいいと考えている。どんなにうまいことを話したり、うまいことを書いたりするところには、その人間の真価はない。
 

その人が日々をどのように生活し、どのように過ごしているのか、そこにその人の価値や力量が表れる。
 

同じように、その教師の力量は、日々の子ども達への関わり方や「日常授業」の仕方に表れる。
 うまいことを声高に主張したり、うまい授業を提案したりすることに、その教師の真価は表れない。ましてや「研究授業」などには表れない。
 

日々の教師の生活スタイルの中に、その真価が表れるのだ。
 ★
 教師の日常の授業スタイルで気になっていることがある。

 多分、多くの教師たちが行っている日頃の授業は、「ぶっつけ本番授業」になっているのではないかということである。
 これは私がつけたネーミングである。

 何の教材研究も、何の授業準備をしないままに教室へ行き、
「今日は何ページからですか?」と問いかけて、授業を始める。
 

  もちろん、授業に慣れているから、いつものパターンで進められる。
 時間がないのである。授業準備をする時間もなかなか確保できない。だから、そうせざるをえない場合もある。
 

  しかし、慣れてきたら毎回このようにする。
 横でちらちら赤刷りの指導書を見る。
 

  指導書に沿って進めていけば、なんとかなる。
 子供も何の文句を言わない。
 ただ、つまんなさそうにはしているが……。

 こういう授業スタイルで進めていないだろうか。
 これに慣れてきたら、授業準備する時間があったとしても、ほとんどやらなくなる。
 特別に教材研究するのは、研究授業の時だけだ。
 
 でも、これはとても危険なことだと、自覚しておかなくてはならない。
 ★
 多くの教師が授業がうまくならない原因の2つ目は、ここにあると私は考えている。

 いつも指導書に引きずられた授業をしている。
 指導書なしでは授業がなかなかできない。
 
 こうなっていないだろうか。
 初任者ならば当然こうなるだろうが、もう中堅やベテランになっていてもこれである。

 なぜ、こんな授業が危険なのか。

 いつまでも自分なりの授業スタイル(授業法)が作り出せないからである。
 自分なりの授業法がなければ、「日常授業」を豊かにしていくことができない。
 
 教師はどんなに忙しくても「日常授業」がうまく展開されていればなんとかがんばっていけるのである。
 でも、それがうまく展開できなければ、「日常授業」が雑務化してしまう。   
  できればやりたくないという気持ちで授業をしても、うまくいくはずがないではないか。
 ★
 指導書に頼り切る生活を、できるだけ早く止めていかなければいけない。
 自分できちんと授業を組み立てる力量を身につけていかなくてはならない。
 

  これは当たり前のことであるが、それが多くの教師たちの常識にならなかった。
 だから、いつまでも多くの教師の授業がうまくならないのである。                                                                        (完)
 

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「日常授業」の改善にターゲットを絞る!

   網走小学校の本が売れている。
 明治図書のオンラインで10位になっている。
 
 網走小の先生は、
 「日本一地味で、普通の実践をまとめた本」ですと言われている。
 
 でも、この学校の躍進は半端ではない。
 体力面での躍進。また、学力テストでの躍進。
 その秘密が、この本を熟読してもらえば分かってくる。
   
  北海道から「日常授業」の改善の本は2冊目である。
 3冊目も、これから出版される予定である。
 
 北海道が、この「日常授業」にターゲットを当てて大きく変わっていこうとしている。

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なぜ多くの教師たちは授業がうまくならないのか?(4)

 なぜ多くの教師たちは授業がうまくならないのか?(4)

 授業を見ていく5つの視点をあげた。
 
  ① 全員参加の授業ができる。
 ② 指導言(発問・指示・説明)の区別が明確である。
 ③ 全体に視線が向けられている。
 ④ 子供たちを引き込んで、集中させられる。
 ⑤ 学習規律がきちんとしていて、とくにノート指導が
      しっかりなされている。

 しかし、誤解してはならないのは、これは「授業のねらい」ではないということである。
 本来は授業というのは、本時に掲げたねらいが達成できたかどうかによって判断されるものである。
 

  どんなに積極的に多くの子供たちが発言しても、どんなに活発に子供たちが活動しても、本時のねらいが達成できていなかったら、その授業は良くない。これは当たり前のことである。
 
 ここにあげている視点は、あくまでも「日常授業」を支えていく基本的技量が集中的に表れてくるところである。

 技量がある教師達は、必ずこの視点はクリアしている。
 私がこの4年間に得た経験である。
 ★
 ここまで書いてきて、「ないものねだり」をしているような感覚に陥る。
 
 この5つの視点を多くの教師はどこで知り、どのような手段で身につけていくのだろうかと、考えたわけである。
 毎日5,6時間の授業をただ繰り返しているだけでは、永遠に身につかないからである。
 ★
 「いや、うちの学校は重点研の研究授業で先生たちの授業技量をあげるようにしています!」と言われる学校がある。
  確かに、学校で教師が意図的に授業技量を上げる場はここしかない。
 

  本来は、研究授業はそのような趣旨で始まったはずである。

 だが、現実はほとんどそうなっていない。
 教師たちは、日頃やらない特別な授業を作って研究授業に臨む。
 
 だから、「日常授業」ではやっていない特別な授業をお互いに見せ合って、検討し合っているわけである。
 
 終わったら、「ああっ、終わった!」いう感覚。
 1年間のすべてが終わったような感覚になる。
 
 そして、明日からまた研究授業とは違う、いつもの「日常授業」が始まる。
 研究授業は特別、日常授業はまた別のもの。
 これを何十年と続けている。
 ★
 なぜ多くの教師の授業がうまくならないのか。
 その1つの答えが、学校には授業技量が向上する方法論がないのである。
 

  だから、多くの教師は、ほとんど授業がうまくなることはなかった。
 結局、今までの「授業研究」からは教師の授業技量は上がらなかったということが分かるのである。
 
 
 

 
 

 

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これは驚くべきこと

      驚くデータに出会う。
 統計学者の舞田敏彦さんのブログである。

 http://tmaita77.blogspot.jp/2015/12/blog-post_20.html   
  ★
 「職業別の睡眠・仕事時間」である。
2013年の国際教員調査で、世界の教員の中で、日本の教員が世界一働いていることはニュースになったのでご存じであろう。
 ところが、今回のデータは職業別の仕事時間である。
 
 私の今までの予想では、他の職業は、ブラック企業などもあって 長い時間働いているところがあると考えていた。

 ところが、このデータを見ると、なんと教員が一番長く働いていることが分かる。これにはびっくり。

 全職業の平均睡眠時間は、439分(7時間19分)で、仕事時間は554分(9時間14分)。教員は、睡眠が410分(6時間50分)、仕事時間が612分(10時間12分)。
 教員は平均的な労働者よりも寝ておらず、日本の中で一番長く働いている。
 これはあくまでも平均だから。
 いつも9時、10時頃まで学校にいる若手教員は、大変なことになるのであろう。

 学校は完全に「ブラック企業」になり果てている。
  データで明らかになった。

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mota先生からの途中経過

  ひさしぶりのmota先生からのコメントである。
 ★ ★ ★
野中先生お久しぶりです。
motaです。
紆余曲折ありながら、学年やフリーの先生方に助けていただきながら、いよいよ残り50日をきりました。強いストレスか、疲れからか激しい耳の痛みに襲われたりもしましたが、メンタルクリニックの先生にも助けていただき凌いでいます。最近、ようやく、このクラスが自分のクラスだなと思えるようになってきました。相変わらずな行動や言動に涙がでることもありますが、休みたい、学級に行きたくない気持ちは減り、子どもたちが愛おしいと思えるようにもなりました
。私の体を心配してくれる暴れ者だった男子たちや、先生と一緒に卒業式を迎えたいといってくれている子、今のクラスの状態を少しでも良くしようと周りに声をかけてくれる子。少しずつみんないい顔がみせてくれるようになってきたことが、私の支えです。
けれど、この学級のように、一度崩壊した学級は、解体せず周りの環境が変わらないために、自分達の状況が当たり前で、私のように力無い担任ではなかなか変わることができないことも改めて実感する日々です。私が担任じゃなければもっと変われたのでは。子ども達に申し訳ない気持ちとの戦いは毎日続いています。
あと、50日。何とか凌いで卒業式を迎えたいです。 
  ★ ★ ★
 良くなっている。そのように実感できるコメントである。
 きっとこの子供たちは卒業していく時には、mota先生に対してさまざまな感謝の気持ちを抱くであろう。
 

  そのように私は思ってみる。

「私が担任じゃなければもっと変われたのでは。子ども達に申し訳ない気持ちとの戦いは毎日続いています」と書かれている。

 この問いかけにmota先生は苦しんできたのかもしれない。
 だが、次のような子ども達がいる。
 ★ ★ ★
 私の体を心配してくれる暴れ者だった男子たちや、先生と一緒に卒業式を迎えたいといってくれている子、今のクラスの状態を少しでも良くしようと周りに声をかけてくれる子。少しずつみんないい顔がみせてくれるようになってきたことが、私の支えです。
  ★ ★ ★
 この子供達は、mota先生と向かい合ったのである。
 そして、このような行為ができるようになったのである。
 

  精一杯の感謝の気持ちが、このような行為になっているのではないだろうか。
 おそらく、この子供達は、mota先生が苦しんだ姿を胸に抱いて卒業していく。
 

  それは充分にその子供達の未来に託すに値することである。
 ★
 教師の仕事は、子供達一人一人と「物語」を作ることである。 
 その物語は、いつかその子供たちの未来を支えていくことがある。

 mota先生との1年間の子供たちの「物語」。
 今はマイナス的に考えられているが、そんなことはない。
 

  精一杯闘ったmota先生の姿は、子供たちの胸の中で熟成され、いつかきっとプラスに転化していく。
 

  そんな子供たちの未来に託していいではないか。

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なぜ多くの先生は授業がうまくならないのか?(3)

  なぜ授業がうまくならないのか?(3)

「日常授業」に耐えられる授業力とは、どういうものかという視点から考え直す必要があった。
 さまざまに検討した結果、次のような視点をまとめた。
 
 ① 全員参加の授業ができる。
 ② 指導言(発問・指示・説明)の区別が明確である。
 ③ 全体に視線が向けられている。
 ④ 子供たちを引き込んで、集中させられる。
 ⑤ 学習規律がきちんとしていて、とくにノート指導が
      しっかりなされている。

 この視点から先生たちの授業を見ていこうというわけである。
 ここに先生たちの授業力が集中して表れると考えたわけである。
 ★
 この視点が、多くの教師の授業力の向上とどうつながりがあるのだろうか。
 この5つの視点は、初任者は最初ほとんどできていないことである。
 

  しかし、中堅やベテランになると、この視点ができるようにならなければいけない。
 これができるようになることが、授業力を向上させていくということではないかと、考えたわけである。
 
 この視点は、あくまでも「授業づくり」の基本的技量である。
 

  だが、多くの教師たちがきちんとできていない。
 いつまでも初任者レベルの力量でしかないという先生は数多くいる。
 ★
 この視点について、少し説明しておこう。
 なぜ、これが基本的な授業技量なのかということである。

 ①について(全員参加の授業)
 授業は「全員参加」が原則である。これは当たり前の原則であ る。「でも、クラスには授業についてこれない子供たちがいます。全員参加の授業にすることができません」という先生がいる。他のプリントなどをやらせている。しかし、これは駄目である。できるところできちんとやらせる必要がある。
 

  むしろ、問題なのは、挙手発言だけで授業を進めていることである。いつも発言する子供3,4人だけが発言して、先へ進んでいく。ほとんどの子供が傍観者になっている。こんな授業が多すぎる。

 ②について(指導言の区別)
 教えたいことが多くあるために、ずっと説明していく授業をしている。「おしゃべり授業」と名付けている。授業の8,9割ずっとしゃべっている。しかも、指導言がめちゃくちゃで、発問なのか指示なのか、説明なのか分からない平板な授業。
 

  子供たちは聞いていない。飽き飽きしている。
 まず、きちんと「今発問を出しているとき」「今指示を出したとき」「今説明をしているとき」と区別を自覚して授業を進めるべきである。

 ③について(全体への視線)
 発言している子供だけを見て、聞いている。黒板に書いている子供だけを見ている。こんな先生が多い。
 

  それでは駄目だ。発言している子供をちらちら見ながら、他の子供の方を見る。黒板に書いている子供をちらちら見ながら、他の子供の方を見る。
 大切なのは、当事者だけではなくて、他の子供たちがどのように当事者の意見や黒板に注目しているかである。
 

  そのことでクラス全体の授業への集中が分かる。
 だから、常に全体に視線を向けておくこと。ただ、漠然とみていては駄目だ。

 ④について(子供たちへの集中力)
 いつも「おもしろい」「楽しい」授業をしよう、と意気込むことはない。所詮「日常授業」でそれを実現していくことは無理である。そういう授業を準備する時間もない。
 

  ただ、必要なのは子供たちを引き入れ、集中させていく方法論である。
 私が見てきた700人の授業者の中で、一握りの授業者は、子供たちを集中させる授業をしていた。
 その授業を分析してみると、共通する授業法を駆使していることが分かってきた。
 
 ⑤について(学習規律)
 北海道で訪問した学校で、学力向上を果たしている学校が共通に取り組んでいた課題が、学校ぐるみで学習規律を統一していたことである。特に、ノート指導を徹底している学校は軒並み学力向上を果たしていた。ここが大きなポイントになる。   
 ★
 以上あげた5つの視点が、基本的な技量に関わることであることは明らかである。
 だが、多くの教師たちにとって、このような技量を身につけようと試みることはなかったのであろう。
 

  だから、いつまでも授業がうまくならない。
 この5つの視点を基盤にしなければ、その上に乗せていく授業の課題などは夢のまた夢になる。
 

  さて、どうして多くの教師たちは、このような技量を身につけられないのか。
 もう少しそのことについて考えたい。

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なぜ多くの教師は授業がうまくならないのか?(2)

  なぜ多くの教師は授業がうまくならないのか?(2)

 多くの教師が授業がうまくならない。
 そんな断定的なことを言っていいのか?
 
 うまくなっているかどうか、それは主観的なもので、周りが判断できるのか。そう思われるかもしれない。
 
 多くの教師は自分が授業がうまくなっていっているのかどうか、そんなことを考えていない。
 忙しさに紛れて、目の前の蠅を追っているだけ。
 
 研究授業の時だけ、かろうじて自分の授業のことを考える。
 みんなに見られるからである。
   ★
 この数年間で700人以上の先生たちの授業を見たと書いた。
 だが、ほとんどの先生たちの授業は、5,6分見るだけである。
 
 その学校へ行って、全クラスの授業を見るために、どうしてもそのくらいの時間しか見られない。
 ここで考えた。
 
 この短時間で、その先生の授業力を見極めようとするならば、どこの、何を見ればいいのだろうか?
  その先生の授業力が集中して表れるところはどこなのだろうか?
 
 そんなところがあるのだろうか?
 そのように考えていったわけである。
  ★
 私が若い頃には、他の先生の授業を見る視点ははっきりしていた。次のような視点で授業は見ていた。
 
 1 子供たちが挙手をして数多く発言している。
 2 子供たちが積極的に話し合い、討論している。
 3 子供たちが深く考えられる「発問」になっている。
 4 見事な導入になっている。 
 5 教師の授業の演出の巧みさがある。
 6 板書、張り紙の工夫がある。

 ほとんど1,2,3。
 とにかく、子供たちの多くが意欲的に発言したり、話し合いをしたり、討論をしたりする姿、それを生み出す教師の考えられた「発問」に惹きつけられた。
 
 私も、このような授業を作りたいと願ったものである。
 ただ、そんな授業が見られることはまれでしかなかったが…。
 ★
 私は、今これらの授業を「ごちそう授業」と称している。
 すぐにはこのような授業はできない。
 教材研究を数多くこなし、子供たちにも、このような授業ができるように練習授業を積み重ねなければいけない。
 しかし、このような授業は毎日できない。
  公開の「研究授業」用の授業と言ってよい。
  若い頃には、毎日このような授業をしたいと願うこともあったが、所詮そんなことはできない。日常には耐えられないのである。
 
 こういう視点で、先生たちの授業を見ても、見当違いの判断しかできない。
 また、多くの先生たちは日頃このような授業をしていない。
 
 そうするなら、どういう視点を設けたらいいのか。
 それが問われてくるはずである。
 
 
 

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なぜ多くの教師は授業がうまくならないのか?(1)

 

   なぜ多くの教師たちは、毎日5,6時間の授業をやりながら、「授業力」が向上しないのか。
 不思議に思ったことはないだろうか。
 
 他の仕事関係の人から考えたら、とても考えられないことである。
 
 もちろん、反論はある。
 「私は年々授業はうまくなっているんです!」と。
 でも、そう言える先生はまれであろう。
 ★
 初任者研修で、初任者に「あなたたちは毎日授業を続けていればそのうちに授業がうまくなっていくと思っていませんか?」と問いかけることをよくした。8割方の初任者は、頷く。
 
 そのように思っているのである。
 授業の経験を積み重ねれば授業はうまくなっていく。
 常識的に考えれば、誰だってそう思うはずである。
 
 「幻想です!」と答える。
 そんなことはありえない。現実がそうなっている。
 
 毎日5,6時間授業を積み重ねている中堅、ベテランのほとんどがうまくなっていない。
 
 私は、ここ数年間に700人近くの先生たちの授業を見てきたが、断定的にそう言い切ることができる。
 
 どうしてなのか?
 そのことについて考えていきたい。(続く)
 
 

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クラスをうまく立て直した先生と、今大変な先生と。

  こんなコメントが入る。
 今年6月頃に、このブログに相談をされたさくら先生である。
 うれしくなった。クラスがうまくいったのである。
   ★ ★ ★
 野中先生こんにちは。
6月頃に相談させていただいた、2年生担任の初任者です。
2学期に入ってからは、徐々に子どもとの関係が築けてきたのか、大きなトラブルもなく、1学期に比べて大分落ち着いてきました。
油断するとすぐに騒がしくなるので、油断は禁物ですが、毎日子どもを叱ったり、一緒に笑ったり楽しく過ごしています。
野中先生、ありがとうございました。
 ★ ★ ★
 私はこのコメントに、次のように書いた。 
   ★ ★ ★
 さくら先生、コメントありがとうございます。
 落ち着いてきてよかったですね。私もうれしくなりました。これで1年目を何とか切り抜けることができますね。よかったです。
何が決め手になりましたか?わかる範囲で教えてください。
  ★ ★ ★
  クラスが落ち着いてきたことには、原因があるからである。
 その決め手が何だったのか。分かればこれからの参考になるからである。

 それを受けて、さくら先生からは、以下のようにコメントが入った。
 ★ ★ ★
 お返事ありがとうございます。
1学期は毎日子ども同士のけんかが絶えず、誰かは必ず怒りが爆発して喚き散らす毎日でした。その中で、子どもと一対一で話をしたり、保護者と連絡をとる中で、子どもと信頼関係を築けたのかな、と思います。縦糸張りにもつながっていったのかもしれません。
2学期になると子どもも再びやる気いっぱいで学校に来るので、それもいいリセットになったのかとも思います。自分自身も気持ちをリセットでき、少し気持ちに余裕をもって毎日を過ごせるようになったのも理由かもしれません。
本当にしんどかった1学期でしたが、今思うとあのトラブル続きの毎日は今の状態を作るために必要な時期だったのでは…とも思います。クラス替えで今までとは違う人間関係の中で、子ども達は衝突しながら関係を学んできたのかな、と。
落ち着きは取り戻しましたが、集団としての力はまだまだなので、3学期は集団としての力を伸ばしていけるように頑張りたいと思います。
  ★ ★ ★
 初任者は、クラス担任の最初にどうしても「仲良し友達先生」になってしまう。知識としてはそのようになってはいけないと分かっていても、ついついそうなってしまう。(分かっていないと悲惨なことになる。)

「仲良し友達先生」になってしまうと、教室に秩序を作れない。無政府状態になる。
 担任は怖くないし、厳しくもない。だから、一部のやんちゃが勝手気ままに動き出す。もめ事がしょっちゅうというのもその結果である。さくら先生のクラスもそうだったはずである。それが6月頃にピークになる。魔の6月。
 
 ところが、さくら先生はそれからが違った。
 「仲良し友達先生」ではだめだと分かっていたからである。縦糸張りがそれからできるようになっていったのである。「教師」として振る舞うことの意味を、子供たちとの関係の中で実感としてつかんできたのだと思われる。
 
 私は、このように分析するのだが、どうだろうか。
 ★
 他のコメントも入っている。
  高校の2年目の先生である。
 辛い、大変な生活を送っておられる。
 困難校で担任として過ごされていて、その大変さがよく分かる。
 先生の力量が、困難な生徒たちに対応できない。
 客観的に判断すれば、そのように思える。
  ★ ★ ★
 こんばんは。私は高校で教員をしています。今年で二年目です。本当に毎日苦しくて、どうしたらいいのかわからず、辛くて仕方のない日々です。生徒のこと、授業のこと、保護者のこと、様々なことが襲いかかってきます。ある先生は、私は現在の赴任校で年齢が一番低いこともあって、周囲の先生方からは良い発散口になっているのだと言われました。そうなんだろうなとも思います。私は現在、県内でもかなり学力の低い学校で勤務しています。そんな生徒でも、一生懸命に教えて、丁寧にめんどうをみれば、必ず伸びると信じてきました。ある程度、結果も出てきています。でも、それに対して、なかなか頑張れない生徒も大勢います。今の私は、たくさんの仕事が迫ってくるなかで、日々を生きることに精一杯です。
  ★ ★ ★
 学校では一番若い先生。
 その若さへの親近感が、この先生にマイナス的に襲っている。先生を先生とも思わない態度でからかわれるということであろう。
 いわゆる「生徒しない」生徒に悩まされる。

 先生の教師としての姿勢は、立派である。
 がんばって、今を凌いでほしいと願っている。

  担任として過ごされているのだろう。でも、あと3ヶ月。凌いでほしい。
 
 悩む先生たちにとって、大変な状況は永久に続くと思いがちである。
 決してそんなことはない。
 
 そのうちに、ふっと暖かい風が吹いてくる。
 そういう状況が訪れる。
 そのように人生はなっているのであるから。

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つれづれなるままに~初任者指導教員の講座を引き受けて~

 ●北海道から帰ってきてから、左目が赤く充血。今回はひどいので急ぎ目医者  に行く。「疲れからの充血です」と。
 3つの目薬をもらう。
 

そうこうしているうちに、今度は右足の親指のつけねに違和感が走る。痛風の兆候か!しばらく様子見である。
 北海道の疲れが、さまざまに表れている。
 

  もう、こういう日程は組めないなあとしみじみと思う。

●ずっと気になっていた日本教育新聞の原稿をやっと書き上げる。
 2016年の新年号特集で学校図書館を応援するものだという。
 「学校図書館へ寄せる思い」というテーマ。
 

  何を書くか、なかなか取りかかれない。
 締め切り間近。
 とにかく1200字。

●『新卒教師時代を生き抜く心得術60』(明治図書)はおかげさまで18版になっている。
 初版が2007年3月だから、もう8年経つ。
 

   60の項目の中で、今の主張と合わないところがいくつかある。  そこでここらで書き直すことにした。
 それも締め切りが迫っている。
 がんばらなければ……。

●明治図書から校正原稿が4つ 送られてくる。
 新卒教師時代シリーズの各学年版である。私とそれぞれの著者が書いている。
 

  4つの原稿とも、なかなかまとまっている。
 これで初任者に1つの大きな方向を示せるのではないか、「いいぞ!」という気持ちになる。
 

  いやいや、このシリーズ本は、初任者だけではなく、多くの中堅やベテランにも参考になるものではないのか。
 そんな思いにもなる。
 来年の2月に発刊。

●千葉県のある市から講座依頼。
 初任者指導教員の講座である。4月6日であるから、それこそ最初の講座になる。
 

  初任者指導の講座は、8つぐらい持っているのであるが、指導教員の講座は初めて。引き受ける。
 というのは、この指導教員に今大きな問題があるからである。
 

  指導教員と初任者に、今大きな溝がある。
 指導教員が指導することが、今の初任者に合わないことが多々ある。
 

  指導教員は良かれと思って指導しているが、ずれていることがある。
 指導教員が初任者になった頃と、現在では大きな違いがある。
 

  そのことを踏まえないで、自分の頃のことを想定して指導しようとする。うまくいかない。
 もはや都市圏で大学出たての初任者がクラスを受け持つなんて、無理になっていると、私は認識している。
 

  初任者の力量では、とてもクラスにいるやんちゃや保護者に対応できないからである。もうそこまで来ている。
 だが、現実はそうはいかない。だから、さまざまなクラスで学級崩壊が起こるのである。
 ★
 かつてある校長さんが退職されて、初任者指導をされた。校長としては名高い人だったらしい。
 4人の初任者を担当された。
 

  結果的に、3人のクラスが学級崩壊状態になった。あとの1人も4,5月は厳しかった。
 どうしてこういうことになるのか。
 

  その校長さん、始業式の次の日から「明日から1時間ごとの指導案を書いてきなさい」と指導したのである。
 A4一枚でも、初任者にとっては1時間以上の時間がかかる。
 

  自分でもきっとやったことがないことを、こうして初任者に指導する傲慢さ。
 ただでさえ、学級づくりに専念しなければいけない時に、これである。
 

   しかし、校長さんは、善意での指導。
 授業さえうまくこなしていけば、クラスはうまく行くと思っての指導なのだ。
 

   ここが自分の頃とずれる。分かっていない。
  はっきり言えば、最初に授業の指導なんてしてはだめだ。学級づくりに専念させること。授業は精一杯できることをやらせればいい。授業について指導しても、すぐにはうまくいかないのだから。
 

   ところが、指導教員は、ああのこうのと授業の問題点を指摘する。初任者はすぐにできない。
 そこで指導教員と初任者の間に溝ができてくるのである。

●北海道函館市立八幡小学校の校長先生から新聞の切り抜きを送ってもらった。
 先日の同校での公開授業研究会のことが、函館新聞と北海道通信に掲載された。私の授業の様子が大きく掲載されていた。

  その新聞を送ってもらったのである。ありがたいものである。

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網走小学校の公開研究会に参加しました!

  ●12月3日、北海道女満別空港へ行く。
 北海道は風雪で荒れていると聞いていたので心配したのだが、晴れている。ほっとする。
 
 指導主事の先生に迎えにきてもらい、網走へ。20分ほど。
 いつものセントラルホテルへ行く。
 
 とにかく寒い。
 夜、オホーツク教育局の指導主事の先生たちとの懇親会。
 さまざまな情報交換をする。
 ★
 網走小の本が4日の公開授業研究会に合わせて送られてきているはずだが、まだ到着していないとO教頭から連絡あり。あわてて明治図書まで連絡をする。
 4日の朝までに何とか間に合う。ほっとする。
 ★
 4日、朝8:20にホテルまで迎えにきてもらう。
 よく晴れている。
 
 網走小学校の公開授業研究会の日。参会者は全部で224名。
 受付には、真新しい出版本が重ねられている。
 
 3,4時間目が公開授業。午後から協議会になる。
 そして、最後に、私の講演会。
 
 全クラスの授業を見て回る。1クラス3分程度。
 子供たちの集中力はすごい。
 
 先生たちの授業のレベルも、大変なものである。私が今まで見て学校の中でもトップ級に入るレベルである。
 とくに、若い先生たちが力をつけているのがよく分かる。
  ★
 私の講演のテーマは、「これからの北海道教育に期待すること~全国・全道の実践から見えたこと~」。
 
 この網走小で3年間公開授業研究会に参加してきて、締めくくるには最適なテーマである。
 網走小が提起したことは何か、という話をする。

 NHKプロフェショナルに登場したパティシェ 杉野英美を引き合いに出しながら、彼が言った言葉がまさにこの網走小が実践してきたことではないかと提起する。

 「当たり前を積み重ねると特別になる」

 網走小は、当たり前のことにこだわり、徹底・継続して取り組んできた。目新しいことや、特別なことに取り組んではいない。
 
 「年間1000時間の授業を大切にしよう。公開研究会の授業は1000分の1に過ぎない」と全体で言い聞かせている。
  ★
 研究会が終わって、校長宅(学校に併設されている職員住宅)で出版記念を兼ねた懇親会が行われた。
 私も参加させてもらう。
 
 楽しかった。
 職員の一人になったような気分で、日本酒を飲み過ぎる。
 
 多分、わけがわからないことを口走ったのではないかと思う(笑)。
 翌朝まで酒が残っていた。
 
 これで11月10日からの過酷な北海道巡業が終わる。やっと今年は終わりになる。

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連絡します!

   網走から帰ってきて、パソコンが不調になり、これまでパソコンなしの生活であった。また、メールが全部だめになり、消えてしまった。2回目である。
 連絡をすると、パソコン自体の不調が原因だという。
 急ぎ訪問サポートの人にきてもらい、見てもらう。
 やはり、パソコンに問題があり、取り替えた方がいいということになった。
 そういうわけで、メールやブログで滞ってしまった。
 関係の方、申し訳ありません。
 また、1つのメール(kazenifukareteの方)がみんな消えてしまいましたので、連絡がある方はよろしくお願いします。

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網走小学校の本が出る!

   北海道網走小学校の本『日常授業&校内研修ガイドブック』(明治図書)が発刊されている。明治図書のオンラインで見ると、早速30位にランクインされている。
  「味噌汁・ご飯」授業シリーズの1冊として刊行されたものである。
 いわゆる「日常授業の改善」をどのように網走小学校は行っているのかという報告・提案である。
 8月に発刊された北海道北広島市の大曲小学校の続刊になる。

Cover

監修者として私は次のように序文に書いた。

 ★ ★ ★ 
年間1000時間の授業で子供を育てる
                  北海道学校力向上事業アドバイザー 野中信行

 本書を執筆した網走小学校へは、2回の公開研究会に講師として参加したことがある。鮮明な記憶が甦る。
 1回目に訪れた時には、「授業が上手な先生が多いな!」という感想。網走小は、年来からの研究校であり、これは当然という感想であった。
 しかし、2回目の訪問では、驚く。「すごい授業をしている先生たちがいる。この中の数名の先生は、北海道の中でも5本指に入るくらいの授業者ではないのか!また、この先生たちに続く若手の先生たちが何人もいる」と印象を受けた。そして、何よりも「子供たちが素晴らしい」という驚き。何があったのだろうかと思わせるぐらいの変貌を、私は見て取ったのである。この時、網走小が打ち出していたのは、次のような言葉。
「公開研究会のための授業、打ち上げ花火のような授業では、決して子どもに力は付かない」
「年間1000時間の授業を大切にしよう。公開研究会の授業は、1000分の1に過ぎない」
 この学校は、学校力向上事業を引き受け、北海道教育委員会が打ち出した「日常授業」の改善に真正面から立ち向かっていたのである。平成27年度の全国学力テストでは、秋田の平均点を抜いていると聞く。低学力に苦しむ北海道では特出した学校になっている。
 特別な何かをしているのであろうと想像されるだろうか。
 しかし、この学校は地味で、シンプルな「当たり前のこと」を徹底して繰り返しているに過ぎない。スローガンは、「共通・一貫・徹底・継続」なのである。
 「『当たり前』を徹底すると、特別になる!」
 網走小学校は、見事に、この言葉を私たちに突きつける。
 ★ ★ ★

 

 ぜひこの学校の心意気を読み込んでほしいと願っている。

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田中博司先生の2冊の本~避けて通れない課題へ~

    田中博司先生が、2冊の本を出版された。
 『通常の学級 特別支援教育の極意』(明治図書)
 『通常学級 子どもと子どもがつながる教室』(学事出版)
 通常学級では、必ず何人か、支援を必要とする子供がいる。
 毎日悩ませている子供たちも多い。

 この本は、そんな子供たちへのヒントが満載である。
 私たちは避けて通れない最大の課題になっている。
 田中先生は、その課題に1つの道を準備されている。
 ぜひお薦めしたい。

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キズのついた「りんご」は甘い!

  隣の人からりんごをもらった。
 「知り合いからもらったものですが、キズがついているりんごです。見た目は悪いですが、とても甘くおいしいりんごです。食べてみて下さい。」と、申し訳なさそうに言われた。
 

 その知り合いが福島に行ったとき、道路の前の軒先に「いくらでもいいですから」と書いてあったりんごだった、と。
 千円を入れて、数多くもらってきたという。
 ★
 キズのついたりんご。
 このりんごは甘くなるというのは知っていたのである。
 

 確かに食べてみると、甘くおいしい。
 キズがあり、売り物にはならない。だが、りんごはキズがあるだけ甘味を増すのである。
 

 りんごもまた、キズがあるという分だけしっかり甘味を出すのではないだろうか。
  ★
 このことは人間にも言えることではないか。
 失敗し、挫折し、傷ついた分だけ、人間にも甘味が増える。
 

 当事者は嘆き悲しむが、そんなことは人生にはつきものだと納得しておく方がいい。
 「やっちゃった!まあ仕方ないか!」
 

 そのようにうそぶいて、粛々としていた方がいい。
 失敗し、挫折し、そのようにしながら自分なりの生き方が堅固に形づくられていく。
 ★
 キズだらけのりんご。
 しっかり冷蔵庫に入れてある。
 

 大切に食べよう~~っと。

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