なぜ多くの教師は授業がうまくならないのか?(5)
なぜ多くの教師たちは授業がうまくならないのか?(5)
学校には授業技量が向上する方法論がないことを書いた。
これが教師たちの授業がうまくならない原因の1つである。
(ただ、学校によってはそうなっていないところももちろんある。)
しかし、もう1つ大きな原因があると、私は考えている。
それは、教師の日常の授業スタイルについてである。
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私は、その人間の真価を見極めるには、その人の日々の生活スタイルを見ればいいと考えている。どんなにうまいことを話したり、うまいことを書いたりするところには、その人間の真価はない。
その人が日々をどのように生活し、どのように過ごしているのか、そこにその人の価値や力量が表れる。
同じように、その教師の力量は、日々の子ども達への関わり方や「日常授業」の仕方に表れる。
うまいことを声高に主張したり、うまい授業を提案したりすることに、その教師の真価は表れない。ましてや「研究授業」などには表れない。
日々の教師の生活スタイルの中に、その真価が表れるのだ。
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教師の日常の授業スタイルで気になっていることがある。
多分、多くの教師たちが行っている日頃の授業は、「ぶっつけ本番授業」になっているのではないかということである。
これは私がつけたネーミングである。
何の教材研究も、何の授業準備をしないままに教室へ行き、
「今日は何ページからですか?」と問いかけて、授業を始める。
もちろん、授業に慣れているから、いつものパターンで進められる。
時間がないのである。授業準備をする時間もなかなか確保できない。だから、そうせざるをえない場合もある。
しかし、慣れてきたら毎回このようにする。
横でちらちら赤刷りの指導書を見る。
指導書に沿って進めていけば、なんとかなる。
子供も何の文句を言わない。
ただ、つまんなさそうにはしているが……。
こういう授業スタイルで進めていないだろうか。
これに慣れてきたら、授業準備する時間があったとしても、ほとんどやらなくなる。
特別に教材研究するのは、研究授業の時だけだ。
でも、これはとても危険なことだと、自覚しておかなくてはならない。
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多くの教師が授業がうまくならない原因の2つ目は、ここにあると私は考えている。
いつも指導書に引きずられた授業をしている。
指導書なしでは授業がなかなかできない。
こうなっていないだろうか。
初任者ならば当然こうなるだろうが、もう中堅やベテランになっていてもこれである。
なぜ、こんな授業が危険なのか。
いつまでも自分なりの授業スタイル(授業法)が作り出せないからである。
自分なりの授業法がなければ、「日常授業」を豊かにしていくことができない。
教師はどんなに忙しくても「日常授業」がうまく展開されていればなんとかがんばっていけるのである。
でも、それがうまく展開できなければ、「日常授業」が雑務化してしまう。
できればやりたくないという気持ちで授業をしても、うまくいくはずがないではないか。
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指導書に頼り切る生活を、できるだけ早く止めていかなければいけない。
自分できちんと授業を組み立てる力量を身につけていかなくてはならない。
これは当たり前のことであるが、それが多くの教師たちの常識にならなかった。
だから、いつまでも多くの教師の授業がうまくならないのである。 (完)
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