福山憲市先生とのコラボ講座(3)
福山先生は、今回の講座のために、ノート1冊を作って臨まれていた。
私の本を読み、ブログ5年間をさかのぼって読み通して、参加されていた。私は恐縮する以外になかった。
相手から何かを学ぶためには、それだけの予習をしなければいけないと言われていた。
すごいことである。
★
教師人生には、往路と帰路がある。
そんなことを講座の最後に私は語った。
これを登山にたとえる。
福山先生は、富士山に登られた。今、その頂上におられるのかもしれない。
私は、神奈川県の大山(たいして高くはない山)を登った。
往路は、ただひたすらに登り詰めていく。
失敗もあり、挫折もつきものだが、登ればいい。志さえ忘れなければ頂きを目指して前へ前へ進めばいい。
富士山と大山では、見える風景が違う。その頂への困難さは富士山が圧倒的に大きい。
でも、登頂した喜びや見える光景などが違う。
富士山に登ったものでしか味わえないものがあるはずである。
だが、登ったら下りなければいけない。
どんなに高い山でも低い山でも、再び麓に下りてこなければいけない。これが「帰路」である。
教師ならば、「往路」はだいたい40歳までになり、45歳頃までに「帰路」を決めなくてはならない。
たとえば、管理職の道へ進むのか。
あるいは普通の教師として進むのかなど。
その選択肢を選ばなければいけない。
「往路」は目指すべき頂があるので、ひたすらそこへ向かえばいい。しかし、「帰路」はむずかしい。
歌にも「行きは良い良い、帰りはこわい」とあるように。
教育界の先人森信三先生は、次のように言われている。
★ ★ ★
往相はやがて還相に転ぜねばならぬ。
そして還相の極は、施であり奉仕である。(一語千鈞)
★ ★ ★
往相とは「往路」のことであり、「還相」とは「帰路」のことになる。
往路はあれほど素晴らしかったのに、帰路を間違う人がいる。
往路はあれほど意気揚々としていたのに、帰路をすべり落ちるように下がっていく人がいる。
帰路はそれほどにむずかしい。
★
福山先生は、「帰路」もまた授業人として全うしようとされている。
いや、富士山登頂に飽き足らず、エベレストにも行くぞと意気込んでおられるのかもしれない。
私は、福山先生に教育界の「法然」になってほしいと願っている。
あの浄土宗の法然である。
高い頂きに登った人にしか理解できないことがあり、伝えられないことがあるためである。
★
平安末期、仏教界に君臨していたのは、南都北嶺といわれた旧仏教である。現在は、「顕密仏教」と言うらしい。
奈良、平安期は国家の支持を受けた仏教体制が世の中を支配していた。この頃僧侶は、いわば国家公務員だったのである。
この時代、世の中は荒れ、道ばたには死体がごろごろと転がるような悲惨なことだったらしい。
民衆は、この世に何の希望も感じられなかった時代。
そんな時代に、在野の坊主が現れてくる。彼らは、「聖」とよばれた。
その「聖」の中から、民衆の支持を集める人物が浮上してくる。
法然が、その中での大スターである。
彼は、比叡山をすすんで脱落し、市井に聖として身と投じた人物。
易行を唱え、念仏をすすめた。
「南無阿弥陀仏」と唱えれば良いのだ、と。
耐えがたい修行や小難しい教えではなく、シンプルな念仏で良いと民衆に教えた。
当時の民衆は、法然によってどれほど救われたか。
★
結局、私たちは、「日常授業」に還されてきているのである。
「ごちそう」授業 から「日常授業」へ。
「日常授業」をどれほど豊かにしていくのか。
それが教師として生きられるか生きられないのか、最後の砦になるのだ、と。
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