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つれづれなるままに④~大曲小公開研が提起したこと~

  ●大曲小の公開研の続きである。
 最後の助言者からということで、私は4つのことを話した。
 
 ただ、時間がなかったために急ぎ話をした。
 ここでは少し付け加えて書いておきたい。
 ★
  1つ目は、「1時間の国語授業をどうしたらいいか」の1つの提案がなされている。(単元4時間目の授業)
 
 最初に子供たちと相談しながら、最初の学習課題を決め、そして、最後の到達課題(「まとめ」と設定されている)も同時に決めていく。
 
 最初に学習課題を設定するのは、どこのクラスでも行われているが、最後の到達課題を決めていくのはほとんどないであろう。
 
 「到達課題」(まとめ)
 「きつねの窓をのぞいた前は~~~~~~~~~だったが、
  後は~~~~~~~~~~~~に変化した」
 「~~~~~」のところを学習の最後に子供たちそれぞれが自分の言葉でまとめるのである。
 
 国語の授業で何を学習しているのか曖昧な授業が多い。
 その中で、このようにきちんと1時間で何を学んでいくのかを明らかにしていっている。
 画期的な提案である。
 ★
 2つ目は、「物語文の授業をどうしたらいいか」の1つの提案がなされている。
 物語文は、本単元でも6時間扱いになっている。
 その中で、「登場人物の心情の変化」をとらえていく授業をしなければいけない。それが単元のねらいである。ほとんどの物語文がそうなっている。

 「心情語」を使った提案がなされている。
 これは、「味噌汁・ご飯」授業研究会で開発したもの(もともとは福嶋隆史さんが提案されたことを、私たちが光村図書の巻末にある「感情を表す言葉」を参考にして低学年用、高学年用とまとめたもの)。 
 
 それを当校でさらに進化されている。
 なぜ、「心情語」を使うのか。
 
 そのねらいは、子供たちの全員参加。
 今までは、「登場人物はどんな気持ちだったでしょうか」という発問は、最悪の発問だと考えられてきた。少数の子供たちしか答えられない発問だからである。
 
 しかし、この「心情語」を使うと全員の子供たちが参加できることになる。
 教科書に採用される物語文は、ほとんどが登場人物の「マイナスの気持ち」が「プラスの気持ち」に変化するものである。
 
 だから、この「心情語」を使えばみごとに、「マイナス」から「プラス」に変化して行く様子が分かる。
 その意味で、これは画期的なものである。
 
 この「心情語」はどんな学力を身に付けさせるのか。
 「具体」を「抽象」する学力。
 文脈に沿って書かれてあるものから1つの「心情語」を導き出すのである。
 
 確実に、これらの実践が子供たちに「学力」を身に付けさせているのは、6年生の学力テストの結果が証明している。
 
 ただ、この「心情語」の授業は始まったばかりのものであり、その扱い方についてはこれからもっと考えられていくべきである。
 
 ※この「心情語」については、『「味噌汁・ご飯」授業 国語編』(明治図書 野中信行・小島康親編)を参照してほしい。

   ★
 3つ目は、K先生がこの授業で駆使されている「基本型」の授業。 私たちは、「小刻み活動法」と名付けている。

 子供たちを集中させるにはもってこいの方法である。
 どういうものか。
 
 それは、教師の指導言(インプット)の後に、すぐに「アウトプットの活動」を入れて行く。
 小刻みにとんとんインプット→アウトプット活動と進んで行く。
 
 この授業法は強力である。
 この基本型を身に付けたら、全てに応用が可能である(ただ、生活科や総合には使えない)。

 でも、すぐにはできない。
 「おしゃべり授業」をしている先生たちは、その脱却には意図的継続的な試みが必要である。
 
 先日の東京講座で福山憲市先生も再現授業を提案されていたが、見事にこの「小刻み授業法」を駆使されている。しかもハイレベルである。

 私も「味噌汁・ご飯」授業として、この「小刻み授業法」で提案授業を各地でくり返している。
  ★
 4つ目は、新しい授業スタイル、研修スタイルが提示されているということ。これは学校全体での試み。

 今までの日本の授業研究は、「ごちそう」授業づくりをしてきた。 今も続いている。
 
 この「ごちそう」授業は、日本全国の学校現場では「研究授業」として具現化されてきた。
 日頃やっていない授業を時間をかけて作り、それを公開していくという授業方式。その授業を互いに見せ合って検討する。
  
  そんなことをして、何が変わったのか。
 ほとんど何も変わっていない。
 
 先生たちの授業力もほとんど向上しない。
  子供たちの学力もほとんど向上しない。

 考えてみれば当たり前である。
 1000時間以上、研究授業とは別の、関係のない「日常授業」をくり返しているからである。
 
 今までその「日常授業」は一向に問われなかった。

 このことで大曲小は、大きな問題提起をしている。
 「研究」を「研修」に変え、「ごちそう」授業づくりから「味噌汁・ご飯」授業へとターゲットを振り替えている。

 今、こんなことに組織的に手を付け始めたのは、北海道教育委員会だけである(先日講演に行った愛知県春日井市教育委員会も取り組み始めていた)。
 道教委の中の数多くの学校が、「日常授業」を問題にして研究・研修を始めている。
 学力向上の結果も、はっきり現れている。
 
 当たり前である。
 1,2時間でなく1000時間以上をターゲットにしているから。

  まだ始まったばかりである。
  でも、確実に狼煙(のろし)は上がっている。
 これが大きなうねりになるときに、確実に日本の「授業研究」が変わっていく時代を迎えるであろう。

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