若さを過大視してはならない!
●19日に横須賀の初任者研修会、21日で三島での静岡初任者研修会、22日東京杉並での学級経営研究会。先週は、3回走り回った。
今回初任者研修会をしながら気づいたのは、初任者の受け止め方の違いである。
まだ、担任として生活をしていない始業式前研修では、なかなかぴんとこない事例が、1ヶ月半を過ぎた初任者には真剣なこととして受け止められる。
何が問題だったのかがはっきり分かるのである。
ただ、クラスで起きている今の課題をこれから克服していけるかどうか、そこにかかっている。
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初任者には、簡単に今までのクラスの状況をチェックしてもらった。
以下の項目である。
とても良い◎ まあまあ〇 できていない✕
<縦糸張り>
1教師の指示に対して、すぐに子供たちは動き出して
いるか。
2教師に対して、ため口ではなく、きちんと敬語(丁寧語)で話しているか。
3掃除や給食はすばやく落ち着いた動きができているか。
4教師が話すとき、子供たちは静かに教師の方を見て聞いているか。
5ルールをめぐって子供たちが「ああだ、こうだ」と混乱することはないか。
<横糸張り>
6教師は、子供たちとよく遊んでいるか。
7子供たちは親しげにいろいろなことを話しかけてくるか。
8教室で笑いがおこることがよくあるか。
9教師は、進んで子供たちの良い点を伝えたり、ほめたりしているか。
10教師の話に、ほとんどの子供が明るい表情で耳を傾けているか。
得点をつける。
◎…10点 〇…5点 ✕…0点
この点数の目安は、次のようになる。
70点以上…順調
50点、60点…まあまあ
50点以下…がんばりましょう
初任者は、50点以下になる場合が多数ある。
★
初任者は<縦糸張り>に✕がついていることが多いのではないだろうか。
このブログでも何度も言ってきた「仲良し友だち先生」として振る舞ってきた結果である。
「気の良い兄さん・姉さん」は、最初子供たちに歓迎されるが、時間が経つにつれて、だんだんうまくいかなくなっていく。
外山滋比古さんは、そこのところを次のように書いた。
★ ★ ★
人と人は近ければ近いほどよいなどということはない。近いものは、近いものに、よい影響を及ぼすことができない。フランスの哲学者がそう言っているが、真理をつくことばである。
学校を出たての新人教師はハリきっている。こどもの前で「キミたちといっしょになって勉強しよう。先生ではなく兄貴だと思ってくれ」などとイキがるかもしれない。こどもとの年齢差が小さすぎる。教師としての致命的ハンディである。それに輪をかけるように年齢差を縮めるようなことを言ったりするのはものがわかっていないのである。もののわからない人が人の子を導くことは難しい。
若い教師が若ぶるのは悲しむべき誤り。逆のことを考えるべきだ。若く見られてはいけない。服装なども、すこし地味に、きちんとしたものにする。
昔、田舎の医師が、若いくせに金縁のメガネをかけ、上等な洋服を着こんで患者に、この先生、かなりの年輩かと錯覚させるような工夫をした。のんきな学校の先生よりよほど人間を知っていたのである。(『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』<幻冬舎>)
★ ★ ★
外山さんのこの指摘は、本質をついている。
・年齢差が小さ過ぎるのは、教師としては致命的ハンディ ーになる。
・それに輪をかけるように年齢差を縮めるようなことを言うことはものがわかっていないこと。
・若く見られてはいけない。
学校現場は、これらのことがきちんと分かっていない。 「若さ」をあまりにも過大視していくところがある。
だから、若い先生たちは「若さを子供たちにぶつける」「若さで乗り切っていく」ということをあまりにも軽く考えていて、勘違いにつながっている。
最後に外山先生は次のように書かれている。
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年が近すぎると トラブルになりやすく
生徒にとって 先生がえらく見えない
えらくない先生に 教わってはコトだ
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