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第8回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

  第8回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
  「日常授業」が雑務になっていないか?

 私の37年間の担任生活の中で、一番快い時間を過ごしたのは、意図した授業がうまく流れたときである。
 きまって放課後職員室で「今日は、うまく行ったなあ!子供たちもうまく乗ってくれたなあ!」とお茶を飲みながら満足感に浸る。
 最近、こんな時間を先生たちは持てているのだろうかと心配になる。
 どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、教師を最後に支えていくのは、「日常授業」なのだと、私は考えている。
 部活指導でも、生徒指導でも、行事指導でも、特活指導でもない。
 もちろん、それでも教師を支えている先生はいるが、教師の本分できちんと支えられなければやはり厳しい。
 今日も6時間、明日も6時間の授業。
 この「日常」が豊かでなければ、教師として長生きはできない。
 これがなければ、疲弊し、ぼろぼろになる。
 「日常授業」が、「雑務」になる。
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 「今日も6時間、明日も6時間」という「日常」を繰り込んでいない授業論や「授業研究」は、所詮「ごちそう」授業づくりにしかすぎない。
 どんなに見栄えが良く、すごい授業でも、その時だけのもの。
 大切なことは、毎日の授業をいかに豊かにできるか、それを考える。
 私たちの「味噌汁・ご飯」授業には、こんな考えが根底にある。 ★
 学校が機能不全に陥っている。
 都市圏を中心に広がる「学級崩壊現象」は深刻である。
 このままでは確実に「学校の終わり」が来る。
 対抗できるのは、先生たちの「元気さ」だけである。
  この元気さを支えるのは、「日常授業」であると、私たちは確信している。
 しかし、先生たちの勤務時間で1時間さえも教材研究にさいていく時間はない。(私たちは、せめて1時間は教材研究の時間を生み出す仕事術を工夫すべきだと主張はしている)
 よほど意図的に工夫しなければ、「日常授業」を豊かにすることはできない。
 だから、「味噌汁・ご飯」授業なのである。
 次回からは、具体的に私たちの授業論を書いていきたい。

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