第6回なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
第6回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
3だけ(聞くだけ、見るだけ、写すだけ)
の「おしゃべり授業」から脱却しよう!
「おしゃべり授業」をしている先生たちは、自分が「おしゃべり授業」をしているという自覚がほとんどない。
ある5年目の先生の社会科(6年生)の授業を見たことがある。
その先生は、ずっと説明をしながら、板書をしていかれる。
説明はうまい。時々、かけあいで子供にふって、それに子供が簡単に答える。
考えられた板書でよくまとめられている。
子供たちは、ずっとノートにその板書を写している。
完全に「おしゃべり授業」。
子供たちは、聞くだけ、板書を見るだけ、写すだけ。(「3だけ授業」と言っている)
1時間が滞りなく終わる。
先生は終わって「今日もやった!」という満足気な様子。
参観を終わって、先生との話し合いで私の感想を伝える。
「先生、あの授業で子供たちは何を考えたのでしょうか?」と。
ほとんどの活動は、先生の話を聞くことと板書を写すことだけ。
発問をされて、それに自分なりの予想をすることもない。
ペアやグループで話し合うこともないし、自分の答えを発表することもない。
粛々と進むが、それで終わり。
子供たちは何も考えることはない。
意外とこんな授業は多いのではないだろうか。
いわゆる講義式の授業。
社会科の歴史の授業は、覚える知識も年号もいっぱいあるために話し合いだけで授業は進むはずはない。
それは十分分かった上で、こんな授業を変えなくてはならないと思う。
こんな「おしゃべり授業」から子供たちは離れていっているのだ。
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