« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月

初任者研修会へ行く~睡魔との闘いです~

  神奈川県の海老名市の初任者研修会に行く。
 学級経営のことについての話。2時間。

 30数名の初任者。小中ともに学級担任を持っているということ。 
 
 もう1ヶ月が終わる。
  席についた初任者は、疲れ切っている表情。
 
 座るとすぐに眠くなるはずである。
 咳が出ている初任者も数人いる。
 風邪をひいている。睡眠不足でこうなる。
 
 この時期に話すことは大変である。
  冒頭の教育長の話で、「今日は睡魔との闘いです!」と話されたものだから、ますます初任者は緊張する。

 ★
 この時期に初任者がよく陥る事例を話しながら、具体的な話に入る。

 クラスは賑やかになっている。
 なかなかうまく進んでいかない。
 
 授業は毎時間進めなくてはならない。
 その教材研究だけでも大変である。睡眠不足になる。
 
 会議や研究会はしょっちゅう。
 分刻みの生活。
 
 クラスは荒れ始めているのではないかと気落ちしてしまうことがある。
 そして、自分は教師に向いていないのではないかという自問が始まる。
 よくあるパターン。

 ★
 大方の先生は、このようなところから出発したはずである。

 私のメッセージは、シンプルなこと。
 数多くのことは入らない。

 ・「教師」として子供たちの前にいなくてはならない。
 ・「叱る」ことに躊躇しない。毅然とする。
 ・縦糸と横糸をバランス良く張ること。横糸は多く。

 最後に質問の時間があった。
 1人の先生の質問。
 それならということで、数多くの先生が手を挙げて質問された。
 とにかく問題だらけなのだ。

 がんばって1年間を終えてほしい。
 そう願うばかり。
  私のメッセージが、初任者の心に届いたのであろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第12回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

  第12回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
   「日常授業」改善のためにターゲットになる4つの授業

 3年間で延べ500人以上の先生たちの授業を参観させてもらった。ほとんどは5,6分刻みの参観。それでもその時間で十分その先生の授業を把握する視点を最近持つことができるようになっている。場数を踏んだ成果である。
 「日常授業」の改善というテーマに引き寄せて言えば、改善すべき授業が見えてきた時間でもあった。
 どんな授業なのか。
 まず、多くの先生たちがはまっていた授業は、「おしゃべり授業」。
これは今までも書いたとおりである。
 授業の8,9割をずっとしゃべり続ける授業になる。
 「教えること」があり、その内容を教え込んでいく授業になる。
 2つ目は、「学力定着不足授業」。
 授業のインプットの部分は、とても丁寧な指導になるが、それを練習し、身に付けていく定着の部分がいい加減に済まされる授業。たとえば、算数の場合などは、練習問題まで行き着かなくて、いつも宿題に回されていく。そのような授業を繰り返していく。当然、学力が定着できる部分をいい加減にしているので、学力は上がらない。
 3つ目は、「基礎・基本不足授業」。
 どの教科でも、きちんと身に付けていく基礎・基本はある。
 たとえば、国語でいえば、漢字、基礎的な文法、音読など。これをきちんと授業で扱わないで、宿題に回されていく。でも、定着しない。授業できちんと扱っていかなくてはならないものを宿題にしてしまうためである。
 4つ目は、「挙手発言型授業」。
 ほとんどの授業を挙手発言で済ませていく授業である。
 できるだけ数多くの子供たちを発言させようと試みるが、挙手するのは、いつもの子供たち。全員参加の授業にはならない。傍観者をいつも作っていく授業になる。
 「味噌汁・ご飯」授業では、さまざまな指名方法を駆使して、全員参加の授業を作ろうと試みるが、そういう工夫がない。
  
 この4つの授業が「日常授業」改善のためにターゲットになる授業である。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

きちんと叱りなさい。ガンといくの!

   学校が始まってほぼ2週間が過ぎた。
 クラスを受け持った初任者も、今忙しさに翻弄されて、もがいている状況ではないだろうか。
 
 ある先生から相談を受けた。
  ★ ★ ★
 社会人を経験した初任者。
 とても真面目で熱心な男性で、いつも遅くまで授業の準備をしている。
 ところが、2週間過ぎて、そのクラスの女の子の名札に死ねと書かれたり、一人の子が教室に入れず廊下で座り込んでいたり……。そんな状況が出てきている。
 管理職や同学年の先生に相談したら、授業準備をがんばっているから、いいんではないかという話である。
  ★ ★ ★
 管理職や同学年の先生は、一生懸命に授業の準備をしているから、そのうちにクラスも落ち着いてくるのではないかと予測されている。
 相談をされた先生は、私の本などを読んでおられるので、危険を感じておられる。
 
 相談をされた先生の危機感は正当である。
  今のうちにてこ入れしないと、クラスの状況は大変なことになる。
 以前では、このような危機的な状況になるのは、6月頃だったのだが、今は早くなっている。周りの先生は、そのように覚悟しておかなくてはならない。

 この学校の管理職や同学年の先生は、根本的な間違いをしている。
 授業をちゃんとやれば何とかなるという昔ながらの発想で初任者を判断している。危険である。
 
 初任者の授業は、どんなに教材研究をして準備をしてもたかが知れている。初任者は初任者の授業しかできない。
とにかく授業は、できることをやればいいのである。

 もっと危険なのは、この初任者も、授業を何とかすればうまくいくと思って、必死で授業の準備をしているところである。
 
 初任者がまずやらなくてはならない第一のことは、そんなことではない。
 ここが分かっていない。
 いや、誰からも教えられていない。
 だから、こうなるのである。
  ★
 今、多くの初任者が主になってやっていることは、授業の準備。
 
 でも、ほんとうにやらなければいけないことは、2つ。 子供との「関係づくり」と「学級づくり」。

  先の初任者がつまづいているのは、多分子供との「関係づくり」だと予想できる。
  いわゆる子供と仲良しになろうと「友だち先生」になっている恐れがある。
 叱らないで、優しい先生。
  子供たちは、こんな甘い先生に対して足元を見ている。 すぐに荒れる。
 
 このことが分かっていない管理職、初任者指導、周りの先生たちが多すぎる。
  ★
 もう1つは、「学級づくり」。
 子供たちは、クラスがスムーズに進行していくことをとても好む。
 いわゆる「ゲーム世代」の子供たちは、スピード感いっぱいに慣れきっている。だらだら、まったり、ゆっくりなどは体が無意識に拒否する。
 これは無意識だからどうしようもない。
 すっ~~~と進行していくことが大好きなのだ。

 だから、初任者の「学級づくり」がスムーズに進んでいないで、立ち止まることばかりが多いとそれだけでクラスは停滞する。
 とにかく、クラスの1日がスムーズに進行するように「仕組みづくり」が分かっていなくてはならない。
 つまり、次のようなこと。

 ①朝自習
 ②朝の会
 ③授業1時間~6時間
 ④給食
 ⑤清掃
 ⑥終わりの会

 とりあえず、この6つがスムーズに進むようにすればいいのである。
 ★
 すでに2週間で荒れていく兆候が見えているクラス。
 子供たちとの「関係づくり」がまずいのである。

 特に、「縦糸」が張れていない。
 「横糸」ばかりで迫ろうとしているはずである。

 こういう初任者の先生に助言するとしたら、とりあえず1つだけ。いっぱい助言してもだめだ。入らない。

「先生!あなたは教師なんだから。子供たちの友達ではないんだよ。やってはいけないことを子供たちがやったらきちんと『叱りなさい』。厳しくガンといくの!」

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)
|

つれづれなるままに~タフになるには、まずタフである演技をすること~

  ●「味噌汁・ご飯」授業本の編集者の一人であるK先生と一緒に、横浜中央図書館に行く。本格的な調べ物をしなければいけないからである。係の人に、調べることをチェックしてもらう。実に丁寧な対応。
 

  驚いたのは、午前中から平日なのに多くの方がおられること。
 もちろん、年輩の人が多い。
 

  パチンコや昼オケ(昼にカラオケをすること)に行くよりも、こうして図書館へ行くというのは好ましいことである。知的好奇心がまだまだ発揮できているから。

●横浜の西口で「とんこつラーメン」と書いてあるので入ってみた。
 九州の佐賀の出身なので、「とんこつ」には弱い。
 
狭い階段を上がって2階へ行くと、食券を買うことになっている。
 それを買って、中へ入ろうとすると、係の人が「奥から2番目にどうぞ!」と。「えっ」と思い、狭い通路を歩いて行くと、席があった。隣は、若い女性の人が食べている。両隣は見えないように仕切られている。これはどこかで見たことがある。「あっ、そうだ。郷里のお寺で仕切られている仏壇に似ている」と思っていると、前につり下げられているすだれがスルスルと上げられて、「食券をお願いします」と。「はい」。係員が食券を受け取ると、またすだれがスルスルと下げられる。待ち時間。両隣が仕切られているので、何か一人部屋にいるような感じ。しばらくすると、またすだれがスルスルとあげられて、頼んだラーメンが差し出される。差し入れをされている心境。食べていると一人孤独な時間にいるような感じになる。隣を気にすることは確かにない。「これは、まあ、これで良いのではないか!」と思いつつ、帰ろうとすると、仏壇(じゃない)の前にいる人たちが全部ぎっしり埋まっていた。流行っている。もう1回ぐらい来てもいいかなと思いつつ、狭い階段を下りていった。

●横浜西口に中古のCDなどをおいてある大きな店がある。
 中古のレコードもある。今ブームになっているらしい。
 

  ここによく来る。
 CDを買う。
 
5枚買えば、1枚につき200円ずつ差し引いてくれる。
 

  私の仕事の習慣は、必ずバックに音楽がある。この音楽にどれほど助けられたことか。
 大好きなのは、やはりピアノ曲。ピアノ奏者のルービンシュタインやピリスやアルゲリッチをよく聴く。
 

   私の高校の友人は、定年退職したあとに、午前中は毎日クラシックの時間になるという。「これを聴いていると、毎日世界を旅行している気分になるよ」と言っていた。
 

  人生を豊かにしてくれるのは、やはり自分を魅了してくれる音楽に出会えることであろう。

●世界に影響を与える100人に、日本から村上春樹さんと近藤麻理恵さんが選ばれていた。近藤さんは、コンマリと呼ばれて、整理術の第一人者。世界でも翻訳されているらしい。
 

   村上春樹さんは、もう世界でも有名な小説家。
 村上さんは、以前のブログでもお知らせした通り、現在「村上さんのところ」というブログで、皆さんの質問に答えますというコーナーを開いている。
 https://twitter.com/murakamisanno
 

  くだらない質問がいっぱいあって、笑ってしまうことがかなりある。「こんなことを『世界の村上』に質問していいのか?」ということだが、村上さんはていねいに答えている。
 

  村上さんの答えられた中で、目を惹いたのがある。

 ★ ★ ★
こんなことを言うとあるいはまた馬鹿にされるかもしれませんが、規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。誉められてもけなされても、好かれても嫌われても、敬われても馬鹿にされても、規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。本当ですよ。だから僕はできるだけ規則正しく生きようと努力しています。朝は早起きして仕事をし、適度な運動をし、良い音楽を聴き、たくさん野菜を食べます。それでいろんなことはだいたいうまくいくみたいです。試してみてください。
  ★
タフになるには、まずタフである演技をすることです。きちんと一生懸命演技をする。ふりをする。そんな演技を長くきちんと続けているうちに、じっさいにタフになれます。ほんとですよ。やってみてください。人格とはほとんど役柄のことなんです。
  ★
うん、僕にとっても今でも、僕の最大のライバルは過去の僕自身です。大事なのは、過去の自分を乗り越えていくことです。かつての自分を更新し、ヴァージョン・アップしていくことです。いつも「自分に負けたらおしまいだ」と思っています。他人のことなんか気にしないで、自分をしっかりと見つめていくことが大事ですよ。自分にきっちり勝つことができれば、他人にも勝てます。というか、勝ち負けなんてほとんど気にならなくなります。実はそれがいちばん大事なことなんです。
★ ★ ★
 

  最近若い先生に「仮面をつけよ」と私が言ったことをブログに書いた。村上春樹さんも同じように言っていることに気づく。
「タフになるには、まずタフである演技をすることです」と。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第11回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

  第11回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
   強力な「小刻み授業法」!


 北海道教育委員会の学校力アドバイザーになって3年が経った。
 この3年間で、延べ500人ぐらいの先生たちの授業を見ることができた。
 「これはすごい!」という授業もいくつも見ることができた。
 私が注目した授業は、3人の先生の授業。
 「ごちそう」授業ではない。毎日、このような授業をしているのだろうと想像できる授業。いわゆる「味噌汁・ご飯」授業であった。
 子供たちは授業に集中していた。
 テンポが良いし、とんとん進んで行く。
 ゲーム世代の子供たちにとってうってつけの授業と思えた。
 ★
 その先生たちの授業を分析した。
 「どうしてこんなに子供たちを集中させていくのか?」
 その3人の先生に共通する特徴があった。
  つまり、まとめてみると、次のようなパターンで授業は展開されていくのである。
┌────────────────────┐             
│ 1指示――1活動――発表――フォロー                
│(1発問)          (確認)                         
└────────────────────┘             
 私たちの「授業づくり3原則」(指導言―活動―フォロー)で言えば、「1指示(あるいは1発問)」が「指導言」、「1活動」「発表(あるいは確認)」が「活動」、そして「フォロー」である。
 「1指示」「1活動」なのである。
 いくつも指示は出されない。また、いくつも活動はさせない。
 ちょこちょこである。
 それがとても効果的。
 「授業づくり3原則」が、このような授業法を生み出しているととらえることができる。
 この授業法を「小刻み授業法」と名付ける。
 授業は、このパターンを繰り返していく。
 それだけで子供たちは集中する。
 強力な授業法と言える。
 ただし、生活科や総合の授業には使えない。それは活動の時間がまとまって必要であるからである。
 私たちは、このような授業法が、「授業づくり3原則」からさまざまに生みだされていくことを期待している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第10回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

  第10回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
  仕事のスタイルを変えていこう!


 「授業づくり3原則」について書いた。
 私たちは、この3原則で授業を作り、実践している。
 シンプルにすると、「教えて」―「活動させて」―「ほめる」というパターン。きわめて当たり前のことになる。
 私たちの「味噌汁・ご飯」授業の目的の1つは、「日常性の追求」。忙しい「日常」に耐えられる授業づくりである。

それでも教材研究をする時間を作り出すのは、容易ではない。
 私たちは勤務時間の中で1時間の教材研究の時間を作ることを提案している。もちろん、今のままでは確保できない。どうしても仕事術を持たなければいけない。
 今、学校の中で一番仕事がはやい先生は、誰だろうか。きっと子育て中のお母さん先生ではないだろうか。保育園に子供を迎えにいかなくてはならない。そうしたら、5時には仕事のけじめをつけなくてはならない。必要な仕事を、てきぱきとすばやく仕上げる。そうしなければ5時の勤務時間終了までに仕事は終わらない。会議や研究会があるときには、家へ持って帰るということにもなる。
 「味噌汁・ご飯」授業は、こういう先生たちのためにも必要な授業として開発してきたものである。
 勤務時間の中で、1時間の教材研究の時間を作るとなると、仕事をはやく終えていくための仕事術が必要。
 この仕事術で、次のことができるようになると、ずいぶん時間が生み出されてくることになる。
┌────────────────────────────┐
│ テストの丸付け、ドリル・スキル類の丸付けなどを授業中に
│ 行う。できなければ、教室で隙間時間を使って行う。      
└────────────────────────────┘
  どうだろうか。この時間が放課後のほとんどになっている現実を変えなければいけない。
 仕事のスタイルを変えていく。これが大きなテーマになる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)
|

つれづれなるままに~順調に滑り出しておられるだろうか~

  ●日本教育新聞からの取材。
 「味噌汁・ご飯」授業についての取材である。
 

  取材の最後に、「この『味噌汁・ご飯』授業を実践している学校などはありますか?」と質問される。
 北海道の北広島市の大曲小学校を紹介する。
 橫藤雅人校長の学校。
 

  この学校は、数年前から「味噌汁・ご飯」授業として実践を深められている。
 7月には、明治図書からその実践をまとめて本にされることも決定している。楽しみなことである。

●神奈川県のO町教育委員会から連絡あり。
 O町は、今年の研究テーマが「日常授業の改善」。
 

  私にアドバイザーの依頼である。
 喜んで引き受ける。
 

  こうして北海道だけでなく、少しずつ本州でも「日常授業」の改善をテーマにする教育委員会が増えていくと、予測される。
 「学力向上」を目ざすならば、当然の手立てである。

●4月6日兵庫県三木市へ行く。
 新横浜から新神戸まで2時間30分。
 

  朝9時に出て、夜9時過ぎに帰ってくるという強行軍。
 「学級を軌道に乗せていく1年間の学級づくり」をテーマに90分の講座。
 

  初任者の先生たちが含まれているので、その先生たちを意識しての話になる。明日始業式を迎えるという。
 見事に桜が咲き誇っていた。

●4月7日は、横浜のK小学校。
 6日に始業式を迎えていて、2日目である。
 

「めちゃくちゃに忙しい時に来まして、申し訳ありません。すぐに帰りますので,よろしくお願いします」などと挨拶をして、話を始めた。
 先生たちにはほんとに申し訳ない時間帯である。
 
  3月26日からほとんど毎日こうしてあちこちと旅芸人みたいに続けてきた講座も、これで終わり。
 ほっとする。
 

  「1ヶ月だ。1ヶ月で勝負は決する!」と叫び続けてきたことになる。
 先生たちは順調な滑り出しをされているのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第9回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

     第8回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
  授業づくり3原則ということ。

 「味噌汁・ご飯」授業の授業法を提案している。
 この授業法を作り出すときに、そのアイデアをもらったのは、中村健一先生の『学級担任に絶対必要な「フォロー」の技術』(黎明書房)である。
 中村先生は、「お笑い」の研究をされている。
 その研究で、お笑いは、「フリーオチーフォロー」によって成り立っていることを発見される。
 たとえば、昔のコント55号(欽ちゃんと二郎さん)の笑いは、まず欽ちゃんが二郎さんに「二郎さん、これやって」と「フリ」をふる。二郎さんは、「どれどれと挑戦してずっこける」。これが「オチ」。それに欽ちゃんが「フォロー」を加えて笑いを起こす。
 笑いを生み出すシステム。
 このシステムは、授業でも言える。
 まず、教師が指導をする。これが「フリ」。
 そして、子供たちが活動をする。「オチ」。
 それに教師が、評価言を加える。「フォロー」。
 要するに、私たちの授業も、「フリーオチーフォロー」のシステムで成り立っている。
 ところが、中村先生は、この本(上の本)で、先生たちは「フォロー」を加えていくことがあまりにも少なすぎると指摘されている。
お笑いで言えば、最後の「笑い」がないのである。それではお笑いにならない。
 でも、先生たちの授業は、最後の「フォロー」がない。ほんとうなら授業として成り立たないはずである。
  ★
 私たちは、このシステムを「味噌汁・ご飯」授業としての授業法に生かした。「授業づくり3原則」である。
┌────────────┐                              
│ 指導言―活動―フォロー                              
└────────────┘                              
 この3原則をもとにして、授業を作ろうという提案になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第8回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

  第8回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
  「日常授業」が雑務になっていないか?

 私の37年間の担任生活の中で、一番快い時間を過ごしたのは、意図した授業がうまく流れたときである。
 きまって放課後職員室で「今日は、うまく行ったなあ!子供たちもうまく乗ってくれたなあ!」とお茶を飲みながら満足感に浸る。
 最近、こんな時間を先生たちは持てているのだろうかと心配になる。
 どんなに忙しくても、どんなに疲れていても、教師を最後に支えていくのは、「日常授業」なのだと、私は考えている。
 部活指導でも、生徒指導でも、行事指導でも、特活指導でもない。
 もちろん、それでも教師を支えている先生はいるが、教師の本分できちんと支えられなければやはり厳しい。
 今日も6時間、明日も6時間の授業。
 この「日常」が豊かでなければ、教師として長生きはできない。
 これがなければ、疲弊し、ぼろぼろになる。
 「日常授業」が、「雑務」になる。
 ★
 「今日も6時間、明日も6時間」という「日常」を繰り込んでいない授業論や「授業研究」は、所詮「ごちそう」授業づくりにしかすぎない。
 どんなに見栄えが良く、すごい授業でも、その時だけのもの。
 大切なことは、毎日の授業をいかに豊かにできるか、それを考える。
 私たちの「味噌汁・ご飯」授業には、こんな考えが根底にある。 ★
 学校が機能不全に陥っている。
 都市圏を中心に広がる「学級崩壊現象」は深刻である。
 このままでは確実に「学校の終わり」が来る。
 対抗できるのは、先生たちの「元気さ」だけである。
  この元気さを支えるのは、「日常授業」であると、私たちは確信している。
 しかし、先生たちの勤務時間で1時間さえも教材研究にさいていく時間はない。(私たちは、せめて1時間は教材研究の時間を生み出す仕事術を工夫すべきだと主張はしている)
 よほど意図的に工夫しなければ、「日常授業」を豊かにすることはできない。
 だから、「味噌汁・ご飯」授業なのである。
 次回からは、具体的に私たちの授業論を書いていきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第7回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

第7回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
  「おしゃべり授業」をまず克服する第一歩。

 

 「おしゃべり授業」の問題を書いた。
 でも、この授業はなかなか克服していくには容易ではない。
 それは、教える内容が多くある場合、どうしてもしゃべらざるをえないことになるからである。
 そして、授業は教師が流れを作るために必ず半分ぐらいは教師の説明(おしゃべり)によって成り立っていく。
 
 だから、私たちは、まずこの克服の始めを2つの視点から行うことを提案している。

  1,「おしゃべり」を整理する。
 2,90%を50%に減らす。
 
 1については、指導言を整理しなくてはならない。指導言とは、大西忠治先生が提言されたことである。
 発問、指示、説明のことである。
 大西先生は、「授業において教師が子供に向かって発する言葉」と言われている。
 「おしゃべり授業」は、この3つ(発問・指示・説明)を区別しないで平板にただだらだらとしゃべっている授業なのだ。
 発問……問いかけ
 指示……行動を促す言葉 ~しなさい。~しましょう。 説明……事柄の内容や意味を説明すること
 
 だから、まずやらなければいけないのは、自分の授業で「今、自分は説明をしているときだ」「今、自分は発問を投げかけたのだ」「今、自分は指示を出したのだ」と自覚するところからである。
 ほとんどの教師たちがこの自覚がない。
 
 2については、授業の90%も教師が話していては、ほとんどが「聞く」だけの授業に終始していく問題である。 だから、小学校の場合は、その90%を50%に減らすこと。(中学校は、そうはいかないだろう。教える内容が多い。それでも60%か70%で止めなければいけない) それでは、「あとの50%をどうするか」ということになる。
 これは明確である。
 「活動(作業などを含める)」をさせること。
 これしかない。
 もう少しくわしく言うと、次の5つになるはずである。
 
 ①ノートに書く。
 ②発表する。
 ③ペアで話し合う。
 ④グループで話し合う。
 ⑤体を動かして活動する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

初任者は仮面をつけるのです!

ある講座で質問が出た。
「初めてクラスを持つのですが、このままでは子供たちの
 前でそのままの自分を出してしまうと思っていたのです が、今日野中先生の話を聞いて、仮面をつけて子供たち の前に立つということなのでしょうか?」
 
 まだ、講師ということだが、クラスを持つことになった先生の質問である。

「先生、そうです。教師という『仮面』をつけて教師を演じるのです」と、答えた。

 「仮面をつける」とは、ちょっと抵抗がある言葉であろう。何か妖怪仮面をつけるような感じ。(笑)
 だが、おもしろい表現。

  ★
 「ありのままの自分で子供たちに迫っていけばいい」と指導する先生は多い。
 だが、このように迫ってどれだけクラスを荒らしていく初任の先生がいることか、分かっておられない。
 

  彼らは、自分のありのままで、仲良し兄さん、姉さんになって子供たちと友達になろうとしてしまう。
いわゆる「仲良し友達先生」である。
 

  私が見聞きしてきた初任者で、これで迫ってクラスが崩壊し、教師を辞めていく事態を迎えたものは数限りなく多いのである。
 ★
 「野中信行」という個人が学校へ行けば、「教師」になる。子供も同じように学校へ行けば「〇〇ちゃん」から「生徒」になる。
 

  学校は、「野中信行」と「〇〇ちゃん」という個人的関係では「教育(学び)」は成立しない。
 教育の成立のためには、「教師」と「生徒」という関係が求められる。
 

  だから、「野中信行」に「教師」という仮面をかぶってもらわなければ、子供たちも「生徒」ができない。
  ★
 「教師」を演じるという言葉も抵抗がある先生がいる。 だが、初めての初任者が子供たちの前に立つというのは、そういうことなのである。
 

  素のままの自分を子供たちの前にさらしてはならない。 
 初任者は、子供たちの前で次のような態度を示さなくてはならない。

 ①毅然とする。
 ②はきはきした聞き取りやすい声を出す。
 ③指示を出し、指示に従っているかどうか確認して、
  すばやく行動する。
 ④叱るときには、きちんと叱る。

 これが最初の縦糸の張り方になる。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)
|

第6回なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

  第6回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
   3だけ(聞くだけ、見るだけ、写すだけ)
          の「おしゃべり授業」から脱却しよう!

 「おしゃべり授業」をしている先生たちは、自分が「おしゃべり授業」をしているという自覚がほとんどない。
 ある5年目の先生の社会科(6年生)の授業を見たことがある。
 その先生は、ずっと説明をしながら、板書をしていかれる。
 説明はうまい。時々、かけあいで子供にふって、それに子供が簡単に答える。
 考えられた板書でよくまとめられている。
 子供たちは、ずっとノートにその板書を写している。
 完全に「おしゃべり授業」。
 子供たちは、聞くだけ、板書を見るだけ、写すだけ。(「3だけ授業」と言っている)
 1時間が滞りなく終わる。
 先生は終わって「今日もやった!」という満足気な様子。
 参観を終わって、先生との話し合いで私の感想を伝える。
 「先生、あの授業で子供たちは何を考えたのでしょうか?」と。
 
 ほとんどの活動は、先生の話を聞くことと板書を写すことだけ。
 発問をされて、それに自分なりの予想をすることもない。
 ペアやグループで話し合うこともないし、自分の答えを発表することもない。
 粛々と進むが、それで終わり。
  子供たちは何も考えることはない。
  意外とこんな授業は多いのではないだろうか。
  いわゆる講義式の授業。
  社会科の歴史の授業は、覚える知識も年号もいっぱいあるために話し合いだけで授業は進むはずはない。
 それは十分分かった上で、こんな授業を変えなくてはならないと思う。
 こんな「おしゃべり授業」から子供たちは離れていっているのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

初任者指導の先生たちに告げる!~初任者がつまづく3つがある~

  最近、赴任前研修、始業式前研修をする教育委員会が増えている。
 この傾向は、とても良いことである。
 ただ、何を初任者に突きつけていくのかが分かっていなければいけない。

 ①初任者は、子供との「関係づくり」が分かっていない。 

 ②「1ヶ月が勝負」ということが分かっていない。
 ③「学級づくり」の肝が分かっていない。

 この3つを彼らにきちんと教えなければいけない。
 もちろん、実践として行動化できなければ意味がないが、知っているか知らないかでは、天国と地獄ほどの差ができる。
 あれもこれもと、やってはだめだ。
 初任者は忙しさに振り回されるのだから、数多く教えては絶対だめだ。
 
 もう1つ、大切なことは、7月までは授業についてあれこれ教えてはだめだ。
 1学期は、「学級づくり」に専念させることが肝心。
 
 授業は、できることをやればいいと言っておけばいい。 ここを勘違いする初任者指導の先生たちが多い。
 
 授業は、教えてもすぐに何とかなるわけではない。
 じっくりとポイントを絞って2学期、3学期にすべきことである。

  ★
 始業式の次の日から、毎日授業の指導案を書かせて、大失敗した初任者指導の先生がいた。(退職した校長先生だった)
 本人は善意である。「授業さえがんばってきちんとさせたらクラスはきちんとまとまるはずだ」という考え。
 
 結果は、担当した4人の初任者のうち、3人のクラスで学級崩壊を起こした。もう一人も、4月、5月は大変であった。
「馬鹿者!」と一喝してやりたい気持ちであった。
 初任者の人生を変えるからである。

  初任者は、A4(1枚)の指導案でも、1時間ぐらいの時間がかかる。それを何枚も書かせる。
 この間に、先の3つの課題をこなしていかなければいけないのである。できるはずがない。
 そこで学級を壊していく。
  ★
  都市圏を中心に、初任者が実際にクラスを持てなくなっている実情がある。初任者の力量では、一部の子供たちに対応できないのである。
 
 私たちの若い時代とは違ってきているのである。
 若い時代にはできたことが、今はできないのである。
 そのことをきちんと指導者は踏まえておかなくてはならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

究極の手帳術とは何か?

    私は「手帳術」と言うのだが、フェイスブックで今泉浩晃さん(「マンダラート」の創始者)が、きわめて興味あることを次のように書かれている。紹介したい。

 ★ ★ ★
究極のスケジューリング

いよいよ4月がスタートしました。
日本では「入学」「入社」「新学期」「新年度」
すべてが新しくスタートするトキです。
「今年こそ!」と思う人の、多いトキです。
で、今年こそ、どうするの? 
と、イジワルな質問をしたい(笑)。
言うまでもない、目的、目標の【達成】です。
そのためには….   言うまでもなく
【スケジューリング】ですね。
このノウハウを持っているヒトには、
余計な「おせっかい」です。
時間を使うノウハウは、
このエピソードが語り尽くしている!!
スケジューリングのノウハウは、あまりにも有名な、
このエピソードが、すべてを語り尽くしています。
これが究極の方法で、これ以外にはない! でしょう。
これほどシンプルで、明快なノウハウがありながら、
なぜ、今もってさまざまな時間活用の本が出てくるのか、不思議です。
なぜ、これが出来ないのか?
そこに、【時間活用のノウハウ】の難しさがあるのだと思います。
まずは、そのエピソードから、紹介しましょう。

ベツレヘム製鋼の社長、チャールズ・シュワブが、
アイビー・リーという能率コンサルタントと会った時の話である。
シュワブはリーにこう言った。
「私に必要なのは、
もっと知ることではなくて、もっと行うことなのです。
知識ではなく、行動なのです。
そのためのいい方法を教えてくれるなら、
喜んであなたの話を聴きますし、
あなたが要求するだけの報酬も払いましょう」
「分かりました。私は20分以内で、
あなたの能率を50パーセントアップさせる方法を
教えることが出来ます」
リーは、ポケットから1枚の紙を取り出した。
「まずこれに、あなたが、
明日しなければならない仕事を6つだけ書いてください」
シュワブはこれに3分を費やした。
「結構です。では次に、この6つに、
より重要だと思う順に番号をうってください」
シュワブは、5分をかけて番号を打ち終わった。
「では、これをポケットにしまってください」
「さて、明日の朝、その紙を見て、
真っ先に1と書かれた仕事をやってください。
他のことはすべて忘れて、その仕事のことだけを考えるのです。
1の仕事が終わったら、2の仕事に移ってください。
その時も、2の仕事のことだけを考えてください。
それも出来たら3の仕事へと、
時間のなくなるまで続けてください。」
「もし1日に1つか2つしか出来なかったとしても、
気にすることはありません。なぜなら、あなたは、
一番大切な仕事から手がけているのですから。
この方法で、うまくいかなかったら、
他のどんな方法でもだめでしょう」
リーは、さらに続けた。
「このようにして毎日やってください。
あなたが、ウンなるほど! と思うようになったら、
部下にもやらせてごらんなさい。
納得のいくまで試した上で、あなたが、
これだけの価値があると思うだけの小切手をお送りください」
話終えたリーは、部屋から出て行った。
数週間後、リーの手元に $25,000 の小切手が送られてきた。
5年後、ベツレヘム製鋼は、世界最大の鉄鋼会社に発展し、
シュワブもまた億万長者になっていた。
後年、友人たちから
「あんな単純なアイデアに、
どうしてあんなに高額な報酬をはらったのかね?」
と訊かれたシュワブは、こう答えている。
「そもそも単純でないアイデアなんてあるのかね?
あの支出こそ、ベツレヘム製鋼が、
これまでに行なった最も価値のある投資だったんだよ」

ちなみに、この話は20世紀前半のこと、
当時の $25,000 が、
今いくらくらいになるか想像してください。
  ★ ★ ★

 このエピソードは、あまりにも有名な話。
 実は、私もこのエピソードをもとに、自分独自の手帳を作った。
 それは、『THE 手帳術』(堀裕嗣編 明治図書)に書いている。

 このエピソードをそのまま教師の手帳にすることはできない。
 そこで、次の視点を繰り込んだ手帳にしようと試みた。

 ①明日必要な事項を全部書き出す。
 ②それをどこでやるのかをはっきりする。
 ③その日は、その事項を達成するために全力を尽くす。

 肝心なことは、「一日のことに全力を尽くすこと」。
  これだけである。

 私の後半の教師生活は、この手帳とともにあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

つれづれなるままに~毎日訪問しています~

  ●4月1日、横浜市のS小学校へ行く。
 この学校の校長先生は、以前初任者指導をしていた学校の副校長先生であった。その縁で呼んでもらう。
 
 90分学級づくりについて話をする。
 この学校で驚いたのは、先生たちが元気なこと。
 
 横浜の学校は、だいたい先生たちが疲れ切っているところが多い。子供たちへの対応でへとへと。
 
 もちろん、こんな学校もあるのである。
 先生たちが生き生きしている。
 
 私の話が終わって何人もの先生から質問が出た。
 こんなことも珍しい。

  「先生たちがまず元気になることだ。子供はその次でいい。」と私は最近強調しているが、まさにうってつけの学校。
 終わって懇親会まで呼んでもらう。楽しい会であった。

●4月2日、横浜市のH小学校へ行く。
 この学校の校長先生は、このH小学校で以前私と同学年を組んだ先生。その縁で呼んでもらう。
 
 この学校には、私は7年間勤務した。
 この学校で受け持った6年生は、最高のクラスだったと今でも思う。
 
 また、この学校で受け持った「やんちゃ七人衆」のクラスは、37年間の教師生活で最高におもしろかったクラス。

 「学級づくり」50分ほど。「授業づくり」45分。びっしりと話をする。
 「授業づくり」は、「味噌汁・ご飯」授業について話をする。頷いてくれる先生たちが多い。
 
 ただ、話だけでは授業のイメージがわかない。
 「どんな授業なのか、すぐにでも授業をしたいのですが……」と言うと、「今度来て下さい」ととんとんと日程が決まる。

●4月3日、福島県の郡山へ行く。
 初任者指導である。
 初任者、講師の先生含めて50名ほど。
 活気がある初任者の先生たちで、私の方がうれしくなる。

 9つの課題について、2時間話をする。
 最近、どこを強調して初任者に話をするべきなのかが分かってきたのである。
 初任者がきまってつまづくところがある。
 そこを繰り返して強調する。
  ★
 郡山には、毎年3回訪れる。
 また、8月に学級づくりの話をする。
 その時にも、初任者の先生たちが来ることになっている。 さて、クラスがどうなっているのか、期待したい。

●明日は、兵庫県三木市の学級経営講座に行く。
 もちろん、初任者は全部来ることになっている。
 がんばって伝えなければいけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第5回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

 第5回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
「おしゃべり授業」は、ずっと「聞く」「見る」活動をさせる。

 「おしゃべり授業」をどうしたらいいんだろうと考えているとき、鳥取にいる親しい友人と会う。
 彼と夜一杯やっている時、次のような話が聞けた。
「今年は担任をはずれて、教務主任をしているんです。初めて先生たちの授業を見ることができるようになりました。気づいたのは、野中先生が言われているとおりに、ほとんどの先生が行っているのが『おしゃべり授業』。廊下を歩いていると、ずっとしゃべっているのですよ。ところが、あるベテランの女性の先生のクラスは、そんなことがない。クラスは落ち着いてとても集中して授業に取り組んでいる。ウロウロして何をしているんだろうと注目していると、よく作業や活動を入れているんですね。これは意識してやられているのかと、その先生に聞いてみると、やはりそうだということ。1時間の中で意識して作業や活動を取り入れているということでした」
 なるほど、なるほど、これは大きなヒントだなと考える。
  ★
 授業の中に「活動」(作業を含めて)を入れること。
 ともかくも子供たちは、授業の中でどんな活動をしているのだろうかと考えてみる。
 まず、「聞く」「見る」。これは、今まで「活動」には入れられてないが、言語活動では、先生の話を聞く、板書を見る、テレビを見るというのも十分「活動」に入れていい。
 「読む」「覚える」という活動もある。
 「書く」「話す」「話し合う」というのは、活動の定番。そして、「動く」というのを付け加える。
 「聞く」「見る」「読む」「覚える」「書く」「話す」「話し合う」「動く」の8つが、授業中の子供たちの全ての活動と考えていい。
 「動く」の中に、理科の実験や体育の運動や音楽の演奏、歌などをすべて含み込む。
 そうすると、「おしゃべり授業」は、子供に「聞く」「見る」活動をずっとさせていく授業なのだということが分かってくる。 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第4回なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

  第4回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
  ほとんどの先生が「おしゃべり授業」をしている!


 私は、この3年間で500人以上の先生たちの授業を見ることができた。
 一部の先生を除いて、多くの先生たちが「おしゃべり授業」をしていた。
 これも私たちがつけたネーミング。こんな特徴がある。
 
 ①授業のほとんどをしゃべっている。
 ②時々、発問をしていつもの子供が答える。
 ③ほとんどが傍観者。

 「味噌汁・ご飯」授業を豊かに充実したものにしていくには、まずこの「おしゃべり授業」を改善していかなければいけない。
 「日常授業」の改善のためには、この「おしゃべり授業」が大きな壁になっている。
 これは、教材研究不足のためにとにかく教えたいことを教え込まなければならず、どうしてもしゃべってしまうという現実になる。
 また、自分なりの基本的な授業法を持っていないために、どうしても短時間に指導書を見て授業をするというパターンのために、「おしゃべり授業」にならざるをえないということにもなる。

 はっきりしておきたいことは、「おしゃべり授業」を毎日繰り返していては、自分の授業技量はまったく向上していかないことだ。
 周りを見回してほしい。
 教師は小学校の場合、担任をしていたら1年間に1000時間近く授業をする。5年教師をしたら、5000時間。10年で1万時間。20年で2万時間……。
 これだけの時間を授業しながら、相変わらずしゃべりちらした授業をしている。授業内容はカスカスだ。
 子供たちは「つまんねえ~~」「ウゼエ~~~」と言って離れていっている。
 いつもそんなにおもしろく、楽しい授業はできない。
 でも、いつのまにか子供たちを引き込んでいく授業にしなくてはならない。そうではないだろうか。 
 「味噌汁・ご飯」授業は、まずこの「おしゃべり授業」をどのように克服していくか、それを考える。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

第3回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?

      第3回 なぜ「味噌汁・ご飯」授業なのか?
 「味噌汁・ご飯」授業の目的は、3つ。

 「味噌汁・ご飯」授業の目的は、次の3つである。
 ①日常性の追求 ②基礎的な学力保障 ③全員参加
 ①の日常性の追求は、大きなポイントである。
 現場の教師たちにとって、多くの時間をかけて教材研究などできない。これが現実。勤務時間の中で、教材研究をする時間は1時間もないのが多くの先生たちの現状である。
 しかし、せめて1時間は確保できるようにしたい。仕事術が必要だ。
 その中で教材研究をする。
  私たちは、すでに「10分間算数教材研究法」などを考えている。(まだ提起はしていない)
 1単元の教材研究は、40分ぐらい。それぞれ1時間の教材研究は、5分から10分ぐらい。それで授業をする。
 私たちは、これから本格的な実践研究をする。
 なぜ、このようなことを考えるのか。
 それは、学校現場を支えている子育て中の女性の先生たちでも、初任の先生たちでも、勤務時間にきちんと教材研究ができ、「日常授業」を豊かにできる方向性を見つけるためである。
 ②の学力保障は、私たちの場合「教科書を教える」という立場を取る。算数で言えば、教科書をきちんと教えて、教科書の問題がきちんと解けるようにしたいという主張である。
 ③の全員参加は、しごく当たり前の目的である。
 一部の子供たちが活躍する授業ではなく、全員の子供たちを参加させる授業を作り上げる。
 これは、主張は簡単だが、実際に授業をするとなるとなかなかむずかしい。
 これを実現して行くためには、きちんとした「授業法」が必要になる。
 この授業法についても、これから提起していきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »