質問に答えます~今までの方法が通じなくなっている~
ブログに、以下の内容の相談が寄せられた。
現在病休ということで、休んでおられる。
大変無念な思いで休んでおられるのではないかと思われる。
私の経験から率直に思っていることを書かせてもらいたい。
★ ★ ★
野中先生
初めまして。いつもブログを読ませていただいております。ある地方都市で小学校の教員をやっている30代の男です。
ここに書こうかどうしようか悩んだのですが、最近気持ちの整理がついたので、ご意見をお伺いしたいと思いコメントしました。
ブログを読み始めたのは、今年度私の担任する学級が崩壊してしまったからでした。
昨年度、異動してきて持った学年では年度末になって保護者を巻き込んだいじめ騒動があり、心身ともに疲れ果ててしまいました。それまでの私は、学級崩壊した高学年に飛び込み、厳しい指導で何度か立て直す経験をしてきていましたが、新しい学校ではそれが通じなかったと反省をしました。
今年度は学年が変わったですが、昨年度の反省を生かし、自分の教師としてのスタンスを変えて、子どもに寄り添う方向で臨んでみました。しかし、それもうまくいかず、また自分の指導の方針が他の先輩の先生方から痛烈に批判され、10月の末頃にめまいと頭痛で通勤することができなくなってしまいました。結果、現在病休に入り家庭で過ごしています。
今、とても無念な思いでいっぱいなのですが、落ち着いた今考えることは「教師としての力量」とはなんなのだろうということです。今までうまくやっていた自分と上手くできなかった自分との違いはなんなのだろうと。力量がなく、今まではたまたまうまくいっていただけなのだろうかと。
そして、その力量というものはどのように身に着けていくのでしょうか。
脈絡のない文章で申し訳ありませんが、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
★ ★ ★
1 状況確認
まず、状況確認をします。
①異動してきた学校で、昨年度受け持った学年で、いじめ騒動があり、心身ともに疲れ果てるような出来事があった。
②今年度は学年が変わり、別の学年で担任をしたが、そのクラスが学級崩壊になった。
昨年度の反省を生かして、今までのスタンスを変えて、子供に寄り添う方向で臨んでいったが、うまくいかなかった。
また、自分の指導方針が他の先輩先生たちから痛烈に批判された。
10月の末に、めまいと頭痛に襲われて通勤できなくなった。
それで現在病休中である。
③以前の学校では、学級崩壊した高学年を受け持って、厳しい指導で何度か立て直す経験をしてきている。新しい学校では、それが通じなかったことになる。
2客観的な事態
どのように考えたらいいか、ということになります。
①はっきり言えるのは、先生の力量云々の問題ではないことです。おそらく、どんなに力量がある先生が、先生と同じような状況でクラスを受け持っても、起こったことは大差がなかっただろうと予想されます。
②今、都市圏を中心に起こっている状況は、学校の機能不全の状況です。そして、それが地方にも波及しています。
具体的に、それは学級崩壊という現象として起こっているわけです。しかも、今まで十分な力量を持った先生たちのクラスでもおかしくなっているのです。
③その原因は、さまざまにあるのですが、学級崩壊の直接的な原因は、一部の「生徒」できない・しない子供にあるのです。(「生徒」するというのは、「学び」の姿勢をとれるかどうかという意味です。)
④だから、今までの教師が持っていた「力量」というのが、今起こっている事態に対応できないという時代がきています。
先生が今回抱え込まれた事態は、こういう経過で起こっているのです。先生だけではありません。今数多くの中堅、ベテラン教師のクラスが厳しくなっているのですから。
3具体的に、どこが問題になったのか?
どこが問題になったのかということです。
①異動するときは、とても警戒しなければいけないことです。それは、まず第1に、その学校の子供の様子が分かっていません。
とくに、30代の男の先生ならば、その学校で一番厳しい学年を担任させられる覚悟が必要です。その学校の他の先生たちが担任したがらない学年の担任が回されてきます。
②第2に、今までの経験が邪魔します。
えてして、荒れた学年の場合は、最初から厳しく子供たちに対応してしまいます。(私は「縦糸の張りすぎ」という表現を使います。)「こんなだらしない子供たちを何とかしないといけない!」という気持ちになるのです。
その結果、一部の子供たちに反発をされ、クラス全体がうまくいかなくなります。
先生の場合、以前の学校で学級崩壊を立て直した経験がありますので、自信をもって臨んでいかれたのだと思われます。それがうまくいかなったということですね。
今荒れた学年を受け持った場合、絶対に「厳しく」指導してはいけません。これは鉄則です。
これができない先生たちが、ほとんど崩壊に合っています。今まで力量があると言われてきた先生たちです。
「縦糸・横糸」の織物モデルを提唱した橫藤雅人先生は、今そのような荒れた学年を受け持つとき、最初、縦糸:横糸の比率は、2:8ぐらいだと言っています。それぐらいに慎重にいかなくてはいけないのです。
③第3に、自分に自信がある分、周りの先生たちから浮いてしまいます。ついつい学校や子供たちへの批判が多くなり、ますます浮いてしまいます。いざとなったとき、協力してもらえなくなります。
4 これからどう考えればいいか
「教師としての力量」とはなんだろうかと問いかけられています。
今まで自分なりに力量を高めてきたという自負があり、それがうまくいかなかった。では、今まで培ってきた力量というのは何だったのか。
そのように問われているのだと思います。
私は、それについて次のように考えています。
①先述したように、今まで持っていた力量が通じなくなっています。そのように考えていかなければ、今の事態を切り抜けていけないのです。
じゃあ、どうすればいいのかということになります。
②私は、「学級づくり」(とくに、子供たちとの「関係づくり)の再構築、「授業づくり」の再構築を図ろうと主張しています。
そして、替わりうるものとして「学級づくり3原則」「授業づくり3原則」を提唱しています。
「学級づくり」の原理原則に立ち返って最低限必要なものだけ。
「授業づくり」の原理原則に立ち返って最低限必要なものだけ。
そのように3原則を提唱しました。
あとは目の前の子供たちに合わせて、自分で考えなければいけないのです。
③今までのあれもこれも付け加えていく「たし算発想」で積み上げられてきたものは、もはや成り立たなくなっているのです。
思い切って削り取っていかなくてはならない。「ひき算発想」で、ほんとうに必要なものだけに削り取っていかなくてはならないと考えています。
④じゃあ、具体的にどうしたらいいかということです。
それは「目の前の子供たち」が決め手です。
目の前の子供たちの様子を見ながら、出たり、引いたりしながら「関係づくり」をするのです。
自分が今まで培ってきた方法を確かめながら、試行錯誤を繰り返す以外にないわけです。
もちろん、「学級づくり」の原則的なことは同時進行でやらなければいけない。「授業づくり」も同じです。
大事なことは、今までの自分の方法を絶対化しないこと。
そうなります。
5 これからのこと
①質問された先生は、30代のばりばりの男性教師であり、まだまだこれからの教師生活があります。
自分を責めるような状況ではまったくありません。
事態は、教師個々の問題ではまったくありませんから。
教師個々では、もはやこの事態は立ち向かえません。
教師たちみんなに襲っている現象として理解してほしいのです。
こんな状況にあった教師を、私は何人も知っています。 しかも、すぐれた力量を持った教師たちでした。
でも、今では復帰して元気にがんばっておられます。
②無念な思いはとても理解できます。
でも、もう一度出直してほしいと願っています。
質問されていることの答えになったのかどうか分かりません。
率直に思ったままに書かせてもらいました。
★
フランスの哲学者アランは、悩み、精神的に参っている人に次のように言いました。
「遠くを見よ」
ゆっくり流れていく雲や遠くの山並み。暮れゆく海の姿。
休まれているのです。
貴重な時間。
しばしいろんな思いから離れてみたらどうでしょう。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「自己流」で身に付けた力量で対応できなくなっている!(2019.03.16)
- 『教師1年目の教科書』が重版になる!(2019.03.13)
- 再び横浜野口塾のお知らせです(2019.03.10)
- つれづれなるままに~飛行機ができてきた~(2019.03.09)
- 『教師1年目の教科書』(学陽書房)が発売される(2019.03.05)
コメント