「授業」はどういう視点で見たらいいのか(1)
道教委での「初任者研修の抜本的改革に関する調査研究事業」の報告会へ出席した。
この事業は、文科省の委託事業。
この報告会で、私も90分の講演をすることになっていた。授業に関することである。
道教委の学校力向上事業で、3年間アドバイザーを勤めてきた。
北海道中の学校を訪問し、先生たちの授業を参観し、私もまた授業をさせてもらうという機会をもらった。
授業を参観した先生方は延べ500人ぐらいであろうか。
北海道の先生方の授業の現状がよく分かったという気になっている。
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報告会では、委託事業に参加した初任者12人と初任者指導の先生、そしてその学校の管理職も参加されていた。
初任者の先生たちの報告を聞いていて、話題の1つは「授業を見ること」。
聞きながら、ふとどんな視点から授業を見たのだろうかということがとても気になった。
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他の先生方の授業を見るというのは、どこででも行われている。
公開授業研も、研究授業もまたそうなる。
「授業を見る」のは、一般の先生方だけではなく、管理職でも、指導主事でも、そうである。
ここでも気づくことがある。
一般の先生方が「授業を見ること」と管理職や指導主事の「授業を見ること」とは、「見ること」の視点が違っているのだということ。
一般の先生方の「授業の見方」は、原則的には自分の授業を良くするためである。
人の授業を見て、自分の中に取り入れていくものを得たいためである。
ところが、管理職や指導主事は、そうではない。
原則的には、その先生の授業の良い点、問題点などを探し、指導するためになされる。
大きく違う。
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私も3年間500人近くの授業を見たと書いた。
私は、どうしたのだろうか。
それは、一般の先生たちとは違う、指導主事の先生たちと同じような視点であった。
私が訪問する学校でお願いしたことは、いくつかのこと。
朝1時間目から全員の先生方の授業を見せてほしいこと。
初任の先生たちの授業は、1時間通して見せてほしいこと。
できれば、私も1時間か2時間授業をさせてほしいこと。
なぜ、私がこの授業をするのかについては、放課後の研究会で説明したいこと、であった。
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全員の先生方の授業を見れば、その学校の全体像がつかめる。
それでも1人の先生の授業を5分ぐらいしか見ないのである。
私は、その5分で各先生方の授業を見てしまいたいという必死さで、見る視点をきちんと設定している。
どんな視点ですかと聞かれるが、企業秘密ですと答えている。(笑)
全員の先生方の授業を見るということに私はこだわるのだが、それには大きな理由がある。
学校によっては分厚い学校経営計画や、分厚い研究計画などが揃えてある。
その学校で取り組んでいきたい「建前」である。
だが、その学校の「リアルさ」は、そこにはない。
その学校の「リアルさ」は、その建前をどのように「具体」に落とし込んでいるかにある。
その「具体」は、全員の先生方の授業に表れる。(研究授業ではなく、「日常授業」に表れる。)
ここはごまかしのきかない領域なのだ。
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さて、初任者が他の先生方の「授業を見る」というのは、どういうことか。
このことについて、今まで本気で考えたことがなかったなあという思いにとらわれた。
初任者が他の先生の授業を見る。
だいたい、漫然と見る。
当然である。
「見る視点」がないのであるから。
だから、適当に見る。
それでも、次のような視点ぐらいはあるのだろうか。
・よく手を挙げて発言する子供がいる。
・よく主体的に動く子供が多い。
・板書はどうだろう?
・先生の発問はどうだろう?
………
もう一度繰り返したいが、初任者が他の先生の授業を見るのは、自分の授業を良くなるためのものである。
もちろん、参考になる授業ばかりはない。
それでも、「反面教師」という立場もあるではないか。
初任者が他の先生の授業を見るのは、自分の授業に生かすためである。
そんな当たり前のことが、現実にはまったく具体化されていないのではないかと思ってしまう。
さて、初任者は、どういう視点で「授業」を見たらいいのか、帰りの飛行機の中で考えたことを次回では書きたい。
(続く)
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