なぜ先生たちは、授業でフォローが少ないのか(1)
さまざまな授業を見せてもらうことが多い。
ほとんどの授業で感じることは、フォローが少ないことである。
ほとんどないと言っていい。
フォローとは、中村健一先生からの受け売りの言葉である。
さまざまな子供たちの活動に対してなされる「評価言」である。
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なぜ、先生たちの授業でフォローが少ないのか。
①教えるのに精一杯でフォローまで手が回らない。
②もともとフォローを出そうという気持ちがない。
③フォローは「どうも苦手だ!」と思っている。
④フォローの「言葉」を持っていない。
こんなことが考えられる。どうだろうか?
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国語の野口芳宏先生からは、「否定」することも必要だと何度も教えられた。
褒めてばかりではだめだ。そんなことばかりでは、子供が弱くなると言われる。
その通りだなと思う。
だめなところや、間違っているところは、きちんと「否定」することも必要である。
反面、10歳までの子供は、「否定」を「肯定」にすることは難しいと教えてもらった。
つまり、教師から「否定」されたことで、それをその子供は自分の中でなかなか「肯定」に変えていくことは難しいということである。
アメリカの大学の心理学の先生から教えられたと、カリフォルニアの日本人学校(補習校)のある先生は私に教えてくれた。
これも納得できる事例はいっぱいある。
ただ、「褒めること」が必要なのは誰も否定はされていない。
フォローの必要性である。
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私は、上記のフォローが少ない理由の④に注目してきた。
フォローはとっさに言葉として出てこなければいけない。
だから、自分の中に「フォロー言葉」の蓄えがなければ、とっさには無理である。
おそらく、フォローの必要性を感じていても、この「フォローの言葉」を持っていなくてはなかなか使えないのではないだろうか。
そこで、「フォローの言葉」を考えた。
「SOS話法」がある。
これは、経営コンサルタントの箱田忠昭さんが提起されたもの。
S…すごいね
O…おどろいたなあ。
S…さすがだね。
これは個々の子供には適用できるが、授業の中ではなかなかむずかしい。
そこで、私は「SWIM話法」を考え出した。
S…すごいね。すばらしい。さすがだね。その調子。
W…うまい。分かるよ。
I…いいね。
M…みごとだね。
このくらいは、子供たちの発言や活動に対して、フォローをかけてあげたいではないかということである。
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