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人と人は近ければ近いほどよいということはない!

   
 「T先生は評判の小学校の先生だった。小うるさい親たちも、先生には心酔しているみたいだった。同僚からも羨ましがられるほどだったが、実は、ひとつ悩みがある」
と、外山滋比古先生は書き出される。

 ★ ★ ★
 小学生のひとり息子が、どうもぱっとしない。勉強もふるわない。
 あんなりっぱな先生で、よその子はうまく育てるのに、肝心のわが子がどうしてもうまく育てられないのだろう。そんな噂をする親たちもいた。T先生は、つらい思いで、そんな噂を耳にして心重くしたのである。
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 昔からこんな話題には事欠かない。
 教師の子供は、できそこなうことが多いと言われている。(失礼!でも私にも娘がいる)
  なぜだろうか?

 外山先生は続ける。

 ★ ★ ★
 先生が悪いのではない。こどもがいけないのでもない。親と子がすこし近すぎたのである。T先生はおそらく自覚していないが、学校で教えるこどもたちより、ずっと近い関係でわが子に接していた。親子の距離が小さすぎると、子は親の圧力で小さくなる。ストレスを受けて自由を失い、成長することができにくい。
 学校での生徒と先生の距離を保てれば、家庭でも、よりよき父親となり得ただろう。
 人と人は近ければ近いほどよいなどということはない。近いものは、近いものに、よい影響を及ぼすことができない。フランスの哲学者がそう言っているが、真理をつくことばである。(『リンゴも人生もキズがあるほど甘くなる』幻冬舎)
 ★ ★ ★

 これは含蓄のある言葉である。
 このことは知っておかなくてはならない。
 東北の偉人宮沢賢治は、花巻の近くの人たちからは、「変わり者の賢治さん」と呼ばれていたらしい。
  キリストは、郷里ではまったく神通力がなかったということ。
 「馬屋の息子がなにをえらそうなことを!」と。

 ★
 外山先生は大切なことを続ける。

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 学校を出たての新人教師はハリキっている。こどもの前で「キミたちといっしょになって勉強しよう。先生ではなく兄貴だと思ってくれ」などとイキがるかもしれない。こどもとの年齢差が小さすぎる。教師として致命的なハンディである。それに輪をかけるように年齢差を縮めるようなことを言ったりするのはものがわかっていないのである。もののわからない人が人の子を導くことは難しい。
 若い教師が若ぶるのは悲しむべき誤り。逆のことを考えるべきだ。若く見られてはいけない。服装なども、すこし地味に、きちんとしたものにする。
 昔、田舎の医師が、若いくせに金縁のメガネをかけ、上等な洋服を着こんで患者に、この先生、かなりの年輩かと錯覚させるような工夫をした。のんきな学校の先生よりよほど人間を知っていたのである。
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 初任の先生たちの教室が荒れていく原因の1つを、外山先生はずばり指摘されている。

 学校現場は、若い先生たちを歓迎する。子供たちも最初は歓迎する。

 「こどもとの年齢差が小さすぎる。教師として致命的なハンディである」と外山先生は指摘される。
 若い先生たちは、この言葉をどう受け取るだろうか。

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 子供たちと「横糸」だけで関係づくりをしてはならない。
 「縦糸張り」で毅然と子供たちに対しなくてはならない。
 私は、そのようにずっと主張している。
 

「若い教師が若ぶるのは悲しむべき誤り。逆のことを考えるべきだ。若く見られてはいけない。服装なども、すこし地味に、きちんとしたものにする」

 91歳になられる外山先生の貴重な言葉を噛みしめるべきである。 

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