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2014年8月

ああ、学力テスト!~発想が間違っていないか~

   全国学力テストについてもう少し言っておきたいという気持ちになった。
 
 ★
 今まで下位で低迷していた学力が急に急上昇していく。
 何をしたんだということになる。

 ぜひともマネをしようということで、その対策を知りたいとなる。

 学力テストの順位に戦々恐々となっている。
 知事や市長がそれを煽っている。

 まったく困ったものである。

 ★
 ずっと下位に低迷していた学力が、短期間ですっと上位になる。
 常識ではありえない。

 ちょっとずつ底上げしていく。
 これが普通のあり方である。

 何をしたのか。
 予想してみる。あくまでも予測である。
 ★

 学力テスト問題の「傾向」を分析する。
 本県の傾向を分析する。

 ここまではどこでもやる。
 ここからだ。

 本県が間違っているところを綿密に分析する。
 その問題づくりをする。

 そして、組織的に配付し、集中的に練習させる。
 漢字練習のように繰り返し練習させる。
 
 要するに慣れさせる。

 いわゆる、ある大学を受けるための「傾向と対策」である。
 受験対策。
 その大学へあがるためだけに取られる手立て。

 ★
 このようなことをやると、確かによく間違っていたところは向上する。

 毎年学力テストは行っているのだ。
 その「傾向と対策」で綿密に問題を分析すれば、そんなに問題が変わることはない。
 順位を上げようとするならば、これをやればいい。

 これはあくまでも「傾向と対策」であるので、問題ががらりと変われば元の木阿弥である。がくんと下がってしまう。

  その子供たちの全般的な学力が上がっているわけではない。
 あくまでも間違っている問題だけを集中的に練習してできるようにしただけであるから。
 
 ★
 順位をあげるためにだけ取られる措置。
 このような傾向が、さまざまな教育委員会を襲っている。
 「要するに、学力があがるのだから良いではないか!」という弁解とともに。

 学力問題は、そんなに簡単なことではない。
 家庭の経済状態が上位の学校は、ほとんど教師が何もしなくても学力は高い。
 親たちが必死で学習塾へ通わせたり、家庭教師をつけたりして学力をつけている。
 学力テストは、平均よりも10点、20点もあがる。

 ところが、家に勉強する机もなく、朝ご飯も食べてこない(食べようとしてもないのだ。親は寝ている)、宿題もやってこない、……こんな子供たちが多くいる学校は、もちろん学力は低迷する。学力テストは、平均よりも10点、20点下がる。

 私は、両方の学校に所属したので、よく分かる。
 要するに、家庭の経済状態(家庭環境)が学力問題を大きく左右するのである。
 
 だから、このようなことを考慮しないで、ただ学校ごとに学力テストを発表したら
どんなことになるのか、結果は分かっている。
  ★
 しかし、こう言われるだろう。
 学力テストの上位県は、学習塾とはほとんど無縁な地区ではないか。
  その通りである。

 あるトップの県。
 私の知り合いが母親の病気で、突然そこへ帰った。
 戻ってきて私に言ったことは、次のようなこと。
 

 「野中さん、〇〇へ帰ってびっくりしたわ。その町全体が『勉強、勉強』というムードなの。学校だけではなく、町全体の人たちがそんなムードなの。全国一位を保ち続けるために必死でがんばろうというわけ。驚いたわ。」
 

 地域全体が勉強一色。
 親も必死になる。
 学校も必死になる。
 当然、子供はそのムードの中で必死になる。

 北陸のある学力上位県。
 

 これもそこの学校を視察した先生の報告の様子を聞いた。
「ある学校は、子供たちは、朝の7時に登校し、夕方の7時までいる。そして、宿題を抱えて家に帰る。親たちは学校や教師たちへの尊敬の念が強い。」
 

 子供たちは、12時間も学校にいる。
 勉強、勉強の一日。
 
 子供たちは息苦しくないのか、と私なら思ってしまう。
  全国学力テストは、ある面では罪作りの要素を持っているのではないか。

 でも、ある地域の、ある学校の特別な状態を聞いたことかもしれない。
 全体的には、もっと普通に行われているのかもしれない。
 
 ★
 さまざまな評価はある。

 さまざまな都道府県、さまざまな学校、抱えている現実はみんな違う。
 学力一色で判断できるはずはない。

 それでも、私は、学力は向上させていくことには賛成である。
 とくに、国語A問題、算数A問題は、きちんとできる力をつけるべきだと思う。
 

 教科書をきちんと教えておけば解ける問題である。
 
 そのためには、繰り返しておくが、先生たちは「日常授業」の改善を図っていく必要がある。
 

 このこと以外に子供たちの全般的な学力を向上させていくことはないのである。
 順位に目を奪われて、大切なこのことを忘れているのではないかと、つくづく思ってしまう。

 もう一度言っておきたいが、全国学力テストは、5年に一度で十分である。
 
  
 

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つれづれなるままに~全国学力テスト~

  ●26日は誕生日。
 67歳になる。
 
 

 人生50年という時代は、ついこの間だったのに、もはや80年の時代になった。
 方々から誕生日おめでとうの連絡を受ける。
 ありがとうございます。
 


 歳を重ねて、人間の幅が広がると言われる。
 そんなことはまったくない。
 
 

 歳をとればゆったりとした生活ができる。
 そんなことを願っていたが、そんな余裕はまったくない。
 ただあわただしい生活を続けている。

●全国の学力テストの結果が発表された。
 学力の底上げがなされている結果だと言う。
 
 

 北海道のY新聞から、私の方にも電話取材があった。
 結果がまだはっきりしていなかったので、思いついたことを答える。
 
 

 さまざまな噂が聞こえてくる。
 前年度の問題を事前にやらせている。しかも組織的に。
 
 

 やってる、やってる。
 これだけ数字が一人歩きし、学校ごとの発表をするなどが大きな問題になっているのだ。
 
 

 当然、さまざまな事前行為がなされる。
 でも、こんなことをやりだすと、さらにエスカレートする。
 
 

 そのうちに、答えを教えたり、成績の悪い子供のテストは加えなかったり、……さまざまな作為的な行為が組織的に行われていく。
 
 40数年前に、こんな醜い行為が行われて中止になったのに、またやりだしているわけである。
 

 歴史は繰り返す。(おおげさだが…)
 
 

 学力を上げていくのは、日頃の授業を向上させていくことだけである。
 日常授業の改善をして、「日常授業」を豊かにしていく以外に方法はありえない。

 学力テストを毎年することの弊害は大きい。
 5年に一度で十分である。

●夏が終わる。
 今年も暑い夏であった。
 
 

 雨が降れば豪雨。
 不思議な夏でもあった。 

  9月になれば、すぐに北海道の「えりも小」を訪問する。
 あの「何もない春」のえりもである。
 もうすっかり秋が始まっているのであろう。
 

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「ゆたQ」さんの質問に答える!

    コメントにさまざまな質問が付いてくる。
 今回は「ゆたQ」さんから付いた。

 ★ ★ ★
 いつもblogで学ばせてもらっています。今は私は採用五年目、六年担任をしています。一年目は学級づくりがうまくいかず悩みましたが、先生のおっしゃる、子どもとの距離感や、テンポのある学級のシステム作りを意識的に行い、今ではある程度落ち着いたクラスづくりができるようになってきたと思っています。

今、学校に新採用が二人いて、五年と三年の担任です。どちらも7月までに学級づくりがうまくいかず、けっこう苦しんでいました。なんとかしてあげたいのですが、自分が感覚的にやってきたことなので、まだ具体的なアドバイスができず、アドバイスしたとしても単発的なことしか言えず、はがゆい気持ちです。私の学校には熱心で力のある先生が多く、初任者に対して放課後熱心にアドバイスをしています。しかし、授業づくりや生徒指導の対応について話していることが多く、初任者の時間がかなり奪われるのに対して、効果はどれほどなのか、と思ってしまいます。

そこで、先生のおっしゃる中にあった、学級づくりが先、の話が目に留まりました。授業づくりよりもそっちをアドバイスすればいいんだな!と私も感じたのですが、具体的にどんなことなのでしょうか??

 何度もお話しされているのですが、野中先生が何を授業づくりととらえて、何を学級づくりととらえているのかが、頭の悪い私にとってはいまいちはっきりしません。
 自分のなかでは、指示に素早く従わせることや、時間をきちっと守ること、話を短くすること、話を聞かせること、友達先生にならないこと、などは授業の中でこそ指導していくことではないかと思っています。
  ★ ★ ★

 ゆたQさんからのコメントで、やはりなあというところがあった。
 ゆたQさんの学校には、熱心で力のある先生が多いということ。
 
 

 この人たちが、放課後初任者を指導している。
 いい学校である。
 
 

 しかし、授業づくりや生徒指導についての話が多くなる。
 ゆたQさんは、私が強調している「学級づくり」をもっとアドバイスしなくてはならないのではないかと考えられている。
 
 

 その通り。
 初任者には、授業についての指導を先にすると混乱する。
 

 その指導は、すぐには効果をあげない。
 授業技術は、そんなにすぐに身につけることはできない。
 
 

 最初のうちは、「とにかくがんばって授業をせよ!」でいい。
  私は、「テンポ良く行うこと」を強調した。
 

 初任者はどうしても丁寧すぎて、テンポがなくなるからである。
  ★
 ゆたQさんは、ここで「授業づくり」と「学級づくり」の区別を聞かれている。
 私が考えていることをお答えしたい。

 「授業づくり」の目的の中心は、子供たちの学力保障である。
 子供たちに学習規律を身につけさせたりする中で、さまざまな条件整備をすることがあるが、授業の中心はあくまでも子供たちの学力保障である。
 
 

 「学級づくり」の目的の中心は、学級における条件整備を行うことである。
 学習指導や生徒指導などがスムーズに行えるように、条件整備をすることである。

 役割はそれぞれ違う。
 もちろん、重なる部分はある。あくまでも中心である。

 私は、「学級づくり」の条件整備を、もう少し具体化している。

 学級づくりの目標は、「安心・安全」な居心地が良いクラスづくり。
 これに絞っている。

 「安心・安全」であるためには、クラスにきちんとした「ルール」を作り、クラス全体で守っていかなくてはならない。

 また、「居心地が良い」ためには、教室でのスムーズな仕組みづくりがなされていなければいけない。

 この2つを統括していくのは、担任であり、担任のリーダーシップが必要である。
 そのためには、担任による子供たちへの「関係づくり」がどうしても必要である。

 「関係づくり」が大前提である。
 「ルールづくり」も、「仕組みづくり」も、担任のリーダーシップがあって、うまく機能していくのである。

 そのために私は、「学級づくり3原則」という提唱をしている。
 最低限、この3原則を実践していけばクラスはうまく機能していくというものである。
 すでに、初任者によって実践して、確かめてもいる。

 「学級づくり3原則」とは、「関係づくり」、「仕組みづくり」、「集団づくり」になる。 繰り返すが、「関係づくり」が大原則である。
 この「関係づくり」が「仕組みづくり」にも、「集団づくり」にも、生かされていく。

 この「関係づくり」は、もちろん「授業づくり」にも生かされる。
  
  今、私が提唱しているのは、この「学級づくり」を土台に据え付けて、その上に「授業づくり」や行事指導や生徒指導などがなされていくということ。
 

 だから、「学級づくり」がそれらの指導よりも優先される必要がある。(同時進行ではあるが……)

 こういう区別をしている。

 ★
 さて、それでは初任者に最初どのように「学級づくり」指導をすべきかということについても書いておきたい。

 ①子供たちとどのように付き合えばいいかをきちんと指導する。
  これが「関係づくり」になる。
  

  縦糸張り、横糸張りを指導する。
  決して、お兄さん、お姉さんとして接しないで、「教師」として関わること。
  これを強調する。
  

  始業式前に必ず指導しなくてはならない。

  参考文献『必ずクラスがまとまる教師の成功術』(学陽書房)

 ②次は、「仕組みづくり」。
  始業式前に、済ませておかせることがある。
  ・教室づくり(机、椅子など)
  ・給食指導
  ・清掃指導
    ・日直指導
  ・当番づくり
  
  

  参考文献『新卒教師時代を生き抜く心得術60』(明治図書)

  次には、1週間を乗り切らせる。
  毎時間をどのように作って行けばいいか。
  

  1時間1時間について、私のシナリオが提示されている。
  これを参考にさせるといい。
  
  

  参考文献『新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ』(明治図書)

  ③そして、次は「ルールづくり」(「集団づくり」の原則になる)。
  このルール作りは、すぐに始めさせていく方がいい。
  

  私が提唱している「目標達成法」が良い。
  私が担当している初任者は、これを使い見事なクラスを作り上げた。
  

  簡単にできるのでお薦めである。

  参考文献『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』(明治図書)

  ④うまく行く初任者と、うまく行かない初任者がいる。
  「やり方」がまずいのである。
  

  「教師」としての覚悟ができていないこともある。
  「時間管理」がうまくいっていないこともある。
  

  その時には、私の以下の本を読ませてほしい。

  参考文献『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学陽書房)

   ★
 ゆたQさん、どうでしょうか。
 先生の質問の答えになったでしょうか。

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夏の終わり~「態度づくり」~(2)

「態度づくり」について書いた。

 この「態度」とは、実際に教師として行動するために「準備すること」ということになる。

 今泉浩晃さんの「MANDALA」(中央美術学園出版局)には、次のような紹介がなされている。経営コンサルタントの城功氏の本からの引用である。

 ★ ★ ★
 ハワイのアラモアナ・ホテルに24時間営業の食堂があった。24時間営業であったから 食堂マネージャーは二人いた。一人は男性で アシスタント・マネージャーのほうは女性であった。
 この二人のマネージャーが交替で 食堂全般をとりしきるのである。アシスタント・マネージャーは台湾生まれで3人の子持ち 38歳である。
 服は14着持っており、毎日着替えて出勤してくるのである。
 私が 彼女に気がついたのは 彼女の姿勢 彼女の態度が 他のウェイトレスと全然ちがっていたからである。
 彼女はテーブルの間を 背筋をシャンと伸ばしながら大またでスッスッと歩く。
「あの人だあれ」と 私はこのホテルにオフィスを持つ友人のミスター・タクミに聞いてみた。それで彼女がアシスタント・マネージャーであることがわかったのである。
 彼女がマネージャー候補になった時、3か月のエグゼクティブ・トレーニングを受けた。その最初の実習が“歩き方”だったのである。
 “ものをいわなくても 遠くから見ても 一目でマネージャーであることがわかる態度づくり”これが最初の教育だったのである。
 ★ ★ ★

 アシスタント・マネージャーの最初の「態度づくり」は、「歩き方」であったという。
 これはかなり示唆的なことである。
 

 この歩き方で歴然とした違いを見せることによって、マネージャーとしての存在を印象づけていく。

 今まで教育界は、こんな「態度づくり」など無視してきた。
 「教師は、信念さえあれば、態度ににじみ出てくるもの。形式的なことは必要がない」と避けられてきた。
 
 

 私はこんな考えは最初から疑問視していた。
 最初は、「形」や「型」から入ることってあるのである。

 ★
 教師としての「態度づくり」はなぜ必要なのか。
 子供たちに「教師であること」を印象づけることがある。
 

 それ以上に、「教師」としての自覚を自分に身につけさせていくためにも必要なことである。
 さて、初任者にどんな「態度づくり」をさせるのか。
 

 まだ、まとまったものができていない。
 構想段階になる。

 ①初任者に「教師」としての心の準備をどうさせるか。
  これが「態度づくり」ということになる。
  
 

  私が今までの初任者研修で効果的だったのは、子供たちとの「関係づくり」を教えてきたことである。
  「縦糸を張ること」、「横糸を張ること」で子供たちと関係をつける。
  
  

  子供たちには、決してお兄さん、お姉さんと対してはダメだ、きちんと「教師」  として関わっていくべきである。
  
  

  そうするためには、何をするか。
  「歩き方」と同じように、「形」としての行動が必要になる。
 
 

 ②具体的な準備をきちんと教える。
  これも「関係づくり」の一環だが、教室の仕組みをどのように作っていくか(仕組みづくり)、教室のルールをどのように作っていくか(集団づくり)について教える。  
  

  これについては、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』『新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月のシナリオ』(共に、明治図書)を出版している。
 
 

 ③時間管理の仕方について
  これはまったく教えられていない。また、教えられる教師もいない。
  初任者は、学生のきままな時間から分刻みな教師生活時間に入る。
  
 

  人生で初めての 忙しい生活である。
  これを乗り切っていく「時間管理」ができていない。
  
 

  だから、毎日9時、10時まで学校へ残ってへとへとになる。
  食事管理も、睡眠も、ままならない。
  
 

  この時間管理がどれだけ大切なものか、学校現場はほとんど無自覚である。
   
  これについては、『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学陽書房)の中で、「仕事のスタイルを変える」を書いている。ただ、初任者が即座に実践できる内容ではないかもしれない。

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夏が終わる~「態度づくり」が必要~(1)

   この夏も、さまざまなところに呼ばれて行くことができた。
 そこで聞かされたことは、初任者の大変さである。
 


 安定していると思われる地方の学校でも、初任者のクラスが荒れている。
 初任者7,8割のクラスは荒れるというのは、ほんとうである。

 今に始まったことではないが、ますます度合いがひどくなっている。
 以前では6月頃に荒れは始まるのに、最近では4月末あたりから始まる。

 これは何だろう?

 ★
 私が初任者になったのは、1970年の初頭。
 横浜では何千人もの初任者が採用された。

 その頃、初任者の学級崩壊(そのような名前もなかったが)はなかった。
 少し賑やかになるぐらいの程度。
 
 辞める人も聞いたことがなかった。
 誰でもが普通に教師をやることができたのである。
 
 

  あれから40年………。
 何がどのように変わってしまったのだろうか。
 ★
 私が初任の頃、何の準備もすることなく、教師になった。
 それこそ、お兄さんがガキ大将になった感じ。

 困っていると、子供たちが、「前の先生はこうしていました!」と教えてくれた。
 その通りにやっていれば十分に教室は回って行ったのである。

 先生には従っていくものだという「縦糸」の枠組みがきちんと成立していたのである。
 その枠組みに乗っかっていけば、誰でもが教師をやれた時代である。

 ★
 今の初任者の先生たちが、私達の時代よりも劣っているわけではない。
 むしろ、がんばっているのである。

 ただ、学生から教師になり、即担任をしなければいけない場合、私達の時と同じように「お兄さん」「お姉さん」のような気持ちで子供たちの前に立つことは極めて危険である。(初任者本人は決してそんな気持ちではないが、すぐに切り替えることはできない)
 
 

  その場合、何が必要なのか。
 どのような気持ち、態度で子供たちの前に立てばいいか。
 そして、何をしていけばいいか。

  「態度づくり」という言葉で呼ぶことにしよう。

 このことについて、教員養成の大学はほとんど何も教えていない。
 教育委員会も、困っているが自覚的に動いているところはまだ少ない。
 
 学校現場は、初任者を育てていくノウハウをほとんど持っていない。
 教員たちは、自分のことで精一杯になっている。

 学校現場は、あと10年経てば、若者たち中心の現場になる。
 その波は、都市ではすでに来ている。
 地方は、あと4,5年で始まる。

 どうしてもこの「態度づくり」が必要である。
 これがなければ、まともに初任者は1年を終えられない。
 ぞくぞくと初任者が辞めていっているのは、このためである。

 次回にこのことをくわしく書くことにしよう。

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つれづれなるままに~「次をどうするか、それが人生である」

   ●19日、横須賀市の授業研修会へ行く。
 2年目の先生たち80名。
 

  この先生たちには1年前に授業研修をしていて、2回目になる。
 
 3時間なのである。
 

  この長い時間で、何ができるか。考え込むところである。
 
 しかも、前の日まで夏休み。
 

  先生たちは、現場から離れてしばしの休養。
 長い研修は眠くなる。

 そこで考えたのが、彼等にその場で教材研究をさせて、模擬授業をさせようという試み。算数の5年生、平均の導入の授業。
 これで行こうということになる。

 「今日はみなさん、このあと教材研究をしてもらい、模擬授業を2名の方にしてもらいます。模擬授業は、くじびきで行います」
 というと、「えっ~~~~~~」という感じで一瞬雰囲気が凍り付いた。

 あとで受講した先生に感想を聞くと、夏休みが一瞬で終わり、緊張した時間になったということ。

 2名の先生。(一人の女性の先生は、顔が引きつっていた。)
 何とか10分間ぐらいの模擬授業を終える。(15分以内の時間制限)
 

  2名の先生には、ぜひとも今回宝くじを買いなさいと励ましにもならない助言を与える。
 
 

  2人とも「おしゃべり授業」になる。
 くどくどと説明する授業。

 もちろん、私も模擬授業を行う。
 2名とはまったく違う授業。
 授業に「小刻みな活動」をどのように入れればいいかという授業である。

 さて、今の自分の授業を少しでも変えていくヒントをつかんでくれたのかどうか、
 そこである。

●20日は、朝早くから福島郡山の学級経営講座に行く。
 もう郡山には6年通い続けている。
 
 

  しかも年に3回も講座を行う。
 話すことは繰り返しになる。

 今回も120名ぐらいの参加者。
 その数の多さに圧倒される。

 震災のあと、郡山の研修を訪れたことを思いだす。
 先生たちは、下を向き、元気がない。
 

  笑いを入れても、まったく笑わない。
 ダメージの大きさを感じ入ったことがあった。
 
 

  もうあれから3年ぐらい経ったのだろうか。
 会場の先生たちには元気さが戻り、表情にも明るさが戻っている。

 前半の70分は、今学級づくり(学級経営)で何をすればいいのかに絞って話す。 
  後半の60分は、2学期から何をすればいいかについて話す。

 ★
 最後に「悩むな、反省するな、次が大切だ」と持論をぶつける。
 
 先生たちを取り巻く環境は最悪である。
 

  鬱病になる。
 普通のサラリーマンと比べても3倍ぐらい増えている。

 「悩むな!」
 そんなことを言われても、「はい、明日から悩まないようにします」とは言えない。

 日本では、「悩む」ということは美徳として良いことと考えられている。
 「悩む力」というベストセラー本もあったほどである。

 でも、「悩んでも意味ないですよ」と私ははっきり言う。
 悩んで解決することなんかほとんどないからである。
  ★
 私が尊敬する福沢諭吉は、まったく悩まなかった人である。(「座右の諭吉」(齋藤孝)の新書版を読めばいい)
 薩長軍が江戸へ攻め入り、どんどん砲撃を続けているときに、福沢は毎日江戸城へ通って行っていた。幕臣(幕府外国奉行翻訳御用)だったのである。
 
 

  物見遊山。周りからは顰蹙をかったのではないだろうか。
  福沢は言う。
 「私は時勢を見る必要がある。城中の外国方に翻訳などの用はないけれども、見物半分に毎日のように城中に出ていました」
 
 

  もう福沢には先が見通されていたはずである。
 その時ちゃっかり芝の新銭座に新しい住まいと塾舎を購入している。今の慶応義塾である。

  福沢は、時代の流れを常に一歩引いたところから眺め、決して時代の流れに押しつぶされることはなかった。
 その軽やかさ、たくましさはすばらしいのである。
  ★
 悩んで解決はしない。
 じゃあどうするんですかとなる。
 
 

  そのままにしておくのである。
 ほっておく。

  そのうちに時間が解決してくれる。
 そう、ほとんど時間が解決する。

 だから、1年前の今頃悩んでいたこと、2年前の今頃悩んでいたことなんて、ほとんど忘れている。
 時間が解決してくれたのだ。
 それでいいじゃないか。
 ★
 悩んでいるときは、視点が固着する。
 一点だけをずっと見続ける。

 それをやめるのだ。
 旅へ出る。自然を見る。山へ行く。
 散歩に出る。

 「幸福論」のアランは、「精神的な病の人に言うことは『遠くを見よ』ということ」と言っている。
  悩んでいる人は近くばかりを見つめている。

 遠くを見るのだ。
 青い木々に目をやる。日が沈む山を見つめる。

  そうすると、一点だけでなく、さまざまな視点がふっと浮かんでくる。
  ★
 「反省するな」
 反省ばかりしていると、自分を傷つける。
 いいじゃないか、「あらっ、またやってしまった!」と。

  反省することで得られることなんてたいしたことではない。

 そんなことより「次をどうしていこうか」と考え、そして行動する。
 このことが最も大事である。

 「次をどうするか、それが人生である」

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つれづれなるままに~涼しい九州~

   12日から里帰りをした。
 九州の佐賀。
 
 

  お盆には、いつも郷里へ帰る。
 
 母が健在である。93歳になる。
 

  施設に入っているが、まだまだ元気。
 今年もお墓参りを一緒にする。
 
 

  13日は、親類たちが集う日。
 23名(子供たちも含めて)が集まり、しばしの集いを楽しむ。
 
 

  14日、15日と女房の実家へ行く。
 義理の父母はもう亡くなっているが、弟夫婦のもとへ兄弟たち、親類たちが集ってくる。
 

  1年に一回の楽しい集いになる。
 

 私は、縁側に座り、遠くの山々をしばし眺めて過ごす。
 

  生き返る時間。
 充血していた目も回復し、体がリフレッシュされる感じがする。
 

  山から吹き下ろしてくる山風は、体のすべての悪気を吹き飛ばしてくれる。
 今年は雨続きで、涼しい九州。
 多分、こんなに涼しいのは初めてではないだろうか。
 ★
 16日、満席の飛行機に乗って羽田へ帰ってくる。
 こちらも雨。
 ひんやりとしている。
 
 

  17日の午前中に、溜まっていたメールや手紙などを片付け、午後からY市の2年目の先生たちの授業研修会の準備をする。

 19日である。
 30分の教材研究のあとに模擬授業を行う。
 私も模擬授業をする。

 ★
 福山憲市先生と多賀一郎先生が、ブログにコメントを付けられている。
 ありがたい。
 

  私が一番尊敬する先生たちである。
 ともに若い先生たちをどのように育てていくかについて書かれている。(福山先生は初任者指導について)
 
 

  初任者がばたばたと辞めていく現実がある。
 教育委員会の初任者指導が追いついていかない。
 無力化している。
 
 

  どのような指導をしたら1年間を持ちこたえられるか。
 もうそんなレベルの問題になっている。

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子供たちに気持ちが通じないんです!

  福山憲市先生からコメントがついた。
 福山先生、ありがとうございます。
 やはりなあという感想を持った。  

  ★ ★ ★
野中先生 お久しぶりです。野中先生の書かれている、最初に必要なのは「学級づくり」。これに強く反応しています。今年度も、初任者指導教諭になっています。今年度は、文科省の指定を受けて、自校に1週間べったりいます。初任の先生にべったりつくことができます。昨年度は、拠点校として毎日違うクラスに入っていました。そうすると、どうしても「授業づくり」についても伝えなくてはいけないという焦りがどこかあった自分がいます。1週間に一度だからです。ところが、今年度は「学級づくり」をしっかりと種まきすることができました。そうすると、加速度的に、新任の先生が落ち着かれるのが分かるのです。つくづく「学級づくり」の大切さを実感しています。また、野中先生と話をすることができる日を夢見ています。(*^_^*)
  ★ ★ ★

 初任者研修の担当教師をしていると、だいたい週一日の担当になる。
 だから、ほとんどが授業を見ることになる。
 

  初任者の授業だから、さまざまに問題点を感じる。
 それを一々伝えていくと、こちらの方も実に仕事しているという満足感に浸る。
 

  だけども、初任者は大変。
 授業技術をすぐに変えて、授業を上達させていくことはできないからである。
 

  私が初任者指導1,2年目に失敗したことはそんなことであった。
 ★
 福山先生は、「つくづく『学級づくり』の大切さを実感しています」と書かれている。
 
 

  今でも「授業づくりが先か、学級づくりが先か」という問いかけがある。
 私は、とっくに結論は出ている。
「学級づくり」が先である。

 もちろん、「授業づくり」も同時進行であるが、まず土台づくりをしなければいけないので、「学級づくり」が優先される。
 
 

  30年、40年前ならば、そんな問いかけはなかった。
 「授業づくり」をしておけば良かったのである。
 

「授業づくり」をしながら、そこに「学級づくり」を含めていけば良かったからである。
 今でも、「授業づくり」が先だと主張されている先生は、自分ではそれでできるからであろう。実力がある先生たちならば、それは可能である。
 

  でも、初任者や若い先生たちにそれを求めるのは酷である。
  ★
 ある学校でのこと。
 何よりも「授業づくり」をさせていけば良いと考えられていた初任者指導の先生がおられた。(校長を退職されて初任者指導になられた。)
 

  始業式の日に、初任者に「明日から授業の指導案を1枚ずつかいてきなさい」と伝えられた。
 さあ、大変。
 

   A4一枚の指導案でも、初任者は1時間ぐらいかかる。
 担任を外れていれば話は分かる。
 

  でも、担任をしているのである。
 結局、その初任者指導の先生の担当4人の中で、3人が学級崩壊になった。

 指導案づくりの追われて、学級づくりがおろそかになった結果である。

 普通でも大変なのに、こんな課題を出してうまくいくはずはないのである。

 もう一人も4月、5月は大変であった。

 その初任者指導の先生は、けっして悪意があるわけではない。
 「授業をうまくさせていけば、学級は大丈夫だ」と思い決めていたのである。
 
 

  初任者指導の先生は、意外とこういうパターンに陥る。
 ずっと昔、自分の若い頃はそのようにしてやってきたからである。
 

  「授業づくり」が先だと思って指導すると、こういうことになるのである。
 ★
 何が問題であるのか。
 
 40歳になってから初任者になった知り合いのI先生のクラスが、学級崩壊になった。
 その時のことを次のように書かれてある。
 
   ★ ★ ★
 努力しても努力しても、自分や家族との時間をすべて犠牲にしてもうまくいかなかったことは、それまでの人生で初めてでした。子どもたちに、気持ちが通じないのです。学級づくりも、授業も、いくら一生懸命やってもうまくいかないのです。
一人ひとりとお話しすれば通じ合えるのに、集団になると指示が通らず、騒がしさが収まらず、叱っても響かず、怪我が増える。そのうち保護者が騒ぎ出す。管理職に叱られる。みんなアドバイスをくれるけれど、具体的に手を出してやってみせてはくれない。「それは担任の仕事ですよ」。そんなことはわかっています。私が悪いのもわかっています。でも、これだけやってもできないんです!今、何をどうすればいいんですか?
   ★ ★ ★
 
 この時の管理職は「あなたは子供が嫌いじゃないか。だから、クラスが荒れるのだ」というような指導をしている。
 クラスが荒れるのは、子供への愛情のある指導をしていないからだという指導。
 

 呆れる。
 具体的な指導をまったくやらないで、トンチンカンな助言をする。
 
 ★
 何が問題なのか。

 そのヒントが、I先生の言葉の中にある。

 「子供たちに気持ちが通じないのです」

 要するに、子供たちに気持ちが通じれば、少々まずいことをやっても子供たちがそれを補ってくれる。
 授業が下手くそでも、話が下手くそでも、子供たちが補ってくれる。
 

 初任者でクラスがうまくいく先生たちがそれである。

 子供たちと早く仲良しになればいいのか。
 子供たちと友達みたいに付き合って、仲良し関係を築けばいいのか。
 

 こういうことでないことは、はっきりしている。

 「学級づくり」の原理・原則を踏まえて対応することである。
 初任の先生たちは、これを知らないで教師になっていく。

 それは何か。
 
 

  ①まず、教室を秩序ある「安心・安全」な場所にすること。 
   ②それから担任と子供たち、子供たち同士のつながりを作ること。

 ①を私達は、「縦糸を張る」と言ってきた。
 ②を「横糸を張る」と言ってきた。

 子供たちと「気持ちが通じる」ためには①と②をまずしなければいけないのである。
 これは大きく「学級づくり」の課題になっていく。

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目の前の子供たちとどのように繋がるのか!

   ブログに「げんちゃん」からコメントがついた。
 いつもありがとうございます。
 

  次の言葉は、よく分かる。
 ★ ★ ★
初任者、若手教員の現場での苦しみのほとんどは、事務作業でも保護者対応でも授業力でもなく、子どもとの「関係づくり」だと断言してよいと思います。
私自身、最初の3年間は子どもとの「関係づくり」がうまく行かず、あっという間に学級が崩れていく様を目の当たりにしました。今振り返ると、典型的な「友達先生」になっていました。言葉遣いの崩れが、子ども達との距離感をあいまいにしてしまい、指示の非一貫性が6割の「どっちつかずの子ども達」を「やんちゃな子ども達」の側へと自ら追いやってしまいました。そして、指示を通すべき時に通せない、指示に従えない子どもや状況を怒鳴って何とかする、そうしているうちに怒鳴っても状況は悪化するばかり…。「つらい」という言葉では形容しがたいですし、本当に今思い出しても、暗い気持ちになり、ため息が出ます。何より、子ども達が一番辛かっただろうと思います。
 ★ ★ ★
 ★
 特に、次の言葉は私が強調していることでもある。

「 初任者、若手教員の現場での苦しみのほとんどは、事務作業でも保護者対応でも授業力でもなく、子どもとの「関係づくり」だと断言してよいと思います。」

 子供たちとの「関係づくり」。
 これができないで、病気に倒れ、辞職するという事態を招いている。

 今日本の教師でダントツに病気離職する人が多いのは、
 25歳未満の教師たちと55歳以上の教師たち。

 両方ともほとんどが「関係づくり」で失敗している。
 
 若い教師は、子供たちと「仲良し」になろうとすることによる失敗。
 

「仲良し」になることがだめではなく、こちら側のスタンスが「お兄さん」「お姉さん」だということが問題である。
 いわゆる「友達先生」なのだ。
 

「教師」としての「仲良し」を目指さなくてはならない。(私達は「横糸を張る」と言っている。

 ベテランの教師たちは、「縦糸の張りすぎ」による失敗。
 しょっちゅう厳しく叱りつけることを常道としている。
 
 

  以前は子供たちの方で耐えていたのだが、もはや反発の対象でしかない。
  厳しいということは決して否定されることではないが、これも限度ものである。
 

  それでも「横糸を張る」ことができれば何とかなるのであるが、それもない。

 「教師」として縦糸・横糸をバランス良く張れれば、問題のほとんどが片が付く。
  私達は、はやくこのことに気づかなければいけない。

 初任者指導は、ここに重きをおいて指導しなければいけない。

 大学の教員養成の先生方、教育委員会の初任者指導の先生方、現場で指導している初任者指導の先生方に強く訴えておきたい。
 
  ★
 『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です』(大和書房)を読んだ。

 気鋭のコンサルタントが、内幕を暴露した本。
 さまざまな大手のコンサルティングファームを渡り歩いてきた実力派コンサルタントが、自らとコンサル業界が犯してきた数々の過ちを暴露している。

 「戦略計画」「最適化プロセス」「業績管理システム」「マネジメントモデル」「人材開発プログラム」「リーダーシップ開発」……こうして続く舌を噛みそうな方法論がいかに無意味で余計なものかを暴露している。

 著者カレン・フェランは言っている

 〇単純な「話し合い」が効果を発揮する。

  〇必ずうまくいった「シンプル」な手法

 〇泥臭い「ブレインストーミング」の効果

 そして、次のように結論づける。

 ★ ★ ★
 関係者全員で取り組みもせずに、ビジネスの問題を解決できると約束するようなツールや方法論やプログラムや取り組みは、ことごとく失敗する。ソフトウェアプログラムであれ、変革活動であれ、業務オペレーションを改善するには、関係者全員を巻き込んで一緒に取り組むしかない。それさえできれば、どんなツールや方法論を用いるかは、たいした問題ではない。人間こそ問題の原因であり、解決の手立てなのだ。
 ★ ★ ★
唸ってしまう結論である。
 日航を立て直した稲盛和夫氏が取り組んだこともこのことだったことを思いだす。

 ★
 何を言いたいのか。
 もう一度繰り返したい。

 今さまざまに問題になっている学級崩壊現象は、担任と子供たちの「関係づくり」の問題である。
 だから、目の前の子供たちとどのように繋がっていくのかが最大の問題になる。

 友達先生流の繋がりではだめだ。
 厳しいだけの繋がりではだめだ。

「教師」として縦糸・横糸をバランス良く張ること。
 これである。

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問題はシンプル。複雑に考えないことだ!

   こんなコメントもついている。
 Aquaさんからのコメント。
 いつもありがとうございます。
 
 

 昨年初めて6年生担任をされて、大変な1年を送られた。
  以前こんなコメントも付けられている。

  ★ ★ ★
 アンナ先生のお手紙を読んで、昨年度六年生を担任して、悩み、苦しんだことを思いだしました。
子どもたちと良い関係を築けず、自分を責めました。子どもたちに申し訳なくて。保護者の方達にも心配をかけました。
何人かの先生方に助けて頂いて、ボロボロでしたが、ようやく一年間を終えました。

今年度は、希望学年を担任させて頂き、楽しく過ごしています。

私の力不足が原因でしたが、いくつかの学びはあったと思います。

今後、高学年を担任するかどうかはわかりません。
もしも、担任することになったら、野中先生の「縦糸と横糸」を念頭に、学級経営をします。
 ★ ★ ★ 
 今回も、このようなコメントをもらっている。

 ★ ★ ★
野中先生には、昨年度お世話になりました。

昨年度、初めて六年生担任をした私は、六年生という発達段階をあまり理解しないまま、学級経営をしてしまいました。
縦糸を張れず、学級を不安定にしてしてしまいました。
どんなに頑張っても人間関係を修復できず、野中先生の本にすがりました。
ここでも悩みを聞いていただいて、やり過ごすことを選びました。

何とか卒業式まで持ちこたえることができたのは、野中先生のおかげです。
もちろん、校内の先生方にも協力していただきました。

もっと勉強しておくべきだったと思っています。

今年度は、希望学年を担任し、とても落ち着いた毎日です。
この子たちにできることを精一杯します。
 ★ ★ ★

 高学年の子供たちが特別な子供になっている。
 ひょっとすると、中学生よりも大変ではないかと予想する。

 だから、低学年や中学年ばかり持っていた先生は、よほど慎重にいかないと大変なことになる。
 

 Aquaさんも、初めての6年生担任で、とんでもない大変さにあわれている。
  だが、こんな先生は全国にごまんといるに違いない。

 ここでAquaさんが強調されているのが、縦糸・横糸のことである。
 
 今年、赴任前に行う初任者研修を2つの教育委員会で行った。
 始業式前に行った初任者研修は、2つの教育委員会。

 ここの4つの教育委員会では、辞めていく初任者がいないと聞いている。
 
 私の初任者研修の話が、いくらかの効果をもたらしているのかもしれないと手前味噌的に考えている。

 それは、やはり縦糸・横糸のことである。

 この視点を持って現場に行くのと、全く知らないで現場に行くのとではまったく違う。
 
 この視点を持たなければ、初任者はお兄さん、お姉さんの気持ちで「仲良し友達」を子供たちと目指そうとする。
 最近は、すぐにクラスが荒れていく。
 
 ところが、この視点を持っていると確実に「教師」として子供たちと関係を持とうとする。
 私が指導した初任者は、確実に落ち着いたクラスを作り上げていた。
 

 この違いは大きいはずである。
 

 もちろん、知っているだけで実践できなければ何にもならないのだが…。

 ★
 現在の初任者研修は、ほとんど「授業」に偏った指導をしている。
 初任者指導の先生方も、ほとんど「授業」に偏った指導であろう。
 
 

 実は、私も初任者指導として1,2年目はそうであった。
  効果はさほど上がらなかった。

 ところが、初任者が最初に必要なのは、「学級づくり」である。
 とくに、子供たちとの関係づくりは決定的である。
 

 ここで90%以上、クラスがうまくいくかどうかの岐路になる。
 それほどに大切である。

 このことを現場は教えられない。
 
 周りの先生たちは、自分のクラスで精一杯。
 

 初任者指導の先生たちは、「授業」の指導をしようとする。
 これではダメだ。
 
 

 辞めていく初任者が続出しているのは、このことが原因である。

 その初任者が教師に向いていないとか、教師としての力がない(当たり前だが)とかの問題ではない。

 もう一度繰り返すが、子供との「関係づくり」と「学級づくり」の問題でクラスが荒れているのである。
 このことは強調してもしすぎることがないほどである。

 また初任者でなくても、同じようにクラスが荒れていくのは、ほぼここに問題があると思った方がいい。

 問題はシンプルなのだ。
 複雑に考えないこと。

 ただ、中堅やベテランの先生は、今まで身につけた「先生としての習性」をどれだけ振り返り、変えられるか、そこが大きな課題になる。
 

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2つを統率できれば、何とかなる!

   ブログにさまざまな方がコメントをつけてもらえる。
 ありがたいことである。
 
 

  とても貴重なコメント。
 今回も2人の方からコメントがついた。
 
 

  考えさせられた。
 今現場で起こっている典型的な事例であろう。

 まず、Y先生のコメント。

  ★ ★ ★
 野中先生 ご無沙汰しております。
  …………(略しています。…註)………
何とか、1学期無事に終わることができました。
大崩れはなかったものの、危ういクラスがありました。その担任の先生は、「大」がつくほどのベテラン女性教諭です。一生懸命に取り組んでいるのですが、落ち着かないのです。
自分が見るところ、「時間」の統率がうまく行っていないようです。1時間目、私が授業をしにそのクラスに行こうとすると、まだ「朝の歌」を歌っていました。
放課後に会議をすることを事前に伝えていたにも関わらず会議室に現れない。教室へ行ってみると、まだ「帰りの会」をしていました。
子どもたちの表情が、どよーんとするのはよいほうで、特別な支援が必要とする子どもたちは、騒ぎ出し、その子たちを叱ることでまた「帰りの会」が延びるという悪循環をしていました。

ベテランと言われる人でさえ、実力のある人でさえ、「時間」の統率を疎かにしていると学級が崩れかけることをあらためて知りました。
明日は、外部の相談員さん(特別支援教育担当)が来て、そのクラスのことを相談します。それも意味があることですが、まず「時間」への自覚を持って頂くことがよっぽど大事と気づいて頂きたいのですが・・
 ★ ★ ★
  ★
 「アンナ先生への手紙」に教室の「空気」と「時間」の統率について書いた。

 これは何だと言われることが多い。
 ほんとうに教室の中心に「空気」と「時間」があるのか、半信半疑であるという意見である。

  このように言ってみる。
 教室は、「空間」と「時間」に存在する。
 

  教室という「空間」と教室を流れる「時間」である。
 
こういうと皆さん納得される。
 
 この教室の「空間」とは何か。
  そこにあるのは、実際の教室の「場所」と「空気」。
 
 

  「場所」は見えるが、「空気」は見えない。
  しかし、最も重要なのは、その見えない「空気」の方である。

 この「空気」の流れを担任が掌握していく(統率と言う)のか、あるいはやんちゃたちに掌握されてしまうのか、そこに運命が左右される。

 同じように、「時間」も流れている。
 この流れがスムーズに流れていくこと。
 

  決まった時間できちんと流れること。
 このことが問われている。

 ベテランの教師たちの学級崩壊が多数続いている。
 しかもその教師たちは実力のある教師たちである。
 どこに問題があるか。

 この「空気」の統率を一方的な支配に偏してしまうから。
 私達は、「縦糸の張りすぎ」と言う。
 もっと横糸を張らなければいけないのに、それができない。

 また、「時間」の統率にも失敗している。
 子供たちは、もはや「スピード」で被われているのに、いつまでも「ていねい」、「ゆっくり」と何度も何度も繰り返しながら昔ながらの指導をしている。
  子供たちはいらいら。
 
 Y先生は、その実例を紹介されている。
 指導の仕方を転換しなければならないのに、そのことを考えられない。

 ★
 今、25歳未満の若手教師と、55歳からのベテラン教師の病気離職率がダントツに高い。統計の数字がそのように物語っている。
 ほとんどが学級崩壊がらみだということが予測できる。

 問題のほとんどが、教室の「空気」と「時間」の統率に失敗している。
 そのように私は把握している。

 問題を複雑に考える必要はない。
 この2つをきちんと制御できれば、クラスは何とかなっていく。

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アンナ先生への手紙(7)~教室の「時間」の統率回復作戦~

   「アンナ先生への手紙」も今回で終わりである。
 アンナ先生が、夏休みまでがんばって続けられたのか、それが心配だが、アンナ先生どうだろうか。
 ★
 今回は、教室の「時間」の統率回復作戦について書く。 
 
 教室には、一日の「時間」が流れている。
 朝来てから、終わりの会までの時間。

 この「時間」が教室を規定している。
 この「時間」がスムーズに進むことが統率ということになる。

 この「時間」がごとごとと止まってしまったり、乱れてしまったり、ぐじゃぐじゃになったりしてはいけない。
  必ず、子供たちを乱していく。
 子供たちは、「スピード」の塊であるから、このスムーズさがなくなると乱れてしまう。

 学級が荒れていくと、必ずクラスに「スピード」がなくなる。
 子供たちもだらだらする。

 だから、まずしなければいけないことは、教室の「スピード感」を回復することになる。
 ★
 教室で作ってきた、「朝自習」「朝の会」「授業の最初と最後」「給食」「掃除」「終わりの会」の仕組みを見直さなくてはならない。
 これがスムーズに行っているかどうかなのである。

 まず止めること。
 それは、スピードのない活動。

 だらだらした朝の会、終わりの会。
 チャイムや日課表を守らない授業。
 

  だらだらした給食の準備、後片付け。
 だらだらした清掃。
 ★
 朝自習は、おしゃべりのない時間として組むこと。
 教師も早く教室へ行って、朝自習に付き合うことが必要。
 
 

  10分間。
 日直は、前に出てきて教卓で朝自習を行う。
 
 

  おしゃべりがあったら、すぐに注意をする。
 日直の役割になる。
 
 

  これが静かに行えるなったら、まず第一段階を通過する。
  朝自習が自分たちできちんと行えるならば、クラスが「集団」として成長していく第一段階なのである。

 朝の会や終わりの会は、原則は5,6分。
 これで終わりになるように組まなければいけない。
 
 

  4月の最初は、朝の会は伝えることが多いのでよく1時間目に食い込む。
 だが、5月になっても1時間目に食い込むならば、完全にプログラムが悪いのである。

  終わりの会も、5,6分で終わること。
 だらだらとやらない。
 
 子供が一番嫌になる時間。
 

  10分も20分もやっているならば、プログラムが悪い。

 毎回、決まった子供しか言わない「良いこと探し」発表など止めることである。
 それが学級づくりに効果的に作用しているならば必要なものだが、ほとんど習慣で行っている。
 

  効果がないものはすぐに止めることである。
 ★
 最もこの「時間」の回復作戦で大事なのは、「給食」と「清掃」になる。
 ここには、クラスの状態がすぐに現れる。

 給食は、クラスが荒れてくると必ず準備と後始末がぐじゃぐじゃになる。
  給食の残しも多くなる。
 必ずである。

 これを何とかしなくてはならない。

 清掃も、同じである。
 時間内に終われるようにどのように仕組みを作っていくか。
 

  みんなで協力してはやく終えられるようにどのようにしていくか。
 このことを何とかしなくてはならない。

 ★
 この回復作戦についてくわしくは『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学陽書房)に書いた。
 ぜひ、この本を参考にしてほしい。

 夏休み明け1週間が銀の時間になる。
 この時間に再びクラスの回復に挑戦できることになる。
  健闘を祈りたい。

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