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高一殺人事件のその後

 佐世保高一事件は、さまざまに波紋を引き起こしている。

 やはり、私が予想した通りの事件。
 
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 かつて宮台真司が酒鬼薔薇事件を経て、「脱社会的存在」という言い方で語ったことがあった。

 ★ ★ ★
 我々は一般に、尊厳を「社会」に関係づけています。すなわち、社会の中で位置を占め、他人と関わることで、何かを実現しようという意欲を持つし、そうした実現によって尊厳を構築・維持します。ところが「脱社会的」な人間は、そういう意欲を持ちません。コミュニケーションの中で尊厳を確保しようとも思っていない。その意味で、「脱社会的」な存在にとっては、人とモノの区別ができません。
          『脱社会化と少年犯罪』(創出版 宮台真司・藤井誠二著)
 ★ ★ ★

 この「脱社会的存在」が再びこういう形で現れたのである。

 おそらく、殺された女子高生との間に特別な諍いはなかったし、むしろ仲良しだったとマスコミは報じている。
 「猫を解剖していたが、それに飽き足らず人を殺してみたくなった!」と。

 今まではこの加害者は、みんなの中に紛れていたが、何かのきっかけでスイッチが入ったとしか言いようがない。
 酒鬼薔薇聖人は、阪神大震災でスイッチが入ったのではないかと報じられていた。
 
 今回の事件は、母親の死亡であったのか、父親の再婚であったのか、……。
 いずれにしても、スイッチが入ったのである。

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 こんなに簡単に、しかも残酷に人を殺せるものなのか。
 
 宮台真司は、上記の本で次のように語っている。

 ★ ★ ★
 我々が人を殺さないのは、単に「殺せないから」です。なぜ殺せないかというと、単に「殺せないように育つから」です。では、どう育つと殺せなくなるのか。そこがポイントになります。すなわち、他者との社会的交流を通じて尊厳を樹立したような人間、他者とのコミュニケーションで得られる承認を通じて自尊心を形成してきたような人間、コミュニケーションの中で自己形成を遂げた人間は、人を殺すことができません。例えば、人を殺すという選択肢を思いつかないし、誰かから「人を殺せ」と命令されても、殺せません。
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 動機探索に捜査やマスコミは動いて行くに違いない。
 でも、そんな問題ではない。

 佐世保市教委が、この10年「命の教育」をやってきたが、再びこのような事件を起こしてしまったと嘆いていた。
 「命の教育」みたいなことをやったとしても意味がないことである。
 
 安易な、その場凌ぎの方法にしかすぎない。
  こんなことを現場の教師たちに押しつけて、何の解決にもならない。

 何かできるのか。

 おそらく、今のところ、何の解決策も見いだせないというのが正直な答えになる。

 従来存在したはずの、人を殺せないように立ち上がる生育環境が、なくなってしまったのである。
 また、そのような社会的なプログラムが大きく欠けていっている。
 
 そのようなものを再び私達の社会に甦らせていくにはどうしたらいいか。
 困難な課題が突きつけられている。
 
 

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