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2014年7月

アンナ先生への手紙(6)~教室の空気統率回復作戦~

   「アンナ先生への手紙」(5)を書いて、間が抜けてしまった。
 

 その間に、「味噌汁・ご飯」授業研究会があったり、大阪へ行ったりしてばたばたしている。
 

 愛知のTOSS超末端先生にフォローしてもらっている。
 ありがとうございます。

 末端先生にも勧めてもらっているが、夏休みにぜひとも『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学陽書房)を読んでもらいたい。
 かなり参考になると自負している。

 これくらい回復の手立てを書いた本はなかなかないのではないか(笑)と思っている。

 ★
 さて、今回は「教室の空気の統率回復作戦」を書きたい。
 この作戦は、夏休み明け1週間(銀の時間と言っている)で始める。

 教室の空気とは何か。
 担任と子供たちで作って行く雰囲気。
 
 

 これを担任が握らないでやんちゃたちに握られていくことで教室は荒れていく。
  今荒れている先生は、まずここができていない。

 何ができなかったのか。

 ①教室の多くの子供たち(8割の子供たちと言っている)の願いを実現できていない。
 ②8割の子供を味方にする手立てを取れていない。

 この2つ。
 
 

 ①について、この願いは、「安心・安全」で居心地が良いクラスにしてほしいということになる。
 これは、同時に「学級づくり」の目標にもなる。
 

 子供たちは決して声にはしないが、多くの子供たちが、この願いを持っている。

 クラスの決め手になる「6割」が、先生の味方になってくれるかどうかが大きなポイントになると前に書いた。
 この「6割」は、クラスでどちらが強いかで自分の身の振り方を考える。
 

 担任がクラスを統率していると判断すれば、担任の味方になる。
 クラスのやんちゃたちが「空気」を支配しているとなると、そちらへなびいていく。
 

 要するに、強い方になびいていく。
 なぜか。
 

 それが、自分の身の安全になるからである。

 だから、②の手立てとは、教室の「空気」と「時間」の統率なのである。

 教室の「空気」の統率のためには、子供たちとの関係づくりが決め手になる。
 「縦糸と横糸」張りをしていく。
 

 「縦糸を張る」とは、教師(教える存在)と生徒(学ぶ存在)の上下の関係づくり。
 これで、学級内の秩序を確立する。
 

 そのためには、学級のルールづくりや仕組みづくりをしていく。
 「横糸を張る」とは、教師と生徒との心の通じ合い。
 

 これで、教師と生徒、生徒同士が信頼し合い、共に育っていく関係を作り上げるのである。
 くわしくは、『必ずクラスがまとまる教師の成功術』(学陽書房)を参考にしてほしい。

 夏休み明けから再出発になる。
 同じ失敗をしないためには、止めなくてはならないことがある。

 まず1つは、今まで拘っていた超やんちゃな連中への対応。
 ともすれば、しょっちゅう注意し、叱っていたのではないだろうか。
 

 もちろん、やってはいけないことは叱らなければいけない。
 それは当然だ。
 

 でも、あまり拘らないことにしよう。
 2つ目は、「空白の時間」。
 

 何かもめごとがあると、授業を自習にして廊下に関係者を呼んで、仲裁をすることなどなかっただろうか。これをしょっちゅうやっていると、クラスが不安定になり、ますます荒れていくことになる。
 

 授業は、よほどのことがない限り止めてはならない。
 空白の時間をつくってはならないのである。

 そして、視線を8割の子供の方へ向ける。
 今まで、クラスの問題を解決するという気持ちで、やんちゃたちへ視線を向けていたのを8割の方へ向ける。
 

 何をするか。
 その8割の子供たちをできるかぎり褒めたり、認めたりして(私はフォローと言っている)いくことをさかんにするのである。
 

 これはそんなに簡単なことではないが、努力しなければいけない。

 ★
 このことで大成功したクラス回復作戦がある。
 2年生の初任者のクラス。(男性教師)
 

 そのクラスは、1年生の時、1クラスが学級崩壊になっていたので、半分はその子供たちがいたのである。
 ちょろちょろする男の子が何人もいて、初任の担任の先生は、しょっちゅう叱っていた。モグラ叩き状態。
 

 それが4月、5月と続いていく。
 叱ることだけでは効果がないと分かった段階で、初任の先生と私との間で話し合ったのが、個人目標達成法。
 

 これは別名「ハカセ方式」と言っている。
 困っていることを「〇〇ハカセ」と命名して、子供たちに取り組ませていくことである。
 

 担任の先生は、そうじハカセ、ききハカセ、べんきょうハカセ、きゅうしょくハカセ、かたづけハカセを選ばれている。
 たとえば、「べんきょうハカセ」とは、授業の始まりで机の上に、教科書、ノート、筆箱をきちんと重ねて置き、姿勢を正しくして待っていると、先生から「すばらしいね。ハイ、『べんきょうハカセ1回』」と伝えられる。
 

 そうすると、鉛筆を持ち、後ろから「べんきょうハカセ」と貼り出してあるところの名簿に1つだけ〇をつけに行く。
 

 「授業中にやっていいのですか?」と聞かれたが、授業中だからこそいいのである。
 デモンストレーションになる。
 

 〇が10個貯まると、「べんきょうハカセ」になる。
 それから、担任の先生は、叱ることではなく、5つのハカセへの宣言を次々にしていくということになる。
 

 ほぼ1ヶ月でよかった。
 みるみる子供たちは変身していった。
 

 校長先生もびっくりされていた。
 みごとに落ち着いたクラスに変身していったのである。

  ★

 毎日叱ることから、「〇〇ハカセ 1回です」と認めていく。
 それだけの変化。
 そのことで、子供たちは大きく変化していったのである。

 なぜか。
 彼等は、もともと理想主義者。低学年の子供たちは、その通り。
 

 そんなに複雑ではない。

 理想主義者というのは、良きことに進んでなりたいという気持ちを持っていることである。
 あれほど教室の中で傍若無人に振る舞う子供たちにそんな気持ちがあるとはとても思えないと考えられるだろう。
 

 それは教室が弱肉強食の空間になっているからである。
 「安心・安全」でない場所では、子供たちの脳に潜んでいる「動物脳」(犬や猫の脳)が動き出すのである。
 (このことについては『その子育て科学的に間違っています』<河出書房新社 国米欣明著>を参考にしてほしい)
 

 そうすると、嫌なことに対してはすぐ反発したり、ケンカになったりする。
 毎日もめごとだらけになるというのは、そのためである。

 ところが、人間だから良きことを進んでしたいという「人間脳」も持っているのである。
 子供たち一人一人をほめたり、認めたりしていると当然その脳が刺激され、どんどん良いことをしようということになる。
 

 低学年ほどその気持ちが強い。 

  そのクラスは見る見る変わっていった。
 素晴らしいクラスに変身していった。
 

 8割の子供たちに視線を移す。そして、盛んにフォローをする。
 そのことで変わっていったのである。
  (このくわしい実践は、『新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則』<明治図書拙著>を参考にしてほしい)

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高一殺人事件のその後

 佐世保高一事件は、さまざまに波紋を引き起こしている。

 やはり、私が予想した通りの事件。
 
 ★
 かつて宮台真司が酒鬼薔薇事件を経て、「脱社会的存在」という言い方で語ったことがあった。

 ★ ★ ★
 我々は一般に、尊厳を「社会」に関係づけています。すなわち、社会の中で位置を占め、他人と関わることで、何かを実現しようという意欲を持つし、そうした実現によって尊厳を構築・維持します。ところが「脱社会的」な人間は、そういう意欲を持ちません。コミュニケーションの中で尊厳を確保しようとも思っていない。その意味で、「脱社会的」な存在にとっては、人とモノの区別ができません。
          『脱社会化と少年犯罪』(創出版 宮台真司・藤井誠二著)
 ★ ★ ★

 この「脱社会的存在」が再びこういう形で現れたのである。

 おそらく、殺された女子高生との間に特別な諍いはなかったし、むしろ仲良しだったとマスコミは報じている。
 「猫を解剖していたが、それに飽き足らず人を殺してみたくなった!」と。

 今まではこの加害者は、みんなの中に紛れていたが、何かのきっかけでスイッチが入ったとしか言いようがない。
 酒鬼薔薇聖人は、阪神大震災でスイッチが入ったのではないかと報じられていた。
 
 今回の事件は、母親の死亡であったのか、父親の再婚であったのか、……。
 いずれにしても、スイッチが入ったのである。

 ★
 こんなに簡単に、しかも残酷に人を殺せるものなのか。
 
 宮台真司は、上記の本で次のように語っている。

 ★ ★ ★
 我々が人を殺さないのは、単に「殺せないから」です。なぜ殺せないかというと、単に「殺せないように育つから」です。では、どう育つと殺せなくなるのか。そこがポイントになります。すなわち、他者との社会的交流を通じて尊厳を樹立したような人間、他者とのコミュニケーションで得られる承認を通じて自尊心を形成してきたような人間、コミュニケーションの中で自己形成を遂げた人間は、人を殺すことができません。例えば、人を殺すという選択肢を思いつかないし、誰かから「人を殺せ」と命令されても、殺せません。
 ★ ★ ★

 ★
 動機探索に捜査やマスコミは動いて行くに違いない。
 でも、そんな問題ではない。

 佐世保市教委が、この10年「命の教育」をやってきたが、再びこのような事件を起こしてしまったと嘆いていた。
 「命の教育」みたいなことをやったとしても意味がないことである。
 
 安易な、その場凌ぎの方法にしかすぎない。
  こんなことを現場の教師たちに押しつけて、何の解決にもならない。

 何かできるのか。

 おそらく、今のところ、何の解決策も見いだせないというのが正直な答えになる。

 従来存在したはずの、人を殺せないように立ち上がる生育環境が、なくなってしまったのである。
 また、そのような社会的なプログラムが大きく欠けていっている。
 
 そのようなものを再び私達の社会に甦らせていくにはどうしたらいいか。
 困難な課題が突きつけられている。
 
 

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あれから10年。また、長崎佐世保で事件が起こる!

   2004年の6月1日の毎日新聞の夕刊に「小6女児、切られ死亡」という記事が掲載された。

 ★ ★ ★
 一日午後0時58分ごろ、長崎県佐世保市東大久保町の市立大久保小学校(児童数187人)から「小6の女児が同級生から刃物で切られ、死亡した」と佐世保署に通報があった。切られたのは、同小6年で、同市天満町、毎日新聞佐世保支局長、御手洗恭二さん(45)の長女、怜美さん(12)。同署の調べでは体中に傷があり、凶器はカッターナイフだったという。同小は市中心部にある市役所近くの高台に建っており、周辺は住宅地になっている。
 ★ ★ ★

 これは、実は「謝るなら、いつでもおいで」(集英社 川名壮志著)に書かれていること。
 帯の見出しは、次のように書かれている。

 ★ ★ ★
 世間を震撼させた「佐世保小6同級生殺害事件」から10年。ー新聞には書けなかった実話ー 友達を殺めたのは、11歳の少女 被害者の父親は、新聞社の支局長 僕は、駆け出し記者だった-。
 ★ ★ ★

 ★
 あれからもう10年も経つのである。
 ちょうど10年の7月27日に、同じ佐世保市内で今度は高一年の女生徒が同じような猟奇殺人まがいの事件を起こしている。
 

毎日新聞は、以下のように事件を報じている。 

   http://mainichi.jp/select/news/20140728k0000m040151000c.htm

l  今のところ、事件の内容は分からない。
 もう少し詳しくは、以下のところが報じている。

   http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0728/mai_140728_9651744607.html

 ★
 私も、10年前のこの殺害事件で衝撃を受けた一人である。

 実際に佐世保に行って、この学校や加害者の自宅周辺を見て回った。

 その事件は,給食の時間の始まりで、担任と給食当番と一緒に給食室に給食を取りに行っている時に起こった。加害者が、被害者に「ちょっと来て!」と多目的室に誘っていくということで事件は起こったのである。

 実は、小学校ではこの時間が唯一「魔の時間」になる。
 ぽっかりとあく時間。ともすれば、子供たちが自由になる時間。
 

  他の時間は、常に教師や子供たちの目が張り巡らされていて、こんな事件を起こさせられないのである。
 この時以来、給食室に給食を取りに行くときには、絶対に教室の外へ出てはいけないことをルールとしたのである。
 
 

 今回は、加害者の自宅マンションで起きている。
 学校としてはどうにもできない。

 私は、直感的に今回の事件もまた、同級生同士の諍いで起こった事件とは違う何かと感じる。

 まだ、何とも分からないが、そんな感じがするのである。

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私への相談はメールへ

   うっかりしましたが、初任者の方で私への相談をしたい方で、ブログのコメントはちょっと厳しいという方がおられると思います。

 その方は、私のメールへお願いします。
  内容は、ブログへあげたりすることはありませんから(内々にします)、遠慮無くどうぞ。

  kazenifukarete●hkg.odn.ne.jp  (●のところに@を入れて下さい)
 
 

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「アンナ先生への手紙」は継続中である!

    「なっちゃリズム」さんが、またコメントをされた。
 実におもしろい。正直で、率直だ。
 コメントを読んでもらいたい。
  ★
 私のブログに投げかけられた質問には、できるかぎり答えている。
 それも具体的に答えている。
 具体的に答えられなければ、現場教師には届かないからである。

 ★
 初任者指導の仕事を引き受けてもう7年目になる。
 今年も今まで11回の初任者向けの研修会の講師をしている。
 この夏にも2回の初任者向けの研修会を引き受けている。

 ある教育委員会では、私の講座を受けた初任者がまだ1人として辞めていないと報告を受けると、ただただうれしくなる。

 講座で聞くことは、単なる「知識」にしかすぎない。
 その知識を受け止め、実践できてこそ、「教師」として成立していくことになる。

 このことはそんなに簡単なことではない。
 「馬の耳に念仏」ということは、いつでも起こることだからである。

 その意味で、私の話を聞いてどれくらい現実的に効果があるのか、私自身も分からないでいる。

 ただ、最近は場数を経てきて、この話が初任者にはストンと落ちていくというのがいくらか分かってきている。

 ★
 「なっちゃリズム」さんは、現場教師はもっと私に質問すべきであると書かれてある。
 
 明日の教室で初任者指導研修会を辞めて、私自身は少しずつ退場していく決意であったが、初任者の現状がさまざまに伝えられてきて実は呆然となっているところである。

 初任者の先生。私を相手に悩んでいることを伝えられたらどうぞ質問をしてください。できるかぎり答えていくことにする。
 「アンナ先生への手紙」は継続中である。


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質問に答えます(2)

   再び質問が出ました。
 学級崩壊をしてしまうのはなぜか、という質問です。
 

 愛知のTOSS超末端教師の先生も答えてもらえていますので、参考にできますね。
 
 

 今、このブログで「アンナ先生への手紙」を書いています。
 そこのところでこの質問の答えに十分答えていくことになるはずです。
 
 

 でも、せっかくの質問ですから、答えておきます。
 改めて確認したいのですが、その先生のことについては以下のようなことでした。
 
 ★ ★ ★
 かつて勤務していた小学校でこんな先生がいました。

新採の20代の女性の先生でした。
TOSSをはじめ、いろいろな指導法を研究されていて、授業の進め方もとても堪能でした。仕事も自分なりに効率よく進めていらっしゃいました。
また、人間的にも本当にすばらしい方でした。

しかし、その先生のクラス(1年生。一年目は別のクラスを担任。)は2年目の後半から学級崩壊を起こしました。
この先生は、3年目に退職しました。

私が原因として考えられるのは2つ。
一つ目は2年目に音楽の校務で(全校音楽の時に)全校の前でピアノを弾かなければならず、これが負担になったのではないか。
二つ目は子どもに「理不尽なところがある自分」を示せなかったことではないか。

私から見ると、学級崩壊しない先生は、どことなく(多少でも)理不尽なところがあるように見えます。
  ★ ★ ★
 
  ★ ★ ★
 過日のコメントで書かせて頂いた女性の先生は、(あくまで私から見るとですが)彼女なりに子どもに「ゆずらないところはゆずらない」毅然とした姿勢をとっていました。(過日のコメントにも書きましたが、TOSSの方法論などもふんだんに実践していました。また、例えば、向山洋一さんがおっしゃるような「管理職がむりやり自分たちのやり方を若手の教師におしつける。」ということもなかったように感じます。別の学校では、このような管理職がいて、苦しんでした先生もいましたが・・・)

このような彼女の姿勢があったからか、いじめはこのクラスにはありませんでしたが、授業は崩壊状態、掃除は遊びの時間みたいになってしまっていました。(彼女もいい意味での「教室内のルールづくり」をいろいろと工夫していましたが、結果が出ませんでした。)

そこで、質問ですが
「優しくすべきとことは優しくしている、厳しくすべきところは厳しくしている」先生が、学級崩壊をしてしまうのは、なぜ?と思います。
★ ★ ★

  1年目の1年生の担任の時は、無事通過されていますね。
 2年目(学年が分からないのですが)の後半から学級崩壊を起こしたということですね。
 
 

 明確に言えるためには、一日その先生のクラスにいれば原因ははっきりし、どうすればいいかも提起できます。
 
 かつて学級崩壊の可能性のある初任者(女性)のクラス(5年生)に立て直すために、一日入り込んだことがありました。
 


 分かったことは、2つ。
 1つは、その先生を嫌っている子供は一人もいなかったこと。
 2つ目は、縦糸の張り方が弱いこと。教室の仕組み作りが弱いこと。
 
 

 崩壊になる可能性は少ないこと、スピードが遅いがとにかくクラスは動いていけるであろうことが確認できました。
 
 

 きちんと仕組みを作り、スピードを増すこと。
 縦糸をきちんと張るところでは、ゆずらないことを指導しました。
 
 

 そのクラスは、私の予想通りに何とか1年を終えることができました。崩壊することはありませんでした。
 
 ★
 一般的にしか言えませんが、はっきりしていることは、「やり方」がまずいのだと言い切っています。
 
 

 教師に向いていないなどという問題にすぐすり替えられていきますが、違います。
 

 教師の仕事は、本来そんなにむずかしい仕事ではありません。
 誰でもがやる気さえあれば、できていく仕事です。
 

 40年前の私の若い頃は、そうでした。
 誰でもができました。学級崩壊も退職する人もいませんでした。
 
 

 でも、今その仕事をむずかしくしているのは、「子供と親の変貌」です。
 日本の子供と親は、世界の中で特異な存在として変貌しています。
 

 そのために、こんなにむずかしい仕事になってしまっているのです。

 「やり方」がまずいだけ。
 2つです。
 

 
 1つは、子供との関係づくりがまずいこと。
 2つ目は、「学級づくり」がまずいこと。原理・原則に合わない「やり方」をしている こと。
 
 90%ぐらいが、この問題です。
  昔は、この2つは、担任をしながら身につけていけば良かったのです。
 

 でも、今は、即必要になります。
 

 子供たちは、初任の先生だからと言って甘く対応してくれるなんてないのですから。
 
 

 初任者の先生たちは、教えてくれる人がいないので学ばないままに担任になっていくので多くの人がクラスを荒らし、辞めていっています。
 残念としか言いようがありません。

  ここで問題になっている先生は、勉強家で、「優しくするところ」と「厳しくするところ」も分かっていたと言われるのですが、それは周りの目(なっちゃリズムさん)から見られたことでしょう。
 私の目から見れば、違うように見えるのだろうと思われます。
 
 

 また、その先生は、良く勉強をされていて、さまざまな知識を身につけられていたわけですね。
 私も本を書いているので同じ立場ですが、知識はあくまでも知識にしかすぎないことです。
 
 

 決め手は、目の前の子供たちです。
 その子供たちに合う知識もあるし、合わない知識もあるのです。
 
 

 うまく行かないときは、柔軟に変えていかなくてはならない。
 拘らないことですよ。
 
 

 目の前の子供たちに合わせて、うまくいかない時にはいかようにも変えていける柔軟性をもっているか、なのです。
 特に現場教師は、その精神を忘れないことだと思います。

 ★
 改めて質問に答えます。
 
  その先生は、「やり方」がまずかったのです。
 その「やり方」とは、2つです。

 1つは、子供との関係づくりがまずかったこと。
 2つ目は、学級づくりがまずかったこと。

 とくに、1つ目の問題が大きなポイントを占めていると思われます。
 その問題は、今若い先生たちの最大の問題になっているからです。

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質問に答えます

  ブログにコメントがつきました。
 いつもブログを見ていただき、ありがとうございます。
 
 

 新採の先生にことについて書かれていて、このような有能な方が辞められていくことについてとても哀しくなりました。残念なことです。
 
 

 今、教育現場では深刻な、異常事態が起きています。
 いつ、なんどき、誰にでも学級崩壊が起きてしまうという事態です。
 
 

 どんなに力量があってもこの事態は免れ得ないのです。
 学校体制は、ほとんどがこれに立ち向かう準備もチーム力もありません。
 
 

 ただなすすべもなく、個々の先生たちが疲弊し、病気になり、辞めていくいくことになっています。
 こんな中で、先ほどの新採の女性の先生も辞められていったのだと思われます。
 ★
 私は、それでも「まだやれます」「十分がんばれます」と主張しています。
 そのためには、学級づくりの原理・原則、子供たちと関わるための原理・原則、「日常授業」への対応、それらの必要を訴えています。
 
 

 先日ある小学校の6年生担任の女性の先生に電話をしました。
 初任で、初めてクラスを持った先生です。
 

 とんでもないことです。初任で6年担任などとてもできません。
 とても耐えられないのです。
 

 それでも受け持たざるをえませんでした。
 私は駆けつけて、始業式前に、これから心がけることを半日かけて教えました。
  一緒に学級の準備もしました。
 7月までがんばりました。
 

 何とか頑張っているのです。
 「先生に始業式前に教えてもらわなかったら、とてもできませんでした!」と彼女は電話口で伝えてくれました。
 

 私は、ある大事なこと(これはとても必要なこと)を強調しておきました。
 きっとそれが生きていると考えました。
 ★
 コメントの中で、質問がいくつかありました。
 この初任の女性の先生が、この6年担任をやれているということと質問のいくつかはとても関係があるのです。
 

 その質問に答えていきましょう。 
 まず、コメントです。
 ★  ★ ★

はじめてコメントさせて頂きます。(ちなみに男性です。)

私も以前、小学校で講師をしていましたが、同じ教育の仕事ですが、どうしてもその仕事がしたいという気持ちが勝り、講師を退職しました。

ただ、もう一つ理由があります。
それは、子どもたちに対して理不尽なところを見せることがどうしてもできなかったからです。

かつて勤務していた小学校でこんな先生がいました。

新採の20代の女性の先生でした。
TOSSをはじめ、いろいろな指導法を研究されていて、授業の進め方もとても堪能でした。仕事も自分なりに効率よく進めていらっしゃいました。
また、人間的にも本当にすばらしい方でした。

しかし、その先生のクラス(1年生。一年目は別のクラスを担任。)は2年目の後半から学級崩壊を起こしました。
この先生は、3年目に退職しました。

私が原因として考えられるのは2つ。
一つ目は2年目に音楽の校務で(全校音楽の時に)全校の前でピアノを弾かなければならず、これが負担になったのではないか。
二つ目は子どもに「理不尽なところがある自分」を示せなかったことではないか。

私から見ると、学級崩壊しない先生は、どことなく(多少でも)理不尽なところがあるように見えます。

このブログでも20代の女性の先生が「教師を辞めたい」といったコメントをされていますが、若い女性の先生は、(いわゆる)民主的に学級経営をする方が多いので「理不尽な部分」がない、それで子どもたちが荒れる・・・のかな、と思う時もあります。

そこで、質問させて頂きますが、
①(特に小学校の)教師は、子どもにいくぶんでも理不尽なところを見せた方がいいのですか?
②私は、①の考え方は戸塚宏氏の教育論につながるので、このように思いたくありませんが、ただ、戸塚氏も「子どもに十分な自然体験活動をさせれば、スパルタ教育は不要。」といったようなことを言っています。これについてどのようにお考えですか?
③わが国の教育は言うまでもなく日本国憲法の理念のもと、行われています。しかし、実際には教育の場にしろ、労働の場にしろ「~のため」という名のもと、法律の基準を超えることが次々に行われています。そこで、質問なのですが、今の日本の現状を考えると、日本国憲法は「大幅に」改正した方がいいと思いますか?私は反対ですが、今の日本の現状を見ると、戦前の帝国憲法の方がこの国に合っているのでは、と思う時さえあります。
④公立小学校の教師は、子どもたちに「理不尽な部分」があるところを示せない人には向いていないと思いますか?
⑤ここまでこうしたことを書かせて頂いても、私は教育現場は「自由と民主主義の精神」がこれからのわが国のあり方を考えても必要だと思います。今、道徳の教科化が議論されていますが、もし、小学校でも高等学校の「公民」のような時間があれば、民主的な学級運営が可能ではないか、と思います。これについて意見をお願いします。

突然に、いくつもの質問、申し訳ありません。お忙しい、何か差しさわりがある等の理由がおありであれば、回答して頂かなくても全く構いません。(当然ですが。)また、一部の質問の回答に差しさわりがあれば可能な部分だけでもお答え頂けるとうれしいです。

長文、失礼しました。

  ★ ★ ★

 ★
 質問に答えていきます。
 まず、③のことについてです。

 我が国の教育は、教育基本法の第一条によって進められています。
   ★ ★ ★
  教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければなら
ない。
    ★ ★ ★
 
 すべての教師は、これをしっかりと肝に銘じて教育を進めなければいけません。
 学校は、教育の専門機関ですから、子供たちを社会に出て「国民」として生き
 ていくために育てていかなければならないのです。
  

 もう少し詳しく言うと、次のような子供を育てるのです。
  
 

  ①人格の完成を目指していく国民。
  ②平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民。
  ③心身ともに健康な国民。

   今の憲法を改正しようと考えている先生でも、現在は、現憲法のもとで、この教育基本法に基づいて教育は行うのです。
 総理大臣でも、文部大臣でも、そうなのです。
 

 そのことがどうも忘れ去られているように思うのです。

  ★
 「なっちゃリズム」さんが、しばしば「理不尽なところ」という言葉を連発されています。
 どうも私にはこの言葉がうまくつかめません。
 
 

 意味するところが分かりません。
 愛知のTOSS超末端教師さんも、分からないとコメントを出されています。
 
 

 理不尽というのは、広辞苑でひけば、「①道理を尽くさないこと。②道理にあわないこと。無理無体。」とあります。
 「道理」というのは、「人のおこなうべき正しい道」ですので、ここでは「人が行うべき正しいことをやっていないところ」という意味だととらえます。

 「私から見ると、学級崩壊しない先生は、どことなく(多少でも)理不尽なところがあるように見えます。」
と「なっちゃリズム」さんは書かれてありますので、学級崩壊にならない先生は、「人がおこなうべき正しいこと」をやっていない結果、こうなっている。
 
 

 学級崩壊になる人は、人がおこなうべき正しいことをやっているために起こってしまうのだという論法でしょうか。
 厳しい言い方をすればこうなります。
 
 

 でも、私が推測すれば、「理不尽なところ」は、「いつも厳しくて、どなっている」という意味なのかなと思われるし、単に「厳しく指導すること」ことを意味しているのかもしれません。
 
 前者の意味だとすると、私も理不尽であると思います。
 

 でも、こんな教師は、今ではかえって学級崩壊になっています。通じなくなっています。
 
 後者の意味だとすると、「なっちゃリズム」さんの方が考え違いをしていると、私は思います。
 

 もちろん厳しい指導ばかりでは、子供たちには通じません。
 
 でも、ある意味では厳しく指導しなければいけないこともあるのです。
 

 それが「教師であること」の意味だからです。

 私が知っている先生で、「子供を尊重したい」「子供の意見を大事にしたい」「子供を人間として大事にしたい」という考えを持って担任をしながら、学級崩壊にあった先生は何人もいます。
 人間としてはとても優しくて、立派な人でした。

 学級崩壊になると、クラスはぐちゃぐちゃになり、弱肉強食の世界になります。
 必ずひどいいじめが付きまといます。
 

 子供たちはとても「人間」のようには見えません。

 教育基本法が目指す「国民」ではなく、平和で民主的でもありません。
 こんなクラスを作ろうとされていたわけではないのですが、結果としてまったく真逆なクラスになっていくのです。
 
 

 何がだめなのか。
 先生が尊重したいという考えで、子供たちの意見を聞きすぎて、そのうちにクラスの「秩序」が崩れていくのです。
 
 

 一部の子供たちがやりたい放題になっていくためです。
 クラスは、きちんとしたルールが生かされて、平和で民主的な「秩序」が保たれていかなければいけない場所です。
 
 

 そういう中で子供たちを育てていかなければいけません。
 そのためには、担任の大きなリーダーシップが必要です。
 
 

 だから、ある場合には、「厳しい指導」が必要なのです。
 私は、縦糸を張る(教師と生徒という関係を作り、教室の秩序を作る)と横糸を張る(子供たちとの心の繋がりや子供相互の関係を作る)という形で、教師と生徒の関係づくりを作るべきだと主張しています。
 

 これをうまくバランス良く張っている教師の教室は、とても落ち着いています。

 ④の質問です。
 「公立小学校の教師は、子どもたちに「理不尽な部分」があるところを示せない人には向いていないと思いますか?」

 私は「教師に向いている、向いていない」という言葉は使いません。
 教師に向いていない人は、ただ1つだけ。
 

 人と付き合うことが苦手な人です。
 そんな人は、最初から教師なんかになろうとしていない人でしょうから、ほとんど向いていない人なんていないのです。
 
 

 ただ、条件があります。
 「教師」になろうとするためには、「教師」というスタンスと「教師」としての仕事をしなければいけません。
 
 

 そのためには、上に記したように「縦糸を張る」「横糸を張る」ことをしなければいけません。
 それをやらなければ、「子供たち」を教育基本法に示してあるような子供に育てていくことはできないからです。
 
 子供たちを厳しく叱れないで、「友達」のように接しようとする先生がいます。
 子供たちと仲良くしたいために、ひたすら優しく接しようとする先生がいます。
 
 

 そのような形では、絶対に(絶対にです)教室を平和で民主的な秩序立てたところにすることはできません。
 公「教師」であることの目的を考え違いしているからです。

  ★
 「なっちゃリズム」さん。
 あとの質問は、ちょっと理解ができなくて、答えられません。
 
 

 とりあえず、このように答えました。
 見当違いな答えになったかもしれません。
  勘弁して下さい。

 いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
 

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アンナ先生への手紙(5)~教室の「空気」と「時間」の統率ということ~

   前回は、「8割を味方」にするということを書きました。
 今回は、「8割を味方にする手立て」を具体的に書いていくことにしましょう。
  ★
 「8割を味方」にするには、まずしなければいけないことがあります。

 〇8割の子供たちが願っていることを実現すること。
  
 

  この願いを、子供たちは決して言葉にしませんが、2つ強く願っています。

  ①早く教室を安心・安全で居心地がいい場所にしてほしい。
  ②先生がリーダーシップを発揮してほしい。 
 
 

  「安心・安全」な場所にするためには、教室でのルールをきちんとしていくことです。 「居心地がいい」場所にするためには、教室の中でのさまざまな仕組みがスムーズに進んで行くことです。
 

  ①の実行のためにも、担任の先生は、頼りがいのある先生でいてほしいのです。
 だから、「厳しい」先生というのを子供たちは決して否定はしないのです。

 ★
 「安心・安全」で居心地が良く、「頼りがいのある先生」になるためには、2つのことをしなくてはなりません。

  〇教室の「空気」と「時間」を統率すること。

 とりあえず、これだけでいいのです。
 教室は、とりあえずこの2つによって成り立っていくのですから。
 

  1ヶ月間は、ひたすらこれだけを考えていればいいのです。
 反面、この2つの統率ができているかどうかが、落ち着いたクラスになっていくかどうかの試金石になっていきます。
 

  アンナ先生のクラスは、この2つの統率が危うかったのでしょうね。

 これは何だろうと思われるのでしょうが、少し説明が必要です。

  教室の「空気」とは何か。
 教室で、担任と子供たちで作る「雰囲気」です。目には見えません。
 

  昔、「KY」とかいう言葉が流行りましたが、この「K」に当たる部分です。
 担任がリーダーシップを発揮していれば、当然この「空気」は担任が握っていきます。

  これを「統率」という厳しい言葉にしましたが、これが一番適切な言葉だと考えています。
 

  この「空気」を担任が統率できなくて、2,3人の超やんちゃに握られてしまえば、一気に教室は不穏な「空気」になっていきます。
 

  2,3人のやんちゃは、自分勝手なことを始めていきます。
 また、しょっちゅうもめごとが起こってきます。
 

  2,3人のやんちゃがらみのもめごとが多いはずです。
 先生は、しょっちゅうそのもめごとの仲裁にあたらなければいけなくなります。

 教室の「時間」とは何か。
 教室に流れている「一日の時間」です。
 

  子供たちが学校へ来てから帰っていくまでの「一日の時間」。
 これも目に見えません。
 

  朝自習―朝の会―1時間目―2時間目―中休み―3時間目―4時間目―給食―掃除―昼休み―5時間目―6時間目―終わりの会
 ほとんどの学校が、このような流れのはずです。
 

  この「時間」の流れは、それぞれの「仕組み」で成り立っています。
 

  朝自習の「仕組み」
 朝の会の「仕組み」
 1時間目の授業の「仕組み」
 中休みの過ごし方の「仕組み」
 …………
 給食の「仕組み」
 掃除の「仕組み」
 …………
 問題は、この「仕組み」がスムーズに流れるようになっているかどうかです。
 

  スムーズに流れるようになっていることを「時間」の統率と言っています。
 なぜ、ここに拘るかというと、子供たちは、この一日の流れがスウッ~~~~とスムーズに流れることを強く願っているからです。
 

  彼等の体は、「スピード」の塊であり、「スムーズさ」を特に好みます。
 だから、この仕組みがギクシャクしたり、だらだらしたり、滞ったりしたら、とたんに不快に陥ります。
 

  不快になったら、子供たちは、だらだら、まったり、うろうろし始めます。
 これは「不快だ!」と叫んでいることになります。
 

  この仕組みがスムーズにいくことは、担任の仕事です。
 担任は、1か月で、この仕組みが子供たち自身でスムーズに動かせるように繰り返し繰り返し教えていかなくてはなりません。

 ★
 アンナ先生、この「空気」と「時間」の統率、どうだったでしょうか。

 この「空気」をやんちゃたちに握られてしまって、先生の統率がきかず、教室全体が騒然とした雰囲気になっていったのではないでしょうか。

 また、この「時間」の統率がうまくいかず、だらだら、まったり、うろうろして、いつも決まった時間に遅れてしまうことを繰り返したのではないでしょうか。
 

  クラスがうまくいかなくなるということは、同時にクラスにスピード感がなくなるということなのです。

 ★
 次回は、「空気の統率回復作戦」「時間の統率回復作戦」について書きますね。

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アンナ先生への手紙(4)

   アンナ先生、いよいよ夏休みに入りましたね。
 ここまで何とか頑張られたことでしょうか。

 夏休みに入ったら、これからどうしていくかという宿題がありました。
 それを書いていくことにします。

 ★
 1年間の「学級づくり」では、金の時間と銀の時間があります。
 
 金の時間は、4月いっぱい。
 そして、銀の時間は、夏休み明け1週間です。
 
 

  もう一度、この銀の時間に挑戦ができます。
 7月までの問題点を振り返って、この銀の時間にもう一度挑戦するのです。

 前回に、問題はただ「やり方」がまずかっただけであると書きました。
 

  これはアンナ先生だけの問題ではありません。
 大学でまったく学んでこなかったことからの問題です。(というより大学はほとんど教えないのですから)

 今、次のようなことをきちんと知らなければ、とても危うくなります。

 ①子供とどういう関係を作っていけばいいか。
  ②「学級」をどのように仕組み化していけばいいか。

 
 

  今から10年、20年前なら、こんなことを知らなくても担任をしながら子供相手に少しずつ学んでいけばよかったのです。
   今は、これではもうやっていけなくなっています。

 ★
 さて、ここから本題へ入ります。
 ただ、これから書くことがアンナ先生の場合に合うのかどうか、それが心配です。
 

  問題は、先生ごと、クラスごとに違っていることがあるからです。子供たちも違います。
 あくまでも一般的に書いていきますので、自分でうまく編集してください。

 1,目の前の子供から出発する
 

  クラスの子供たちの担任になって、まず考えなければいけないのは、目の前の子供たちのことです。
 34人の子供たち。いろんな子供たちの集合。…というように漠然と考えてしまいます。 これではだめです。
 

   クラスは、だいたい「2:6:2の法則」によって成り立っています。
 

  まず、2割の子供たち。真面目な子供たちで、先生の味方をしてくれます。
 次の6割は、中間派の子供たち。最初は静かに座っています。
 

  最後の2割は前向きになれないやんちゃな子供たち。
 この中の2,3人の子供が、超やんちゃな子供です。最初から目立っています。

 アンナ先生は、どのように対処していかれましたか。
 多分、その目立つ2,3人の子供にかかりきりで対応されたのではないでしょうか。
 
 

  この法則を知らない先生は、そうなのです。
 この2,3人を何とか落ち着かせて、クラスに入れていけばこのクラスは安泰だと思ってしまうのです。
 

  でも、それはまったく効果がありません。
 かえって問題の子供たちを増やしていくことになります。
 

  もちろん、注意をしなければいけない状況はいくらでもきます。注意はしなければいけません。でも、過剰にかかりきりは絶対にやってはいけません。

 このクラスの決め手は、この2,3人の超やんちゃが持っているという認識。
 違います。

 決め手は、最初は静かに座っている「6割」の中間派です。
 この子供たちが、やんちゃな子供たちの方へ行って一緒の行動を取り始めたとき、クラスは危うくなってきます。
 

  アンナ先生のクラスもきっとそうなっているのだと思われます。
 
 そうならないためには、この「6割」を金の時間のうちに真面目派の2割の方へ引き寄せて、「8割を味方にする」必要があったのです。

 結局、今順調に行っているクラスと、うまく行っていないクラスの分岐点は、「8割を味方にする」ことができているかどうかにかかっています。

  この法則を知っていれば、次の手立てを打つことができました。

 「8割を味方にする」手立て。

 ★
 もう過ぎ去ったことを書いています。
 でも、このことを知らなくては、回復の手立ても生まれてきません。
 

  もう少し付き合って下さいね。
  続きは、次回に書きます。

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都会の学校は、深刻さを深めている!

  横浜の組合の教研集会に呼ばれて、講演をした。
 旭区の公会堂。大ホールである。
 
 

 4つの支部からの3割動員。
 400人ちかくの人が集まる。

 私は、この旭区に住んでいて、長年勤めていた。
 その関係で引き受ける。
 
 

 7月18日というのは、学校が終わりの日。
 先生たちが、とりあえずホッとする日である。
 
 

 こんな日に一体先生たちは集まるのかどうか、はたはだ疑問であった。
  それでも会場がぎっしりなるぐらいに集まられた。

 「役員の方から『来て良かった』と思える話をお願いしますと言われていますが、それは無理。ただ、今日初めて聞いたという話をいくつか話します」
 という感じで話し始めた。
 
 

 持ち時間は90分。
 こんな日に90分を越えたらブーイング。
 

 先生たちは、早く帰ってホッとしたいのである。
 80分で私の話を終わる。

 ★ 
 1年目に初任者指導を担当した先生2人も、わざわざ控え室に訪ねてこられた。
 順調に教師を続けておられるということ。
 うれしいことである。

 また、S小学校の陸上クラブで入部していたMさんも、控え室に訪ねてこられた。
 教師4年目。順調である。
 これもうれしいことである。

 また、最後の勤務校O小学校での同僚も多く参加されていて、久しぶりにお会いした。
 元気そうで何より。
 ★
 ただ、心配な話もいくつか耳にした。
 
 

 1つの中学校で、7月までに20人ばかりの先生(講師を含めて)が辞めているということ。(こんなことで学校が成立していくのかどうかと思ったが、確かなことは分からない)
 この中学校の生徒、私が散歩中に、その中学校のジャージ姿でタバコを吸いながら帰宅していく姿を何度も目にした。
 
 

 初任の先生がかなり辞めていること。(驚く人数が言われたが、確かな数字ではないのでここでは書けない)

 学校は完全にブラック企業化しているというのである。

 都会の学校は、おそらくこのように深刻な度合いを深めている。

 文科省が、教員の多忙対策を取り始めた。

 http://sp.mainichi.jp/select/news/20140717k0000m040150000c.html

 あまりにも遅すぎる。
 現場の深刻さをどれほどつかんでいるのかもおぼつかない。

 私は常に主張している。
 いますぐできることは、ただ一つ。
 

 学校の教員を増やすこと。とりあえず3,4人でいい。
 そして、教室の人数を減らすこと。

 行政が今すぐやらなければいけないことは、これ1つ。
 根本的な解決にはならないが、現場はとにかく凌げるのである。
 

 凌げるというのは、病気になっていく教師、辞めていく教師たちをとりあえずなくしていくことができると意味である。

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『ユーモア力』が発刊された!

   教師力シリーズで、『THE ユーモア力』が刊行された。
 私も執筆者として加わっている。


16人の人気教師が、教師の魅力の一つである「ユーモア力」についてまとめた必携の書!【執筆者】中村健一/青山新吾/赤坂真二/池田 修/石川 晋/上條晴夫/蔵満逸司/多賀一郎/俵原正仁/土作 彰/長瀬拓也/野中信行/古川光弘/堀 裕嗣/増田修治/山田洋一

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「ごちそう授業」ではなく、「普段の授業」を見せる!

 何気なくフェイスブックを見ていたら、「おおっ」という記事を見つけた。
 十勝毎日新聞の記事である。

 ★
 見出しは『「普段の授業」を公開』。
 そこに次のように書かれたある。
    ★ ★ ★
  大樹小学校(板谷裕康校長、児童279人)は、公開授業をリニューアルした。
  開催時期を2学期から1学期に移し、名称も従来の「公開研究会」から「授業
  実践発表会」に変更。披露するために通常とは異なるものを準備する「ごちそ
  う授業」ではなく、「普段の授業」を見せることを重視。より良い授業について
  参加者と一緒に意見交換しやすくした。
   ★ ★ ★

  ★
 この学校は、2012年から始まった学校力向上に関する事業に選ばれている学校である。
 

  私も、その時からアドバイザーとしての仕事をしている。
 まだ、この学校を訪問したことがないが、注目する研究である。

 道教委は、この事業の1つに「日常授業」の改善をあげている。
 私も、各学校を周りながら、この必要性を説き回っている。

 北海道の各地に広がっている。
 うれしいことである。

 ★
 大樹小学校の取り組みで注目することは、「公開研究会」から「授業実践発表会」への変更である。
  披露するために通常とは異なるものを準備する「ごちそう授業」ではなく、「普段の授業」を見せることを重視するとある。

 私達が「味噌汁・ご飯」授業を書物化して訴えていることが、まさにここにある。
 「ごちそう授業」というネーミングも、「味噌汁・ご飯」授業と対比して使ってきたものだが、ちゃんと使われている。うれしいことである。
 
 ★
 おそらく、「授業研究」の形がこのように変わっていく。
 もちろん、時間はかかるが、いずれこのように変わっていくはずである。

 だれも日常ではマネができない、見られる(公開)ことを意識した「ごちそう」授業の発表に、多くの先生たちが違和感を感じてきているはずである。

 模造紙を張り巡らした国語の公開発表。
 ごてごてとした張り物をする公開授業。

 発表している先生たちも、絶対に日常ではやっていない。

 そんな公開研究会が、当たり前に行われてきた。
 一種のショーなのである。

 ★
 私達の「味噌汁・ご飯」授業では、訴えている。
 
 学校の「授業研究」は、先生たちの「日常授業」を改善するために行うべきである。
 「日常授業」の改善という方向を持たない授業研究は、ただ行事消化のためのものにしかすぎない。  
 
 大樹小学校は、そのあり方をみごとに示してくれている。
 うれしいことである。 10394650_658460147564415_5404559205


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『「かくれたカリキュラム」発見・改善ガイド』(橫藤雅人・武藤久慶著 明治図書)

   うまく学級がいかない。
 こんな先生たちは、予想するよりも多くなっている。
 

 しかも学級が壊れる日にちが早くなっている。
 気になることだ。

「前にはうまくいっていたのに、なぜかうまく回らなくなってしまった」と呟いている先生がいる。
 しかも実力がある先生たちの間にも起こっている。
 こんな先生たちも、数多くなっている。
 
 ★
 学級崩壊がどこにでも起こっている。
 
 ここにまた違った角度から「学級崩壊」を考えようとする提起がなされた。
 

 この視点は画期的だ。

 『かくれたカリキュラム 発見・改善ガイド』(橫藤雅人・武藤久慶著 明治図書)
 
 縦糸・横糸の織物モデルをひっさげて、学級崩壊への方向を出したのは、この橫藤雅人先生であった。

 今度は、「かくれたカリキュラム」という視点から学級崩壊を捉えていこうという方向である。

 ★
 学級崩壊は、大きな流れとして3つの変遷があった。

 1つ目は、1990年代の後半から始まる「反抗型学級崩壊」。
 

 2つ目は、2000年冒頭から始まる「なれ合い型学級崩壊」。
 

 3つ目は、現在起こっている、いつ何時、誰に起こるかも分からない「新型学級崩壊」。

 もちろん、1つ目も、2つ目も、同時に現在でも起こっている。

 この学級崩壊に、どう対処するかは学校現場の最大の課題である。

 1つ目に対して、当時私は「学級づくり」優先の提起をした。
 「授業づくり」ばかりが取り上げられている時代である。
  「3・7・30の法則」は、その時の提起である。

 2つ目に対して、「縦糸・横糸張り」の必要を強く感じた。
 若い先生たちが中心になって、子供たちと「仲良し関係」「友達関係」を作り上げようとして学級を壊していく事例を多く見聞きしてきたからである。
 

 当時、橫藤先生の提起に共鳴をして、その考え方を「学級づくり3原則」として集約していった。 

  3つ目に対して、「味噌汁・ご飯」授業を提起している。
 もはや自分は大丈夫という状況はない。
 

 突きつけられているのは、「学校の終わり」現象なのである。
 学校の根幹である「授業」が揺さぶられている。
 

 ところが、先生たちの多くが「日常授業」を雑務化してとらえている。
 これではとてもこの現象を乗り越えられない。

 
 この3つ目の現象に、新しい視点がつけ加えられてきた。
「かくれたカリキュラム」という視点からの提起である。

 さらに、この視点からの追求の深化が必要になる。

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『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学陽書房)増刷!

   『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学陽書房)が4版になった。
 うれしいことである。
 クラスがうまくいかなかった先生たち。
 ぜひとも読んでほしいと思う一冊。

 
 
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小さな物語を作り続けよう

   北海道の名寄小で(3年生)授業をさせてもらった。
 授業は、いつもの「なくぞ」(谷川俊太郎)という詩。
 

  この詩の授業は、「味噌汁・ご飯」授業を紹介するのにうってつけのものである。
 

  「ごちそう授業」ではない。
 シンプルで、ほとんど何の工夫もない。
 

  ただ、子供たちは授業に集中する。
 いや、集中しなければついてこられないと言った方がいいかもしれない。
 

  「何の工夫もない」と言っているが、実はある工夫は凝らしている。
 それは、3つ。
   ┌───────────┐                                                
   │ ①小刻みな活動       │                                                
   │ ②スピード・テンポ   │                                                
   │ ③フォロー           │                                                
   └───────────┘                                                
 私達が名付けている「授業づくり3原則」で作り上げている授業になる。
 
  ★
 この3年生のクラス。
 授業をやる前に担任のM先生と5分ほどの打ち合わせ。
 

  その時に座席表をもらう。
 私が聞いておきたいことは、緘黙の子供がいるのか、他に気をつけておきたい子供はいるのか、乗ってきやすい子供はどの子供か、ということになる。
 
 

  2人の子供がいた。
 緘黙の子供と、学習が遅れている子供。
 

  「列指名で当てていいのか?」と担任の先生に聞いた。
 良いという返事だったので、突っ込むことにした。

 緘黙の1人は、列指名で当てられて小さな声だったが、答えてくれた。
 学習が遅れている子供は、やはり列指名でみごとに答えてくれた。

 でも、授業を終えて、やはりその後どうなっただろうということが気になっていた。
 担任の先生とゆっくり話す時間がなかったからである。

 ところが、担任のM先生が、フェイスブックで私に応えてくれたのである。
 
  ★ ★ ★
 あの2名は毎日生き生きとしております。緘黙の子も算数の授業では一生懸命に手を上げ、小さな声ですが、しっかりと発表しております。先生のフォローのおかげです。
翌週月曜の朝に「なくぞ」を学級で音読しました。そこにはいない野中先生に届けようと、みんな斜め上に顔を向けて逞しく音読しました。それ以来、他の詩の音読の「ノリ」も変わってきたように思います。子供達の意識もあの授業で変わったことは間違いないですが、明らかに変わったのは私のフォローです。放課後にその日のビデオを見ていると、フォローをするときの表情やフォローのタイミングが少しずつよくなっているように感じます。不思議です。子供達の表情も明るく楽しそうなのです。
一日一日精進を重ねてまいります。またいつか機会があれば、ご教授賜りたく存じます。
本当にありがとうございました。
  ★ ★ ★

 北海道は、こういう有望な若手がぞろぞろいる。
 何とも張り合いがある。

 教師は、小さな「物語」を作り続けなければいけない。
 その子供と教師の「物語」。

 目立たない小さな「物語」だが、でも、その「物語」がいつかその子供の人生を支えていくこともあるのだと、そういう「未来」にかけるのだと、…。

 私達教師はこういう仕事をしているのだと、思い続けなければいけない。

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つれづれなるままに~北海道は広い。移動に一日がかり~

  7月1日、羽田を出て14:20に函館空港に着く。
 そこからバスで函館駅へ向かう。
 
 

  函館は晴れ渡っている。
 最近は行くところ行くところ晴れ渡っている。雨男返上。
 
 

  いつのことだろう、家族で函館駅に来たことがある。
 その時よりもずいぶん新しくなった気がする。
 
 

  そこからバスで江差へ向けて出発。
 延々と続く山道。2時間。江差へ着く。
 
 

  港町。あの江差追分の江差である。
 向こうに奥尻島が見えるはずである。
 
 

  バス停に、校長先生と教頭先生が迎えにみえている。恐縮する。
  ★
 7月2日、9:00に江差町立南が丘小学校着。
 玄関を入ると、広いスペースの部屋。
 
 

  その先に、海が広がる。すごい眺め。
 一幅の絵画のように輝いている。
 
 

  すぐに全クラスの授業(といっても単学級なのだが)を見せてもらう。
 最近は、場数を重ねて、全クラスの授業を見せてもらえば、その学校の全体の様子がよく分かるようになった。
 

  5時間目に、またまた国語の詩の授業をする。
 5年生、15人の学級。
 
 

  江差地区の先生方も駆けつけてこられている。
 教育長も見えられている。
 
 

  子供たちは、話し合いがよく鍛えられていて、ペアでの相談など秒単位で済ませてしまう。いい学級である。
 
 

  その後、「学級を軌道に乗せる『学級づくり』『授業づくり』のあり方」というテーマで90分の講演。
 ★
 7月3日、8:04のバスで函館へ戻る。
 
 函館空港から新千歳空港へ向かう。
 

  バスが遅れたために、やっと函館空港へ間に合う。
 
飛行機に乗り込む最後の一人になる。
 こんな経験は初めて。
 
 

  そして、新千歳に着いてから、延々と電車の旅になる。
 新千歳ー札幌ー旭川ー名寄。
 

  名寄に着いたのは、18:42。
 
北海道は広い。移動に一日がかり。
 
 

  名寄駅に、名寄小学校の校長先生、教頭先生、学校力向上の幹事の先生が迎えに見えている。ただただ、恐縮する。  
 ★
 7月4日、9:00に名寄市立名寄小学校へ着く。
 
 ここでもすぐに全学級の授業を参観させてもらう。
 どこのクラスも補助の先生たちがきちんとついておられて、恵まれた状態。
 


 3時間目に、2年目のY先生の算数の授業を参観する。
 1年生のクラス。
 
 

  初めてクラスを持っているということ。
 何より素晴らしいのは、元気でニコニコしながら授業ができるということ。
 
 

  よくぞ2年目で、この授業スタイルを身につけている。感服する。
 4時間目の反省会で、そのことを伝える。
 
 

  5時間目、今度は3年生のクラス(35人)で国語の授業をする。
 
 事前に5分ほど担任の先生と打ち合わせ。
 

  1人の緘黙の子供。1人の学習遅進児。
 どうするか。列指名でつっこんでいいか、確認。 
 
 100名ほどの参観者。
 教育長も見えられている。
 

  この数に子供たちは圧倒される。
  でも、私が舞い上がらないで普通に進めれば子供たちはついてくるはずである。
 
 列指名で緘黙の子供の番になる。
 その子供、じっと私の顔を見る。
 
 

  そして、小さな声で詩を読む。
  私は合格という合図を送る。ほっとする表情。よしよし。
 
 

  次に、学習遅進児の子供。先生がそばについておられる。
 でも、きちんと詩を読む。即座にフォロー。
 この子には、あとでもう一度挑戦してもらう。

  手応え十分。素晴らしいクラス。
 
 

  このあと、「日常授業」の改善というテーマで75分間の講演。
 
 

  夜は、教育長やこの地区の校長先生たちによる囲む会。
 名寄地区の団結はすごいと改めて思う。

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アンナ先生への手紙(3)

   iwaiさんに続いて、いつもコメントをくれる先生からのコメントです。
 私がとても信頼している一人です。
 ありがとうございます。 

  ★ ★ ★
アンナ先生へ

 私の経験を述べます。
 私は、3~4年目で挫折しました。
(新任でうまくいったように見えても、数年目で挫折することは珍しくありません。)
 学級崩壊状態だったのも似ています。


 心理的に今のままではダメになると思って、精神科に通い、診断をもらって年度が変わるまで休みました。
 おかげで今は続けています。
 もう続けるのは無理と思ったら、休むのも手だと思います。

 技量を伸ばす方法は、野中先生の本に書いてあります。
(もっと余裕があれば、向山洋一氏など法則化・TOSSの先生方の本もあります。)
 おそらく、野中先生がこのブログで方法を示してくださるでしょうから、夏休みに入ってからゆっくりお読みください。

 同僚で、激励してくださる人もいるはずです。いい意味でです。
 これは、上司とか関係ありません。人柄が出ます。
 いいこと言っているかもしれないけど、指導でも嫌味にしか聞こえない“ヤツ”、腹立つ“野郎”もいるでしょう。そんなのはうわべだけ聞いていればいいのです。
 私にいい意味で励ましてくださった方々は、20年以上たった今でも、心のよりどころになっています。

<私の足をひっぱった“輩”は、その後、ろくな教師人生を歩んでいません。
 子供から総スカンを食らったり、同僚からも見放されたり、本当に病気になって辞めざるを得なかったり。
 神様は見ているのだなと思いました>

 本当に自分のためになる発言だけを聞き、自分の思うようにしたらいいのです。

 あと、1週間半くらいだと思います。
 懇談会や通知表、教科の進度を進めるなど、結構忙しいかとは思いますが、やれるだけのことをゆったりやってください。
 私も陰ながら応援しています。
 ★ ★ ★

 「辞める」などということは考えるなという助言です。
 いろいろな手があるのです。

 とりあえず今を踏ん張ってほしいと願っています。

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アンナ先生への手紙(2)

   アンナ先生、あなたに私の知り合いのiwai さんからコメントが付きました。
 iwai さんも、初任の時、学級崩壊にあいました。
 その時の経験談を語っておられます。
 とても参考になるのだと思います。
 
 ★ ★ ★
 アンナ先生、こんにちは。
私も初任の年に、学級を崩壊させました。
コメントを読ませていただいて、その時の気持ちが蘇りました。

努力しても努力しても、自分や家族との時間をすべて犠牲にしてもうまくいかなかったことは、それまでの人生で初めてでした。子どもたちに、気持ちが通じないのです。学級づくりも、授業も、いくら一生懸命やってもうまくいかないのです。
一人ひとりとお話しすれば通じ合えるのに、集団になると指示が通らず、騒がしさが収まらず、叱っても響かず、怪我が増える。そのうち保護者が騒ぎ出す。管理職に叱られる。みんなアドバイスをくれるけれど、具体的に手を出してやってみせてはくれない。「それは担任の仕事ですよ」。そんなことはわかっています。私が悪いのもわかっています。でも、これだけやってもできないんです!今、何をどうすればいいんですか?

そんなことを思い出しました。
アンナ先生も、そんなお気持ちではないですか。

私は、たまたま書店で手にした野中先生の著書の後付けを見て、野中先生にメールを差し上げて、温かいお返事をいただいて、初めて救われた気持ちになりました。
勤務校の先生方はとてもお忙しくて、なかなか相談できなかったのですが、その中でも他学年の先生、支援級の先生、栄養士さん、養護の先生とだんだん仲よくなり、相談できるようになりました。管理職に理不尽に叱られた時、一緒に憤慨してくれた先生もいて、救われました。アンナ先生の学校にも、きっといらっしゃいますよ。アンナ先生を気にかけてくださる方が。

授業が下手なのは仕方ないです。急にうまくなりません。
学級づくりも、今さら4月からやり直すことはできません。できることは、少しずつ関係性を変えていくことです。
初任なんです。初めからうまくいく訳がありません。
今年できなかったことは、来年やればいいんです。
初年度苦しんだことは、次年度から絶対生きてきます。
学校はそういうところです。
だから、ご自分を否定する必要はありません。

そんな中でも、私が自分で決めていたことは、「心か体のどちらかが壊れたら、辞めよう」ということです。自分を壊してまで続けることはないと、私は思います。
心と体が元気なら、人生にチャンスはたくさんあります。
幸い、私は10月にめまいで一日学校を休みましたが、それ以外は心も体も病むことなく、一年を乗り切ることができました。2年目からは、強くなりました。人間関係もできて、学校へ行くのがつらくなくなりました。
あの時、野中先生を初め、いろいろな方に支えられたおかげで、自信がつきました。最初に受け持った子ども達には悪いことをしたと、その後ずっと思っていましたが、つい先日、高校生になったその時のクラスの女の子から手紙をもらいました。その子は、わたしがかけた言葉を覚えていてくれました。(私は忘れていたのに!)一生懸命やっていれば、いつかどこかで知らないところで花が開く、教員ってそんな仕事なのかもしれません。

★ ★ ★


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アンナ先生への手紙(1)

  アンナ先生、こんにちは。
 私のブログに、あなたから次のようなコメントが入りました。
 
  ★ ★ ★
 こんばんは。初めてコメントさせていただきます。
小学校教員の初任者です。大学を卒業して教員になりました。
もう毎日が辛くて本気で辞めたいと思っています。
2年生を担任していますが、クラスが崩壊しています。
相談をしないことを怒られたので、相談はしていますが、現状を伝え、解決策を考えて動いてくれてはいますが、わたしの心がなにも追いついていません。
わたしの辞めたいという気持ちを相談することができる人が一人もいないからです。
私が舐められているから、わたしの授業がいけないから、ルールが徹底されていないから、私自身がぶれているから。全部自分が悪いのはわかります。でもどうすればいいのかわかりません。

投稿: アンナ | 2014年7月 5日 (土) 20時43分
  ★ ★ ★

  毎日が辛いですね。本気で辞めたいと思っているのですね。

 私はそういう初任者の先生たちに何人も接してきましたので、その気持ちはよく分かります。
 

 毎日を過ごしていくエネルギーが枯渇していて、やらなければいけないことは分かっていてもどうしても体が動いていかない。
 そんな状態なのでしょう。よく分かります。

  アンナ先生、辞めたいという気持ちは分かりますが、せっかく選んだ自分の道です。
 もう少し立ち止まって考え直してほしいです。

 あと2週間で夏休みがやってきます。
 とりあえずそこまでやってください。

 5月にも、そんな悩みをコメントした初任の先生がいました。
 その先生に、次のように生活することを勧めました。

 ★ ★ ★
 ①規則正しい生活をする。
  同じ時間に起き、同じ時間に寝る。行動も淡々と行う。
  これを繰り返していたら、ふっと吹っ切れる時間が必ず訪れる。
  
 

 ②遠くを努めて見る。
  これはフランスの哲学者アラン(『幸福論』の著者)の言葉をぱくっている。
  悩む人たちや鬱に苦しむ人たちは、いつも近くを見ている。
  
  だから、苦しむのである。
  遠くを見る。努めて遠くを見る。
  夕日が沈んでいく光景。緑に映える木々の美しさ。……散歩しながら見つめる。
  
  そのうちに、ふっと自分に暖かい風が吹いてくる。

 ③今日一日をがんばればいい
  私は、教え子に悩みをぶつけられたときに次の詩を送ったことがある。

  君ならできる    葉 祥明

  今どんなに苦しくても
  今日 いち日
  我慢できれば
  それでいい
  次の日は次の日で
  また我慢すればいい
  そうやって一日一日
  我慢していけば
  いつか もう
  我慢しなくていい日が
  必ず来る
  その日まで
  大丈夫 君なら
  きっと耐えていける! 

 ④ちょっと変えてみる
  うまくいかないのは、「やり方」がうまくないのである。

  だが、がらりと変えていくことはできない。
  だから、ちょっとだけ変えてみる。

  そうやって試みてみる。
 
   ★ ★ ★
 
 アンナ先生、とりあえず2週間だけです。
 夏休みには、初任者研修などで忙しいのですが、自分の時間もきちんとできます。
 

 そこで何をすればいいか、また書いていきます。

 あなたのような悩みを持っている初任者の先生は、ものすごく多くいます。

 その先生たちは、「自分は教師に向いていない」と結論づけようとしています。
 教師に向いていない人は、そんなに多くはいません。
 

 ただ一つ、人間嫌いで人と付き合うのが嫌いだという人なら教師に向いていないと思います。
 でも、そんな人は教師になろうと思わないと思います。

 実は、そんなことではないのです。
 いまうまくいかないのは、単に「やり方がまずい」だけなのです。

 学級づくりの原理・原則に当てはまらない方法で、学級経営をしたり、子供たちと付き合ったりしているからです。
 そんなことをあなたが大学で学んでいないし(大学は教えてくれない)、勉強もしていないからそうなるのです。
 
 

 夏休みの間に何をすればいいか。
 どのようにクラスを回復していけばいいか。
 

 次回は、それを書くことにします。
 


 夏休み明けにがんばればきっとクラスは回復していきますよ。 
  


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