今日一日をがんばればいい~悩んだ時の処方箋~
クラスがうまく行かなくなってしまうと、とことん悩んでしまう。
先生たちの精神疾患は、この10年で3倍に増えたし、鬱病も企業で働く人たちより2.5倍もある。
学校がブラック企業になっているというのは、本当のことである。
それだけ子供たちや保護者との関係に悩むし、また職員間のトラブルで悩む先生たちも多い。
私は、今の教育政策の中心に「先生たちを元気にする」というのがないと、これからの学校教育は成り立たない、と強く思っている。
「子供のために、子供のために」といくら強調しても、それを育てていく教師が疲弊していったらどうにもならないということが分かっていない教育関係者が多いのに、驚いてしまうのだ。
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先生たちの悩みのパターンは、きわめて直線的である。
うまくいかない→自分のどこがいけないのだろうと探す→思い当たるところを一生懸命に直そうとする→うまくいかなくてへとへとになる→自分は教師に向いていないのだ
個人的な自分の性格や個性的なところにスポットを当てて直そうとするが、そんなに簡単に直せるはずがない。
そんなところじゃないのに、そう考えてしまう。
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かつて私は、「悩むな、反省もするな、次が大切だ」と言ったことがある。
そんなことがうまくできるはずはないと批判も多かった。
「悩むな」と言われても、悩んでいる人にそう言って収まるはずはない。
だが、悩みの実態は知っておいた方がいい。
悩みのほとんどは、悩んでも解決しないこと。
悩めば悩むほど、自分を痛みつける。
悩みのほとんどは、「時間」が解決する。
だから、ほとんどの人にとって、「1年前の悩み、2年目の悩みは何だった?」と言われても思い出せない。そう、時間が解決したからだ。
悩みのほとんどは、悩んでも無駄である。
ほっておくことである。
「反省する」ということも同じ。
反省なんか一々していたら、自分を痛みつける。
反省は、負の連鎖を自分に刻みつける。
「反省がなければ、人間の進歩はないのじゃないですか!」と言われる。
でも失敗は反省なんかしなくても、いつのまにか自分に刻み込んで、次にはちょっと変わっていくものである。(進歩しない人もいることはいるが…。それはそれで生きて行ければ良いではないか。)
大切なのは、後ろ向きなことではなくて、「次をどうしよう」と前を向いて進んで行くことである。
悩みも反省も、自分を落ち込ませて、どんどん元気をなくさせていけば何の意味もない。
そんなことより大切なことは、自分の落ち込ませないようにすること。
自分の元気さを確保しておくこと。
そのことが一番大切なことなのである。
自分に元気さが残っていれば、「次をどうしよう」となっていくものである。
★
悩む事態、反省すべき事態があったら、しばし立ち止まるであろう。
そんなとき、何をするか。
①規則正しい生活をする。
同じ時間に起き、同じ時間に寝る。行動も淡々と行う。
これを繰り返していたら、ふっと吹っ切れる時間が必ず訪れる。
②遠くを努めて見る。
これはフランスの哲学者アラン(『幸福論』の著者)の言葉をぱくっている。
悩む人たちや鬱に苦しむ人たちは、いつも近くを見ている。
だから、苦しむのである。
遠くを見る。努めて遠くを見る。
夕日が沈んでいく光景。緑に映える木々の美しさ。……散歩しながら見つめる。
そのうちに、ふっと自分に暖かい風が吹いてくる。
③今日一日をがんばればいい
私は、教え子に悩みをぶつけられたときに次の詩を送ったことがある。
君ならできる 葉 祥明
今どんなに苦しくても
今日 いち日
我慢できれば
それでいい
次の日は次の日で
また我慢すればいい
そうやって一日一日
我慢していけば
いつか もう
我慢しなくていい日が
必ず来る
その日まで
大丈夫 君なら
きっと耐えていける!
④ちょっと変えてみる
うまくいかないのは、「やり方」がうまくないのである。
だが、がらりと変えていくことはできない。
だから、ちょっとだけ変えてみる。
そうやって試みてみる。
良いことばかりはない。また、悪いことばかりもない。
人生の本質は、「繰り返し」なんだから、その繰り返しの中で、いかに軽やかに、でもしたたかに生きていくことができるかにかかっている。
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