要するに「やり方」がまずいだけなのである!
このことについては繰り返しになるが、何度でも言うことになる。
初任の先生で、クラスがうまくいっていない状況になる。
自分の力不足だと、思う。
ここまではいい。
自分の力不足を何とかしたいと思い、学校で8時、9時まで残って教材研究をする。
何とかしたいと思う気持ちである。
周りは、「あの初任は、教師に向いていないんじゃないか!」「子供が好きじゃないんじゃない?」と噂することになる。
がんばっているのに、何とも心ない噂。
初任の先生のクラスは、ますますにぎやかになり、初任者の気持ちはぼろぼろになる。
「私は、教師に向いていないのだ!」と自分に向けて繰り返すことになる。
そして、辞めていく。
★
このような事例をいくつも見てきた。
わずか数ヶ月で教師に向いているかどうか、判断できることではない。
教師に向いていない人は、人と関係を結ぶことが嫌いな人である。
子供が好きかどうか、そんなことはどうでもいい。(私は、教師になるとき、子供が好きだとか思わなかった。)
教師になろうとしてなってきた人が、教師に向いていないはずはない。
教師には、ほとんどの人がなれる。その気がありさえすれば。
そんなものである。
★
初任の先生のクラスがうまくいかないのは、教師に向いているかどうかではなく、
「やり方」がまずいだけである。
もう一度言うが、「やり方」がまずいだけである。
そのまずさは、次のようなこと。
①子供との関係づくりの仕方がまずい。
②学級づくりがうまくない。
こんなものである。
ここがうまくないのでこじれるのである。
初任者は、誰からもこのことについてきちんと学んでいないので、知らない。
彼等の責任でもなんでもない。
周りの先生(特に初任者指導の先生など)は、ここを見ていて指摘してあげればいい。
ところが、授業の問題点ばかりを指摘する。
初任者の授業は、探せば問題点ばかり。
それを一々指摘しても、すぐには直せない。
当たり前ではないか。
授業は初任者なりに精一杯やらせればいいのである。
今つまづいているところを、正確に見ないで、違うところばかりを指摘する。
時代が変わり、子供たちも変わっているのに、そこを見ていない。
初任者指導の先生方には、ぜひとも心してほしいのである。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「自己流」で身に付けた力量で対応できなくなっている!(2019.03.16)
- 『教師1年目の教科書』が重版になる!(2019.03.13)
- 再び横浜野口塾のお知らせです(2019.03.10)
- つれづれなるままに~飛行機ができてきた~(2019.03.09)
- 『教師1年目の教科書』(学陽書房)が発売される(2019.03.05)
コメント