大阪府の教員の不足が深刻である。
http://mainichi.jp/select/news/20140410k0000e040226000c.html
私の聞いた範囲で言えば、大阪市の講師待ちは50人。
ほとんど来ないと言っていい。
また、現役の教員が他府県へ異動することも多いらしい。
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教師を大切にしてくれないところがどういうことになるのか、はっきり物語っている。
今、教育政策の重点は、いかに教師を元気にするか、やる気をださせるかにある。
そのように考えている。
大阪は、この重点から大きくはずれて、徹底的に教師に厳しくした。
そのつけがこんな形で現れている。
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かつて新しい学力観や総合の授業が学校へ持ち込まれたとき、盛んに「子供のために」「子供を大切にする」「子供に寄り添う」などが喧伝された。
そのために教師はどんな忙しさも煩わしさも耐えなければいけない。
全てが子供たちのために考えなければいけないと発想された。
そのことが更に教師たちを忙しくさせ、疲弊させていった。
でも考えてみれば、学校というところは、全て「子供」たちのことを考えて成立しているところであり、あえて言うこともないはずである。
これらの結果、どうなったのか。
学校はますますひどくなり、もはやどこから手をつけていいのか分からないほどに混迷を究めている。
私の見聞きしている周辺の学校でも、その混迷の度合いは深く、学校崩壊状態が進行している。
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最後の勤務校での7年間は、さまざまな改革を進めた学校であった。
荒れに荒れまくっていた学校。それで有名であった。
私が周囲の先生にその学校へ赴任すると言うと、
「うわあ~~かわいそう。3年いたらすぐ出ればいいよ」と言われた。
「3年学校」と呼ばれていた。3年間(その期間はいなければいけない)が終わったらどんどん先生たちが異動をしていく学校のことである。
私が赴任したときには、もはや⒊,4人の先生しか残っていなくて、あとは全部新しく赴任してきた先生ばかりであった。
「子供の思いを大切にする!」というキャッチフレーズで子供中心、子供を主役とする教育を進めていた学校である。
だから、先生と生徒はため口で話すというのが普通で、職員室や保健室にはしょっちゅう子供たちがたむろするという状態。
運動会は、子供たちの思いを生かすということで特活が中心で進められていた。
私には、かけ声倒れでほとんど子供たちの中に生きていないと判断された。
その証拠に、クラスは何クラスも学級崩壊になっていたからである。
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この学校に必要なのは、教師と子供たちとの関係の中にきちんとした「縦糸を張ること」である。
そのように強く思われた。
このような荒れまくった学校が最初になさなければいけないのは、高学年(とくに6年生)の落ち着きを取り戻すことである。
異常事態なのであるから、まずそこから手をつける。
この学校は、全職員が一丸になって、2年間で普通の平静な学校になることができた。
今でも印象的に思いだすのが、朝会当番でのこと。
私が朝会の最後に次のことを全校の子供たちに注意した。
「みなさんが職員室に入ってくるとき、『〇〇先生いますか?』と入ってきます。
これは言葉づかいの間違いです。正しくは『〇〇先生いらっしゃいますか?』と言わなければいけません。ぜひ言葉づかいを直して下さい。」
すぐに効果は表れた。
まず低学年から変わった。
そして、1ヶ月後にはほとんど全員の子供たちが「〇〇先生、いらっしゃいますか?」という言葉づかいになった。
要するに、子供たちは知らなかっただけなのである。
それから職員室への入り方の言葉づかい、挨拶などを徹底していったのである。
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その学校での取り組みは、私なりにまとめている。
①土台づくり
②自慢づくり
③授業づくり
④職場づくり
さまざまな画期的な改革であったと思われる。
この中での改革の中心は、先生たちが元気になることであったと、今ならはっきりと言うことができる。
そのことを目指したわけではなかった。
だが、改革の過程で先生たちが元気になっていったことは確実であった。
行事、研究会などを削った。
できるだけ削りに削った。
2学期制の横浜は、9月が通信表などへの取り組みをする。
行事、研究会などの全てを8月下旬に済ませ、9月の放課後は学年研以外は何も入れないことにした。
全ての放課後の時間を先生たちは自由に使えるようにした。
異動してきた先生たちは「この学校はほんとに時間がありますね」と言われていた。
・中休み30分休みの導入
・通知表改革
・全校百人一首大会
・卒業式全員参加導入
・算数、国語の授業改革
…………
さまざまな改革が思いだされてくる。
この過程のなかで、子供たちは落ち着いていくのである。
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