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2014年4月

日本教育新聞の書評~庭野三省先生から書評~

 庭野三省先生(新潟県十日町市教育委員会教育委員長)から「味噌汁・ご飯」授業本の書評を書いてもらった。
 日本教育新聞(2014年4月28日)である。

 ★ ★ ★
 新年度が始まり、各学校では1年間の研修計画が作られ、職員研修がスタートしているに違いない。職員研修の中核は今も昔も研究授業の実施である。
 本書は、この研究授業に対する批判の書である。学校現場や授業研究の指導をする大学の研究者は、本書を熟読され、これからの授業研究の在り方をぜひとも見直してほしい。例えば、次の文章に対しての対案がなければ研究授業の実施は、学校全体の教育力を高めないだろう。
「『研究授業』に取り組む意識と『日常授業』に取り組む意識が違いすぎる。しかも、それぞれがバラバラである」
 どうやったら日常の授業が充実するのか、この具体策がない授業論は、もはや学校現場では通用しない。学力向上に授業力向上は欠かせない。ところが多くの学校では多忙化に追い詰められ、勤務時間中に教材研究をする時間すら大変になっている。ましてや小学校の教師なら異なる教科を、一日に何時間も授業をしなければならないのである。
 これからの授業研究の主流は、日常授業の充実に結び付くものになってほしい。年に1回程度の準備万端な研究授業では日常授業の改善に直結していかない。この問題提起の本が、学校現場では活用されることを祈ってやまない。
 ★ ★ ★

 重要な問題指摘が、この書評の中には書かれてある。

「どうやったら日常の授業が充実するのか、この具体策がない授業論は、もはや学校現場では通用しない」

「これからの授業研究の主流は、日常授業の充実に結び付くものになってほしい」

 この2つの指摘は、今までの「授業研究」を総括され、これからの方向を示している。まさに我が意を得たりとはこういうことである。

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つれづれなるままに~駅伝に出る~

●Y新聞社から全国学力テストの問題を読んで、感想を聞かせてほしいということ。
 その日のうちに問題を見て、感想を言って、翌日の新聞に掲載ということらしい。
 

 もはやそういうところからは離れてしまっている。
 お断りする。

●50肩だと診断されて不自由している。
 「もう66歳なんですけど、それでも50肩なんですか?」と聞けば、「50肩は俗名です。正式には、肩関節周囲炎と言います。いくつになってもなります」。
 

 今まで脱ぎ着が簡単にできていたのがうまくできず、「痛てて~~~」となる。
 プリントを渡された。
 

 それには、「五十肩は、明らかな原因がなく、肩関節周囲の組織が加齢による変成を起こし、これによって肩が痛み、動きが制限される病気を総称してこのように呼んでいます」とある。
 加齢である。

●村上春樹を読んでいる。
 「女のいない男たち」(文藝春秋)。
 

 また売れるんだろうなあ。
 

 久しぶりの短編集。まだ1つ目を読んだところ。
 文章が実に実にうまい。

●29日に駅伝に出る。
 毎年開催される横浜駅伝である。
 

 私は横浜教職員走友会に所属していて、この日は走友会の総会でもある。
 この日は、都合をつけて参加することにしている。
 

 1年中、ジョギングだけは続けている。
 1時間ぐらいを走ったり、歩いたりしている。
 

 当日の駅伝は、3キロを走るだけ。まだまだ大丈夫。
 天気が悪いのが気になることである。

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要するに「やり方」がまずいだけなのである!

   このことについては繰り返しになるが、何度でも言うことになる。

 初任の先生で、クラスがうまくいっていない状況になる。
 自分の力不足だと、思う。
 ここまではいい。

 自分の力不足を何とかしたいと思い、学校で8時、9時まで残って教材研究をする。
 何とかしたいと思う気持ちである。

 周りは、「あの初任は、教師に向いていないんじゃないか!」「子供が好きじゃないんじゃない?」と噂することになる。
  がんばっているのに、何とも心ない噂。

 初任の先生のクラスは、ますますにぎやかになり、初任者の気持ちはぼろぼろになる。
「私は、教師に向いていないのだ!」と自分に向けて繰り返すことになる。

 そして、辞めていく。

 ★
 このような事例をいくつも見てきた。

 わずか数ヶ月で教師に向いているかどうか、判断できることではない。

 教師に向いていない人は、人と関係を結ぶことが嫌いな人である。
 子供が好きかどうか、そんなことはどうでもいい。(私は、教師になるとき、子供が好きだとか思わなかった。)

 教師になろうとしてなってきた人が、教師に向いていないはずはない。
 教師には、ほとんどの人がなれる。その気がありさえすれば。
 そんなものである。
 ★
 初任の先生のクラスがうまくいかないのは、教師に向いているかどうかではなく、
「やり方」がまずいだけである。

 もう一度言うが、「やり方」がまずいだけである。

 そのまずさは、次のようなこと。

 ①子供との関係づくりの仕方がまずい。
 ②学級づくりがうまくない。

 こんなものである。
 ここがうまくないのでこじれるのである。
 初任者は、誰からもこのことについてきちんと学んでいないので、知らない。
 彼等の責任でもなんでもない。

 周りの先生(特に初任者指導の先生など)は、ここを見ていて指摘してあげればいい。

  ところが、授業の問題点ばかりを指摘する。
 初任者の授業は、探せば問題点ばかり。
 

  それを一々指摘しても、すぐには直せない。
 当たり前ではないか。
 

  授業は初任者なりに精一杯やらせればいいのである。

  今つまづいているところを、正確に見ないで、違うところばかりを指摘する。
 
 時代が変わり、子供たちも変わっているのに、そこを見ていない。

  初任者指導の先生方には、ぜひとも心してほしいのである。

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4月が終わる~「ものさし」ではかってみる~

   もう少しで4月が終わる。
 「学級づくり」の金の時間が終わる。
 この時間をスムーズに乗り切れたかどうか、それはこれからの1年間を決めていく。
 ★
 昨年、北海道で初任の先生に話を聞いた。
 その先生、一昨年は非常勤として3年生のクラスを担任していた。
 

  何も分からず、とにかく体当たりの学級経営であったらしい。
 自分のクラスがうまくいっているのかどうか、ほとんど分からず無我夢中であったという。
 

  ある時期に、周りの先生が「あのクラスは、ちょっと危ないから他の先生たちが入らなければいけない」となった。
 自分としては、自分のクラスが危ないのか、危なくないのか、その意識さえなかったということ。
 

ありうるなあと思った。
 自分のクラスが順調にいっているかどうか、それを測る「ものさし」がないからである。
  ★
 簡単な「ものさし」は3つ。

 1 朝会で、自分のクラスはきちんと並んで、おしゃべりをしないで
   校長先生の話を聞いているか。
 

  2 朝自習で、先生がいなくても自分たちでおしゃべりしないできちんと自習が
   できているか。
 

  3 靴箱がぐちゃぐちゃでなく、きちんと靴が入れられているか。

 この3つが崩れているならば、危ういと思わなくてはならない。

 ★
 縦糸、横糸がうまくいっているかどうかは、次のことを参考にしてほしい。

 とてもいい◎ まあまあ〇 できていない✕
 

<縦糸張り>
 1 教師の指示に対して、すぐに子供たちは動き出しているか。
 

  2 教師に対して、ため口ではなく、きちんと敬語(丁寧語)で話しているか。
 

  3 掃除や給食はすばやく落ち着いた動きができているか。
 

  4 教師が話すとき、子供たちは静かに教師の方を見て聞いているか。
 

  5 ルールをめぐって子供たちが「ああだ、こうだ」と混乱することはないか。

 <横糸張り>
 6 教師は、子供たちとよく遊んでいるか。
 

  7 子供たちは親しげにいろいろなことを話しかけてくるか。
 

  8 教室で笑いが起こることがよくあるか。
 

  9 教師は、進んで子供たちの良い点を伝えたり、ほめたりしているか。
 

10 教師の話に、ほとんどの子供が明るい表情で耳を傾けているか。
 


 ◎は、10点 〇は、5点 ×は0点。
 目安は、70点以上が合格。
 順調だ。今の学級経営を続けることである。

 50点から60点が、まあまあ。
 何がだめなのかに注目してほしい。
 
 

  50点以下ならば、要注意。
 すぐに修正に入らなければいけない。
 「縦糸張り」に×が多いのか、「横糸張り」に×が多いのか。
 それが目安になる。

 50点以下の先生は、すぐにでも次の本を読んでほしい。
 

  『必ずクラスがまとまる教師の成功術』(学陽書房 橫藤雅人・野中信行著)
 『必ずクラスを立て直す教師の回復術』(学書書房 野中信行著)

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つれづれなるままに~そのあとがある~

  ●高校時代の友人たち5人(一組は夫婦とも友人)と夫婦連れで会う。
 友人の一人が陶芸をやっていて、その作品を披露し、気に入った物をあげるという会である。
 

  気に入った作品があったので、勇んで行った。
 

  2つの作品をもらう。
 一輪挿しの素敵なもの。
 

  話していると、もう友人たち全部は完全にリタイヤしていることに気づく。
 私一人だけがこうして走り回っているのである。
 おい、おい。
 

●女房の叔母さんが亡くなった。
 女房は急いで九州の佐賀へ帰った。
 

  ほんとうなら私もいかなくてはならないのだが、残念ながらこちらへ残る。
 一人合掌。
 

  桜の季節が過ぎても、まだまだ郷里は寒いと言う。 
 

●岐阜の長瀬拓也先生が、学級通信を送ってくれる。
 彼は、横浜に小学校教諭で5年いたのである。
 

  5年目の岐阜に行く前に、その時も学級通信をもらった。
 その時も毎日発行していたのである。
 

  今回の通信も見ると、205号。
 並のことではない。
 

  今彼の本『ゼロから学べる学級経営』が明治図書では爆発的に売れている。
 まだ30歳前半のばりばりの若手である。
 

  「自分の体と相談してほどほどにしてくださいよ」とメールを送る。

●新潟の十日町の庭野三省先生から「百冊の本」第18巻が送られてくる。
 庭野先生は、いま十日町の教育委員長をされている。
 
 

  この「百冊の本」は、読まれた本100冊の感想をこの1冊にしてある。
 これを18巻続けられたわけである。

 かつて私は庭野先生のことを「北陸の巨人」と称した。
 誰もマネができない仕事をこうしてされている。

 扉の言葉に次のように書いてある。

 ★ ★ ★
 難産の末、ようやく第18巻が完成する。途中、何度となくあきらめかけたことがあった。
 それでも3年近い歳月でここまでたどりつくことができたのは、自尊感情の発露である。私の人生の中で本を読んだり、その感想を書くことがなくなったりしたら、何が残るのか。
 時代がどう変わろうと、私はこれでしか生きていけない。少なくとも私の生き甲斐の中心にあるのは、本を読み、文章を書くことである。この生き甲斐の具体化が『百冊』の本になる。
 人生の終末に向かって、私は今、蔵書の整理を始めている。これと『百冊の本』の取り組みがどう協働するのか、自分自身でも分からない。それでもこの取組を続けよう。
 ★ ★ ★

 庭野先生は、定年後の「そのあと」と闘っている。
 私は、人生の「帰路」と言っている。 

  かつて詩人谷川俊太郎は「そのあと」という詩を書いている。

  そのあと

  そのあとがある
  大切なひとを失ったあと
  もうあとはないと思ったあと
  すべて終わったと知ったあとにも
  終わらないそのあとがある

  そのあとは一筋に
  霧の中へ消えている
  そのあとは限りなく
  青くひろがっている

  そのあとがある
  世界に そして
  ひとりひとりの心に

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教師人生を変える座右の書とは?

   明治図書で「教師人生を変える座右の書フェア」ということで私のPOPがまず
掲載されている。
 クイズ形式での公開。
 さて、どんな書物をあげているのだろうか。
 

 https://twitter.com/meijitosho/status/458153082707140608/photo/1

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講演会受付始まる!

   5月10日(土)15:00~17:00(開場14:30)
 
 「味噌汁・ご飯」授業本刊行記念講演会


 昨日から、講演会の紀伊國屋書店での受付が始まっている。
 紀伊國屋書店新宿本店のHPにもアップされている。
 
 http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Shinjuku-Main-Store/20140412200202.html

受付の電話番号は、03-3354-5703。

  どうぞみなさんおいで下さい。

  Cover

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「味噌汁・ご飯」授業本の刊行記念講演会

  Photo

『日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業 国語科編』(明治図書)の

刊行を記念して私の講演会が行われる。

 紀伊國屋新宿本店での講演会である。

 

 ぜひ皆さんおいでください。

 申し込みは4月20日からです。

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授業づくりの<コペルニクス的転回>

  「味噌汁・ご飯」授業本について、私の親しい知り合いの梶浦真さんから以下のような感想をいただいた。

  梶浦さんは、教育報道出版社を設立され、また現職研修の実務家でもあり、全国を回られて講演をされている。

 ★ ★ ★

 230.●授業づくりの<コペルニクス的転回>が日常授業を変える

 『「味噌知・ご飯」授業』と言っても、家庭科授業の話ではない。味噌汁・ご飯と言えば、日本人の食事の基本であり、要である。食事に主食がある様に、授業にも中心となる核がある。その授業づくりの要を、再度要としてとらえ直す試みがまとめられている本が「味噌汁・ご飯授業―国語編/野中信行 小島康親 編<明治図書>」である。その第一弾となる本書は、国語という教科を窓にして、授業づくりの核を示す内容だ。世界一過酷な勤務状況にあると言われる日本の教師が、授業を通して子どもと共に生き抜いていくための実践戦略が提案されている。

本書は単なる国語の授業づくりの本ではない。日本の小中学校で行われている、日常授業を改善する視点が実践レベルで提案されている。実践レベルとは、即ち、明日の授業から使える考え方が示されているということだ。

発問づくりが大事というが、どの様な視点を持って国語の発問づくりをするのであろうか。発問、指示、説明を学習過程・課題に応じてどの様に使い分けるのか。その使い分けの根拠をどこに置くのか。日常授業を成立させる上で、なんとなく流してきてしまった部分を意識的に見直すことによって、子どもの頭に<おいしく知の主食を食べさせる方略>が示されている。

  最近、国語の単元が時間不足で中途半端になってしまうという声を聴く。子どもの読解力や対話力の伸び悩みや、指導内容の増加、一単元に含まれるねらいの配分など、授業構成が多要素にわたり、煮え切らない授業になってしまうのだ。授業の組み立てを簡素化し、言葉がけを厳選して、子どもの頭が最もよく働く活動を与え、評価によってフォローしていく授業運びによって、まとまりある授業を日常化することを本書では目指す。更に、単純に指導過程の構成や指示の出し方を押さえるだけでなく、子どものノート指導の具体事例や、教師自身の日常の研修方法まで詳説している。執筆陣がすべて実践家やOBであることから、現実的で実現の可能性が信じられる内容になっている。つまり、授業のイメージと希望が見えてくる内容なのだ。

  本書は、研究授業と日常授業のコペルニクス的転回を主張している。特殊な機会としての研究授業ではなく、毎日の日常授業を改善することで、子どもの学力と教師の授業実践技能を共に伸ばそうとしている。考えてみれば、日々の日常授業こそが、教師にとって最も身近で生かしやすい実践的研究―試行錯誤の場なのである。

5年次までの教師は勿論のこと、国語の授業づくりが行き詰ったり、マンネリ化したりしていると感じている教師にも実践インパクトを与える一冊だ。

 

 ★ ★ ★

 私達がこの本に込めた意図を正確にくみ取ってもらっている。

 梶浦さん、ありがとうございます。

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教師たちが学校現場でしあわせに過ごせる環境づくり

   ここに稲盛和夫さんの「証言そのとき」がある。(朝日新聞2014 3/24)
 
 ★ ★ ★
 78歳の誕生日を迎えたばかりの2010年2月、経営破綻した日本航空(JAL)
の会長に就いた。二次破綻の可能性も指摘されていたところを2年8ヶ月で、再上場に導いた。「官僚以上に官僚的」と言われたJALを変えたのは、半世紀前の京セラの創業時に掲げた経営理念だった。
 ★ ★ ★

 こういう書き出しで始まる。
  航空業界の経験も知識もない稲盛は、最初JALの幹部たちにこう言う。

 「経営の目的は、全従業員の物心両面の幸せの一点に絞ります。株主のためとは一切ない。これまで、政府の役人、政治家の圧力を受けてきたかもしれませ
んが、圧力がかかれば、私が矢面に立ちます」  
 
 もちろん、幹部たちは「何を言っているんだろう」という感じ。
 会社更生法による再建のために、弁護士、会計士も来ていた。
 「更正法の適用を申請した会社の目的が従業員の幸せですか……」という受け止め方。

 それでも稲盛は、続けた。

 「従業員が幸せになれば、サービスも向上し、業績も上がる。結果、株主価値 

   も上がる、あらゆるところにはね返ってくる。余計なことを考えなくても、この
  一点に絞れば、社員も一緒に努力してくれる」

 そして、稲盛は各職場の壁に、中村天風の言葉を貼りだしていく。

 「新しい計画の成就は只不屈不撓の一心にあり。さらばひたむきに、只想え、
  気高く強く、一筋に」
 
 

  稲盛は、考え方を一生懸命説き続け、3年足らずの短い間に再上場という成果ににつながる。

  ★
 教育現場もほとんどかつてのJALと同じである。
 経営破綻しているところは多い。
 公教育というハコモノがあるために存続しているだけである。

 教育委員会は、本気になって考えなければいけない。(文科省と言いたいところだが、今のところまったく方向が違うために期待できない)
 学校現場の校長も、本気になって考えなければいけない。

 この稲盛和夫さんのJAL再生は大きなヒントではないか。

 まず、一人から始まる。
 

  学校は「子供のために」というかけ声は必要ない。

 教師たちが学校現場で幸せに過ごせる環境を作り上げること。
 この1点で改革を始めるべきである。

 教育現場を再生するためには、まずここから手をつけるべきである。

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教職員が元気になることが第一の課題である!

  大阪府の教員の不足が深刻である。
 
http://mainichi.jp/select/news/20140410k0000e040226000c.html

私の聞いた範囲で言えば、大阪市の講師待ちは50人。
ほとんど来ないと言っていい。
また、現役の教員が他府県へ異動することも多いらしい。

 ★
 教師を大切にしてくれないところがどういうことになるのか、はっきり物語っている。

 今、教育政策の重点は、いかに教師を元気にするか、やる気をださせるかにある。
 そのように考えている。

 大阪は、この重点から大きくはずれて、徹底的に教師に厳しくした。
 そのつけがこんな形で現れている。

 ★
 かつて新しい学力観や総合の授業が学校へ持ち込まれたとき、盛んに「子供のために」「子供を大切にする」「子供に寄り添う」などが喧伝された。

 そのために教師はどんな忙しさも煩わしさも耐えなければいけない。
 全てが子供たちのために考えなければいけないと発想された。

 そのことが更に教師たちを忙しくさせ、疲弊させていった。

 でも考えてみれば、学校というところは、全て「子供」たちのことを考えて成立しているところであり、あえて言うこともないはずである。

 これらの結果、どうなったのか。
 学校はますますひどくなり、もはやどこから手をつけていいのか分からないほどに混迷を究めている。
 

私の見聞きしている周辺の学校でも、その混迷の度合いは深く、学校崩壊状態が進行している。
 ★
 最後の勤務校での7年間は、さまざまな改革を進めた学校であった。
 荒れに荒れまくっていた学校。それで有名であった。
 
 

私が周囲の先生にその学校へ赴任すると言うと、
「うわあ~~かわいそう。3年いたらすぐ出ればいいよ」と言われた。

「3年学校」と呼ばれていた。3年間(その期間はいなければいけない)が終わったらどんどん先生たちが異動をしていく学校のことである。
 

私が赴任したときには、もはや⒊,4人の先生しか残っていなくて、あとは全部新しく赴任してきた先生ばかりであった。

「子供の思いを大切にする!」というキャッチフレーズで子供中心、子供を主役とする教育を進めていた学校である。
 だから、先生と生徒はため口で話すというのが普通で、職員室や保健室にはしょっちゅう子供たちがたむろするという状態。

 運動会は、子供たちの思いを生かすということで特活が中心で進められていた。

 私には、かけ声倒れでほとんど子供たちの中に生きていないと判断された。
 その証拠に、クラスは何クラスも学級崩壊になっていたからである。
 ★
 この学校に必要なのは、教師と子供たちとの関係の中にきちんとした「縦糸を張ること」である。
 そのように強く思われた。

 このような荒れまくった学校が最初になさなければいけないのは、高学年(とくに6年生)の落ち着きを取り戻すことである。
 異常事態なのであるから、まずそこから手をつける。
  
 

  この学校は、全職員が一丸になって、2年間で普通の平静な学校になることができた。

 今でも印象的に思いだすのが、朝会当番でのこと。
 私が朝会の最後に次のことを全校の子供たちに注意した。
「みなさんが職員室に入ってくるとき、『〇〇先生いますか?』と入ってきます。
 これは言葉づかいの間違いです。正しくは『〇〇先生いらっしゃいますか?』と言わなければいけません。ぜひ言葉づかいを直して下さい。」

 すぐに効果は表れた。
 まず低学年から変わった。

 そして、1ヶ月後にはほとんど全員の子供たちが「〇〇先生、いらっしゃいますか?」という言葉づかいになった。
 要するに、子供たちは知らなかっただけなのである。

 それから職員室への入り方の言葉づかい、挨拶などを徹底していったのである。


 その学校での取り組みは、私なりにまとめている。

 ①土台づくり
 ②自慢づくり
 ③授業づくり
 ④職場づくり

 さまざまな画期的な改革であったと思われる。
 この中での改革の中心は、先生たちが元気になることであったと、今ならはっきりと言うことができる。

 そのことを目指したわけではなかった。
 だが、改革の過程で先生たちが元気になっていったことは確実であった。

 行事、研究会などを削った。
 できるだけ削りに削った。

 2学期制の横浜は、9月が通信表などへの取り組みをする。
 行事、研究会などの全てを8月下旬に済ませ、9月の放課後は学年研以外は何も入れないことにした。

 全ての放課後の時間を先生たちは自由に使えるようにした。
 異動してきた先生たちは「この学校はほんとに時間がありますね」と言われていた。

 ・中休み30分休みの導入
 ・通知表改革
 ・全校百人一首大会
 ・卒業式全員参加導入
 ・算数、国語の授業改革
 …………
 さまざまな改革が思いだされてくる。
  この過程のなかで、子供たちは落ち着いていくのである。
 

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「味噌汁・ご飯」授業本の刊行記念 講演会のお知らせ

   日々のクラスが豊かになる「味噌汁・ご飯」授業国語科編  刊行記念
    
    野中信行先生 講演会のお知らせ

    「「味噌汁・ご飯」授業って何!?

 
日時  5月10日(土)15:00~17:00(開場14:30)

場所     東京紀伊國屋書店 新宿本店8Fイベントスペース

参加費 500円

定員  50名程度

主催  明治図書

申し込み  4月20日からになります。
      もう少し待って下さい。

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教師として生きられるか生きられないかの問題である

  親しい知り合いの先生から電話をもらう。
 2年目の先生。
 

  今年は3年生の担任ということ。
 まずは順調なスタートをしたようだ。
 ★
 1つ相談があるという。
 

  「クラスに一人1,2年でずっと不登校を繰り返した子がいるのです。
  家庭的にも恵まれていません。
  その子は2日間だけは来ました。ゲームも楽しそうに加わっていました。
  その子が私に耳元で囁くように『ぼく、学校を休んでいたから1,2年生の勉強ほとんど分からないよ』と言ったんです。
  これからどんな指導をすればいいんでしょうか?」
 ★
 この子は、一目で担任を信頼できる存在と受け入れたのではないだろうか。
 そんな感じがした。
 

  やることは決まっている。
 1,2年生でどうしても消化しなければいけない勉強を教えればいいのである。

 3つある。
 
 

  ①繰り上がりの計算36題、繰り下がり36題を覚えさせること。
 ②かけ算九九を覚えさせること。
 ③国語の教科書をすらすら読めるようにすること。

 とりあえず、この3つである。

 宿題にしては駄目だ。それはむずかしい。学校で行う。
 いつやるか。
 

  給食の配膳時間の10分間。この時間だけしかない。
 先生が手をかけられないときは、教科係の子供に手伝ってもらう。

 どのようにさせればいいか。
 3つともその方法を書いたプリントをメールの添付で送ると伝えた。

 ★
 1,2年生の担任が教えなければいけない必須のこととは、上の3つである。
 これを逃しては絶対に駄目である。(もちろん、どうしても無理な子供はいる)
 

  教師として失格だ。
 そのように私は主張している。
 
 

  3年生以上のクラスでも、この3つができていないときは、できるだけ早い時間帯(7月頃までに)で克服させなければいけない。

 そんなことは教師の生命線に関わる。
 教師として生きられるか生きられないかという問題である。

 それはこれからの子供の人生に関わるからである。
  これができていなければ子供は勉強を投げ出してしまう。
 

  でも、これができれば自分で他の勉強にも挑戦できる可能性が出てくる。

  しがみついても教えなければいけない。
 教師の仕事は、子供たちの未来に賭ける仕事だからである。

 ★
 その先生に送った添付のメールがほしいという方は、私にメールをください。
 添付で送ります。12ページになります。

 kazenifukarete●hkg.odn.ne.jp (●のところに@を入れて下さい)

 私の資料などは著作権を放棄しております。
 どうぞ自由にお使い下さい。

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つれづれなるままに~新年度が始まった~

  ●2日は、東京のK区のO小学校へ行く。
 K区には、学級経営研究会で呼ばれていて、今回は会長の校長先生の学校へ呼ばれて新年度へ向けての話。
 
 

  近くの学校からも校長先生が職員を引き連れて参加されている。
 
 

  やはり、多くの先生たちが「学級づくり」を問題にしているのだということがよく分かる。

●3日は、福島郡山の初任者研究会に行く。
 熱心に聞いてもらえる。
 
 

  38歳だという初任者の先生がいて、15年目に採用されたということ。
 実に嬉しいことである。
 単身赴任で郡山に来たのだと言われる。
 がんばってほしいとエールを送る。
 
 

  郡山は、年に3度訪れるところである。

●4日は、兵庫県の三木市の初任者研修会。
 といっても、参加者は、20名ほどの初任者と、2年目、…校長先生もおられる。
 すでに私の話を一度は聞いておられる方々である。
 
 もう4年目ぐらいになるのであろうか。
 

  講演の終わり頃には、教育長もかけつけてこられてしばし話をする。

●5日は、横浜のK小学校を訪ねて、初任者2人と2年目の先生の3人に1年間の心構えを2時間ぐらい話し、午後から教室準備の手伝いをする。
 
 

  日直システム、当番全員システム、給食システム、掃除システム。
 この4つは、始業式の前に作っておかなくてはならない。
 その準備である。

●7日は、横浜のI小学校へ行く。
 午前中は始業式と入学式があったばかり。
 忙しいのである。
 
 

若い先生ばかりがびっしり。
 横浜は16000人の教職員の中で、6割ぐらいが10年未満だと聞いたが、その様相がよく分かる。
 若い先生たちに伝えることは多い。
 
 郷里の佐賀の鳥栖から来ている先生もいて、「やあやあ、どがんしょったあ~~」(佐賀弁)と挨拶。
 また、カリフォルニアサンノゼの日本人学校で先生をしていたという先生もいて、話が弾む。

●8日は、横浜のK小学校を再び訪ねて、全員の先生たちに話をする。
 この学校の今年度の重点研は「学級づくり」。
 
 

  大変な子供たちに対して、ここから再出発したいという先生たちの決意。
 がんばってほしいというエール。
 先生たちが一丸となって、チームとして取り組むことの必要性を訴える。 
 

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記事の訂正である!申し訳ありませんでした。

   ブログでの大失態である。
 記事を訂正したい。
 

前回のブログでの池田修先生のフェイスブックの内容は、4/1のエイプリルフールの内容だったのである。
 次のようにコメントが付いた。
 ★ ★ ★
 先生、すいませーん。
これ4/1の記事です。
エイプリルフールですf(^^;。

ですが、これがそうなったら実に学校が変わると思うのです。
来年はこの内のいくつかを4/2に書きたいです。
(4/1に嘘を言うので、4/2は本当のことを言うという仕組みも出来て来たようなので)

失礼しました。
  ★ ★ ★

 まことに申し訳ない。
 エイプリルフールということはまったく想定になく、そのまま信じてしまった。

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「料理の鉄人」より「今日の料理」を!

  ブログに次のようなコメントがついた。
 まことにうれしいコメントである。
 ★ ★ ★ 

 通りすがりの教員です。
  味噌汁・ご飯授業の考え方、心の底から同意いたします。

  つい先日、私も同僚にそのような話をしたばかりでした。
「研究授業やるのはいいけど、それは【今日の料理】(NHKでやってる番組ですね)でなければだめだ。あっ、これ明日にでもウチでもできそう、と思ってほしい。【料理の鉄人】だと、せっかく授業を見にきた他の先生達が、これはご立派だけどウチではできないわ…で終わってしまう。それだと授業を公開する意味がない。」
…偉そうですが、私は本当にそう思っているのです。でも、研究好きな方からしたら、何言ってんだコイツ、で終わってしまうんですよね(^_^;)価値観の相違なのでしょうがないですけど。

でも私は、味噌汁・ご飯授業の豊かさを目指して、日々を大切におくりたいと思っております。

 ★ ★ ★
 
 私達は今まで「料理の鉄人」を目指してきた。
 今でもそのように志している人がいる。
 

 それはそれでまったくかまわないが、でもそれは広まらない。
 周りを巻き込んで、共に「日常授業」を豊かにしていくことはできない。

 「今日の料理」を豊かにしたい。
 私の周りでも、そのように考える先生たちは増えている。

 ずいぶん回り道をしてきたように思うけれど、結局目の前の「日常」を豊かにしていく、そんな生き方が一番大事なんだと思う。
  

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まず「国誉め」をしよう!

  新年度になれば、いつも考えることがある。
 新しい学校へ異動していく場合の心構えについてである。
 

 ほとんどの人が失敗する。
 私もよく失敗した。
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 異動先の学校で、さまざまな場面を否定的に見てしまうことである。
 でも、これは自然なことでもある。

 それはそうだ。
 今まで慣れ親しんだ習慣と違ったところへ行くのであるから。
 

 大脳生理学によれば、人は85%は無意識に行動しているということだから、新しい場所では、無意識が揺り動かされることになる。

 当然不快感が湧き出てくる。
 ★
 だから、このことが分かっていない人は、必ず否定的な発言をしてしまう。
 もちろん、異動してきた同士での会話である。

 「この学校、なんて学校だろうね。子供たちはだらしないし、…先生たちは
  やけにゆったりしているし…」
 「私、3年経ったら早くまた異動しよう!」

 ★
 昔、神事に「国誉め」があった。
 神事というのは、神を祭る行事のこと。
 
 

 古代、ある国に任命された役人が最初にやった仕事になる。
 たとえば、どこかの国に任命されて、その国に最初に行って何をやるかというと、
そこの国がどんなに素晴らしいかを褒め称えることである。
 その行為が、神事だったのである。

 古代の役人たちも、異動していくときには、やはりその国の悪いところを見てしまうということになっていたのではないか。
 だから、「国誉め」という神事が考えられたのであろう。

 ★
 異動先の学校が、否定的に見えてしまうのは当たり前である。
 それは今までの自分の習慣と違うから。

 それを批判するのは、今までのことを全て是としてしまうからである。
 でも、そんなことがありうるはずがない。

  新しい場所には、新しい習慣がある。
 まず、それに慣れ親しんでいくことである。
 いままでにない「新しさ」を発見して、「国誉め」をしよう。
 

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学校を変えていくには、まず鉄則から入る~A小学校訪問を終えて~

   大岡川の桜並木の下を歩きながら、今年もA小学校に向かう。
 4年間、4月の始めにずっと通ってきたことになる。

 4年前は、荒れまくっていた学校。
 それがこの4年間で、見事に立て直している。
 
 校長の陣頭指揮、先生たちの苦労を思う。

 「まず、6年生から変えていった!」と校長の弁。
 学校を変えていくときの鉄則通りのことをやられたことになる。

 私の最後の勤務校も、まず手をつけていったのは、高学年を落ち着かせていくことだったのである。
 この学校も荒れまくっていた。
 

  下から変えても駄目だ。
 下は上のマネをする。
 
上を変えていけば、そのうちに落ち着いていく。
 
 

  それから何をするのか。

 森信三先生の言葉を実行することである。
 ★  ★ ★
 時を守り/場を清め/礼を正す
 これ現実界における再建の三大原理にして、
 いかなる時・処にも当てはまるべし。
  ★  ★ ★
  時を守ること。
 学校と教室の時間をきちんと正常に戻すこと。
 

  日課表の通りに動き出すことである。
 チャイムがないならば、復活させることだ。
 

  これは教務主任の仕事になる。
 
 

場を清めること。
 学校全体と教室をきれいにしていくことである。
 荒れてくると汚くなる。
 

  掃除指導を徹底して、全員で学校をきれいにしていく。

 礼を正す。
 挨拶、返事、言葉づかいなどを正しくしていくことになる。

  このことを全職員が一致して当たれば、必ず学校は落ち着いていく。

 ★
 今年も90分話した。
 4年間いる先生は、毎度の話を聞かされたことになる。

 最近は毎度の話でいいと居直っている。
 聞く側が変わっていけば、話も変わって聞けるからである。
 
 

  今年度で校長は退職される。
 私も今回で卒業することになる。
  こんな幸福な機会を持たせてもらったことを感謝したい。

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