「味噌汁・ご飯」授業本の出版(3)~
「ごちそう」授業 について書いた。
私は若い頃毎日「ごちそう」授業 をしたいと思ったことがある。
毎日、楽しく、おもしろい授業をしたいという願いである。
だが、願いとは反対にほとんどそんな授業をすることができなかった。
たまにそんな授業をすることがあったが、1年に何回かのことである。
結局平々凡々に毎日の授業をして過ごすということで、37年間の担任生活を終えた。
そのことで考えたことがある。
毎日、おもしろい、楽しい「ごちそう」授業 をしていたら、子供の立場で言えば疲れて大変ではないだろうか。(笑)
「ごちそう」を朝昼晩出されたら、どんなことになるだろうと考えればいい。
糖尿病になるし、ごちそうに飽きがきてしまうだろう。
毎日毎日がんがん討論のある授業を想定してもいい。
子供たちは疲れて疲れて大変であろう。
たまに「ごちそう」があるから、ちょうどいいのではないか。
普通は「味噌汁・ご飯」で良いのではないだろうか、と。(笑)
★
脱線してしまった。
「ごちそう」授業 の話である。
はっきり言えば、多くの先生たちは「ごちそう」授業を作るような技術を深めていないし、身につけてもいない。
また、毎日の「日常授業」の繰り返しで、そのような過程を経ることも不可能である。
多くの先生たちは、学校の中で1時間の教材研究の時間さえも取れないのである。
とするならば、赤刷り本を片手にその場で教材研究(?)しながら授業をするというようなことが起こってくる。
ひどい「日常授業」が展開されることになる。
★
ここで発想を転換する。
「ごちそう」授業でなくていい。
毎日が楽しく、おもしろくなくていい。
日々が豊かに充実するような「日常授業」を展開できないものか。
日常を乗り切っていく「日常授業」の方法がないものだろうか。
このように考えてみる。
そこで考え出したのが、「味噌汁・ご飯」授業である。
「味噌汁・ご飯」授業の目的は、3つ。
①日常性の追求
②基礎学力の保障
③全員参加
日常性の追求とは、学校にいる時間の中で(せめて1時間は教材研究の時間を確保たい)教材研究をしたいという願いである。
「現実」を踏まえて、できることを追求したいという願いである。
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