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校長に「死ね!」は、日常茶飯事です!(5)

   私のブログを読んだ読者の方から、次のようなメールが来る。
  地方に住んでいる先生である。
 ★ ★ ★
野中さんのブログを毎日読ませていただいています。で、ものすごく粗い感想なのですが・・・校長に「死ね!」とかは、私の学校では日常茶飯事です。校長室は、行き場のない子たちのテーマパークになってしまってますので(失笑)。学校の最終権威、校長が。そして、一番怖い場所であるはずの校長室の敷居が非常に低くなってしまっています。 1年生の子でも、校長が怖くない。校長室が怖くない。この子たちは、何に恐れをなすのだろう。そんな子たちが高学年になった時をお世話している我々のリスクはどんなもんだろ?……
  ★ ★ ★
 
「校長室が、行き場のない子たちのテーマパークになっている」というのは、ありそうなことである。

 私が聞いた中学校では、生徒が校長室に入り込んで、お客様用に準備してあるお菓子を食べ散らしてしまうということが平気で起こるという。
 でも、その生徒達に、きちんとした指導はなされないという。ひどいものだ。

 校長室も、職員室も、子供たちが自由に出入りできる場所にしていく。
 ここに「聖域」を持たせない。
 

  このような発想で校長室や職員室の「権威」を否定していくことは、さまざまな学校で取り組まれたことではないだろうか。
 私も、若い頃、そのような考えを持っていたのでよく分かる。 

 教師も生徒も、みんな「平等」だからそんな「聖域」を持つのはおかしいという考え方である。
 

  このような考え方が、校長に平気で「死ね!」などと言える子供たちを育てていったのは確かであろう。
 


 ただ、このような考え方は、学校だけでなされたわけでもなく、社会全体での大きなうねりであったことも確かである。
 80年代にマスコミが「学校叩き」「教師叩き」をしたのも、この考え方であった。

 繰り返しになるが、教師と生徒は、人間としては「平等」でも、その両者の関係は平等ではない。
 はっきり上下関係がある。
 

  学校という場所は、そういうものである。
 そういう場所にしないと、「教育」という機能は発揮できない。

 このことを考え違いしていたのである。
 
 ★
 私の最期の勤務校も、こんな学校であった。

 「子供の思いを大切にする」ということで、さまざまな行事に、子供の思い、考えを入れていくことが行われていた。
 
 しかし、学校は荒れまくっていた。
 創立以来ずっと荒れまくってきた学校で、「3年学校」と言われてきた学校である。
 

  3年しか教師はいない(3年は同じ勤務校に在籍しなければいけない規定)というのが普通であった。

 職員室(保健室にも)には、いつも子供たちがどやどやと来て、たむろしていた。

 しかし、子供たちの職員室の入り方はひどいもので、ほとんど何の指導もされていなかった。
「野中先生 いる?」という入り方である。
 敬語などはまったく使われていなくて、「ため口」が教師と子供たちの普通の会話であった。

 この学校を先生たちが一丸になって改革した。
 2年間ぐらいで、普通の落ち着いた学校へ変身していった。

 まず最初に手をつけたのが、教師と生徒の上下関係をつけることであった。
 いわゆる「縦糸の関係」を身につけることであった。

 たとえば、私は朝会で、次のような話をした。(朝会担当)
 「職員室へ入ってくるときに、『野中先生 いる?』と入ってくる人がいます。
  まちがいです。そんな言葉づかいはおかしいです。
  正しくは、『野中先生 いらっしゃいますか?』と言わなくてはなりません」
と指摘した。

 2ヶ月ぐらいで、全校の子供たちが「野中先生 いらっしゃいますか!」と言って入ってこれるようになった。職員室への入り方もきちんと指導した。

 何のことはない。要するに、子供たちに教えられてなかっただけである。

 こんなことから改革は始まったのである。

 これは子供たちに敬語(丁寧語)の使い方を教えることによって、職員室はそのような場所であることを間接的に教えているのである。

 基本的な「縦糸の枠組み」をきちんと教え、身につけさせることから改革は始まったのである。

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コメント

 野中先生、今回もコメントさせてもらいます。
 
 野中先生の書かれるように、『教師と生徒は、人間としては「平等」でも、その両者の関係は平等ではない。はっきり上下関係がある。 学校という場所は、そういうものである。そういう場所にしないと、「教育」という機能は発揮できない。』というのは確かにと思うところがあります。
 しかし、上下関係というと何かちょっと違う感じがします。
 先生と子どもの関係が縦糸、子どもと子どもとの関係が横糸ととらえられます。ここは同じ考えです。私はその関係とは、信頼関係だと思うのですが、どうでしょう。
 権威を誇示してしまう教育は、子どもの心をゆがめてしまうと思います。これは戦前の教育が代表的だと思います。魂のふれあいを通して育った信頼が、教育の基盤だと思いますがいかがでしょう。
 
 野中先生が横浜の学校で経験されたことは決して権威をふるったのではないと思います。
 先生と子どもたちがしっかり信頼関係を結べるように全校で取り組んだのではないでしょうか。
 何か、権威で子どもたちに押し付けたとしたら、たぶんその場限り、その時だけの行動になっていたのではと考えます。面従腹背という言葉がありますが、決してそんなことにはなっていなかったと思います。   
 縦糸の話をしていくときに、誤解をされてしまうといけないと思い、意見を書かせていただきました。

投稿: よしドン | 2014年1月 7日 (火) 14時32分

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