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私達が縦糸を壊してきた!(3)

   親しい「よしどん」校長先生から次のようなコメントをもらった。
 
 ★ ★ ★
  この言葉は考えさせられますね。でも子どもの心の叫びを感じざるを得ません。 
 
 子どもにとって校長ってなんでしょうか。自分の記憶の中でも、校長はあまり出てきません。
 子どもにとっていつも小言をいう校長は邪魔な存在なのかもしれませんね。
 
  「何しに来た。うるさいな。」ということは、ある意味で校長がまだ権威を持っているのだと思います。「死ね」は余計な言葉ですが・・・・。自分が嫌な時には、よく使われているのではないんでしょうか。校長が来ると、また余計なことをいうと思っているのではないかと思います。
 ある意味で校長がその子たちの敵になっているのかもしれません。
 
 私は学校として縦糸を大事にする必要があると思います。しかし、野中先生がおっしゃることに少し違います。縦糸がなくなったのではなく、私たちが縦糸を壊してきてしまったのです。なんでも平等、なんでも同じようにとしてきたのは私たちです。そこを反省しなくては、学校がますます崩壊してしまうことでしょう。

 私は、教師集団にも縦糸、横糸が必要だと思います。きちんとできていないのならば、私たちが縦糸、横糸で紡いでいくしかないのです。それには、管理職も今の自分に胡坐をかいていてはだめです。もっと学ばなくてはならないと思います。
 山本五十六の有名な言葉に、「やってみて言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」とあります。でもそれだけではないのです。
「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」
「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」
と。
 私も子どもに「校長先生を変えてほしい」と言われました。まだまだ力不足なのだと感じています。
 
 力のある校長先生だと思いますが、「死ね」と言った子どもを責めるのではなく、「死ね」と言わせてしまった自分を責めてほしいと思います。
 
 新年から自分を考えさせられた言葉でした。
 ★ ★ ★

 とても考えさせられた。
 
「 縦糸がなくなったのではなく、私たちが縦糸を壊してきてしまったのです。なんでも平等、なんでも同じようにとしてきたのは私たちです。そこを反省しなくては、学校がますます崩壊してしまうことでしょう。」
 
 なるほど、なるほど、確かに私達教師も、「縦糸の枠組み」を壊してきた原因を作ってきている。
 

  枠組みが壊れたのは、学校の外からではなく、内からの方からだったのだという指摘は、考え直さなくてはならない大きな視点である。 

  山本五十六の言葉は、最初の言葉だけは知っていたのだが、2つの言葉が続いていたのである。これは含蓄のある言葉。

  よしどん校長先生の学校は、元気な若手の先生が意気揚々と活躍している。
 実践されているのである。

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