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何がだめになったのか?(4)~「縦糸の枠組み」が喪失したその後に~

 「縦糸の枠組み」が壊れたことについて書いた。
 今なお壊れていないところで、これらの事実は驚くべき事態かもしれない。
 
 

  たとえば、東北は今なお「縦糸の枠組み」が健在である。
 それは、地域がしっかりしているし、親たちも地域に根付いて子育てをしている。地域と保護者と学校の三者がいまなお健在である。
 
 

  東北の学力が高いというのは、この「縦糸の枠組み」がしっかりしているからである。
 東北の教師たちが特別に優秀であるわけではない。(失礼!)
 

  教師たちは、この土台の上で学習を続けていけるからである。
 
 総じて、学力が高いところは確実にこの「縦糸の枠組み」がしっかりしているはずである。(都市圏で学力が高いところは、学習塾に行っている子供たちが支えているのではあるが……)
 ★
 さて、「縦糸の枠組み」が壊れた学校で、これから何ができるか、何をしなければいけないのか。
 
「学校」は、まだ替わりになる「言語」を持っていない。
 

  新しい「縦糸の枠組み」の再構築ができていない。
 
 できているならば、こんなに学校が疲弊するはずはないのである。
 

  相変わらず、今までの「縦糸の枠組み」があるときの事態を前提にしての取り組みをしている。
 うまくいくはずはない。

 文科省は、新しい「縦糸の枠組み」を提起していない。
 いまやろうとしているのは、方向違いのことだと、私は考えている。

 今緊急にやらなければいけないのは、教師の数を増やし、児童の数を減らすことだ。
 これは根本的な解決策ではないが、学校に余裕を与えることができる。
 

  学校が新しい枠組みを再構築していくための時間と余裕を与えることができるのである。
 

  私は、学校力向上のための事業で、北海道教育委員会のアドバイザーをして2年目になっている。
 学校力向上の学校は、14校ある。
 

  全部を訪問したわけではないが、私が訪問した学校はいずれも活気づいていた。

 特別に教師が3,4人加配され、事務職員がもう1人増員されている。
 この余裕がいい。
 これだけでも学校の状態は違ってくる。
 
 

  しかし、財務省は反対に教師の数を減らそうと動いている。
 現場の状況をまったく分かっていない。

 ★
 嘆いていても仕方がない。
 今できることは何か。
  教師の仕事を考え直していくことである。

 まず、「縦糸の枠組み」が壊れたことでダメになったことは何かを考えることである。
  さまざまに考え出されるが、とりあえず3つ。

 ①「授業」づくりをきちんとやっておけばクラスはうまく成り立っていくという時代  がだめになったのである。
  
 

 学級の中での「縦糸の枠組み」がなくなっているはずであるので、これを再構築しなければならない。(もちろん、これは地域によって大きく異なる)
  この再構築が一番の優先課題である。
 
  

   私は、10年前に「学級づくりを土台に据えなくてはならない」「まず、授業よりも 学級づくりを優先しなくてはならない」という問題提起をした。
  これはこの再構築のためである。
  
 

② 子供たちを厳しく叱りつけておけば、何とかなる時代がだめになった。

      同時 に、子供たちとともに遊んだり、活動したりして友達みたいに仲良くしていけば何とかなる時代もだめになったのである。
   
   

      私は、橫藤雅人先生が提起した「織物モデル」の関係づくりに共鳴をして、関係づくりの再構築をしなければいけないと考えるようになった。
  「縦糸・横糸」を張ることになる。

 

③「日常授業」をいい加減に適当に流していく時代がだめになった。
  
 

   子供たちは「つまんねえ~」「おもしろくねえ~」と離れていっている。
  「縦糸の枠組み」がしっかりしていたときには、つまんなくても、おもしろくなく  ても、「そんなものだ」と思って、子供たちはただ我慢していた。
  
 

   子供たちの一部は、もはや我慢しなくなった。公然とおしゃべりしたり、立ち歩いたりしている。
 
  

   私は、「味噌汁・ご飯」授業を提起して、これに立ち向かいたいと考えた。

 

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コメント

 野中先生、3つの視点とても大事だと思います。

①「学級づくりを土台に据えなくてはならない」「まず、授業よりも 学級づくりを優先しなくてはならない」
②「縦糸・横糸」を張る
➂「味噌汁・ご飯」授業

 私は、ぜひそこに「子どもたちに愛情を」と入れてほしいと思います。
 当たり前のことかもしれませんが、「先生、死ね」なんて言われると、つい言われたということへの感情が出てしまいます。でもそれでいいのでしょうか。
 私たちはプロです。些細な感情に左右されていてはまずいのです。もっと子どもたちを信じ、子どもたちに愛情をかけていく必要があると思います。
 愛情とは子どもの様子をそのまま受け止めるということです。手を出すということではないのです。
 現実を直視し、今何ができるのか。技術だけではないと思います。技術だけでできるなら、みんなすぐに優秀になることでしょう。何のために先生として子どもに接するのか。ぜひ考えていきたいものです。
 
 
  

投稿: よしドン | 2014年1月 5日 (日) 22時37分

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