横浜国立大学へ行った!
横浜国立大学へ行った。
教育人間科学部の教職実践演習での講義のためである。
外部講師による演習に私が呼ばれたということになる。
これは免許取得のための必修科目であるために、260名の参加。
大講義室での講義である。
この中の半分ぐらいが教職に就くという。
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学生相手の講義は、大変である。
切実感がないために、真剣に語るほどはずれていく。
今回は、すでに合格通知がきて教師になることが決まっている学生にターゲットを絞って訴えようと準備した。
80分ぐらいの時間。
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とくに訴えたかったのは、初任者の壁である。
「初任者がうまくいかなくなる壁が2つある。それは何だろうか?」という質問から講義は始めた。
1つには子供とのつきあいかた(関係づくり)がまずいこと。
2つは、「学級づくり」が分かっていないこと。
この2つが答えになるのだが、ここは簡単なことではない。
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1970年代、80年代までは初任者は、この2つが壁になることはなかった。
初任者は、学校に入ってからこの2つを教えてもらいながら身につけていくことができたからである。
教師をしながら、徐々に身につけていけばよかったのである。
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今はどうなっているのか。
今は、これが無理になっている。
2つのことを知った上で、きちんと実践できる力が必要になる。
そうしなければ、いつ学級崩壊の憂き目にあうか分からないのである。
熱意があるとか、情熱があるとか、教師への夢や思い入れなどがあるとか関係ない。
そんなものでは、もはややっていけない。
子供との関係づくりにも、原理・原則がある。
「学級づくり」にも、原理・原則がある。
これを知って、具体的に実践できるかどうかにかかっているのである。
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なぜ、昔はそんなことを知らなくて、学校へ入ってから身につけていくことができたのか。
それは、親や子供たちが、学校や教師に対して「縦糸の枠組み」を身につけていたからである。
親たちは、朝「先生の話をちゃんと聞くのよ」と子供の背に声をかけて送り出していた。
学校や教師に対しての「聖性」がまだ生きていたのである。学校は未来への架け橋としての「聖性」をもちえており、学校をかけがえのないものとする観念が社会に共有されていたのである。
子供たちも、この「聖性」という観念のもとに教師の「権威」をきちんと認めていた。
だから、初任者は、この「縦糸の枠組み」の基盤に乗っかっていけば良かったのである。
だが、これが親や子供たちから完全に消え去ってしまった。
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だから、教師たちは素手になってしまったのである。
素手になって、初めから作らなければいけなくなった。
何を作らなければいけないのか?
「縦糸の枠組み」である。
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初任者は、このことが分かっていない。
誰かがこのことを教えなければいけない。
初任者が学校に入ってからではもう遅すぎる。
事前に教えなければいけない。
これは、教職課程を担っている大学の課題である。
誰が他にこのことを担うことができるのか。大学以外にありえないではないか。
このことに気づいた教育委員会が、4月1日の辞令前に事前の研修会を設けていくことが多くなった。
しかし、一日の研修で、このことを徹底していくことはなかなかむずかしい。
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横浜国立大学も、私などの外部講師を呼んで動き始めている。
このままではどうにもならなくなることは目に見えてはっきりしている。
大学がどんどん動き始めることを切に願っているのである。
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