福山憲市先生の「待ち遠しくなる算数授業づくり講座」に参加するために、前日の11日下関入りをした。
新幹線で5時間。
初めての下関。
道が広くて、ゆったりしている。
何か九州の匂いがある。この匂いは海の匂い。
4時頃に着いて、周りを散歩する。
歩いて行くと、すぐに関門海峡に出た。
「ここがあの関門海峡ですか?」
釣りをしているおじさんに聞く。
「そうだよ。あそこがもう九州だ!」と。
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12日、新下関に着くと、愛知のK先生から声をかけられる。
「野中先生ですね!愛知の講座に参加させてもらいました!」
「ちょうど一緒になって良かったよ。会場に行くのが分からなかったから…」と話しながら改札を過ぎると、スタッフの一人であるY先生が迎えに見えていた。
このY先生も、広島の講座でお会いした一人なのである。
この日、Y先生にさんざんお世話になる。
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会場に着くと、すぐに福山先生が出てこられて挨拶をされる。
初めて会うのである。
まったく雰囲気が違う。目が違う。目に力がある。きらりと光る目。
これは、これは、すごい講座になりそうだと予感する。
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予想通り、福山先生の講座はすごかった。
飲み込まれるような感じ。
会場の先生たちを生徒役にして、実際の算数の授業を再現されている。
いわゆる模擬授業ではない。
そんな生やさしいものではない。
福山先生の迫力に圧倒されていくのである。
もうそれだけで、実際の授業の迫力が伝わってくる。
講座の1つが終わって、知り合いの先生たちに言った。
「あのM先生の授業を3回見たことがある。また、B先生の授業や、新潟のO先生の授業も見たことがある。どの先生も、素晴らしかった。でも、福山先生の授業はその上を行くよ。今、授業をやらせたら、福山先生の右に出るものなんかいないんじゃない!」
正直な感想である。
もちろん、人の授業の評価は、自分の力量でしか見ることができないことは分かっている。それでも、私は、そのように思った。
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福山先生は、5年生の難教材の「割合」を専科として授業をした。140人近くの人数。
その授業後の市販テストの全体の平均が99点。
普通の公立の学校である。
学年の勉強についていけない子供もいたであろう。
落ちこぼれていた子供もいたであろう。
それらの子供を含みこんで、これだけの実績をあげていく。
これは何であろうか。
そのことを知りたかった。
しかし、この「高み」は、大変なものであった。
圧倒された。ただ、ただ、圧倒された。
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福山憲市先生。
若い頃から法則化運動では有名な先生だった。
今は、TOSSから離れられて「ふくの会」のメンバーとともに一授業人として過ごされている。
53歳になられたのだという。最後まで一授業人として全うされる。
私も管理職にならずに平のままで教師を終えたが、一授業人として終えたわけではなかった。
普通の、普通の教師として終わった。
普通の教師が、あんなに本を書くのかと言われるが、私は福山先生みたいにこんなに「高み」を目指そうともしなかった。目指そうとしてもできなかった。
だが、こんなに今回衝撃を受けたというのは何だろう?
私もこのような授業をしたかったのか?
いやいや、そんなことはない。
どんなにひっくり返ってもこんな授業はできない。
あのレベルは、目指そうとしてもできる境地ではない。
そんなことではない。
衝撃を受けたのは、こういう「高み」にまでまだ上り詰められる教師がいるという「事実」であった。
とても人間業とは思えなかった。
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福山先生は、講座の中で何回も強調された。
「算数の授業を追求するだけではこんなことはできないのです。子供たちの『心』を変えなければこのことはできないのです!」
そして、その「心」を変えるためにどのような手立てを打ったのかをしつっこく繰り返された。
その通りであろうと納得した。
「手間をかければ誰でもができる」と強調された。
しかし、そんなに簡単なことではないと、ここは違和感をもった。
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今「味噌汁・ご飯」授業として「授業づくり3原則」を提起している。
指導言(発問・指示・説明)―活動―フォロー
この3つを組み込んで「授業づくり」をしていこうと始めている。
福山先生の講座を受けながら、福山先生の授業もまた、この3原則が徹底しているという感想を持った。
徹底した教材研究をして子供たちを揺り動かす「指導言」に結実されている。
小刻みな「活動」を随所にちりばめられて子供たちを動かしている。
天才的な「フォロー」のつっこみ。
この3つが福山先生は、誰よりも卓越している。
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人はある必然によって、その道を突き進む。
ここは、「頑張り」とか「努力」とか、そんな柔なもので成り立つ世界ではない。
意識しても、そこへはいけない「必然」がある。
こういう人だけが、誰も踏み込めない道を進む。
自ら切り開いた道を走る人だけが見つけられる景色があるからである。
福山憲市という教師に、そんな「必然」を感じた。
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最後は私の福山先生への願いになる。
再現性がない実践や業績は、どんなにすぐれていても、それは「名人」「達人」で終わっていく。問題は、再現性があるかどうかにかかっている。
これが、後に続く教師たちを育てることになる。
ぜひ、このことをやってもらいたい。
講座の中で、さまざまな言葉をちりばめられた。
一瞬懸命、何度もしつっこくやる、拍手から始まる、リズムで覚えさせる、
動作で覚える、しつっこさの中で力がつく、テンポ良く、体で覚えさせる
かくし指示をたくさん作る
これらの言葉を誰でもができる「実践」に再現してほしい。
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13日の下関も、晴れ渡っていた。
遠くにまた関門海峡が見えた。
また、5時間の新幹線が待っている。
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