学芸大の論文から受け止められることを前回書いた。
問題は、なぜそうなるのか?という課題である。
これにきちんと答えておくことは、現場で原理・原則を作ってきた私の責任でもある。
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課題は2つ。
1つは、なぜ「縦糸を張ること」(上下関係)が先で、その後に「横糸を張ること」(水平関係)になるのか。
2つ目は、なぜ「横糸を張ること」(水平関係)を先にするとクラスづくりがうまくいかなくなるのか。
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クラスは4月の最初、構成の状況としてだいたい「2:6:2の法則」が成り立つ。
最初の「2」割が、クラスの真面目派の子供たち、いわゆる先生の味方をしてくれる子供たちになる。
次の「6」割が、中間派。最初はおとなしく席に座っている。
最後の「2」割が前向きになれないやんちゃな子供たち。最初から落ち着かない。
そのうちの2,3人が、超やんちゃな子供たち。
始業式の日から、目立つ存在。
ここから担任は出発する。
クラスは、最初の2割が主導権を取って、クラスを動かしていくとき大変落ち着いた状況が生まれる。
ところが、2,3人の子供たちに、クラスの雰囲気を握られてしまえば1年間にぎやかなクラスになる。
にぎやかで終わればいいが、だいたいが弱肉強食の世界になっていく。
弱い子供やおとなしい子供は、自分の居場所がなく、いつも不安な状況で過ごさなくてはならなくなる。
6割の子供たちは、支配力がつよい2,3人の子供たちと同じように振る舞うようになる。2,3人の傘のもとに集うことになる。
それがこのクラスを生き抜く方法だからだ。
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子供尊重型の担任は、強権的にルールづくりや秩序づくりをしたくないので、子供たちの意見にできるだけ耳を傾けようとする。
ルールも、できるだけ子供たちの話し合いで決めさせようとする。
ここでもめる。今までの過ごしてきたクラスのルールを持ち出して主張する子供がいる。なかなか意見を譲らない。
それが何人もいる。
決まりかけようとすると、やんちゃな2,3人が「オレ、そんなのいやだ!」「やりたくない!」などと言い張る。教師がなだめようとすると、拗ねてしまう。
だから、延々と話し合いが続く。
多くの子供たちは、嫌になって手いたずらに終始している。
担任は、強権的に決めたくないので見守る以外にない。
1つのことで、こんなに時間がかかってしまう。
だんだん嫌になる子供たちが増えて、話し合いがうまくいかなくなる。
担任は、子供たちに寄り添い、子供一人一人の意見を大切したいと願っているのである。だけども、思うように動かない子供たちがいる。
このようにしてクラスが荒れていく若い教師たちが数多くいる。
何がだめなのか。
「子供たちの意見を大切にしたい」という願いが、結局目的化してしまって、本来の目的である「安心・安全な居心地がいいクラス」にするという学級経営の目的が見失われてしまっている。
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上にあげた例は、一部のことではない。
典型的な、どこにでも起こるできごとである。
水平関係(横糸張り)から始めていくと、往々にしてこのようなクラスづくりになる。 このようにならないためには、よほどの力量が必要になる。
論文では、このことを次のように書いている。
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今後は、児童尊重型の学級経営は、たとえそれが成功例であっとしても、「理想」から「例外」へと位置づけを変えることになる。教師が上下関係を確立しなくても児童の社会性が向上し、学級が安定するならば、何らかの代替機能が働いているか、上下関係の確立がなくても社会性を向上させる何らかの例外的な条件が働いている可能性がある。
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児童尊重型の学級経営は、この論文では「例外」として扱っている。
そして、これに成功するにはよほどの力量が必要なことは、私のかつての失敗経験からもはっきりしているのである。
児童尊重型の学級経営は、現実の子供たちの実態から、その実態を踏まえてどのように「学級づくり」をしていくかという視点が抜け落ちている。
そんなことよりも、「指導・管理」をできるだけ少なくしたい、子供の思いを尊重したい、ルールなどは子供たちの話し合いで決めさせたい、子供たちに自分で考えて、自分で行動できる存在でいてほしい、などの「思い込み」や理想や思想を先験的に決めてかかり、それを適用させようとすることの失敗である。
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