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2013年7月

自分の許容量を広げるということ

   網走で、以前私の講座に参加された先生から質問があった。
 これからの若い先生たちへのメッセージをお願いしたいという質問だった。
 
 ★
 強調したのは、仕事を早く済ませる仕事術を身につけてほしいということ。
  これが身につかなかったら、これからの仕事は行き詰まっていく。

 学校には、毎日9時、10時まで居残って仕事をしている先生が必ず2,3人いる。
 熱心だと推奨する管理職もいる。
 

 本人もそうすることに満足しているのかもしれない。
 私に言わせれば単に、仕事が遅いだけである。

 初任者ならば仕方ないが、もう数年経験しているのにまだこんなことを繰り返している。
 
 

 学校の仕事は、やろうとすると限りなくある。
 ただ基本的で、必要な仕事は、そんなにあるわけではない。
 

 やり方さえ覚えてしまえば、きちんと勤務時間で終えられる。

 遅くまで残っている先生たちは、無駄なことをやっているか、だらだらと仕事をしているだけにしか過ぎない。(と私は予想している。何をしているか見ていないので)
  ★
 「時間に支配されない人生」(ジョン・キム著 幻冬舎)を書いたジョン・キムは、
次のように書く。

    ★ ★ ★
  大きな目標を実現するには,努力の加速度を上げることが大切だ。人生にも
 「ムーアの法則」を適用しよう。

  ムーアの法則とは、コンピュータの集積回路の性能は18ヶ月で二倍になる
 という法則である。これを内面の4つの力(思考、感情、言葉、行動)にも適
 用し、一定期間ごとに自分の許容量が二倍になるようにする。
  これがうまくいくと、以前は100パーセントの力を尽くしても納得のいく
 レベルまで仕上げられなかった仕事が、数十パーセントの力で達成できるよう
 になる。そうすれば時間の余裕が生まれ、ほかの仕事もできる、ゆっくり休む
 時間も確保できる。
  これは誰にでも適用できる法則である。新人の頃は24時間あっても足りな
 かった仕事が、数年後、ほんの数時間でできるようになった経験は誰にでもあ
 るだろう。そうなれたのは、時間配分や仕事のやり方を工夫し、自分の許容量
 を大きくしてきたからである。子どものときは大問題だったことを、いまはい
 とも簡単にこなせるようになったのは、内面の許容量が広がったからである。
    ★ ★ ★

  
 私が言う仕事術とは、ジョン・キムに言わせれば「自分の許容量を広げる」ということである。 

  ★
 私が若い頃のことを思い出せば、冷や汗もののことが多いが、1つだけ誇れるものがあるというのは、「大切なことと大切でないこと」の区別をきちんとできていたなということである。

 大切でないと判断できるものは、徹底的にいい加減に済ませた。
 大切だと判断できたものは、じっくりと時間をかけた。

 このことは自分の許容量を広げることにおおいに役だったと思われる。

 ★
 テストの丸付けは、放課後一度もしたことがない。
 空きの放課後は、全て教材研究の時間だった。
  えっ、そんなことできるの?

 来週の週案は、空き時間の15分で終えた。
 えっ、そんなことできるの?

 通知表は、締め切り1,2週間まえにはほとんど終えていた。
 えっ、そんなことができるの?
 
  できるのである。許容量の問題である。

 その仕事術について、「必ずクラスを立て直す教師の回復術!」(学陽書房)に全て書いた。参考にしてほしい。
 

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こんなことをしていたら、大変なことになる!

   内田樹さんが、ツイッターで呟いている。

 ★ ★ ★ 
大阪市の教育崩壊が加速しています。教員採用試験への志願者の激減、民間人校長の職場放棄、英語振興策の失敗、そして今回の教頭昇任忌避報道。もうこれ以上政治家の朝令暮改でこづき回されたくないという教師たちの深い疲労感を感じます。
  ★ ★ ★

 今回の教頭昇任忌避報道というのは、次のようなものだ。

  ★ ★ ★
大阪市教委:市立校の教頭不足 土日は地域行事、睡眠時間短く 「体も心もボロボロ」

毎日新聞 2013年07月27日 大阪朝刊

 小中学校の教頭不足に悩む大阪市教委が今年度、候補者を指名して昇任試験を事実上義務付ける異例の策に乗り出した。同市では、橋下徹市長の就任後、学校選択制や民間人校長の導入などで職場環境が激変し、負担が増え続けている。「受験を強いるより労働環境の改善が先では」。教育現場からは悲鳴も聞こえてくる。【林由紀子】

 「今年度は特段の事情がない限り試験の出願を行っていただくことを予定しております」。市教委が5月、全市立学校長宛てに出した通知には、強い危機感がにじむ。市立小中学校の教頭昇任試験の受験者はこの10年で5分の1以下に減少。不人気の背景には過酷な勤務がある。

 「睡眠時間も少なく、体も心もぼろぼろだ」。ある40代の市立小教頭は毎朝6時過ぎに登校、帰宅は午後11時を回る。自宅に仕事を持ち帰ることも多い。地域行事への出席などで土日も休めない。市教委からは報告や調査を求めるメールが1日数回送られてくるといい、「児童や保護者と接したいが、日中は事務作業に忙殺される」と嘆く。

 大阪市特有の事情もある。昨年度以降、保護者らの意見を学校運営に反映させる「学校協議会」を各校に設置。来年度は、約半数の区で学校選択制を導入するなど教頭の事務量は増え続ける。一方、市教委は今春から校長を公募で採用し、来春は半数を民間から選ぶことを決めている。ある中学校長は「教頭から校長に昇任する道が狭くなり、教頭のなり手はさらに減るのでは」と懸念する。
  ★ ★ ★
 
 大阪は、保護者が教師を評定する制度も始まったと聞いている。
 学校での日頃の指導の様子を見もしない保護者が、子供からの聞き取りで教師を評定するという制度。
 
 

 これは何であろうか。
 子供たちの学力低下、学校での問題行動など、これは学校や教師たちが全面的に作ってきたことではない。
 
 

 もちろん、責任はある。
 基礎的な学力を身につけさせるのは、これは完全に教師の責任だ。
 
 

 だが、大阪の学力低下は、決して学校だけの問題ではない。
 かつて(40数年前)の全国学力テストでは、大阪は上位争いをしていたはずである。
 

 家庭も、保護者も、おおいに責任はあるはずである。
 
 その一方が、片方を良いか悪いかの評定をする。
 こんなめちゃくちゃなことがあろうか。
 おかしなことではないか。
 
  ★
 こんなことをしていたら、大変なことになる。
 そのことがまったく分かっていない。

 日本の教育の実現は、学習指導要領を実現していく教師たちの双肩にかかっているはずである。
  このことの意味を、マスコミも、保護者も、あるいは教育行政の人たちも、本当に理解していないのではないだろうか。

 ほんとうに理解しているならば、こんなに教師たちをぼろぼろに疲弊させていくことはありえないはずである。

 日本の滅びが、大阪市のこのような形で始まっている。
 

 

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体罰調査のその後

   Y新聞社から電話取材を受けた。
 体罰についてである。
 もう1か月も前であろうか。
 

 結局、この取材記事は没になってしまった(と思う)。
 

 私の答えが、Y新聞社の望むことに合わなかったからであろう。
 
 

 文科省の指示にもとづいて、体罰の調査があったことは周知なことであろう。
 これについての調査結果(二次調査)がまとまっていることからの取材であった。
 
 

 くわしい内容は分からないが、一次調査と比べてかなり多いということらしい。
 
 一次調査の結果はすでに文科省の方で公表されている。
 一次調査は、平成24年4月~平成25年1月までの結果
 

 二次調査は、平成24年度に発生したもの(今回新たに実施した調査の結果把握したもの)
 
 ★
 私が取材に応じて話したことは、次のようなことである。
 
 ★ ★ ★
 今回の調査で体罰が多く発生していることを報告されることになると思うが、これは今学校現場で進んでいる「学級崩壊」や「学級が荒れていく事態」と軌を一にしている。
 
 

 クラスによっては、子供たちが、担任が気にくわないということで学級を壊しにかかったり、授業を妨害したりする事態は頻繁に起こっている。
 
 担任がそれに対処する形で体罰が起こっていることが容易に考えられる。
 

 教師は、いきなり体罰などするものではない。
 
 小・中学校の先生は、しょっちゅう校長から教育委員会通達の体罰禁止の通告を受けている。身に沁みて体罰はやってはいけないと理解している。
 

 だから、そんなに簡単に体罰が発生するはずがない。
 
 順序としては、最初に問題のある児童に「注意」し、それでも聞かないので「叱り」、それでも聞かないので「怒鳴り」という経過になる。

 そして、最後のところで、「体罰」という事態が発生していく。
  その時点で教師は冷静さを失っている。
 
 

 クラスが平穏で、普通に進んでいるならば「体罰」などが起こりようがないのである。
 

 今、文科省はじめ各都道府県教育委員会は、「体罰根絶」とスローガンに調査を何度も行い、徹底的に根絶をしようと動いている。
 
 しかし、その方向は教師を徹底的に指導するという方向だけである。
 

 学校現場では、このような指導を受けて、児童を「叱ること」さえも手控えていく風潮が生まれている。
 
 

 問題は、授業を妨害し、学級を壊しにかかっている児童をどうするかということである。
 教師たちは、クラスに存在する2,3人の超やんちゃな子供たちにクラスをかき乱されて、その対応に追われている。
 

 どうにもならなくて教師を辞職したり、鬱病になったりしている。
 
 教師を学校に増やしていけば、担任を持っていない先生たちがそれらの子供たちの面倒を見て、担任は他の子供たちの授業を進めることができる。
 

 当たり前のそのような措置が取れないのである。
 
 こういう措置を取らないで、教師の側だけを処罰し、指導していくということはあまりにも片寄った対応ではないか。
 
 

 これから学校教育はますますこのような度合いを強めていく。
 教師が疲弊し、打ちひしがれていく。
 
 

 文科省は、ほとんど何の対応も取れていない。
 ますます教育亡国への道を進んでいく。
 ★ ★ ★

 こんなことを話したのだと思う。
  
 学校教育法11条は、次の内容である。

  学校教育法 11条:
「校長および教員は教育上、必要があると認めるときは監督庁の定めるところにより、
学生・生徒および児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」

  「懲戒を加えることができる」と記してある。
 だから、「叱ること」を手控えてはいけない。
 叱らなければいけないことは、毅然として叱るのである。
 


 しかし、体罰はしてはならない。
 これから体罰をしたら、自分の教師生活が危うくなる。

 ★
 今回の体罰の調査を受けて、一部の「生徒しない」子供たち(学びの姿勢をとれない子供たちのこと)がますます増長していくことが予想される。
 
 

 今回の調査報告でも、ある保護者から「先生、子供たちがそろって『あの教師辞めさせようぜ』ってあることないこと書いて送ったって聞きましたよ」と聞いた。
 あり得ることだ。
 
 この報告を受けて、当然指導主事は調べる。
 

 担任は、がっくりとする。
 そして、やる気をそがれていく。
 
 おそらく、今回の調査は「体罰根絶」という意図のもとに進められたのだろうが、教師のやる気喪失をますます深めていくものとして機能したのであろう。
 私にはそのように思えてならない。

 事の本質をつかんでいない。

 滅びへの道は、善意と美しい言葉に敷き詰められている。

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つれづれなるままに

   カリフォルニアのシリコンバレーにある三育学院サンタクララ校(日本人学校補習校)から講師の依頼があった。
 

 10月である。
 日程的にとても無理である。1週間の余裕がなければ行けない。
 

 お願いして、来年の1月に行くことにした。
 一度伺った学校である。
 

 また、あのカリフォルニアに行くことができる。
 うれしいことである。
 

 前回は、2ヶ月準備した英語がまったく通じなかった。
 何を言っているのか、さっぱり分からなかった。(笑)
 

 入管の手続きで大騒ぎであった。
 何せ初めての海外で、1人で行っているのであるから。
 

 今回は少し余裕がある。
 英語である。
 ★
 22日、横浜のK小学校へ行く。
 4月にも行ったが、今回は7月までの学級経営の反省をする講座である。
 

 横浜は、16000人の教職員の3分の1は、もうすでに5年未満の教師が占めている。 だから、学校は若い先生たちが多数派である。30代、40代はぱらぱら。
 

 若い先生たちの活気がまとまればいいが、うまくいかなければ全体が沈んでいく。
 

 それだけに校長先生たちは大変である。
 私もがんばって、9月からの「学級づくり」について熱弁を振るう。
  
 

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北海道の網走小学校を訪れました!

   17日、時間通りに女満別空港に着く。
 校長先生の出迎えを受ける。ありがたいものである。
 
 

 網走までの道すがら、網走監獄、流氷記念館などを見学させてもらう。
 網走監獄には、ちょっと驚く。
 
 

 以前の刑務所をそっくり移動させて、現在のこの記念の施設を作ってある。
「世界遺産級の施設だ!」と思う。とにかくすごい施設だ。
 よく保存されている。
 ★
 その夜、網走教育委員会の教育長、教育支援課長、校長、教頭先生の歓待を受けて、網走のことについてさまざまに話を聞く。
 
 

 教育長は、次の日も網走小の授業参観に来られたり、私の講座を受けられたりした。
 しかも、指導主事の先生と共に、まん前の席に座られての受講である。
 
 

 この姿勢が、網走全体の教育に染み渡っている感じがした。
 ★
 18日、2,3時間目に初任者の授業を見て、4時間目が反省会、5時間目が私の授業、その後私の講座という日程であった。

 空いている時間は、1時間目しかない。

 校長先生にお願いして、ぜひともS先生の授業を見せてほしい、と…。
  突然の授業参観にしてほしい、と…。(S先生は、7:45に連絡を受けたと言われていた)

 S先生には、まだお会いしたことはない。
 だが、噂で聞いていた先生である。
 フェイスブックでは挨拶を受けていた「知り合い」である。
 
 ★
 6年生の国語の授業。
 枕草子などの古典を暗唱する授業。

 驚いた。
 久しぶりに見た、レベルの高い授業。
 
 校長先生は、「いつ行っても、S先生は、レベルの高い授業をしている!」ということ。
 日頃もこういう授業を徹底しているのである。

 どんな授業をしていたのか。

 「小刻みな『活動』」を使って、子供たちを動かしているのである。
 一時の空白の時間がない。
 全員を縦横に動かして、暗唱を徹底しているのである。
 
 「恐るべし」S先生である。
  ★
  2人の初任者の先生の授業も、初任者としては申し分がない授業。

  おそらく、この網走小学校の先生たち全体が、かなり高いレベルの授業をされているのではないかと想像することができた。
 この学校は研究校なのである。

  ★
 その夜の先生たちとの懇親会は、楽しかった。

  料理もうまく、鯨料理も私一人で食べてしまった。
 調査捕鯨が国際司法で裁かれようとする中で、最後の鯨料理なのではないかと思いつつ食べた。

 私は、特に初任の先生に、授業がうまくなる研究方法を提案した。
 これは私達の「味噌汁・ご飯」授業研究会で採用した方法で、授業の点検・改善として使っているものである。

 「一人研究授業」。

 このブログで何回も紹介したものである。
 ★

 今現場にいる先生たちが、自分の授業の向上をどこで図っているか。
 ほとんどの先生は、図っていないのである。

 数多く授業をやれば、そのうちに何とかなると「幻想」をもっている。
 何ともならないのである。

 ずっと下手のままである。それは中堅やベテランの教師たちを見れば、はっきり証明されていることではないか。

 今まで、学校は重点研究として「研究授業」をしてその向上を図ろうとしてきたはずである。
 しかし、その「研究授業」が教師たちの授業力量の向上に寄与しなくなっている。
 これが現実である。

 私は、授業技量の向上ということで言えば、ほとんどの教師が「野ざらし状態」になっていると思っている。

 ★
 だから、「一人研究授業」を打ち出している。

 この方法は簡単である。

  ①自分の「日常授業」を録音する。
   ※ビデオに撮るよりも、録音する方がいい。ビデオの場合は、雑多の物が
    入り込んでしまう。
   ※最初は、そのまま取るということでいいが、視点を決めて授業を試みると
    いうことを始めた方がいい。
  

  ②がまんして聞く。
   ※最後まで聞くというのは、最初は大変なことであるが、やり抜く。
    子供は、その授業を毎日受けているのである。
  

  ③感想をメモする。
   ※視点を決めていたら、その視点からまとめる。
   ※口癖、無駄な言葉などをメモする。
  

  ④1ヶ月に一度は行う。

 これだけである。気持ちさえあれば、いつでもできる。
 上記にあげたS先生は、ある時期毎日これをやったと言われていた。

 授業がうまい先生たちは、これを経てきているのである。

  「いつでもできる」というのはある意味危険である。忙しさに追われて流れてしまうからである。
 感想は、初任者指導の先生かあるいは校長先生に提出するようにすると続けられる。

 ★
 初任者は、これを1年間に12回やれば、研究授業を数多くやったよりも効果をあげると考えている。

 研究授業は、指導案がネックになるからである。
 これに精力が使われて、授業までいかないという初任者は多い。
 

 指導案の在り方も、これからぜひとも変えていかなくてはならない代物になる。
 ★
 19日、女満別空港。空の青さが際立つ。
 「ああっ、この青さは、カリフォルニアの空の青さだ!」
 

 4年前に訪れたカリフォルニアの、あの空の青さ。
 心に染みこんでいくような青さ。
 
 

 網走の空と、大地と、そして海。 
  北海道の素晴らしさを満喫している。

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つれづれなるままに

   関東南部を襲った(?)猛暑も、一休み。
 今日は、16日。30℃という気温に涼しさを感じている。
 

 日本の中で、関東南部が一番気候的には安定していると思っていたのだが、今年の夏の、この暑さは、まったくその思い込みを外している。
 

 これでは九州とまったく変わらない。
 ★
 北海道の網走へ行くための準備をする。
 明日、初めて女満別空港へ行く。
 

 道教委の学校力向上のアドバイザーの仕事をさせてもらったおかげで、北海道のさまざまな場所を訪れることができる。
 

 ますます北海道が好きになっている自分がいる。
 ★
 宮崎駿監督の「風立ちぬ」がもうすぐ封切りになる。
 久しぶりに見たいと思う作品。
 

 朝日新聞の全面広告に宮崎駿は、映画の意図するものを話している。

 ★ ★ ★
 時間がないんです。映画も時間がないんですけど、本人たちの時間もないんです。
 切迫した時代に生きた人たちは皆そうだったんじゃないでしょうか。これからそういう時代が来ます。だからこそこの作品は作る意味があると思っていました。
 ★ ★ ★

 ★ ★ ★
 こういう作品を作って何が届くのか、僕にもわかりません。この映画で描いた時代は、その時々に精一杯生きる人間たちがいた。劇中で「力を尽くして生きろ」というセリフが出てくるんですが、作家の堀田善衛さんが、かみくだいて訳してくれた旧約聖書の伝道の書の「凡て汝の手に堪ることは力を尽くしてこれを為せ」という言葉からおもいついたものです。この言葉に出会ったとき、そうでなければならないと思いました。いつまでも時間があるわけではない。その時に一生懸命生きなければだめなんだと思い、この映画を作る支えにしました。
 ★ ★ ★
 
 切迫した時代が来る。だからこそ、今できることを精一杯やらなければいけない。
 

 この認識は、私もまた同じである。

 
 

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福山憲市先生の授業について(4)

   福山先生の算数授業は、最後の第4弾になる。
 最後は、次のような報告で締められていた。

 ★ ★ ★
   第4弾
『割合』の授業報告第4弾…ラストです。
算数の授業は、工夫次第で市販テストの平均点は、99点以上になります。クラスによっては全員が100点でした。もちろん、これは「算数専科としての福山授業」です。「学級での福山授業」ではないです。それはまた違います。でも、授業というのは事実です。それを少しでも多くの場で紹介できればと思っています。
伝えていきたいと思います。
**********************************************************
授業の途中、割合の問題を5問程度解いたとき、ふと時計を見た。驚いた。
まだ15分しか経っていないのだ。
私の感覚では、30分以上経ったような密度だった。濃い。あまりにも濃い授業の密度に、45分経った後は、見ている私がバテていた。研修に参加していた友人・知人も同じような感想をもっていた。おそらく、授業を受けていた子どもたちは、もっともっとがんばったことだろう。
子どもを鍛える授業とは、こういうものか、と感じた。そして、何より楽しい。本当に楽しい授業だった。
楽しくて鍛えられる・・・まさに魅力ある授業であった。
 ★ ★ ★

 私の感想。
 
 普通、時間が過ぎるというのは、「あっという間に1時間が過ぎていた!」ということになる。
 あまりにも話がおもしろく、聞き入ってしまって、時間の経過を忘れるのだ。
 でも、ここでは反対だ。

  「15分しか立っていないのに、……30分以上経ったような密度だった。濃い。」
 これはどういう現象であろうか。

 「45分経った後は、見ている私がバテていた。」
  「濃い。あまりにも濃い授業の密度」

 ここでは過ぎ去っていく「時間」ではなくて、垂直に降りていく「時間」のような感覚である。

 そんな授業をしたこともないし、受けたこともない。
 そんな経験をしたこともない。

 この授業で何が起こっているのであろうか。
 
 考えられることは、次のようなこと。

 ・ものすごいエネルギーを使わなければ、その課題を克服できないこと。

 記録している先生は、割合の問題を5問解いたときにたったの15分しか経っていないと感じている。

 そんな問題を、しかも先生である人に、出せるものであろうか。
 
 問題解決に没入している。
 
  ★
 おそらく、このようにして福山先生の授業は続けられていたということである。

 記録している先生は、楽しくて鍛えられる授業だと最後に付け加えられている。
 私は、「楽しい」ということと「鍛える」ということとは、並列的に並べられないのだが、それはこの記録した先生の感想だ。

 ますます見てみたい授業になる。
 
  ★
 授業というのは、自分の技量の範囲でしか相手の授業は見えない。
 
 

 福山先生は、法則化運動時代から有名な先生であった。
 20代の頃から教師修業を続けられてきている先生だ。
 
 授業技量においては、名人級の先生であると、思われる。
 
 だから、福山先生の授業から見えるものも、限られてくる。
 
 ここから「味噌汁・ご飯」授業として何を学んでこれるのか。
 これは私の課題である。

 

 

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福山憲市先生の授業について(3)

   福山先生の第3弾の授業である。
 このブログに、福山先生直々にコメントをもらった。ありがたいことである。
 

10月2週目(10月12日)に、「待ち遠しくなる算数授業を創る会 2回目」があると聞いて、私も参加者の一員に加えてもらえないかと頼んだ。
 もうすでに仮予約40名ということである。

 加えてもらえることになる。ありがたいことである。
 「味噌汁・ご飯」授業研究会では、国語の研究に続いて、今年度から算数の研究に入る。たっぷりと勉強をさせてもらう。
 
 ★ ★ ★
第3弾
『割合』の授業報告第3弾です。
この「割合」授業全18時間…・初めの1時間と18時間目を今まで講座でしています。10月2週目の土曜日に『待ち遠しく成る算数授業を創る会2回目』を企画しています。限定40名の会です。すでに、仮予約40名あるのですが、当然キャンセルが出るので、その募集を9月あたりから始めたいと思っています。
************************************************************
授業中、福山先生は次のように言っていた。
「立ち方がいいのは〇〇さん。」
「がんばっている人、運がやってきます。」
「早くてていねいが大事」
「手は、堂々とあげなさい。間違ってもいいから。」
躾である。中でも、最も印象に残っているのは、全員が起立して答えを言う場面である。子どもたちのはっきりとした声が響いたが、福山先生は次のように言った。
「おしい、99点。前を向いていない人2人。」
これも話し方の躾である。やり直しをさせた後、
「かんぺき」
一瞬で穏やかな雰囲気になった。
授業の後半、プリントをする場面があった。割合で百分率を求めて、それを円グラフにするのだ。
円グラフに書き込み、さらに色まで塗る。まず最初に子どもたちがしたこと。
――――――――――――
机の上をプリントだけにする
――――――――――――
ノートは引き出しの中にしまっていた。これなら、色鉛筆も出しやすい。私の場合、算数の授業をしてプリントする際、教科書やノートを出しっぱなしにしてさせていることに気付いた。
机の上がすっきりしていると、学習にもより集中できると感じた。
福山先生は、授業中に、何度も隣同士で相談・確認をさせた。
「隣同士で確認」
「隣と相談」
このような指示は、私もよく使っている。しかし、福山先生は、さらに一歩進んでいた。
「隣と相談、3秒」
3秒!!!!!!聞いた私も驚いた。しかし、である。子どもたちは、より素早く、よりきれよく動いた。隣同士で活動させるときに、時間制限を設けることの大切さを改めて学んだ。
 ★ ★ ★
 
 私の感想。

1,「隣と相談、3秒」に驚く
 この授業でも、次々に「小刻みな活動」が展開されている様子が伝わってくる。
 子供たちは、そのスピード感に、もはや慣れてしまっている感じも伝わってくる。
 

  これらはライブで見なければ、ほんとうは感じられない。
 私は、テンポやスピードを意識する必要を強く感じたのはいつ頃だろうか。
 

  でも、記録している先生が驚いている「隣と相談、3秒」には、私もびっくり。
 私は、初任者指導講座で初任者に、「発表は5秒」というのをやったことがあるが、相談で3秒というのは驚く。
 

  だが、このように「時間制限」をきちんとするというのは、授業のテンポということからとても必要なことだと考える。
 子供たちは、そのスピードに慣れてくるからである。そして、子供たちもまたそのスピード感が合っているからである。

2,学習規律が徹底されている
「まず最初に子供たちがしたこと。机の上をプリントだけにする。   ノートは引き出しの中にしまっていた。…」
 この学習規律は、私も行っていた。
 

  ただ、なかなか徹底していかないというのも、この学習規律である。
 一々言わなくては、なかなか子供たちには浸透しなかった。
 

  ところが、この授業記録から窺えることは、福山先生が注意をしなても、子供たちに身についてしまっている事実である。
 どのようにして徹底していかれたのか。

3、「おしい」と「やるね」の繰り返し
 福山流フォローは、この「繰り返し」である。
 この第3弾でも、その様子が分かる。

  「おしい、99点。前を向いていない人2人」
  やり直しをさせた後、
  「かんぺき」

 言葉は違っているが、ここでも適用されている。 

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福山憲市先生の授業について(2)

   福山先生の「割合の授業」第2弾になる。

  ★ ★ ★
 第2弾
』割合の授業」報告第2弾です。大貝先生に感謝です。様子が少し見えるのではないでしょうか。
************************************************************
割合の問題。式、筆算、答えをノートに書く。当然、子どもたちに時間差が生じる。
早い子は、とてつもなく早い。しかし、教室にはゆっくりな子もいる。
「できたら手を挙げる」
さっと手が挙がった。
「できた人は、ポイントを写しておきなさい」
イラストとともに、その問題のポイントが書かれたカードが黒板に貼られた。イラストとポイントを写す。その間に、ゆっくりな子は式と筆算と答えを書いている。しかし、である。それでも早い子はイラストととポイントをすぐに書き終わる。
「ポイントまで書けた人、言います」
ポイントを声に出して言わせた。空白禁止、常に全員が活動している。だから、教室には一切よどんだ空気がない。福山先生は、今回の授業で一切叱らない。協議会でも福山先生は言われた。
「叱ることは99%ない。」
算数専科という立場であるからである。授業では、多彩なほめ方があった。
・目と目を合わせる。
・声をかける。
・ほほめみかける。
・「ありがとう」と言う。
・肩や背中にポンと手を置く。
しかし、何より驚いたのは、――――――――――「グー」(じゃんけんのグーではなく、グットのグー)――――――――――をしたことである。かなり距離は離れていた一人の子に対して行ったのだ。ここは福山学級?と思ってしまった。ときどきしか授業に入らないクラスで、
45分の授業で、ここまでの信頼関係を築けていること。他の皆様にとっては、当たり前のことかもしれないが、私にとっては、とても衝撃的な場面だった。
   ★ ★ ★

 私の感想である。

 1,空白禁止のこと
 これは、向山洋一先生が「授業の腕をあげる法則」の中に書かれてあった10の法則のうちの1つである。
 あの10の法則の中心がこの「空白禁止」であったと、私は読んだ。
 

 福山先生も、これに取り組んでおられる。
 算数の授業では、これが一番の難点になる。
 

 はやくできる子供と遅い子供の違いがかなりあるからである。
 はやくできた子供に何をさせるかが大きな課題である
 

 それを福山先生はどのようにクリアーされているか、具体的にもう少し知りたいところである。

2,フォローは多彩
 このように記録の先生は書かれている。
 これも「福山ワールド」の1つであるが、普通の先生が真似できないところである。
 

 真似しようとしても、それだけ子供たちを見る「視力」がないのでとってつけたようなフォローになる。
 ただ、はっきりしているのは、授業は、この「フォロー」が大切であるということである。
 

 多くの先生たちは(私もだが)、このフォローができないし、今まで大切であると考えたこともなかったはずである。
 

 ただ、フォローには次のようなこともあるのだということは、今回の発見。

 ・目と目を合わせる
 ・ほほえみかける
 ・肩や背中にポンと手を置く

 

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学年平均点99点の授業とは?~福山憲市先生の授業について(1)

   またまた福山先生のことで話題にしたい。
 福山先生は、山口県の下関市に住んでおられる先生である。
 

 もうベテランで、もはや管理職を目指さないで一授業人として全うされようとしている。
 私もまた、一教師として退職したので、その点ではとても共感を覚える。
 

 昨年、福山先生は算数専科として過ごされている。市販テストの結果は、平均点が90点以上だったと聞いている。(130数名の学年である)
 
 

 今回も、フェイスブックで、平均点99点以上だった授業の再現(第4弾)をされている。5年生の「割合」の授業。
 

 といっても、その授業を参観されていた方の記録である。
 
 

 私も割合は何度も教えたが、大変難しい単元である。
 このような成績を残せるというのは、大変なことである。学年全体であるから、更にすごいことである。
 
 

 どのような授業をされたのであろうか。
 誰でもが興味を覚えるであろう。
 ★
 そこで福山先生の承諾を得て、第1弾から順番に授業記録を載せていきたい。
 それに私の感想を付け加えたい。
 
 

 断っておくが、ここで紹介するのは、あくまでも授業を参観された方の感想記録である。
 当然、その先生の視点での感想である。
 
 

 その感想に対して、私が更に感想を加えようとするのであるから、大きく曲げられてしまうかもしれない。
 
 

 あくまでも私は、「味噌汁・ご飯」授業の立場からの感想に止めたい。

 ★ ★ ★
 市教委主催の魅力ある授業実践研究会に参加してきました。授業者は、福山憲市先生。
そこでの学びを発信させていただきます。
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5年生、算数、5時間目。参加者の40名近くが教室の中に入る。
子どもたちは、「まだ来る」「まだ、入ってくる」と教室をぐるっと取り囲む教師集団を見て、
非日常を感じているようだった。不安そうな顔をしている子もいる。そわそわしている子もいる。
チャイムがなる。
チャイム後の福山先生の第一声は、これだった。
「緊張してるのは当たり前、(号令は)先生がかけます。」
「気をつけ」
という福山先生の声が響く。子どもたちは一気に福山先生の手中におさまったように見えた。
率先垂範、まず教師が手本を見せることの大切さを感じた。
しかし、何より感じたのは、緊張している子どもたちへの配慮であったと感じた。
授業中、子どもたちの声が何度も響いた。
とにかく言わせる。問題文を読んだり、ポイントを読んだり、答えを言ったり。子どもたちが声を出した後の福山先生の言葉。
「口がよく開いています。合格。」
「口の開け方がいい。」
「〇〇さんの口がいい。」
口の開け方をほめているのだ。
授業後、福山先生は次のように言われた。
「声を大きく出させようとはしていません。口をはっきり開けて言いなさいと言っています。
はっきり言えると伝わります。」
なるほど、である。確かに、子どもたちの声は、はっきりしていた。聞き取りやすかった。
応援団のように叫ぶ子はいなかった。
人に伝えるには、はっきりした口の形が大切なのである。

割合の問題文を写す場面があった。
「1分で写します。写したら手を挙げます。」
時間制限を設ける。さらに、終わりの行動を示す。子どもたちの緊張感と集中力が磨かれていく。
「いい姿勢。」
写すことに集中しすぎて、つい前のめりになっていた子の背筋が伸びた。
10秒と経たないうちに、一人手を挙げた。
「〇〇さん、早い!」
さらに、子どもたちが集中する。
「10、9、8,7・・・」
カウントダウンでさらに巻き込む。この頃になると、90%以上の子が手を挙げていた。
1分程度の問題文を写す場面ではあったが、数々の技術がちりばめられていた。問題文を写した後、福山先生は次のように復唱させた。
「まず割合」
「線を引く」
問題文の割合の部分に線を引かせた。私だったら、ここで線を引けたかどうかを確認する。
(〇〇君、早い、もう線を引いている)
(引けたかどうか、隣同士確認)
このように思っていると、予想に反して、福山先生は次のように言った。
「こっちにも線を引いていた人?」
もとにする量に線を引いていたか確認したのだ。ぞくっとした。子どもたちの集中力と、スピードが加速していくのが伝わってくる。もちろん、数名がもとにする量にも線を引いていて、手を挙げた。力強くその子たちをほめた。福山先生の授業は、ただテンポがいいだけではない。
強引に引っ張っていない。それでもテンポがいいのは、子どもたちに+αを求めるほんの少しの確認のずらしが1つの要因であると思った。
 ★ ★ ★

 私の感想である。

 1,子供たちに、「小刻みな行動」を要求されている。

 「とにかく言わせる。問題文を読んだり、ポイントを読んだり、答えを言ったり。」
  
  私達の「味噌汁・ご飯」授業も、「行動」を「授業づくり」の中核に位置づけている。しかも、「小刻みな行動」が子供たちに集中力をつけることも、確かめ済みである。それを授業の中で福山先生が使われていることは、とても頷けることであった。

 2,フォローを畳みかけておられる。

  この「フォロー」も私達の授業の中核に位置づけているものである。
  このフォローは、中村健一先生から学んだものだったが、その使い方を具体的に学 んだのは福山先生からであった。
  福山先生は、フォローの名手である。
  授業で、どれほどこのフォローが大切なことであるかを証明されている。

 3,子供たちの観察がものすごい。

  多分、これは「福山ワールド」である。この観察眼は誰でもができることではない。マネをしようとしても、誰でもができることではない。
  ただ、はっきりしているのは子供たちを見ていなければ、何事も始まらないということである。 

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7月18日、北海道の網走小学校へ行く!

    7月18日(木)に北海道網走小学校へ行く。
 学校力向上アドバイザーの仕事である。
 
 

 この日、午前中初任者の授業を見て、午後から(13:35~14:20)3年生の教室で私が授業を行う。
 

 そして、14:45から90分間、「学級を軌道に乗せていく『学級づくり』『授業づくり』」というテーマで講演を行う。
 

 

 近隣の先生方、どうぞおいで下さい。

 網走小学校の教頭先生へ連絡していただければ大丈夫です。
 ★
 最近、こうして学校を訪問するときには、授業を行って、それから研究会という方式をとっている。
 たいした授業ではない。(笑)

 

「味噌汁・ご飯」授業を提唱しているのに、授業をしないというのはおかしなことである。

 最近は、講演の中でも「模擬授業」として授業をやることが多くなった。
 「主張のある授業」をすればいいのである。

 先日も、多賀一郎先生が「味噌汁・ご飯」授業研究会にこられて、私の授業を見て「シンプルで良い」と…。

「ごちそう授業」をする気がないので(しようとしてもできない)、シンプルに、主張のある授業をするだけである。
 ★
 こういう方式を思いついたのは、義兄の影響である。
 義兄は、佐賀で10年間ぐらい体育の指導主事をしていた。

 佐賀のさまざまなところを訪問するときには、自分が5時間目に体育の授業をして、それから研究会にするという方式であった。

 説得力十分である。

 やはり、現場で語るには「授業」を通してやらなければいけない。(もちろん、授業の研究会のことである)
 

 大学の先生たちには無理なことであるが、指導主事の先生方にはぜひとも望むところである。

 私が授業をするのと、指導主事の先生方が授業をするのとでは、抱えているものが大きいので大変であるが、しかしその方向でこれから変えていかなくてはならない。

 ★
 「すごい」とうなるような授業。
 「あんな授業をしてみたい」と憧れる授業。
 

 確かに、人に見せるならば、こんな授業を見せてみたいという気持ちは十分に分かる。

  私はまったく興味がない。
 というより、私はできない。
 現役のときでも、そんな授業はしていなかったし、できなかった。

 今興味があるのは、「主張」がある授業。そして、「学び」のある授業。
 これはちょっと説明がいる

 「主張」のある授業とは、なぜその授業をするのかという理由がある授業のことである。

 「学び」のある授業とは、教師がどのように教えているかというよりも、子供がそこでどのようなことを学んでいるのか、あるいは学んでいないのか、それはなぜか、ということである。

 こういうことを考えていたら、見せてもらう授業がまったく違う光景に見えてくるようになってきた。
 

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クラスを立て直すヒントが満載である!

 3学期制の学校は、今通知表の季節であろうか。
 最近は、家に持って帰られないで学校で仕上げなければいけないところもあると聞く。 
 

 子育てをしているお母さん先生などどうしているのであろうか。心配である。
 
 

 また、パソコンで作成するところも多くなっている。便利なようでいて、大変であるとも聞いている。

 通知表を書くことは、教師たちの一大イベント。
 どう書いていくかは大きな問題になる。

 ★
 昨年学陽書房から出版した『必ずクラスを立て直す教師の回復術!』は、通知表を仕上げるための処方箋をくわしく書いている。

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 ぜひとも参考にしてほしいものである。

 ★
 もうあと2週間で1学期が終わる。
 へとへとになっておられる先生もおられるであろう。

 とにかく夏休みである。
 一休みをすることである。

 上記の本には、2学期からのクラスをどう立て直すかのヒントが満載である。
 ぜひとも手にとってもらいたい。
 

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つれづれなるままに~「夏時間」になりました~

   ●7月1日から「夏時間」に変わる。
  起床時間を変える。
 
  

  5時30分の起床にする。
  朝が弱い私としては慣れるまでには時間がかかる。
 
  

  そして、午前中の3時間に仕事をする。
 
  

  9月いっぱいまでに仕上げなければならない2冊の本の原稿がある。
  8月の終わりまでに10回の講演があるので、その準備が必要。
 
  

  昨年は、この時期に無理がたたって虚血性腸炎になったので、同じ失敗はで 

  きない。
  体と会話をしながら慎重に「夏時間」に変わる。
 ★
  ●近くの家の軒下で、2匹の子猫が生まれた。親は野良猫である。
  
    順調に育っている。
  

  最近は私の家にもやってきて、少し距離をおいて、じっと私を眺める。
  

   
    何ともこの2匹はかわいい。

  これからどうしていくものなのか。ちょっと心配しながら私も眺めている。

 ★
 ●カリフォルニアから知り合いの先生が訪ねてきた。
  日本人の先生。
  
  

  私が4年前にシリコンバレーにあるサン・ノゼの日本人学校(補習校)から呼 

  ばれたときの先生である。
   なつかしかった。
  
  

  4時間近くびっしりと話し合った。
  

  日本での湿気に悩まされていると聞いた。
  
向こうは地中海性気候で一年中温暖なのだ。
  一年中、Tシャツで暮らせる。
  

  朝夕はちょっと涼しくて上着がほしいが、昼間はTシャツでいい。
  
  

  こちらで澄んだ青空を見ると、すぐにカリフォルニアの青空を思い出してしま

  う。
  

  くっきりとした青空。
  私の中に深く刻まれている。

 

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福山憲市先生とコラボ講座が実現!

   フェイスブックに福山憲市先生が書いておられた。
 福山先生と私のコラボ講座が実現できる見通しができたみたいだ。
 
 東京明日の教室の主催者の佐瀬先生もコメントされているので間違いない。
 うれしいことである。
 
 私こそ福山先生と一緒できることは光栄なことである。

 ★ ★ ★
福山憲市

とうとう、あの野中信行先生とのコラボ講座が実現しそうです。佐瀬先生が来年企画してくださることになりました。やったーーーーーーーーー!!!夢はかなうものだなあと思います。野中先生とは一度もお会いしたことがないんです。でも、日常授業の改善が大切なことだというつながり、学級づくりの先生の細かな心配り・・・・読めば読むほど、自分は今、野中先生から学ばなくてはいけない・・・・・そう耳元で言われている気がするのです。「運は運ばれて』きますね!!さいこー

佐瀬 順一   野中先生と福山先生とのコラボ講座は間違いなく来年度明日の教室東京       分校の目玉になります。よろしくお願いします!
  ★ ★ ★
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 テーマは「日常授業の改善」である。
 29日の講座に参加された多賀一郎先生がブログの中で、次のように書かれたいた。
  ★ ★ ★
「以前はうまくいっていた。なんとかなっていた。
 今はなんともならなくなっている。
   それが広がっている。」

   僕もそう感じている。

   そして、日常授業に問題があるというところも、

   全く同じであった。
  ★ ★ ★

 「日常授業」に問題があるということ。
 私が現役でいるときには、先生たちの「日常授業」がこんなに荒んでいるとは思っていなかった。
 私が勤めていた学校では、「日常授業」に取り組んでいたので、そのように見えなかったのである。

 だが、初任者指導で各学校を訪れ、あるいは全国各地の学校を見て回るうちに、「おいおい!これは授業が大変なことになっているな」と気づいていく。

 そこで親しい先生たちに呼びかけて、「味噌汁・ご飯」授業研究会を作っていくことになる。
 ★
 10年前に1冊目の本を出したときは、学級崩壊への対処法として「学級づくり」を問題にした。
 この課題が緊急に必要な課題として考えられたからである。
 
 その時には、ほとんど「授業、授業!」の時代で、「学級づくり」などを問題にしている先生はいなかった。(上越の赤坂真二先生と私ぐらいだったと思う)
 
  今では、各地の教育委員会がテーマを「授業」から「学級づくり」へシフトしていく様相がある。
 現場は緊迫しているのである。

 私は今でも現場は、「学級づくり」が最優先されて構築されていかなくてはならなくなっている状況は変わっていないと思っている。

 初任者などは、完全に「学級づくり」の失敗でクラスを荒らしていることは確実である。

 ★
 ただ、学級の荒れは、初任者だけではない。
 中堅もベテランも、軒並みにやられている。

 その原因の1つに、はっきり「日常授業」がある。
 そういう認識に、現在私はいる。
 「研究授業」にうつつを抜かしている間に、大変な事態になっていたのである。
 
 これから続いて行くであろう「学校の終わり」現象は、ますますその緊迫度を増していく。

 ★
 こういう流れの中で、福山先生と私が、「日常授業」の改善をテーマに講座を持っていくこと。
 うれしいことである。

 多くの先生たちに、現状を見つめ直してほしいこと、「日常授業」に目を向けていってほしいこと、学校現場の周りの先生たちに訴えてほしいこと、など訴えることができる。

 「日常授業」改善の流れをぜひとも作りたいものである。  

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