子供たちがちゃんと「生徒」している!
蒸し暑い関東から気温は15℃ぐらい下がった。
釧路は、むしろ寒い。
T小学校の教頭先生に迎えに来てもらって、釧路空港から車のところまで「寒い!」「寒い!」という感じで歩いて行く。
学校力向上のアドバイザーとしての仕事である。
17日(月)に朝から一日T小学校を訪問する。
昨年に続いて2回目の訪問。
5人の若手の先生(2人の初任者も含めて)の授業を見る。
★
児童朝会を見せてもらう。
昨年も朝会を見せてもらって驚いたのだが、教師の指示などが一切ない。
子供たちが整然と話を聞き、整然と教室へ帰っていく。
この学校にとっては、普通の当たり前の行動であろうが、私には驚きの場面。
全国で、こんな学校がどれほどあるのであろうか。
少なくとも私がいた学校や、私が見てきた学校では1つもなかった。
だから、学校は落ち着いている。
私が訪問したクラスで、一人として「生徒しない」子供たちはいない。
全ての子供たちが「学びの姿勢」をもっている。
確かに40年前の横浜でも、こんな子供たちは普通に存在したのである。
★
昨年から北海道中を回っている。
学校を訪問し、授業をさせてもらって子供たちの様子を見る。
ただ参観しているだけでは子供たちは分からないからである。
どの学校を回っても、そこに学びの姿勢をもっている子供たちだけ。
北海道はすごい。
まだまだ子供たちがちゃんと「生徒している」のである。
先月授業をさせてもらった別海中央小の5、6年生のクラス。
ここで授業しながら、「このクラスならば、もう1年だけでもクラス担任をしてみたい」という気持ちになった。
その北海道が、低学力にあえいでいる。
全国の学力テストで、ぐっと下の位置を占めている。
これだけの「学びの姿勢」を示している子供たちが、低学力にあえぐとは一体何であろうか。
こちらの方が、私にとってもっと驚くべき事実である。
★
夕方4時からの教育局の私の講座に、35人の先生たちが集まってこられた。
ここで話した。
「3年生以上のクラスで、かけ算九九ができない子供を放置しているというのは、
家庭の問題ではなく、先生たちの責任です。」
言い切った。
同時に繰り上がり、繰り下がりの計算ができない、本をすらすら読めないなどの基礎的なことを放置していることも、これも先生たちの責任である。
先生がその気になれば、自分の担任のときに一掃することができる。
「私が担任のとき、一掃した方法があります。ここでは時間がなくて言いませんが、あとで質問をしてください」
と言って切ってしまった。
そのあとでの質問が時間の関係で取れなくて、私も忘れてしまっていた。
数人の先生が指導主事の先生のところへきて、抗議されたということであった。
★
私の模擬授業は盛り上がった。
笑いあり、拍手あり、…。
先生たちがこんなに盛り上がる模擬授業に立ち会ったことがなかったので、私の方が面食らった。
この先生たちがきっとこれからの釧路の中心になって活躍される。
その期待でいっぱいであった。
★
18日、まだまだ肌寒い釧路は雨。濃霧になっていた。
広々とした街並みの釧路は、素敵な、すばらしい街である。
歩いてみると、その良さがよく分かる。
10時30分の飛行機に間に合うように急いでいた。
蒸し暑い関東へ戻っていくのである。
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