明日、「味噌汁・ご飯」授業公開研究会です!
いよいよ第2回「味噌汁・ご飯」授業公開研究会が迫った。
今回提起することが、私達の研究の大きな集約点になるのだという思いである。
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「味噌汁・ご飯」授業は食育の授業と間違われるが、「日常授業」をネーミングしたものである。
「味噌汁・ご飯」を食しない日本人が増えてきた現状では、かなり古典的なネーミングになる。
私は、「味噌汁・ご飯」授業を提起してきた最初から、そんなに簡単にこの授業が受け入れられるとは思っていなかった。
これからもそんなに簡単なことだとは思えない。
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「日常授業」の必要感を説くと、誰一人反対する人はいない。
だが、賛成した多くの先生は、明日の自分の「日常授業」を変えようと身構えるかというと、そうする先生は多くはいない。
なぜそうなるのか。
理由はいくつかある。
1つは、変えようと思ってみても、もはや自分なりに作ってきた「日常授業」の型があるのである。それをすぐに変えることは難しいからである。
朝起きて出掛けるまでの手順は、ほとんどの人が決まっている。
無意識な部分も多い。
その手順を変えることは大変な労力がいる。
それと同じである。
2つ目は、「日常授業」を変える必要を感じないことである。
何とかなっているのである。
それをあえて変えようと身構えることは大変な労力になる。
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それでも私達は「日常授業」の改善を訴えたい。
もちろん、このことをしなければ、子供たちにきちんとした学力を身につけさせられないという、第1のポイントはある。
それよりも何よりも、多くの先生の「日常授業」がきわめて大きな危機を迎えているのだと、私達は認識している。
子供たちの一部が、この「日常授業」に付き合わなくなっている。
公然と拒否を始めている。
それが学級崩壊を生み出している。授業不成立という事態。
更に深刻なのは、つい数年前までは何とかなっていた「日常授業」が、荒れ始めている。ずっとがさがさ、ごそごそ、うるさい状態が続いていく。
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原因は、もちろん「日常授業」だけにあるのではない。
しかし、確実に「日常授業」にもある。
しかし、多くの先生たちはそこに気づいていない。
相変わらず、子供が悪い(もちろん悪いのだが)、親が悪い、忙しすぎる、……と文句を言っている。
よく分かる。その通りだから。
だが、自分の「日常授業」がその原因を生み出しているとは思っていない。
私達は、学級崩壊になるクラス、落ち着かないクラスなどに共通な「日常授業」を特定している。
それを克服していかなくては、これから大変な事態になるなあという思いである。
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今、自分の「日常授業」は何とかなっている。
そう安心している先生は多くいる。
しかし、今クラスが荒れている先生だって、つい数年前まではそのように思っていたのである。
これから進んでいく「学校教育の終わり」現象は、安泰の場所なんかないのだということを突きつけていく。
自分の授業を初心に返って見つめ直し、もう一度問い直してみる。
そんな提案が私達にできればいいなと思っている。
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